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丙寅の章 公爵家貶すにゃ刃物はいらぬ 噂の三つもあればいい


「春の王宮舞踏会で筆頭公爵家の令嬢がバルコニーから転落!」


 衝撃的なニュースがオーエドゥ王国を駆け巡り、国民は争って新聞を買い求めた。


 記事には、公爵令嬢は打ち身と擦り傷を負った程度で、命には別状がない旨が記されていた。

 落ちたのが2階からで、下には植え込みが繁っていたこともあり、大事に至らなかったらしい。


 何れにせよ、2階の高さからの落下では事件性は薄く、不注意等による事故の可能性が高いと思われる、と記事は続いていた。


 運良く骨折ひとつしなかった公爵令嬢だったが、彼女は意識が戻った途端ひどく取り乱し、意味不明のことを口走っては、医者ではなく神官や祈祷師を呼んでほしいと騒ぎ立てたという。


 医者は「落下のショックによる一時的な精神錯乱」と見立てたが、公爵家では大事を取って当分の間令嬢を自宅療養させることにした。


 事態が事態であるだけに、ティヤンディ公爵は現在、娘への取材や面会の申し込みを一切拒否している……と記事は結ばれていた。


 突然の公爵令嬢ご乱心のニュースに、市井の人々は怪しげな事だと口々に噂したが、ベアトリスの人となりを知る者は、高所から落ちたのがよっぽど恐ろしかったのだろう、あの「気弱令嬢」ならさもありなん、と納得したのだった。



※※※※※※※



 一方、公爵邸では当主のヴォルフガング・ティヤンディが娘の不名誉な噂の火消しに躍起になっていた。


 ただでさえ陰で「気弱令嬢」などと呼ばれているのに、精神的に不安定だという噂まで広まれば、王太子の婚約者の座も危うくなる。


 火消し工作の合間にベアトリスの寝室にやって来たヴォルフガングは、

「よりによって王宮で公爵家の名に泥を塗るような真似をするとはどういうつもりだ」

 と病床の娘を叱りつけ、乳母兼家庭教師のヴェラボーメ夫人にも

「貴女がキチンと娘を管理できていればこんなことにはならなかった」

 とカミナリを落とした。


 その後、ベアトリスがヴェラボーメ夫人から公爵令嬢の在り方について長い長いお説教を聞かされる羽目になったのは言うまでもない。


 他の使用人たちは、気は弱いが心の優しいお嬢様の精神状態をひどく心配したが、当のベアトリスは一時の錯乱から回復すると、自室で手鏡を覗き込みながら何やら一人でブツブツ呟くようになってしまった。


 その様子に周囲の者たちは気味悪がり、やはりこれは落下のショックのせいに違いない、しばらくはお嬢様をそっとしておこうと頷きあったのだった。



※※※※※※※



 公爵が見舞客をシャットアウトしているせいで、ベアトリスはほとんどの時間を一人寝室で過ごしていた。


 ……というのは表向きで、実際には源太の魂とゼロ距離二人暮らしである。


 この日もベアトリスはベッドの上に身を起こし、手鏡を覗き込んでいた。


 そこには、自分ではない誰かの表情を浮かべた自分が映っている。


 源太の声はベアトリスの頭の中に直接聞こえてくるが、こうして鏡を使えば、ベアトリスの身体を介してお互いの表情を見ながら話すことができるのだった。


 ここ数日で、ようやく落ち着いて事態を受け入れられるようになったベアトリスは、このやり方で源太と会話を重ね、少しずつ彼に心を許すようになっていた。


「……つまり、ゲンタさんはこことは違う世界の人なのね?」


 ベアトリスは手鏡に向かって自分の考えをまとめるように呟く。


(姫さんの話を聞く限り、どうもそういうことらしいや。

 ……ところで、そのゲンタ「さん」ってのはナシにしねえかい?

 綺麗な姫さんに「さん」付けなんかで呼ばれた日にゃァ、どうもこう、むず痒くっていけねえ)


「綺麗だなんて………じゃあ、どうお呼びしたらいいかしら」


(前の世じゃァ「(とび)の源ちゃん」で通ってたんでね。姫さんも気安く「源ちゃん」と呼んでおくんな!)


 源太の軽口に、真面目なベアトリスは「ゲンチャン、ゲンチャン……」と何度か繰り返して練習し、改めて謝罪を始める。


「ゲンチャン……本当にごめんなさい。助けてくれたのに、私ったら貴方のことを悪霊呼ばわりしてしまって……」


(いいってことよ。

 まあ無理もねェやな。生きるか死ぬかの瀬戸際に、頭ン中からいきなり知らねえ野郎の声が聞こえてきたとあっちゃ、剛胆なお侍ェでも肝を潰すだろうよ)


「ありがとう……でもゲンチャン、天国へ行く途中だったんでしょう?私の身体にいて大丈夫なの?」


(うーん、それがなァ……入る時ゃ、無我夢中だったもんだから、気がついたらポーンと姫さんの身体に入ってたんだが……出るとなるとどうしたもんやら、皆目見当がつかねえンだ。

 流石にこの先ずっとこのままってことはねえと思うんだけどなァ……)


「そうなの……でも、ゲンチャンさえ良ければ私の中にいてもらって全然構わないのよ?

 ゲンチャンは命の恩人だし、それに……秘密の友達が出来たみたいでちょっぴり嬉しいし」


(エッへへ、そうかい?そう言ってもらえりゃァこっちはありがてえが……そんじゃ、出方がわかるまで、しばらく姫さんの身体で世話になるとするかな)


「フフ、宜しくねゲンチャン。

 どうせお医者様には当分安静って言われているんだもの、時間はたくさんあるわ。その間に、私にゲンチャンのことを色々教えてくれる?」


(おいらのことを?教えて欲しいっての?

 ヘヘ、そんなふうに改めて頼まれると弱っちまうなァ。

 ……まァ大した生涯でも無ェが、姫さんが知りてえってんなら構わねえ、遠慮なく何でも聞いておくんなよ)


 鏡の中のベアトリスが、源太の表情で照れくさそうに笑った。



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