終章 千度の限り恋ひ渡るかも
冬が過ぎ、春がやってきて、ベアトリスは貴族学院の最終学年に進級した。
春の花々に彩られた学院には、中等部にも高等部にも新入生たちが希望を胸に入学してくる。
高位貴族の子息、下位貴族の子女、平民の奨学生。
「学問の前に全ての生徒は平等である」といいながらも、これだけ生まれも育ちも違う若者たちが一堂に集えば摩擦も起きる。
他の階級との交流経験が少ない中等部の新入生なら尚更だった。
そして、今日も―――
「お前、平民だろ?貴族様の前で生意気なんだよ」
「ぼ、僕、そんなつもりじゃ………」
「じゃあどういうつもりなんだよ。言ってみろよ」
中等部の校舎裏で、平民一人を貴族の令息数人が取り囲んで脅しつけているところに、ふいに影が差した。
「弱いものイジメはおやめなさい」
凛とした声に、貴族令息たちは一斉に振り返る。
「何だよ、余計なお世話だろ」
「高等部のオバサンは引っ込んでろよ」
「てか、誰だよオバサン?」
浴びせられる雑言にも怯まず、オバサン呼ばわりされた令嬢はニッコリと微笑む。
「知らざあ言って聞かせやしょう。
天下御免の公爵令嬢、ベアトリス・ティヤンディとは私のことよ」
「「「!!!」」」
「やべえ!筆頭公爵家じゃん!」
「おい、逃げるぞ!」
バタバタと令息たちが走り去る後ろ姿を見送りながら、ベアトリスはちょっとため息をつく。
「あの子たち、貴族貴族って威張ってるけど、振る舞いは随分品がないのね……
そこのあなた、大丈夫だった?何か盗られたり、壊されたりしていない?」
高等部の最上級生で筆頭公爵家の令嬢に声をかけられた平民の一年坊主はコチコチに固まった。
「ハイッ、だ、だ、大丈夫ですッ!」
「こういうことは、一人で抱え込まずにすぐに周りに相談してね。先生でも、お友達でもいいわ。
相談できる人がいなかったら、中等部の最上級生に私の弟がいるから頼ってご覧なさい。
きっと力になってくれるから」
「あっ、ありがとうごさいます!」
しゃちほこばって一本の棒のようになってしまっている新入生に、ベアトリスは穏やかな笑みを向けた。
※※※※※※※
「はあ、怖かった………」
放課後、迎えの馬車に乗り込んで座面のクッションにボスンと寄りかかると、ベアトリスはため息を漏らす。
「ゲンチャン、私、頑張れてるかしら?ゲンチャンみたいに、うまくできてるかな………」
ベアトリスは目を閉じて、源太を想った。
他の生徒を注意するのは、やっぱり怖いし緊張する。
それでも、「こんなとき、ゲンチャンだったら黙っていないわ」と思うような事態に遭遇すると、見て見ぬふりはできなかった。
そのせいで、最近はすっかり「弱きを助け強きを挫く、天下御免の公爵令嬢」として学内外で名を馳せてしまっているが、その実態は空に消えた大切な人をいつまでも恋しがっている「元」気弱令嬢に過ぎない。
外では気丈に振る舞っていても、一人のときはこうしてつい弱音が出てしまうのがベアトリスの常だった。
アレクサンドラとヒルデガルトが軽快に牽く馬車の揺れに身を任せながら、ベアトリスは「今日も一日お疲れ様でした……」と自分を労い、グッタリと座席に沈み込んだ。
※※※※※※※
公爵邸に馬車が到着すると、門前で何やら騒ぎが起きていた。
門番が、中に入ろうとする誰かを押し留めている様子が馬車の中からも覗える。
「ちょっと見て参ります。
お嬢様は馬車からお出にならないように。こちらでお待ちください」
御者はベアトリスにそう言い置くと、門番の方へ走っていった。
ベアトリスも好奇心に駆られて、馬車の中で聞き耳をたてる。
「平民が約束もなくお嬢様に会えるわけがないだろう!さっさと帰れ。警備隊を呼ばれたいのか?」
太い声は門番だ。それに応えて、聞き覚えのない若い男の声も聞こえてくる。
「だから、ちらっと顔を拝むだけでいいんだって!そんで、ちょろっとお喋りして、しれっと手を握ったりするだけで………」
「それのどこが『ちらっと』だ!帰れ帰れ!!」
門番が怒髪天を衝いた。
聞いていたベアトリスもびっくりする。
………私に会いたい?一体誰なんだろう。平民の男の人のようだけど、全く心当たりがない。
ベアトリスはこっそり馬車の窓からその男の姿を見ようとしたが、上背のある御者の後ろ姿が邪魔になって、ボサボサの短い赤毛しか見えなかった。
待たされて退屈したのか、アレクサンドラとヒルデガルトがブルルルル、と鼻を鳴らす。
それを聞いた赤毛の男は、御者越しに伸び上がって馬たちのほうを見た。
「アレ公にヒル公じゃねェか!元気そうだなァ。相変わらず長ェ顔だねェ」
「―――!!!!」
ベアトリスは、思わず馬車から飛び出した。
※※※※※※※
目の前にいたのは、ベアトリスより幾らか年長と思われる、日焼けした肌の赤毛の青年だった。
青年は、ベアトリスの姿を認めてたちまち破顔する。
全く見覚えのない、見知らぬ青年だ。
だがその笑顔は、かつてベアトリスが何度も見たことのあるものだった。そう、鏡の中で。
あの頃の鏡の中の自分と同じ笑顔を浮かべ、青年は心底嬉しそうに声をかけてきた。
「よう、姫さん………いやさ、ビビ!久しぶりだなァ」
「ゲン………チャン…………なの…………?…………一体、どうして…………」
震え声のベアトリスに、赤毛の青年は屈託なく笑う。
「流石はビビだ。一発でおいらがわかったね。
こいつ(そう言って青年は自分を指差した)、下町に住んでる大工の見習いで、トバイアスってんだ。
………いやね、今度こそ真っ直ぐあの世に行く心積もりでフラフラ飛んでたんだが、その道中でこいつが高ェ足場から足を滑らせて落っこちかけたのを見かけてね。
習い性ってのは怖いねェ、「危ねえッ」ってんで、よく考えもせずまたまた飛び出しちまったわけだ。
だがこいつがせっかちな野郎でねェ。
おいらの魂が飛び込むのとすれ違いに、すごい速さで身体からこいつの魂が飛び出して、そのまま昇天しちまいやがった。
こっちはこっちで勢いがついてるから、呼び止めるヒマも立ち止まるヒマもありゃしねェ。
そのまま空っぽの身体にスポンと収まっちまったわけだ。
で、入ってみたら足場から落ちかけてるわ心の臓は止まっちまってるわで、もう大慌て。
どうにか足場の縁を掴んでぶら下がって、どういう理屈か知らねえが、気合いで心の臓も動かしてやって……
そんなこんなで、気がついたらこいつの元の魂は影も形も見えなくなってたのさ。
これでおいらも抜けたら、この身体は間違いなくそのまま死んじまう。
仕方ねェから、こいつのフリをして暮らしながら、元の魂が戻ってくるのを待つことにしたんだ。
うめェ具合にこいつは天涯孤独の身の上で、生業もおいらの前世と似てたからな。
中身が変わったことで周りに少しばかり変に思われても、どうにかこうにかごまくらかして、『トバイアス』としてやってこれたんだが………
………待てど暮らせど還ってこねェんだよ、こいつの魂が!
あとひと月待とう、もうひと月待とう、冬が終わるまで待とう、花が咲くまで待とう………って引き渡しを先送りしているうちに、いい加減待ちくたびれちまった。
こうなると流石にこっちも痺れを切らしてね。
こちとら元々そう気の長ェ方じゃねェ。
そのおいらがここまで待ってやったんだ、それでも還ってこねェならもう知るもんかって気になったのよ。
こいつの身体と暮らしにもすっかり慣れちまったし、こうなったらおいらがこの身体を借りて生きちまうぞ?ってな。
そうと決めたら、何を置いてもイの一番に会いたいお人がいてなァ…………
とるものもとりあえず、真っ直ぐここに馳せ参じたってェわけだ。
へへへ、ちょいと揉めたが、こうしてちゃあんと会えたぜ。
てな塩梅で、早速ものは相談なんだが……………こちらのお屋敷で、住み込みの大工はご入用じゃねェですかい?」
※※※※※※※
ベアトリスの目から、あとからあとから涙が溢れた。
何か言おうとするが、嗚咽がこみ上げてうまく話せない。
門番と御者は急に泣き出したお嬢様にどうしたらいいかわからず、オロオロしている。
赤毛の青年はニコニコしながらベアトリスの返事を静かに待っていた。
ベアトリスはどうにか涙を堪え、声を絞り出す。
「あるわ…………あります!
私、ずっと私専属の大工さんを探していたんです!!」
(初耳なんですけどー?)という顔になる門番と御者に構わず、ベアトリスは青年の手を取り、ギュッと握った。
「是非うちで働いてください!………それで、あの………貴方のことは何とお呼びすれば?」
「聞いての通り、こいつの名は『トバイアス』なんだが、周りの連中は『トビー』、『トビー』って言いやがるんでね……………
へっへへ、『トビーのゲンチャン』と呼んでおくんな!」
※※※※※※※
その後もベアトリスは「天下御免の公爵令嬢」として、曲がったことを嫌い、何ものにも屈することなく、自らの信念に従って自分の人生を生きた。
彼女は生涯独身を貫き、その傍らには常に、護衛騎士ならぬ一人の大工の姿があったという。
―――終―――




