第十一夜 怒りの赤
「何やってんだてめえ」
穂香は目の前の光景に、驚きで言葉を失った。
自分に襲いかかろうとしていた黒い影から、自分を庇うようにして立ちふさがっている赤色の青年――彼に目が釘付けだった。
その赤色の青年は、近くに横たわっている雪夜と全く同じの真っ黒なコートをその身にまとっていた。顔は背中を向けているため見えない。分かるのは、雪夜よりも背が高く、体格が"戦い向き"であること。そして、燃え盛る炎のように真っ赤な髪を持っていることぐらいだった。
赤色の青年は、一瞬視線を黒い影から雪夜に移した。
雪夜は腹や胸を滅多刺しにされ、血だまりの中に仰向けに横たわっていた。その瞳は虚ろで、生前の青の輝きは失われていた。
それを見た赤色の青年は、体から凄まじい"熱気"を放ち始めた。その背中は震えており、拳を強く握りしめて怒りに震えていた。
穂香は彼の様子に驚きながらも、心の中では意外なぐらいに冷静に、その光景を見つめていた。
――きっとこの人が、雪夜くんの親友なんだ。
穂香はそう悟った。そしてきっと、この青年が雪夜の仇を討ってくれると信じて疑わなかった。
しかし――
「……焼き殺されたくなかったら、さっさと消えろ」
赤色の青年は意外にもあっさりと黒い影を見逃した。相変わらず熱気を放って怒りに震えているものの、それでもなぜか手をしっしと振って廊下の向こう側に去るようにジェスチャーで伝えた。
穂香にはその行動の意味が全く理解できなかった。青年は確かに怒っているはずなのに、殴りかかったりすることもなく、極めて冷静だった。
「……」
黒い影は一瞬怯みながらも、青年に背を向けて走りだし、暗闇の中に消えていった。
「……あんたが梶山穂香か? 雪夜から聞いてる」
「は、はい……。あの、貴方は……?」
青年は黒い影が消えたのを確認すると、背後に座りこんで呆然としていた穂香の前に膝まづき、手を差し伸べた。
穂香は戸惑いながらもその手を取って、一緒に立ち上がった。穂香の目は、青年の赤い瞳に釘付けだった。
「俺か? 雪夜から聞いてないのか?」
「えっと、親友……というか悪友だって言ってましたけど……」
遠慮がちに穂香がそう答えると、青年は苦笑した。
「……悪友ねえ。あながち間違ってはいないか」
そう呟くと、青年はゆっくりと血だまりに横たわる雪夜に近づいた。そして改めて雪夜の姿を見て、顔をひどく歪めた。
「……酷いな……。許せねえ」
「……」
穂香は悲しげな表情の青年を見つめながら、必死に込み上げてくる涙をこらえた。だがそんな中でも、穂香は悲しみ以上にその青年に怒りを覚えていた。
――どうして雪夜くんの仇をとってくれなかったの?
穂香はそんな思いに囚われ、思わず涙を浮かべた目で青年を睨みつけた。すると青年は穂香の視線に気づいたのか、おもむろに顔を上げ、穂香のほうに振り返って苦笑した。
「そう睨むなよ。これでも俺だって怒ってる」
「……じゃあ、何で雪夜くんの仇をとってくれなかったんですか」
穂香は青年を睨んだままそう聞いた。青年はそれでも笑ったままだった。
「決まってる。まだその時じゃないからだ」
「? どういう意味ですか」
青年は穂香の問いかけに答えなかった。ただ無言でコートを脱ぎ、それをなぜか雪夜のすぐ横に……とは言っても血に触れないように少し離れた位置に置いた。そして、目を開けたまま死んでいる雪夜の目に手をあて、瞼を閉じさせた。
「……雪夜、"また後で"な」
すぐ終わらせて迎えにくる、そう言って青年は立ち上がった。
穂香はその様子をただじっと見つめていた。
「――そういや、まだ名乗ってなかったんだっけか?」
青年はまだ笑っていた。本当に楽しそうに笑っていた。親友が殺されたというのに、まるでそれを愉快に思っているかのようだった。先程までの怒りの形相など、見る影もなかった。
穂香はそんな性格に対して、雪夜とは全く違う本能的な恐怖を感じていた。いや、むしろ雪夜に対して恐怖を感じることなど全くなかった。雪夜は素っ気ない態度ではあったものの、人間味のある青年だった。
それなのに、この青年には全く人間味を感じないのだ。
穂香は思わず身震いした。しかし青年はそんな穂香を気にすることなく、こう言った。
「俺の名は紅蓮。生者を裁く"赤の断罪者"だ」
穂香はそう名乗った紅蓮の背後に、真っ赤な炎が揺らめいているように感じた――




