第16話 特別運行管理アドバイザー
あのデッドセクションでの奇跡的な救出劇から一週間。
俺、八雲鉄平を取り巻く環境は激変していた。
ギルドでの名目上のランクこそ依然としてFのままだが、俺には「特別運行管理アドバイザー」という臨時の役職が与えられ、ギルド総本部の精鋭たちも俺の指示を仰ぐようになっていた。かつて俺を「戦えない無能」と嘲笑い、ダイヤ調整課から追い出した元上司たちは、今や廊下ですれ違うたびに引き攣った笑みを浮かべてペコペコと頭を下げる有り様だ。
実際、俺たちの前回の救出劇をまとめた切り抜き動画は、ネット上でミリオン再生を叩き出していた。スマホの画面をスクロールするたび、熱狂的なコメントが目に飛び込んでくる。
「オレンジの悪魔こと103系最強すぎだろ!」
「Fランクの八雲鉄平って何者だよ?」
「ギルドの老害ダイヤプランナーざまぁみろww」
「玲奈ちゃんの天羽々斬もキレッキレで最高だった」
「ローカル線の復興ダイヤとかも引いてほしいわ」
世間の評価はどうあれ、俺はただ自分の引いたスジを走らせただけだ。しかし、この突然のバズりがもたらす影響の大きさには、胃のあたりが少し重くなるようなプレッシャーも感じていた。
だが、そんな社会的評価の向上に浸っている暇はなかった。
会議室に向かう前、俺と玲奈は中之島のレトロなビルの一角にある、隠れ家のようなスパイスカレー店で腹ごしらえをしていた。
運ばれてきた一皿は、色鮮やかな数種類の惣菜と、スパイスの芳醇な香りを放つ二種類のルーが盛り付けられた、まるで芸術品のようなカレーだった。コリアンダーとクミンの爽やかな香りが鼻腔を抜け、カルダモンの清涼感が脳を刺激する。
「うわあ、スパイスの香りが凄いです!いただきます!」
玲奈はスプーンを手に取り、まずはチキンカレーのルーとインディカ米をすくって口へ運んだ。
「んんー!口に入れた瞬間はココナッツミルクの甘みを感じるのに、後からじわじわと突き抜けるような辛さが追いかけてきます!チキンもホロホロに煮崩れていて、スパイスの旨味が肉の繊維の奥まで染み込んでいます!」
俺もキーマカレーの海にスプーンを沈める。粗挽き肉のジューシーな脂の甘みと、複雑に調合されたスパイスの刺激が絶妙に絡み合い、噛みしめるたびに異なる風味が弾ける。付け合わせの紫キャベツのマリネやアチャールを混ぜ合わせることで、酸味や食感のアクセントが加わり、スプーンを動かす手が止まらなくなる。額にじわりと汗が浮かぶとともに、全身の血流が激しく循環し、身体の底から活力が湧き上がってくるのを感じた。
そんな腹ごしらえを終えて、大阪の中之島合同庁舎――第二都となった大阪で、臨時政府が置かれている中枢の会議室に、俺と玲奈は呼び出されていた。
重々しい円卓の前に座るのは、ギルドの最高幹部たちと、国土交通省防衛部の官僚たちだ。彼らの表情は一様に暗く、張り詰めた空気が室内に漂っている。
「八雲アドバイザー、それに六甲玲奈君。君たちのこれまでの活躍は見事だ。しかし、それに甘んじている時間はない。西日本、いや日本全体の存亡に関わる重大な危機が発生した」
防衛部の高官が、ホログラムスクリーンに日本の地図を投影した。
現在、俺たちの活躍によって大阪から姫路,そして近畿全域の路線網はある程度安全化され、青い魔導結界のラインが美しく繋がっている。しかし、地図の左上――山陰地方に目を向けると、そこは濃い灰色に沈んでいた。
「島根県と広島県を繋ぐ中国山地の山奥。大崩壊以降、五年間完全に放棄されたローカル線がある。木次線だ」
木次線。その名前を聞いた瞬間、俺の脳内にその配線図と時刻表が瞬時に浮かび上がった。宍道駅から備後落合駅を結ぶ、かつての超赤字ローカル線だ。
「現在、木次線エリアは危険度SSSの超高濃度魔境ダンジョンと化している。並行する道路は土砂崩れと魔力暴走で完全に消滅し、立ち入る手段はレールの上を走る魔導列車しかない。そして何より深刻なのは、この路線の寸断によって、山陰エリア全体の霊的結界――龍脈の循環が完全にストップしていることだ」
高官がスクリーンを操作すると、山陰地方の魔力循環が滞り、澱んだ赤い魔力が徐々に近畿地方へと浸食してくる予測図が表示された。
「このまま木次線が放置されれば、あと数ヶ月で山陰の結界は完全崩壊し、その余波で近畿エリアのSUNTRAS結界もドミノ倒しのように崩壊する。大阪も再びモンスターの海に沈むだろう」
幹部の一人が、冷徹な声で机を叩いた。
「そこで政府とギルド上層部の一部は、木次線を法的に「廃線」とし、山陰エリアそのものを放棄して近畿の防衛線を縮小すべきだと主張している。守りきれない赤字ローカル線など、切り捨てるべきだという意見だ」
「冗談じゃない!」
玲奈がたまらず立ち上がり、机を両手で叩いた。
「山陰を見捨てるというのですか!?あそこには今も必死で結界を維持し、生き延びている人々がいるはずです!それに、一度防衛線を縮小すれば、次はその縮小した境界線から敵が押し寄せるだけです!そんなの、ただの延命処置にしかなりません!」
「六甲君、君の言うことは感情論だ。危険度SSSの魔境に救助部隊を送る余裕など、今のギルドにはない」
幹部の言葉に、会議室は沈黙に包まれた。誰もが諦めの表情を浮かべる中、俺は静かに手を挙げた。
「俺が行きます」
全員の視線が俺に集中した。
「八雲君、本気かね?あそこは新快速も特急も通れない、急勾配と急カーブの連続だ。君の得意な高速ダイヤによる突破は通用しないぞ」
「わかっています。木次線は単線であり、スイッチバックや急勾配が連続する極めて特殊な路線だ。だからこそ、現場でリアルタイムにスジを引ける人間が必要なんです」
俺は立ち上がり、スクリーンに映る木次線の赤いラインを見つめた。
木次線は、急勾配を克服するための「スイッチバック」が設置された日本屈指の難所だ。高低差百六十七メートルをジグザグに進む出雲坂根駅付近の三段スイッチバックエリアは、龍脈のエネルギーが三段階の巨大な砂時計のように重なり合い、不規則に反転する魔力の渦を生み出している。普通に突入すれば、車両は重力の狂いに捕らえられ、脱線して谷底へ真っ逆さまだ。さらに、単線であるため、一度進入すれば後退も回避も極めて困難になる。敵の先制攻撃をいなすためには、地形の起伏による死角を利用し、列車の質量そのものを盾とする「慣性突入ダイヤ」をミリ秒単位で構築しなければならない。
「鉄道のレールは、日本を繋ぐ結界の血管です。赤字だから、採算が合わないからという理由で切り捨てていけば、いずれ全身の血管が詰まって死に至る。俺はスジ屋だ。引かれたレールがある限り、どんなローカル線であっても見捨てない。木次線を繋ぎ直し、山陰の結界を再起動してみせます」
俺の言葉に、玲奈の瞳に再び強い光が宿った。
「私も行きます。鉄平の行くところなら、どこへでもお供します!」
幹部たちは顔を見合わせ、やがて防衛部の高官が深く頷いた。
「……よかろう。八雲鉄平、六甲玲奈。君たちに木次線の復旧および安全化任務を正式に委託する。ただし、支援は最低限しか送れない。山陰の拠点である米子へ向かい、そこにある後藤総合車両所で準備を整えてくれ」
「了解しました」
こうして、俺たちの新たなる戦い――山陰ローカル線攻略への旅路が幕を開けた。




