第二十七夜 終わりの始まり
平島幸也は、母子家庭の一人息子であった。本人はいたって普通の男子高校生のつもりであったが、実際は違った。少なくとも、周りの人間は幸也を"普通"だとは全く思っていなかった。
その理由は単純であった。なぜなら幸也は――。
「視えるんだよ、俺」
「何が?」
「多分、幽霊」
当時の幸也の、数少ない友人であったその少女は、幸也のこの言葉に少なからず驚いた。そして、我が耳を疑った。
「幸也くん、もう一回言ってくれるかな? 私、ちょっと聞き間違いしちゃったのかも」
少女は精一杯の笑顔を作って、そう控えめに言った。しかし、返ってくる言葉は同じであった。
「多分、聞き間違いじゃねえよ。俺は多分、幽霊が視えるんだと思う」
自分でも、信じられねえけど――そう付け加えて、幸也はどこか遠くを見るような目で少女を見つめた。
「……幸也くんって、ちょっと変わってるよね」
「そうか? 俺からして見たら、"未来が見える"って言うあんたの方が変わってるけどな――穂香」
幸也はそう言って笑った。それに釣られて、少女――飯島穂香も笑った。
そしてこれが、幸也と穂香の最期の会話となった。
***
幸也の母――平島瑞季は、客観的に見ると、実にだらしがない母親であった。
僅か十八歳で幸也を産んだ彼女は、実家や親戚にも頼らずに、早々に母と子二人だけの生活を始めた。最初の頃は、若さ故の根性と精神力でその日その日を息子と共に生きていた。しかし、幸也が物心がついたぐらいになると、彼女は途端に自堕落な母親に堕ちてしまった。
そもそも彼女から言わせれば、自分がこのような貧乏生活を送ることになった原因は、息子の幸也にあるということであった。幸也が産まれさえしなければ――いや、それ以前に、妊娠したりしなければ――。
「"あの人"はきっと、私を今でも愛してくれていたはずなのに」
この言葉を、幸也は最低でも週に二・三回は聞かされていた。そして決まって、こう続くのである。
「あんたは"あの人"に似てる。だから育ててるのよ」
それを聞く度に、幸也はいつも深い溜め息をつく。もう慣れてしまった、煩わしい恨み言。この言葉は確実に、幸也の心に傷を与えてはいた。しかし、そんな心の傷を母から与えられていても尚、幸也は母を愛していた。
理由は幸也自身にも分からなかった。こんな最低な母親を、なぜ嫌いになれないのか。その疑問は長年幸也を苦しめていたが、それは望まぬ形で解けることになる。
それは、幸也にとっては酷い災難であり、悲劇的でもあった。
***
"その男"が突然現れたのは、雪の日の夜であった。
「こんばんは。お前が幸也か?」
「……そうだけど……あんた、誰?」
不遜な態度になってしまったが、幸也はそれを敢えて改めようとはしなかった。真夜中の突然の訪問者に、ただならぬ警戒心を持っていたのだ。
「俺はお前の母さんの、高校時代の友人……いや、先輩か?」
「……何で疑問系なんだよ」
幸也は呆れた表情で、玄関の扉を片手で押したまま、目の前の男を観察した。
外人だってこんな色はしていないだろう、と思わず言いたくなる程の、真っ赤な短髪と瞳。目鼻立ちがはっきりとした整ったその顔は、一般的に見れば美形に分類されるだろう。それも、かなりの美形に。身長百七十センチの幸也からして見たら、その男の高すぎる身長は嫌味にも思えた。
――何か、ムカつくな。この男。
幸也は理不尽にもそう心の中で呟くと、機嫌が悪そうな目付きで男を睨んだ。すると、男は一瞬だけ驚いた表情を見せ、そしてすぐに微笑んだ。
「そんなに警戒しないでくれよ。俺はただ、お前の母さんに会いに来ただけだから」
「……なら、名前ぐらい言えよ。それと、土産ぐらい持って来いよ。それぐらい常識だろ?」
幸也のその態度は、明らかに年上に対するものではなかったが、その男は全く気にすることなく、寧ろ嬉しそうにまた笑った。
「俺の名は紅蓮。この通り、ちゃんと土産も用意してきてる。お前の母さんの好きな、わらび餅だ。これでどうだ?」
男――紅蓮は赤の瞳を細めて、右手に持った小さな紙袋をちょいと持ち上げて見せた。
「……あっそ。分かったよ。入れればいいんだろ? でも――」
「何だ?」
「――母さんには、会えねえぞ」
「はあ?」
何でだ? そう言いたげな表情で首を傾げた紅蓮に、幸也は沈んだ声で答えた。
「母さん、殺されたから」