4.姫はお年頃
婚約をしてから約4年経ち、私はセントラルにある王立学園にアーデン様と通うことになった。入学準備として1月前に入国、数日後にお披露目パーティーがあると聞いている。
(頑張った成果をアーデン様に見て貰おう…!)
私はふるさとを離れることより何より、アーデン様と共に過ごせる日々に期待を膨らませていた。浮かれていたと言っても良いだろう。
「アーデン様!」
馬車から降りると、すぐ目の前にはアーデン様が出迎えに来て下さっていた。私は嬉しくて、馬車の中から侍女が「姫様!」と咎める声も聞かず少し駆け出してしまった。
「アーデン様、お久しぶりです! お会いしとうございました」
私の満悦な笑みに対し、周囲は和やかな雰囲気で出迎えてくれた。アーデン様は見上げるほど背が高くなっており、飾り紐の付いた礼服を着こなしていた。
(ますます素敵になられている……)
私は自分の顔に熱が集まるのを感じた。そして、アーデン様の手が動いたのを見て私は、
(あ、あいさつ!)
と思って手を出そうとしたのだが、アーデン様は上げた手を胸に当て軽く礼をしただけだった。
「お久しぶりですクシャーナ姫。ようこそ、我がセントラルへ」
手の甲へ口付けする挨拶では無くて、私は少し残念に思った。しかし、アーデン様の流暢な声に思わず聞き惚れ、私は口を半開きにした間抜けな顔をしてしまった。それを見てアーデン様はクスッと笑い、
「お部屋へご案内いたします。荷物をお運びいたしますのでーーー侍女殿、その手荷物は私が持ちましょう。あなたは彼らに、積み荷を降ろす作業の支持を出して下さい」
私を置いて馬車近くにいた侍女の元へ歩いて行ってしまった。私はアーデン様の後ろ姿を目で追った。
(……笑われた…?)
親しみを込めて笑ったものでは無かったように思う。私は身震いし、初顔合わせで感じた薄ら寒い思いを再びアーデン様に感じた。だが、それを打ち消すかのようにアーデン様の側に笑顔で近づく。自分の手荷物くらい自分で持とうと思ったのだ。だが、それは上手くいかなかった。
「殿下、それは俺が持ちましょう」
赤髪の騎士がアーデン様から荷物を受け取ろうとしたのだ。だけどアーデン様は、それを手のひらで「止まれ」の合図を出し、鋭い視線で押しとどめた。
「ありがとうカーダシアン。けれど、君の任務は私の護衛だ。手が塞がるようなことはしてはいけないよ」
カーダシアンと呼ばれた騎士は「失礼いたしました」と言ってアーデン様から1歩離れる。アーデン様はそれを見て「よろしく頼むよ」と言った後、侍女に声をかけた。
「では行きましょうか!」
―――私はこのとき気づかなかったのだが、部屋に案内され荷物が入れられたあと、長いため息を付いた侍女に言われた。
『エスコートのチャンスを上手く活かせませんでしたね』と。
*****
「付いてそうそうにお茶など…すみません」
「いいえ! こうしてアーデン様とお話しできて嬉しいです」
荷物を置いてすぐに、私はアーデン様と庭園のガゼボでお茶を飲んだ。涼しい風に気持ちがやわらぎ、紅茶の爽やかな匂いが鼻腔をくすぐる。
「サウスとは風が違いますのね……。」
自国のカラカラしすぎな風を思い出すと、自分が違う国に来たことが身に染みた。3年間学園に通った後は1度里帰り出来るが、婚儀は卒業してから1年後になる。もう帰れないわけでは無いのだが、どこか寂しさを感じてしまった。
ふっと息を吐きながら、もう1度紅茶を飲む。思わず「おいしい……」と言葉が口に出た。
「やはり、今日はもうお休み下さい。王宮の案内は明日にしましょう」
「はい。お言葉に甘えてそうさせて頂きます」
本当は少しでも見たいところだが、このままでは晩餐の席で寝てしまいそうだ。私はアーデン様の申し出に対し、これ幸いと頷いた。
「晩餐はどうされます? 自室で取りますか?」
「いえ、皆様にご挨拶したいので参加しますわ」
「ではそのように伝えましょう」
アーデン様は側にいた侍従を呼び、耳打ちする。言づてを聞いた侍従は王宮に向かって去って行った。アーデン様のスマート過ぎる対応に、私は惚れぼれした。素敵すぎて何も言えなくなってしまう。
―――その時だった。
「――……リー!!」
キョロキョロと辺りを見回す少年が遠くに見えた。少年は私達に気がつくと、ガゼボまで走ってやって来た。
「も~、いなくなってたからビックリしたよ~」
少年は膝に手を置き、弾んだ息を整える。ずいぶん誰かを探し回っていたようだ。彼は「まぁいいや」と呑気に言うと、私の方を向いた。
「ほら、早咲きのバラ、少しだけ貰ってーーーえ? あれ?」
困惑したいのはこちらの方だ。少年は3本のバラを軽くリボンでまとめ、私に差し出したのだから。私は少年と目が合った。少年の容姿は、どこか10歳の頃のアーデン様に似ていた。
「あ、兄上……?」
少年は助けを求めるかのようにアーデン様を振り向いた。アーデン様は短くため息を付いた。
「クシャーナ姫、失礼しました。彼は私の弟です」
「は、初めまして、ディオルと申します。以後お見知りおきを」
ディオル様は胸に手を当てて静かに礼をした。
「ディオル。彼女は私の婚約者、サウス国の姫君だ」
「クシャーナと申します。こちらこそよろしくお願いしますね」
私がニコッと微笑むと、ディオル様は一瞬顔を赤くするが、直ぐに青くなった。
「あ、どうしましょう。きっと帰ってしまったかも……」
「その花はディオルが用意したのか?」
「あ、いえ……彼女が欲しそうに見ていたので……」
私はそれを聞いてピンときた。
「彼女とは、ディオル様の婚約者か思い人なのですか?」
「え、ええ??!」
「バラを送るほどなのでしょう? 素敵ですわ」
ディオル様は年相応に初々しく赤くなり、バラで口元を隠して俯いた。
「そ、そうなったら良いなとは思いますが……私達の婚約は政治が絡みますから、こればかりは何とも…」
(何という少年の破壊力……!)
見ているこちらが恥ずかしくなるほどだった。ディオル様のこの愛らしさは一体どこから来るのだろうか。1欠片でも良いからアーデン様に分けて欲しいくらいだ。
「引き留めてしまってごめんなさい。まだ近くに居るのではないですか? 早く見つけて差し上げなければ…」
「あ~、それについてはおそらく大丈夫です。十中八九、もう帰られたでしょう」
「? そうなのですか?」
「そうなんです……」
チラチラしきりにアーデン様を見て、ディオル様はうなだれる。私はせっかくのバラが勿体ないと思い、花をジッと見た。
(でも、私が貰うわけにはいかないわ。変に周りに勘ぐられるのは良くないもの)
そう思って目線を外し黙った。目だけでアーデン様を見ると、彼はバラの花を見つめていたのが分かった。アーデン様は手をディオル様に差し出して、おもむろに口を開く。
「ディオル、いらないのなら私にくれないか?」
「えーー!? 兄上にですか??!」
ディオル様の無邪気すぎる反応に、私は堪えきれず笑ってしまった。アーデン様の言葉に、変な意味は無いと思うのだが、それにしても返事がおかしすぎる。
「ふふふ…」
「ディオル……」
「…失礼しました」
ディオル様はしぶしぶバラを差し出した。「何に使うのですか?」とごく自然にディオル様は尋ねたのだが、アーデン様は「まだ早い」と言うだけであった。アーデン様が手を上げると、意を汲んでいたかのように給仕係がディオル様の分のお茶を運んできた。
「え? 僕も良いのですか? お邪魔では…?」
と言いつつも、ちゃっかりディオル様はアーデン様の隣に腰掛ける。
「これ紅茶ですよね。姫の為に兄上が注文したんですよ。間に合って良かったですね」
「え、あ……!」
当たり前に飲んでいたものだから、全然気づかなかった。前にアーデン様が言っていたでは無いか、『セントラルではハーブティーが主流だ』と。アーデン様の粋な心遣いに、胸がじんとした。
(それなのに気づかないなんて…!)
自分の鈍くささ(本日2回目)が嫌になる。だけど、アーデン様の見えない優しさが心地よく、初日にここまで考えてくれたことが素直に嬉しかった。
「アーデン様、ありがとうございます」
アーデン様は特に表情を変えず、
「気にする必要はありませんよ。これからそう何度も出せるとは限らないのですから」
とおっしゃった。
「いえ、それでも…」
「兄上の言うとおりですよ。これから嫌と言うほど種類のある香草茶を飲んで当てて…」
「え?」
「ディオル」
「…失礼しました」
(飲んで当てる香草茶とは一体なんなのだろう?)
私はあまり味の違いを当てるのが得意では無いので、内心ヒヤッとした。ここに来てまた勉強づけなのも嫌だなとも思った。そんな私の心などつゆ知らず、ディオル様はニコニコ笑顔で紅茶を飲んだ。
「白い器にこの色は良く映えますね。いつもと違うから不思議です。先ほどウェストから帰ってきた使節団から聞いたのですが、あちらは最近バラ茶が人気らしいです」
「バラ茶ですか?」
「はい。今までは色が落ちて見た目が悪かったのですが、乾燥の仕方を変えたら赤い色素がそのまま残ったらしいです。透き通るように綺麗な赤なのだとか。お土産に少しもら……!」
「……ディオル様?」
ディオル様は突然話すのを止めると、グビッと紅茶を飲み干し「僕! もう行きますね!!」と言って足早に去って行った。
「? 突然どうしたのかしら?」
とても面白い話だったから、突然帰られて少し残念だと思った。アーデン様の様子をうかがうと、突然の退席についてはあまり気にしていないようだった。
「さぁ、他に用事があったのでしょうね」
しれっと一言つぶやいたアーデン様を横目に、私はディオル様が去った方向を見た。嵐のようにやって来て風のように去って行ったディオル様は、帰りは何となく歩き方がおかしかった。