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癸酉の章 そこのけそこのけ 火消し令嬢が通る


 貴族学院の門前に、筆頭公爵家の家紋のある馬車が横付けになった。


「ゲンチャン、着いたわよ」


(………………たまげたねェ……………馬車ってのはとんでもねえ速さだなァ…………早駕籠(はやかご)なんて目じゃねェや………………)


「…………何だか呆然とした声だけど、大丈夫?」


(………ちょいと目が回ったけど、まァ何とかな。

 こりゃァお公家さんが馬車じゃなくて牛車を使うのも無理ねェや。

 この勢いで走られた日にゃァ、着ていた十二単衣が一枚一枚全部裏返しになっちまう)


「じゃあ、降りましょうか」


 ベアトリスが馬車から降りると、登校中の生徒たちの視線が、久しぶりに学院に姿を現した「気弱令嬢」に集中した。


 本来なら、筆頭公爵家の令嬢で王太子の婚約者、その上生徒会副会長というベアトリスの肩書は、一般生徒に畏怖を抱かせるものである。

 しかし、いかに肩書が立派でも、いつもオドオドして、婚約者にも蔑ろにされている「気弱令嬢」を畏れる生徒など居はしなかった。


 おまけに先般、王宮での転落事故などという派手なやらかしをした上に、2階から落ちた程度で乱心したとまで言われている相手である。


 生徒たちの視線に含まれる好奇や嘲笑の色はあからさまで、遠慮がなかった。

 そこかしこからヒソヒソささやき交わす声や、クスクス笑う声も聞こえてくる。


 周囲の悪意を感じ取ったベアトリスの肩が自然に下がり、彼女はそのまま俯いてしまった。

 教室に行かなくてはならないのに、皆の目が怖くて顔を上げることができない。

 ギュッと目をつぶると、頭の中に源太の声が聞こえてきた。


(……姫さん、怖ェのかい?)


「え、ええ………ごめんなさい………」


(怖いと思っちまうことは別に恥ずかしいことじゃねェさ。謝るこたァねェ。

 だがよ、怖けりゃ怖いままでいいから、ちょいと顔を上げてみな。

 顔を上げて、胸を張るんだ。

 こういうのは形から入るもんさ。

 ウソでも何でも顔を上げて、胸を張って、肩で風切って歩いてみなよ。

 姫さんが心ン中で怖がってても、周りが勝手に「見ろよ、怖いもの知らずのご令嬢だぜ」と勘違いしてくれらァ)


「………本当………?」


(請け合うぜ。おいらも手伝うから、試しにやってみなよ、ほら)


 ベアトリスは源太の声に励まされながら、決死の覚悟で顔を上げ、震える胸を張る。


(ヨォーシ、いいぞ姫さん。もう勝ったも同然だ。

 あとはそうさな、景気づけに歌でもあればいいかもしれねェな。

 折角だから姫さんに本場の木遣り唄を聞かせてやりてェとこだが、おいら生きてた頃は、お頭に「おめえの木遣りは人死にが出る」って禁止されてたンだよなァ。

 悔しいから、人知れず橋のたもとで一人で稽古していたら、おいらの木遣りを聞いた川の魚どもが腹見せて浮いてきやがるしよ。

 そうだな……ここはひとつ、陽気に都々逸と参りやしょうか)


「ドドイツ?」


(朝飯の時にひとつ聞かせたろ?アレのこったィ。

 ではひとつ………あー、えー、ゴホン。

 〽アザのつく程つねっておくれェ〜、それを惚気(のろけ)の種にするゥゥ〜)


「ちょっ…………ゲンチャン!!」


(まァまァ。まだ続きがあるンだ、こいつァ。

 〽アザのつくほどつねってみたがァ〜、色が黒くてェェ、わからねェ〜……とくらァ)


「アハハッ………もうっ、何よそれ〜」


 周囲の人間は驚愕した。


 あの「気弱令嬢」が胸を張り、生徒たちの視線をものともせずに肩で風を切って歩いていくのだ。


 おまけに、唇には堪えきれないような笑みを湛え、なにやら鼻歌まで歌っているではないか。


 あまりに堂々としたその姿に、ヒソヒソささやき交わしていた生徒たちは一様に言葉を失い、そのうち何人かは「気弱令嬢って、あんなに美人だったっけ?」と図らずも胸をドキドキさせたのだった。



※※※※※※※



 ベアトリスは驚いていた。


 こちらが少し姿勢を変えるだけでこんなにも周囲の目が変わるとは思わなかったのだ。


 遠巻きにされるのには慣れっこだったが、こちらを伺う生徒たちの視線からは、見慣れた嘲りの色が消えてしまっている。


 いつもは人の間を肩をすくめてすり抜けるように歩いていたのに、今は向こうの方が一斉に道を開ける。


 周囲の注目を集めるのは恥ずかしいが、それでも源太が一緒だと思うと心強く、前庭の景色も違って見えるようだった。



※※※※※※※



 エントランスまであと少しというところで、校舎の脇から甲高い声が聞こえた。


「大体、平民の分際で生意気なのよ」


 ベアトリスはハッと声のしたほうを振り返る。


 そこでは、怯えた様子の女生徒が数人の女生徒に囲まれていた。


 残念ながら、こうした光景はこの貴族学院では珍しくない。


 学院には貴族の子女の他に、成績優秀な一部の平民も奨学生として在籍している。

 そして、そうした生徒たちは貴族に目をつけられ、イジメのターゲットにされることが多かった。


 学院では、表向き「学問の前に全ての生徒は平等である」と謳っていながらも、裏ではこうした身分の違いによる摩擦が後を絶たない。


 その場を通りかかる生徒たちも、上位貴族はそれを当然の光景として、下位貴族や平民は巻き込まれるのを恐れて、足を止めることなく通り過ぎていく。


「少し成績がいいからって、調子に乗っているのではなくて?」


「私………そんなこと………」


「まあっ、口答えするの!?貴族に口答えするなんて、どういう育ち方をしてきたのかしら」


 ベアトリスは見て見ぬふりができずに立ち止まったものの、さりとて止めに入る勇気も出ず、オロオロとその場に留まっていた。


「ゲンチャン………」


 彼女の口から、祈るような声が漏れる。


(…………成る程なァ。姫さんは目端が利くし、おつむりだって悪かねェ。

 あとちょっとだけ足りてねェのは、少しばかりの度胸ってわけだ。

 いいぜ、姫さん。ここはおいらに任しときな)


 ベアトリスの足が、一歩前に踏み出された。



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