第十二夜 揺らめく炎
「例の鏡のとこに案内してくれないか?」
***
穂香は血だまりに沈む雪夜に名残惜しくも別れを告げ、紅蓮の要望通りにあの『予知鏡』の前まで案内した。
時刻はすでに二時半を回っていた。
「――あの、紅蓮さん……」
「何だ?」
穂香は得体の知れないこの青年――紅蓮に対し、言いようのない不安を感じていた。雪夜と行動していた際には不思議なぐらいに安心感があったというのに、紅蓮にはそれが全く感じられない。
むしろ、恐怖を感じていた。
そんな不安と恐怖に苛まれながらも、穂香は勇気を振り絞って紅蓮に声をかけた。
紅蓮は穂香の後ろを三、四歩ほど離れて歩いていた。雪夜は先導するように歩いていたのだが、紅蓮は正反対の行動をとっていた。
穂香はあと二十メートルほど歩けば鏡の場所に着くというところで立ち止まり、後ろに振り返った。
すると紅蓮は少し驚いた表情を見せた。そして苦笑した。
「――紅蓮さんは、あの鏡を調べるつもりですか?」
「ああ。雪夜だって調べようとしていただろう? 調査を引き継がなきゃな」
至って真剣そのものな穂香に、紅蓮は微笑んでそう返した。ところが穂香は、できることならその調査を紅蓮にさせたくなかった。
その理由は、穂香が紅蓮の能力を見くびっていたからではない。ただ、穂香は不安だったのだ。
「私は反対です。危険過ぎます」
「……一応、そう言う理由を聞いておこうか」
真剣な穂香の表情に面をくらいながらも、紅蓮は至って平静にそう聞いた。その表情には、怒りや戸惑いといった類いの感情は全く無かった。
「雪夜くんはきっと、あの鏡に殺されたんです。あの鏡に、"未来の姿"を映してもらったから……だから彼は、あの黒い人に殺されたんです」
「……」
穂香はそう言っているうちに、殺されてしまった雪夜を思い出して涙ぐんだ。みるみるうちに、瞳が涙で濡れ、それが頬をつたっていく。
穂香は昨日の朝、初めて雪夜に出会い、そして少しの間だけ行動を供にした。たったの数時間しか一緒にいられなかったものの、穂香にとっては大切な思い出であった。
そもそも、親友の明菜を亡くして悲しみにくれる自分の傍にいてくれたのは、他でもない雪夜だったではないか。
穂香にとって雪夜は、たったの数時間で大切な友達になっていたのである。
そんな雪夜が死んだ。明菜の仇をとってくれると約束してくれたあの雪夜が、目の前で無惨に殺された。
それは穂香に、とてつもないショックと絶望を与えた。それと同時に、あの時の雪夜に対して疑問を持っていた。
「私、どうしても分からないんです。どうして……どうして雪夜くんは、あの"女の子"に何も出来なかったのか――どうして、みすみす殺されたのか――それらのことがどうしても分からないんです」
「……」
紅蓮は無言だった。静かに涙を流す穂香をただ見下ろしながら、紅蓮は考え込むように目を閉じ、腕を組んでいた。
しばらくは痛いほどの沈黙が続いた。その間の穂香は、時間の感覚が無くなってしまったかのような気さえしていた。
「――ありがとう、穂香」
「……え?」
突然、紅蓮は今までにないぐらいに優しい声色で、そう言った。穂香は驚きながら頬をつたう涙を手で拭い、顔を上げた。
紅蓮は、優しく慈しむような表情で微笑んでいた。そんな紅蓮を見て、穂香は目を丸くして唖然としていた。
穂香は、紅蓮のその言葉の意味が理解できなかった。なぜ「ありがとう」などと言うのか――穂香は困惑した。
「――あの、何で、礼なんか……?」
穂香は辛うじてそう掠れた声で聞いた。
「だって、あんたは雪夜のことを好きでいてくれたんだよな? だから、ありがとうって言ったんだよ」
紅蓮はそう答えてまた微笑んだ。その表情から、雪夜に対する深い"愛情"のようなものが感じられた。
それに気づいた穂香は戸惑いを感じた。しかし、自分が口出しすることではないと考え直して、結局何も言わなかった。
「あんた、言ったよな? なんであの雪夜が、あっさり殺られたのかって」
「……はい」
「その理由を教えてやるよ」
紅蓮はそう言って歩きだした。進む先はあの『予知鏡』であった。
慌てて追いかける穂香を尻目に、紅蓮はあっという間に鏡へと続く階段を下り、その目の前に立った。
「……鏡よ鏡……俺の未来の姿を見せてくれ」
「……!?」
穂香は動揺のあまり階段を下りようとする手前で立ち止まり、息を呑んだ。先程の雪夜の時と比べ、心臓が激しく鼓動している。額から冷や汗が流れたが、それを拭う気にもなれないぐらいに呆然としていた。
「……」
「……っ紅蓮さん!」
紅蓮は鏡を凝視したまま、その場に棒立ちになって全く動かなかった。
それを見た穂香はとっさに悟った。
――雪夜くんの時と同じだ! きっと紅蓮さんの姿が……!
穂香は急いで階段を下りて紅蓮の隣に駆け寄った。そして棒立ちになったままの紅蓮を横に無理矢理押して、自分にも鏡がよく見えるようにした。
「……え……?」
鏡に映っている"もの"を見た瞬間、穂香は絶句した。驚きのあまり思考が停止し、ただひたすら鏡を凝視した。
「――『予知鏡』……か。よく言ったものだな。これで真相が大体見えたぜ」
紅蓮はニヤリと笑ってそう呟いた。
「……紅蓮さん……これって……」
「これが『予知鏡』だ。びっくりするぐらいにオカルトチックで……でも正しい姿を見せてくれる。それがこの鏡の真実だ」
真っ青な顔で言葉を失う穂香の目の前には、自分よりも背の高い等身大の鏡がある。その鏡は、映した者の"未来の姿"を見せてくれる。
その未来の姿がいいものかどうかは分からない。
しかし――
「俺は、どうやら"死なない"みたいだな」
穂香と紅蓮の目に映るもの。それは――
「……"生きてる"、紅蓮さん……?」
真っ黒なロングコートに身を包んだ赤色の青年――紅蓮が、見慣れた笑顔で佇んでいた――