12.姫は苦笑する
食堂の1件後
アーデン様から覚えもない婦女暴行について問われたとき、私は意味が分からず唖然とした。「知らない」と言っているのに「そんなわけがないだろう」と詰め寄られて、困惑と共に怖くて涙が出そうだった。
(これは何? 何かの悪戯??)
だとしたらとてもたちの悪い悪戯だ。
(それを何故アーデン様がするの? どうして?)
何も言えずに立ち尽くしていると、「ちょっとそれ待ったーーーーー!!」と言う怒号と椅子が倒れる派手な音がし、いつの間にか私の目の前に風紀委員長がやって来た。
「この学園の風紀を乱す奴は風紀委員長である私が許さないーーー生徒会長っ! たとえ貴様が相手でもだ!!」
*****
私は今まで、キトリー・ハンフリー嬢とは面と向かって話をしたことなど無かった。噂で人柄を聞く程度、遠目で姿を見る程度。そのくらいだった。こうして目の前に彼女がいるのを見ると、今まで避けていた理由が否応なしに分かった。
―――彼女は眩しい。
(痛いくらいに……)
私の欲しいものを全て持っている彼女を見るのが嫌だった。知識、教養、人脈、ハキハキとした性格に行き届いた仕草、表情。
(皆が求めている『アーデン様の妃像』そのものだわ)
認めたくなかった。私が意識して避けているのと同様に、周りも私を彼女に会わせなかった。それは、図書室で会ったときの私の態度が起因しているのだろう。彼女と接することが極力少なくなるように、おそらくスミス様が手配していたしーーー
(カーレーン達も、気遣っていたのね……)
流れるような彼女のスピーチによって、事態は収束に向かっていった。彼女の機転の良さを実感していると、アーデン様がハンフリー嬢をみてふわりと笑った。その姿に私は驚く。
(あんな風に笑う彼を初めて見た)
そう思っている内に、ハンフリー嬢が「クシャーナ様、あんな危ない場所に近寄ったのですか?」と声をかけてきた。私は思わずプイッと顔を背けてしまった。
「…わたくしは行っていないと申しております」
「そうですよね。危険な場所に行くなんてお付きの者が許しませんよね」
その後も彼女の話は続き、アーデン様は所々何度も笑った。その姿を見て私は思った。
(いいえクシャーナ。貴女は1度見たわ)
あれはそう、1年生の始めだ。アーデン様のネクタイがおかしいと彼女が追いかけてきて、彼が彼女にネクタイを直して貰っているときだった。ほんの一瞬だった。
(アーデン様は直ぐに表情を改めていたようだったけど、私は見てしまっていたのよ)
ネクタイを結ぶ彼女を見ながら微笑むアーデン様を。
(でも私は何も言わなかった。だって、彼らが気づいていなかったから)
当然でしょう? アーデン様は私の婚約者なのだから。
わざわざ教えてあげるようなことをするわけが無いでしょう?
(そして、アーデン様も何も言わなかった)
今だから分かる。
(沈黙こそが『肯定』だったんだわ……)
私が物思いにふけっている間にディオル様がやって来た。表情豊かなディオル様は俯きながら私に向かって話しかけてきた。
「この問題は風紀委員長が解決したと言うことで、よろしいでしょうかクシャーナ様?」
このディオル様の確認は、問題を学園内だけに留めたいという現れだろう。私は「…そうですわね」と言ってしばらく考えるそぶりをしたあと、
「ですが、アーデン様がわたくしの心をかき乱した行いについては、しっかり沙汰を下して頂かねば……お分かりですわよね?」
と言った。私はこれくらい言っても構わないだろうと思った。嫌な思いをさせた罰を、アーデン様に与えて欲しいと。ビックリするほどスルスル言葉が出てきて、私は自分の浅ましさに笑った。その微笑みが良くなかったのか、ディオル様とハンフリー嬢は「ハハハ…」「ホホホ…」と乾いた笑いをしていた。
カーレーン達を振り返ると、彼女達は口に手を当てて笑いを堪えていた。それを見て私も苦笑したのだった。
*****
午後の授業が終わったあと、私は城に戻った。アーデン様の私室に声をかけにいくと、アーデン様は陛下達との話し合いの場からまだ戻って来ていないとのことだった。身柄を拘束されたショーン嬢の事情聴取もあることだから、王宮内はどこか慌ただしい。私はいつ戻るかも分からない婚約者を待つ暇つぶしに中庭に向かった。秋の花が静かに風に揺れて、もの悲しい気持ちを慰める。
しばらく歩いていると、茶色い毛並みの猫が「にゃ~ん」と甘えた声を出しながらのっしのっし歩いてきた。その猫には小さな鈴の付いた首輪がつけられている。城で飼われているネズミ駆除用の猫とは明らかに違う風体だ。猫が首を傾げる仕草をすると『チリン』と可憐な音が鳴った。猫と目を合わせながら私が固まっていると、
「チャコっ! 僕を置いていくなんて酷いよ!」
遠くからディオル様の声が聞こえた。猫はディオル様の方をチラッと見ると、悪びれもせず「にゃん~」と言ってまた背筋を伸ばしてのっしのっし歩き出す。
「チャーーコーー! 待ちなさい!!」
私の見える位置までディオル様がやってくると、ディオル様は「あれ? クシャーナ様?」と言って立ち止まった。
「お一人ですか?」
「あ、ええ……」
先ほどの件もあって、少し気まずく私が視線を外すと、そんなことを気にする素振りもなくディオル様はにこやかに笑った。
「少し一緒しませんか? と言ってもーーー」
ディオル様は猫を指さして言う。
「彼女も一緒ですが」
猫のことを人間のように『彼女』と言うディオル様の茶目っ気に、私は苦笑するしかなかった。
***
私とディオル様は猫のチャコの後ろを追いながら、一緒に歩いた。
「ディオル様とこうしてお話しするのは……初めてですわね」
「フフッ…そうですね」
ディオル様は「色々ありましたから」と言って真っ直ぐに猫のチャコを見る。私も同じように視線を猫に送った。
「話には聞いていましたけれど、大事になさっているのですね」
「あ、兄上から聞きました? もとあと言えば、最初は兄上が贔屓にしていた猫なんですけどね」
「そうなのですか?」
「ええ。子猫の時に、木に登って動けないところを兄上が助けたんです」
「まぁ。小さい頃から行動力がお有りだったのですね」
「え? あれ? 何か言い方が引っかかるような……??」
「ふ…ふふふ……」
ディオル様との会話は、言葉の裏を読まなくて済むのでとても楽だ。気持ちも穏やかでいられる。私が笑っている内にディオル様はチャコとの距離を詰めて猫をヒョイッと捕まえた。腕の中に抱いて、背中を撫でる。
「もう10年近く生きているんです。本当なら猫って5~6年で死んでしまうらしいのですが、早くから室内で飼ったからか、長生きしてくれて……。こうしてたまに、庭を歩かせているんです」
必ず近くに僕がいるようにしていますけど、とディオル様は言って猫に頬ずりした。
「チャコ…」
うっとり名前を呟くディオル様に、今度は猫の方がすり寄った。2人の様子はとても愛らしく、見ていて心が洗われる。
「出来れば最後まで一緒にいたいですが……知っていますか? 猫って最後は1人でどこかに行ってしまうんですって」
「え……?」
どうして安全な家から出て行ってしまうのだろうと私は不思議に思った。ディオル様は猫を見ながら更に話す。
「どこにも行って欲しくないから閉じ込めてしまいましたが……これで良かったのかと考えることもあります」
ディオル様が何を言ったのか分かっているのか、猫は耳をピンッと立てると身をよじってディオル様の腕の中から飛び出した。『チリン』と鈴の音が静かな中庭に響く。私はクスッと笑った後、猫を見ながら話す。
「彼女は部屋の中で飼われていても、こうして自由を得られていますわ」
それで良いのではないですかと私が言うと、ディオル様は「詮無きことを申してしまいました」と苦笑した。
私達はそのあとも猫の散歩について行った。
林や草むらなど、よく分からぬ道をひたすら無言で歩いていると、猫は突然耳を立てて一点の方向を見つめた。私とディオル様はどうしたのだろうと1度目を合わせた後猫に近寄っていくと、生け垣の奥から小さいながらも口論をしているような声が聞こえた。
「最善は付………た」
「だが………た。…………最悪を……いい」
「わたくしは……………今後………」
「知らぬ。………陛下……………」
「今までの我々の…………」
「………ではないか。アーデ…………………」
かすかしか聞こえないが男女の声のようだ。私達が近づく間にその会話は終わったようで、2人はその場から立ち去った。男の方は確認できなかったが、女の方は垣根と垣根の間を通ったときに少しだけ見えた。
(キトリー・ハンフリー……??!)
私はとても驚き心臓がドクドクと早くなった。ディオル様の様子を横目でチラッと見ると、彼は一点を見つめながら渋い顔をしていた。しかし私の視線に気づくと直ぐにいつものように朗らかに笑った。
「……帰りましょうか」
私が返事をする間もなくディオル様はチャコを持ち上げて城に向かって歩き出した。私は何と言って良いのか分からず、ひたすらディオル様の後ろに続いた。
草むらを歩きながら、私は前から気になっていたことを初めて口にした。ディオル様なら聞きやすいと思ったのだ。
「アーデン様とハンフリー嬢って、どんな関係があるのですか?」
あんなにも聞きたくなくて、いつも絶対聞くものかと思っていた言葉なのに……案外簡単に口から出たものだった。自分が何をそんなにこだわっていたのか不思議だった。そんな私を振り返ったディオル様は「え…?!」と言って驚いた。
「知らないのですか?!」
「……えぇ」
「調べたりはしなかったのですか??」
「……はい」
「ええ??」
「………」
あまりにもオーバーな反応に私はムッとした。ディオル様はなおも「え? 機密事項じゃないよね? 大体の人は知ってるよね??」とぶつぶつ言っていた。
「それで、何なのですか?」
「え?」
「ディオル様は答えて下さるのでしょう?」
「え? あ、はい……」
ディオル様の困惑が治まった頃に、やっと彼はいつものようににこやかに答えてくれた。
「幼馴染みですよ。私と、キトリーと兄上とスミスは。小さい頃は4人でよく遊んでいました」
「……そうなのですか」
(4人で遊んでいたのにあの2人だけ共通点が多いのはどうしてなのだろう?)
そう思った私はディオル様に尋ねた。するとディオル様の反応は、
「幼馴染みだからでは?」
と言う私には理解と経験できないものと、
「2人に直接聞いてみたら良いのではないですか?」
直球なものだった。
(聞けないからディオル様に聞いているのに……)
またもやムッとした私は眉間にしわを寄せ、態度に表してしまった。そしてその後のディオル様の言葉に、私は益々顔をしかめることになる。
「え? 姫って、猫を被っていたのですか?」
「………」
「チャコ持ちます? あ、でも足が汚れてるから無理ですね」
「………」
「フ……くっ…ハハハ!」
「………」
私はディオル様の笑いが止まらないようなのでわざと先を歩いた。しかし、ディオル様の「帰り道、ご存知なのですか?」の言葉で私の足はピタリと止まる。その反応をまたもやディオル様が笑った。
「何なのですか?! 笑いすぎですわ!!」
「いえいえ、すみません。姫の頭に猫がいると思ったら止まらなくて……フフッ」
「………」
ディオル様の言うままに私も自分の頭に猫がいるのを想像してみたら、何とも間抜けな格好だった。
(猫かぶり? 私がやっていたことは猫かぶりだったというの??)
釈然としないまままた歩き出そうとしたら、ディオル様に止められた。
「取り繕わないで、そのままの方が良いですよ」
「……え?」
「格好つけるのは人前だけにすれば良い。違いますか?」
「人前だけ……」
「そうですよ」
「でも、アーデン様はいつも……」
「兄上は別格ですから、誰だって同じようには出来ませんよ」
「………」
周りの人のアーデン様の評価が妙に感じて、私は口ごもってしまった。
(アーデン様はいつだってーーーー1人……??)
「だから……こんな事をしてしまったの……?」
「え? 姫?」
ディオル様の呼びかけに私は何でもないと返した後、たわいない会話をしながら共に城へ戻った。チャコは洗って貰ってから部屋に入れるらしく、召使いに預けられた。
話し合いはまだ続いているらしい。
日は傾き始め、空は暗闇と赤のグラデーションに染まっていた。
月は既に出ていた。
高いところから暗闇の中で静かに淡く光る月は、いつだって冷たく私を見下ろしているようだ。
月が無ければ夜は闇の中に消えてしまうと分かっているが、夜にしか輝けない月を私はあまり好きでは無い。
「この、待つ時間が……とても長く感じますね……」
ディオル様のつぶやきに、私は頷くことしか出来なかった。
ただただ静かにーーー陛下達の下す判断を、待つのだった。




