⑧
現在、深雪は23歳。公一は26歳。
3つ年の離れた、ごく一般的な夫婦。
20歳の時に結婚し、もう3年目だが、公一は相変わらず優しい。
好きな人に愛されれば嬉しいし、幸せになる。
たまに来る笹川や新道には『相変わらず気持ち悪い』『あり得ない』などと言われるが、気にしたことはない。
人間は意外と簡単に変わるもので、深雪は毎日きちんと朝食を作って公一を見送り、家事をこなして夕飯を作る。
時間だけはあるため、インスタントなどを使うこともない。
今日の夕食も、昨日から仕込みをしてビーフシチューだって作った。
料理も家事も、やってみると意外と楽しく、よほどの事がなければ手を抜いたりはしない。
時計を見ると、午後8時を差していた。
そろそろ、公一が帰って来る時間だろう。
シチューを暖め直していると、チャイムが鳴った。
「はーい。ちょっと待ってて」
火を止め、ドアを開ける。
そこには笑顔の公一が立っていた。
「ただいま」
「お帰りなさい」
「これ、お土産」
左手にあった箱を見た瞬間、思わず黄色い声を上げる。
「わぁ。これ、パティスリーMURAYAの!」
あそこのシュークリームは確か、朝早く一時間以上並ばなければ買えない程人気のはずだ。
日中は仕事をしているはずなのに、なぜ手に入れられたのかは謎だが。
「シュークリームだけじゃないよ。深雪の好きなミルフィーユと、タルトも入ってる」
「え?本当に!?」
公一は凄くマメな男らしく、好物や記念日などは絶対に忘れない。
今日は何かの記念日ではないが、美味しいものが食べられるのならば何だって構わない。
「凄く嬉しい。ありがとう!」
深雪が喜ぶと、公一も嬉しそうにしてくれる。
鞄を受け取ろうと手を出すと、右手に持っていた大きな白いものを渡された。
「これもあげるよ」
「なにこれ?」
渡されたのは、50㎝程の白いティディベア。
思わず笑ってしまった。
「ケーキ屋に売ってたんだ。深雪が好きそうだと思って」
「ありがとう。可愛いわね」
ぬいぐるみは嫌いじゃない。
でもこれはどう見ても、子供向けのお土産ではないだろうか。
なんとなく複雑な気持ちになりつつも、ケーキを冷蔵庫にしまい、ティディベアを持ったままソファーに座る。
可愛いけれど、なんか違う気がする。
だけど公一的には満足らしく、ニコニコしながら隣に座り、軽くティディベアの頭を撫でた。
「やっぱり可愛い。深雪に似合うよ」
「そうかしら」
ティディベアが似合う程、子供っぽいのだろうか。
どうもそれが引っ掛かってしまう。
「ねぇ」
「なに?」
不満そうに見上げると、公一は相変わらずの笑みで首を傾げた。
「そんなに子供っぽいの?弟じゃないのよ」
「え?」
一瞬キョトンとする。だがすぐに、声を上げて笑い出した。
「あはは。もう2年も夫婦してるのに、何言ってるんだ?しかもなんで弟なんだよ。妹ならまだしも」
「じゃあこのティディベアはどうして?これじゃあまるで、妹か娘みたいじゃない」
可愛い物は好きだけれど、ぬいぐるみが似合う年でもない。
複雑な顔で見上げていると、公一は困ったように笑った。
「参ったな。まさか怒られるなんて思ってなかったよ」
「だって……。私はもう23歳よ?それに、あなたの妻なんだから」
そう言うと、公一はふと深雪の体を抱き寄せ、唇を重ねた。
そのまま押し倒され、驚いて見上げる。
「女って、よくわからないな。可愛がるといじけて、構わないと怒るんだから」
「そんなつもりじゃ──」
すると公一は、目を細めて笑うと、ネクタイを緩めてワイシャツのボタンを外した。
「な、なに?」
「可愛がられたくないって事は、つまりは常に俺を誘っていたいってわけだ」
「え?どうしてそうなるの?違うわよ!そういう意味じゃないっ」
腕を掴み、無理矢理離す。
悪いけど今は、そんな気分じゃない。
「じゃあ、よくわからないから、ちゃんと説明してくれないと」
両手を掴まれ、頭上で捕らえられた。
今はもう、力では敵わない。
いや、どうにかしようとすればできない事もないが、公一に怪我をさせたくない。
「深雪が先に誘ったんだからな?」
足に手を這わせる。
「もう夕飯の時間だから。やめて」
目を見つめながら、ゆっくり言う。
だけど公一は、楽しそうに笑っているだけだ。
だんだんと、腹が立ってきた。
だが、まだ怒るわけにはいかない。
大切な旦那だから。
「ねぇ、離してくれない?私はそんな気分じゃないの。怪我したくないでしょう?」
「大丈夫だよ。すぐに気分になるから」
そう言い、唇を寄せてくる。
こうなったらもう、やむを得ない。
小さく息を吐き、目を伏せる。
公一はそれをどう解釈したのか、ベルトに手をかけた。
深雪はすかさず膝を立て、そのまま振り上げた。
「っ……!?」
一瞬にして公一の顔色が失われる。
「ごめんなさい。痛かった?」
軽く脇腹を蹴って床に落とし、乱された服を直す。
「テメェっ……!」
公一は股間を押さえながら、顔を引き吊らせている。
昔公一に同じ場所を蹴られた事がある。
あの時はそこまで痛みはなかったが、男はそうではないらしい。
「じゃあ、夕飯の準備するわね。それまでそこで大人しくしていて」
余程痛かったのか、まだ踞っている。
少しだけ可哀想かなと思ったけど、悪いのは公一だし、取り敢えず夕飯の準備が整うまでは様子を見ようと思った。
終