第三十夜 青の覚醒
「俺は、あんたに殺されたんだよ」
幸也のその言葉は、"紅蓮"を戦慄させるには、充分過ぎるほどの威力を持っていた。
***
――なぜこんなことになったんだ。
凍えるほど寒かったあの日、幸也はろくに回らない頭の中で、ぼんやりとそう呟いた。その時の幸也の腹には、深々と庖丁が刺さっていた。そこから滲み出た血が、紺色のコートを赤く染めあげている。
母の瑞季を殺し、自分を刺した男はすでに消えている。凶器はそのまま幸也に刺したまま、一目散に逃げて行ってしまったのだ。そんな男の後ろ姿を思い出して、幸也は自嘲気味に薄く笑った。
自分はおそらく、もうじき死ぬのだろう。ほんの数分前に感じた痛みなど、とうに忘れてしまっている。おまけに、母親が目の前で殺されてしまった今となっては、たとえ生き延びたとしても、この先苦労するに決まってる。
ただ一つだけ、心残りがあるとすれば――
「――"父さん"に……会って……みたかった、かもな……」
血を吐きながら、幸也は掠れた声でそう呟いた。
こんなことになったのも、ある意味運命なのではないか――と、幸也は考えた。一昨日の朝、母が突然、名前すら教えてくれなかった"父親"のことを語り始めた、あのことが原因なのではないか――。
――結局、俺は実の父親には会えないってことか……。
幸也はゆっくりと瞼を落とした。ほのかに降り注ぐ雪の冷たさを味わいながら、意識が遠退いていくのを、本能的に感じた。
ところが、
「――おい、大丈夫か」
見知らぬ男の声が降ってきた。
***
「幸也、あんたの父親はね、普通じゃないの」
「……は?」
明らかに酒に呑まれてしまっている母――瑞季は、火照った顔を幸也に向けて、そう口火を切った。それを聞いた幸也は一瞬驚き、そしてすぐに、酔っ払いの戯れごとだと相手にしないことにした。しかしそれでも、瑞季は話すのを止めなかった。
「ほんっと、昔から変な人だったのよねえ。顔は無駄に良いクセに、ずっと何も無い所を見つめてたり、小さな公園をひたすら何周も歩き続けたり、ちょっと気味が悪いとこがあったのよね」
「……」
幸也は相づちも打たずに聞き続けていた。身体は瑞季が脱ぎ散らかした衣類を拾ったり、ゴミ類を回収したりと忙しく動いていながらも、耳だけはずっと彼女の話に集中していた。
「でもね、顔だけでなく、性格も良かったから、やっぱりモテモテでね、彼。争奪戦は凄かったわあ。その戦いに勝利したのがアタシってわけ」
「……ふうん」
いつの間にか自慢話になっていたが、幸也は構わず聞き続けた。
「……いつだったかしら、彼がおかしくなったのは」
突然、真剣な表情になった瑞季は、空になったグラスを片手に、考え込むようにそう呟いた。そんな母の様子を見て、幸也も手を止めた。
「……そう、あれは、アタシが妊娠したって気づいて、彼にそのことを報告しようとした時だったわ。茶色だった髪も、瞳も……いつの間にか、真っ赤になっちゃってて……」
「……赤?」
幸也は驚いて顔を上げた。見ると、瑞季は悲壮感を漂わせた表情で、目には涙を浮かべていた。
「ちょうどその時だった……彼が、アタシに別れを切り出したのは……。アタシ、お腹に子供がいるって言ったのに……誠実な人だから、絶対幸せにしてくれるって、そう思ってたのに……!」
「……」
瑞季がそう悲痛な声で怒鳴った時、彼女の左手に握られていた紙が、ひらひらと幸也の足元に落ちてきた。それは何度もくしゃくしゃにされた、ボロボロの古い写真であった。
幸也はそれを手に取り、まじまじと見つめた。
「……似てる」
思わず呟いたその言葉は、母には聴こえなかったようだった。
***
「――大丈夫か? 幸也」
「……」
幸也がようやく重い瞼を上げた時、一番最初に視界に入れたのは、"赤の青年"の姿だった。
「良かったよ。気がついて」
「……」
そう言って安堵したかのように微笑んだその青年を、幸也は穴が開きそうなほどに見つめた。
肩口にかかりそうなぐらいの、男にしては珍しい長髪。すっきりとした目元は、どこか優しげに細められている。全体的に整った、爽やかな風貌の美青年といった感じではあるが、そんな容姿よりも目を惹くのは、明らかにその"色"であった。
「赤――」
その青年は、髪も瞳も、炎のような赤色であった。明らかに人工的に染められたのではない――鬘などであるはずもない――本物の"赤"であった。
"赤の青年"は、幸也の視線に少し照れたように笑った。そして、こう切り出した。
「――俺の名は"紅蓮"。お前の父親だ」
「……っ!!」
目を見開く幸也に、"紅蓮"は優しく、穏やかに――しかし悲しげな雰囲気をかもし出しながら、こう告げた。
「すまない――お前は、"覚醒"してしまった」
「は……?」
"紅蓮"の言葉の意味を理解できずに、幸也は混乱した。そんな幸也を見かねてか、"紅蓮"は黙ったまま、手鏡を手渡した。それを受け取り、何気なく自分の姿を映し出した幸也は、凍りついた。
「な、何で……?」
"父親"譲りのはずの茶色の髪と瞳は、いつの間にか、"青色"へと変わってしまっていた――。




