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赤と青の断罪者  作者: 吹雪
第四章 雪の日の夜
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第二十八夜 二人ぼっちの夜

「母さん、殺されたから」



 その言葉に、紅蓮は戸惑いを隠せなかった。今、この少年は何と言った? 自分の聞き間違いじゃなければ、確かに「母さん、殺されたから」と言っていた。それも、まるで大したことではないかのように、平淡な声で、だ。


「――本当に、死んだのか。お前の母さんは」

「信じられないなら、あんたの目で確かめたら」


 幸也はそう素っ気なく言うと、体を横にずらして、中に入るように促した。紅蓮は神妙な面持ちで、黙ったまま玄関に足を踏み入れた。


 その部屋は、小さいながらもこざっぱりしたものだった。家具と言えば、これまた小さなちゃぶ台と、引き出しが三つ付いている茶色い戸棚ぐらいのもので、その上には古めかしい黒電話が置いてあった。しかし、それはプラグが抜かれていて、鳴ることはまずなさそうであった。


 紅蓮はそんなこじんまりした部屋に一通り見渡すと、自分の背後に立っている幸也に問いかけた。


「お前の母さんは……」

「あんたの正面」


 紅蓮の正面にあるものと言えば、黄色く変色した襖の押し入れだけであった。紅蓮は躊躇うことなく、勢いよく襖を開けた。


「……」


 押し入れの下の段。その決して広くはない収納場所に、"彼女"はいた。


「結構綺麗だとは思わないか? 生前撮った写真の中で、一番写りが良くて、笑ってるのを選んだんだ」


 幸也は少し弾んだ声で言った。それはまるで、何かを言い繕っているかのようでもあった。


 事実、幸也の言った通りだった。紅蓮の視線の先には、若かりし頃の瑞季が柔らかい笑みを浮かべていたのだから。


「……まあ、でも……俺が生まれる少し前の写真だから、ちょっと若すぎたかもな」

「……」


 紅蓮は幸也の言葉には答えず、黙ったままその場に方膝をついた。そして懐かしげに目を細めて、"彼女"の遺影、次いで遺骨の入った木箱に触れた。



「久し振り。瑞季――」



***



「――で? あんたは一体何の用で来たんだ?」


 紅蓮は瑞季の遺影を背にして、ちゃぶ台の前に腰かけていた。その正面には、不審げに眉を寄せている幸也がいる。


「お前の母さん――瑞季と、ちょっと話したいことがあってな」

「ふうん」


 紅蓮は苦笑しながら、幸也に差し出されたガラスのコップを受け取った。その中には水が入っていたが、それはどう見てもミネラルウォーターの類ではなく、水道水だった。その水を、幸也は平然と飲んでいる。


「あんたさ、昔母さんと付き合ってたりとかしたんじゃねえの? だから今更会いに来たんだろ」


 幸也は半ばからかうようにして言った。紅蓮に対して、別段面白味のある返事を期待していたのではない。単なる好奇心から出た質問だった。


「まあ、な。そんなところだ」

「はあ?」


 紅蓮の返答は、幸也にとっては意外なものだった。もっとはぐらかされると思っていたからだ。それに加え、その返答は、自分が幸也の父親であるという可能性まで示唆したことになる。


 幸也は信じられない気持ちで紅蓮を見た。紅蓮はそんな幸也の気持ちを察したのか、決まり悪そうに頭を掻いて、こう言った。


「俺は、お前の父親だ」

「……っ」


 その言葉を聞いて、幸也は絶句した。何も言えなかった。ただ目の前の見ず知らずの男を、ひたすら凝視した。


 ――こいつが、母さんが愛した男なのか……?


 幸也はすぐには紅蓮の言葉を信じることはできなかった。その代わりに、幸也はただじっと、紅蓮の顔を改めて観察し始めた。それは、母が生前よく口にしていた"あの言葉"の真偽を確かめるためだった。


「……似てない」

「……へ?」


 今度は紅蓮が絶句する番だった。幸也の反応は、明らかに紅蓮が予想していたものとはかけ離れていたからだ。


「何が、似てないんだ?」

「何がって……顔に決まってるだろ」

「顔?」

「そう、顔」


 紅蓮にはさっぱり意味が理解できなかった。幸也は未だに自分の顔をじっと見つめ続けている。


「母さん、言ってたんだ」

「何を?」

「"あんたはあの人に似てる。だから育ててるのよ"……だって」

「……」


 それを聞いた紅蓮は、悲しげに表情を曇らせた。


「瑞季のやつ、そんなことを言ってたのか……」

「今思えば、酷い母親だったよな。でも、あんたほどじゃないだろ」

「……」


 幸也のその辛辣な言葉は紅蓮の心に突き刺さった。しかし、何も言い返さなかった。自分は籍を入れてはいなかったとは言え、恋人とその息子を捨てたのだから、それは当然であった。


 ところが紅蓮は、幸也にとってさらに意外なことを口にした。


「俺にはお前の父親を名乗る資格はない。今更許して欲しいとも言わない。だが、これだけは言わせてくれ」


 一呼吸置き、そして言った。


「俺は瑞季のことも、お前のことも、どちらも愛してる。これだけは昔から変わらないし、これからも変わることはない。絶対にだ」


 紅蓮は尚も続けた。


「瑞季がお前を妊娠したと聞いた時、俺は嬉しかったんだ。絶対に、守ってやりたいと思った――でも実際は守ってやれなかったんだから、俺は夫としても、父親としても失格だ。でも、だからこそ――今度こそ、お前を守ってやりたい」

「……」


 紅蓮のその言葉は、冷えきった幸也の心に、少なからず動揺を与えた。しかし、それでも幸也は、容易に警戒を解くことはできなかった。どれだけ真摯な言葉を告げられようと、今までの十七年間の孤独を埋めることなど、できるはずがなかった。


「――幸也、今のお前は危険にさらされている」

「……どういう意味だよ」


 突然、紅蓮の纏う雰囲気が変わった。それはなぜか、幸也に本能的な不安を感じさせた。


「瑞季が殺されたと聞いて、確信した。お前はこれから、確実に命を狙われる」

「何を言って……」


 幸也の本能的な不安は、恐怖へと変わった。目の前の紅蓮に対してではない。なぜか自分の左側――正確に言えば、玄関の向こう側にである。


 幸也は恐る恐る、玄関先に視線を移した。しかし、そこには何もない。幸也に見えるのは、自分と紅蓮の靴と、無機質な灰色の扉だけである。それなのに、幸也の視線はそのまま、扉の向こうに注がれていた。


「……何か、いる……?」

「気づいたか……やっと」


 紅蓮は先程とはうって変わって、憎々しげに殺気を放ち、扉を睨んだ。そして、幸也にとって衝撃的な事実を告げた。


「あの扉の向こう側に、お前の母さんを殺した奴がいる。そして――」


 幸也は次の瞬間、凍りついた。



「お前を狙って、扉に張り付いていやがるんだよ」



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