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赤と青の断罪者  作者: 吹雪
第三章 真夏の罪
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第二十六夜 絶望の果て

「な、何なんだよ、それ……?」


 健吾は泣きそうな表情で、そう呟いた。まだ幼く、思慮の足りない十四歳の少年には、雪夜の言葉など全く理解が出来なかった。否、理解したくもなかった。


「何で……? 俺は関係無いじゃないか。悪いのは、じいちゃんなんじゃないのかよ……?」


 そう言って雪夜に視線を投げかけたが、彼は相変わらず冷たい表情だった。しかし、絶望に満ちた様子の健吾を憐れに思ったのか、雪夜はおもむろにこう語り始めた。


「……呪いってのはな、単純なものじゃない。お前が思っている以上に複雑で、根深いものだ」


 それは、幼子を優しく説き伏せるかのような口調だった。先程までの冷たい様から一変したこの光景は、第三者から見てみれば異様なものだったに違いない。


 事実、第三者とまでは言えないものの、その場においては傍観者を決め込んでいた紅蓮までもが、雪夜の優しげな様子に驚いた表情を見せていた。


「確かに、客観的に見ればお前はそんなに悪くはないかもしれない。だがな、お前はこの一ヶ月ほど、やってはならないことをしてしまったはずだ。――言われなくても分かるよな?」

「……はい」


 雪夜の問いかけに、健吾は半べそで応えた。


「元々は、お前のじいさんの代でこの呪いは終わるはずだった。実際、海外出張中のお前の父親は無事のはずだ。それなのに再び呪いが発動したのは――」


 その次の言葉は、健吾の予想通りのものだった。


「――お前が"奴ら"を虐げたからだ」


 そう言われ、健吾は思わず正面を向き、相変わらず静止したままの巨大な蟻を見つめた。すると微かではあったが、蟻がほんの少しだけ動いたように見えた。


「今夜だけなら、この呪いを"抑える"ことは出来る。だが、完全に殺すことは出来ない」

「そ、そんな……」


 健吾は絶望の声をあげた。微かに見えた希望が潰えたことで、健吾は今にも叫びだしてしまいそうだった。いっそのこと、滅茶苦茶にわめき散らしてしまったほうが楽になれるのではないか――そう心の奥底で思いもした。


 それでも辛うじて理性を保つことができたのは、雪夜がまだ何かを言いたげな様子だったからだった。


「……あんまり勿体ぶるなよ、雪夜。まだ策はあるんだろ?」

「えっ」


 今まで殆ど黙っていた紅蓮が、突然苦笑しながらそう言った。すると健吾は驚きの声をあげて紅蓮を見た。


「助かるかもしれないんですか!?」


 再び射してきた希望の光。それを今度は決して逃がさないように、健吾は雪夜に期待の眼差しを向けた。


 世界中探しても存在しないであろう巨大な蟻の化け物に、有り得ない不思議な能力を持つ二人の青年。そんな彼らを前にしながらも、必死に生きようと足掻く健吾の姿は、雪夜に"昔"を思い出させるのに十分な要素を含んでいた。


 しかし、今はそんなことで"感傷的"になっている余裕は無かった。健吾は目を血走らせて雪夜を見つめている。一方で、紅蓮はそんな健吾をどこか冷めた目で見ている。


 雪夜は深い溜め息をついた。紅蓮の言う通り、勿体ぶって話すのはこの状況では得策ではない。


 そう考えた雪夜は、健吾に応えようともせず、ゆっくりと右腕を水平に上げた。その右腕の先にあるのは、先程彼が氷づけにした巨大な蟻の化け物であった。


 痛いほどの静寂が辺りを包み込む。誰も微動だにしない。呼吸すらも、この静まりかえった空間においては、ただの雑音と化していた。


 そんな中、とうとう雪夜は動いた。



「――凍えろ」



 その声には、その場の者全てを震えあがらせるには十分な響きがあった。


 いつの間にか、雪夜の周りには恐ろしく冷たい冷気が漂っていた。それはすぐに冷風となり、まるでムチを振り回しているかのようにヒュンヒュンと音を鳴らした。


 健吾はその風に当てられ、思わず目を閉じて耐えた。気を抜いたらすぐに吹き飛ばされそうなほどの吹雪が、意図せずして健吾にも襲いかかっていたからだ。


 健吾は思った。彼――雪夜は本当に人間なのか、と。いや、それを言うなら、紅蓮だって同じだ。一体この二人は何者なのか――どんな理由があって、このようなことをしているのか――何より、自分を本当に助けてくれるのだろうか――この謎の二人に対する疑問は尽きない。


 何とか片目だけ開けて雪夜を見ると、彼は吹雪の中心に無表情で立っていた。真っ直ぐに化け物を見据えて――。



「凍え死ね」



 空気が、凍りついた。



***


「――なあ、雪夜。あの話、もう聞いたか?」

「……あの話?」


 紅蓮の問いかけに、雪夜は訝しげにそう返した。


 紅蓮と雪夜は、とある小さな墓地に来ていた。そこは酷く廃れた墓地で、周りには木々や雑草が生い茂り、ろくに手入れもされていない墓石が五つほど並んでいた。


 しかし、二人の目の前にある墓石だけは、他のものとは違った。


 灰色の立派な墓石は、よく手入れされていて汚れ一つ無い。供えられた白い菊の花は、まだ瑞々しく、美しさが際立っている。墓石には、"平島ひらしま家之墓"と大きく刻まれていた。


「あの話って何のことだ?」


 雪夜は墓石の前に膝をつき、目を閉じて手を合わせたままそう聞いた。


「一月前の、桐谷家の呪い騒動は覚えてるよな?」

「ああ」

「あそこの一家、ちょっと前に引っ越しただろ? その後すぐに、海外出張中の主人が帰って来たらしいんだけどよ、ご主人、亡くなったらしいぜ」


 紅蓮はなぜか愉快げにそう言った。それを聞いた雪夜は、ゆっくりと手を下ろし、目を開いた。その青い瞳には、何の感情も宿ってはいなかった。あるとしたら、非情なまでの"無関心"のみであった。


「ふうん……。お前、最初から分かってたんだろ? あの"呪い"は、桐谷家の血筋の者を"一人"殺せば丸く収まることを」


 雪夜は背後に立っている紅蓮の顔を見ずに、そう断定的に言った。それに対し、紅蓮は苦笑した。


「まあな。あの時健吾が呪い殺されそうになったのは、単にあの家に"桐谷家の血筋の者"が一人しかいなかったからだ。あそこの母親も婆さんも、嫁だから桐谷家の血筋じゃないしな」

「要するに、桐谷一家を引っ越しさせて時間稼ぎをし、帰国したもう一人の桐谷家の血筋の者を身代わりに殺させた――ってことだろ?」

「そういうことだ」


 雪夜は紅蓮に背を向けたまま立ち上がると、灰色の曇り空を見上げながら溜め息をついた。それは、紅蓮に対する一種の呆れから出た行動だった。


「軽蔑したか?」

「……呆れてはいる」


 その答えを聞いて、紅蓮はまた苦笑した。


「俺はちゃんと婆さんの頼みを聞いてやったぜ? "孫を助けてくれ"。婆さんの希望通りだ」

「……その代わり、息子の方が死んだけどな」


 今頃、桐谷家の老婆は、自分の判断を後悔しているに違いない。大事な孫は守られた。しかし、その代わりに自分の腹を痛めて産んだ我が子を喪ったのだ。悲しみはとてつもなく深いだろう。


 ――雪夜は悲しみに暮れる老婆の様子を想像し、また溜め息をついた。そしてとうとう紅蓮に体を向けると、悲しげに眉を寄せてこう言った。



「もし、俺が死んだらどうすんだよ――"父さん"」



第三章終わり

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