第8話 踏切の怪人
ボスである「踏切の怪人」が消滅したことで、地下の空気は劇的に変化した。
澱んでいた魔力の霧が完全に消え去り、澄んだ温かい空気がホームを満たしていく。
鉄平は、かつての乗車口付近にある、半ば瓦礫に埋もれていた「みどりの窓口」の跡地へと歩み寄った。そこには、大地の龍脈と結界システムを繋ぐための、古い魔導発券端末が残されている。
「さて、運行管理パスの期限が切れる前に、この駅の定期券を更新しておくか」
鉄平はポケットから、自身のユニークスキル「始発の改札口」の媒体である「ICOCA」を取り出した。
青いプラスチックのカードを、埃をかぶった端末のセンサー部分に軽く押し当てる。
ピピッ。
澄んだ電子音が静まり返った地下ホームに響き渡った。
その瞬間、端末の内部で眠っていた魔導回路が猛烈な勢いで励起し、眩いばかりの青い光の波動となって放出された。光のグリッドは線路を伝い、天井のコンクリートを駆け上がり、天王寺駅全体へと張り巡らされていく。地上の改札口から地下三階のホームに至るまで、巨大な魔導結界が再起動し、周囲からの魔物の侵入を完全に遮断する防壁が完成した。
天王寺駅地下エリア、完全安全化(セーフティエリア化)の完了である。
直後、地上のシャッターが音を立てて開き、ドタドタと騒がしい足音が聞こえてきた。
「急げ! 結界が完全に安定したぞ! 直ちに防衛ラインの再構築と、テナント店舗の進出準備を開始しろ!」
「おい、ここの開発権はどうなってる!? 八雲鉄平の配信を見てすぐに動いた不動産会社があるぞ! 早く用地買収の手続きを進めないと他社に持っていかれる!」
スーツを着たギルドの商業部門の職員や、建設会社の作業員たちが、資材や測定器を抱えて次々と改札から雪崩れ込んできた。彼らの顔は、手つかずの金鉱を見つけた採掘者のようにギラギラと輝いている。
鉄平のスマートフォンが、激しいバイブレーションとともに通知音を何度も鳴らした。
画面を見ると、ネットのニュース速報がポップアップしている。
「速報:未攻略の天王寺駅地下ダンジョン、突如として完全安全化! 周辺地価が前日比三〇〇パーセントに急高騰! 避難民向けのニュータウン開発計画が始動」
さらに、ギルドのシステム口座から、莫大なエリア初攻略報酬と、配信のスパチャ収益が振り込まれたという通知が届いていた。その数字の桁の多さに、鉄平は思わず目を細める。彼がダイヤ調整課で一生かけて稼ぐはずだった給料を、一瞬で軽く超える額だ。
「な、何だかすごいことになってるわね、マスター……」
玲奈が圧倒された様子で、押し寄せる大人たちの波を見つめている。
「これが大人のビジネスだ。安全になった駅は、すぐに価値ある不動産に変わる。俺たちみたいな汚れ仕事の探索者は、長居しない方がいい。行くぞ、玲奈」
「ええ! でも、どこへ行くの?」
「次の目的地だ。大阪から姫路を繋ぐ、最強の高速路線――新快速の攻略準備をする。その前に、大阪駅へ戻って腹ごしらえだ」
鉄平の言葉に、玲奈の目がパッと輝いた。
「お腹、ペコペコよ! マスター、美味しいものを奢ってくれるのよね?」
「ああ、初攻略の祝杯代わりに、大阪駅の最高のご馳走を奢ってやる」
二人は大阪環状線の安全な運行列車に乗り込み、梅田の大阪駅へと戻った。
その頃、ギルドの近畿支部では、鉄平を「無能」と査定して切り捨てた黒崎課長が、青ざめた顔でモニターを見つめていた。
「な、なぜだ……。天王寺駅地下のサントラス同期率が百パーセントに回復しているだと……? そんな馬鹿なことがあってたまるか! あいつはただのFランクで、何の戦闘スキルもない事務員のはずだぞ!」
隣の部下が冷や汗を流しながら報告する。
「課長、ネットの配信アーカイブが拡散されています。八雲は敵の運行ダイヤを完全に予測し、一秒の狂いもなくSランクの六甲を誘導して、ノーダメージでボスを瞬殺したようです。株主たちからは「なぜこんな優秀な人材を追放したのか」と問い合わせが殺到しています……!」
黒崎は怒りで机を叩いたが、もはや後の祭りだった。鉄平の評価はネット上でうなぎ上りとなり、ギルド上層部の失態として黒崎の立場は一瞬で崖っぷちへと追い込まれていた。
*
大阪駅の商業エリア(エキマルシェ)は、結界の内側で多くの人々で賑わっている。鉄平が玲奈を連れて行ったのは、香ばしい醤油の匂いと、ネギの焼ける甘い香りが漂う一角だった。
「ここだ。大阪名物、ねぎ焼きの店だ。注文するのは、魔導ねぎ焼き・九条だ」
「わあ……! 凄く良い匂い! それに、なんだかすごく懐かしい感じがするわ」
鉄平はテーブル席に座り、すぐさま名物のねぎ焼きを注文した。
目の前の鉄板で、店員が手際よくねぎ焼きを焼き上げていく。たっぷりの九条ネギと牛スジ、こんにゃくを混ぜ合わせた生地が、熱い鉄板の上でジュージューと心地よい音を立てる。仕上げに醤油タレが塗られると、香ばしい湯気が一気に立ち上り、玲奈の鼻腔をくすぐった。
「お待たせしました!」
目の前に出されたねぎ焼きは、外側がカリッと香ばしく、内側はトロリとしていて、緑鮮やかなネギがこれでもかと詰まっている。
「いただきます!」
玲奈はハフハフと言いながら、コテで切り分けた熱々のねぎ焼きを口に運んだ。
「んむっ……! 美味しい……! 東日本で食べていたお上品なお好み焼きとは全然違うわ! ネギの甘みと醤油の香ばしさが、口の中でふわっと広がって……牛スジのクニュッとした旨味が最高だわ!」
玲奈は頬を緩ませ、幸せそうな笑みを浮かべた。
「このねぎ焼きには、風属性耐性プラス五十パーセントと、喉の保護バフがかかっている。次の新快速防衛戦では、敵の咆哮によるスタン攻撃を完全に無効化できるはずだ」
鉄平は自身の分のねぎ焼きを食べながら、冷静にステータスバフの解説をした。
「もぐもぐ……。マスターって、本当に美味しいものを知っているのね。ただのスジ屋かと思っていたけれど、なんだか凄く頼りになるわ」
「ただのスジ屋だよ。ダイヤを引くために、沿線のグルメ情報を網羅するのは基本だからな。よく食べて、次の防衛戦に備えてくれ」
「ええ、もちろんよ! これならどんな強い魔物が出てきても負ける気がしないわ!」
玲奈は満面の笑みで、次の攻略に向けたエネルギーをしっかりと蓄えていた。二人のバディとしての絆は、この香ばしい粉ものの匂いの中で、確かに深まっていた。




