6話 偽ヒロインに騙されるな!
残っていた魔物たちが、次々と森の奥へ逃げていく。
「……逃げた、のか?」
会社員が呟いた。
魔物たちは仲間が倒されたのを目撃した。しかも、相手は二人。派手な魔術で敵を吹き飛ばしたケイジと、果物ナイフ一本で首を切りつけた俺。
あいつらが何を考えていたのかは知らない。魔物にも仲間意識や危機管理能力があるのなら、自分たちより強い敵が二人もいると判断したのかもしれない。
……まあ、俺をその一人に数えてくれたのなら、ありがたい話ではある。
右手に握った果物ナイフを見下ろす。
刃には、魔物の体液らしきものが付着していた。柄を握る手には、まだ妙な力が入っている。
勝った。俺は魔物を倒した。
それなのに、胸の奥は妙に落ち着かなかった。
(……チート能力、なし)
異世界召喚。王様。魔物。能力判定。
ここまでお膳立てされて、俺に与えられたのは果物ナイフだった。
いや、果物ナイフで勝てたのだから、結果だけ見れば上出来だろう。ゲームで鍛えた立ち回りが役に立ったのも間違いない。
だが、今回うまくいったのは、魔物の首の皮が薄いことに気づき、攻撃できる隙を見つけられたからだ。
次の魔物にも同じ弱点がある保証はない。
もっと大きな敵だったら? 刃が通らなかったら? 今度は俺の動きを読まれたら?
(……笑えないな、これ)
ゲームなら、負けても次の試合がある。
だが、ここで失敗した場合はどうなるのだろう。
答えを考えるのは、やめた。
「全員、無事か」
ヴェイドが周囲を見渡した。
彼は剣を収めると、倒れた魔物へ視線を落とした。先ほどまでの戦闘が嘘のように、落ち着いた声だった。
「王宮へ戻る。負傷者がいるなら、歩けるうちに申告しておけ」
「……ああ」
ケイジが短く答えた。
魔術を使い続けた疲労なのか、先ほど魔物に体勢を崩された影響なのか、彼の顔には多少の疲れが浮かんでいた。それでも、服についた土を払い、何事もなかったように立ち上がる。
タマキも彼の隣に立とうとした。
……のだが。
「理人くん!」
彼女は、なぜか俺のほうへ駆け寄ってきた。
「すごかったね! まさか、あんな戦い方ができるなんて思わなかった!」
「……ああ、どうも」
「だって、あの魔物に果物ナイフで立ち向かうなんて、普通できないよ! しかも、ちゃんと倒しちゃうんだもん。ほんとにすごい!」
タマキは興奮した様子で、俺の顔を覗き込んでくる。
「最初はびっくりしたけど、理人くんって、実はすごく強かったんだね!」
……最初はびっくりした。
便利な言葉だ。
俺のスキルが果物ナイフだと判明したとき、彼女はどんな顔をしていたっけ。
確か、笑っていた。
いや、正確には、笑いを隠そうともしていなかった。
あのときのタマキは、俺のスキルを見て、いかにも「ハズレを引いた人間」を見るような顔をしていた。
それが今では、どうだ。
「いや、たまたまだよ。魔物の弱点が分かっただけだから」
「そんなことないって! ちゃんと自分で考えて戦ったんでしょ? それってすごいことだよ!」
褒め言葉が止まらない。
さっきまで俺を見下していた人間とは思えない変わりようだ。
(……なんて軽薄な女だ)
思わず、心の中で吐き捨てた。
別に、俺を馬鹿にしたこと自体を一生恨んでやろうというわけではない。人間なんて、相手の能力が分からなければ見誤ることもあるだろう。
問題は、見誤ったときの態度と、正体が分かったあとの態度が、あまりにも違うことだ。
そして、物語の世界では、こういう女キャラはだいたい厄介なことになる。
ジャンルを問わず、最初は主人公を見下していたくせに、主人公の実力が判明した途端に態度を一変させる女キャラ。読者からすれば、手のひら返しの分かりやすいヘイト要因だ。
さらに面倒なのは、その後である。
正ヒロインの恋路を邪魔したり、主人公に媚びて周囲を引っかき回したり。あるいは、彼氏が嫉妬して主人公に喧嘩を売り、無駄なトラブルが発生したり。
……いや、待て。
彼氏?
俺はちらりと、ケイジのほうを見た。
彼は少し離れた場所で、こちらを眺めていた。
表情からは何を考えているのか分からない。
(……やめろよ。まさか、そういう展開じゃないだろうな)
異世界召喚初日から、恋愛トラブルに巻き込まれるのは勘弁してほしい。
俺は他人の彼女を奪いたいという趣味はない。そもそも、今の俺には恋愛どころか明日の食事すら保証されていないのだ。
「……ありがとう。そう言ってもらえると助かるよ」
俺は、適当に笑っておいた。
「うん! これからもよろしくね、理人くん!」
タマキは満足そうに頷くと、ようやくケイジのほうへ戻っていった。
ケイジは彼女が戻ってきたのを確認すると、何か言いたげな顔をした。だが、結局何も言わず、先に歩き始める。
……あの二人の間にも、いろいろあるらしい。
もちろん、俺の考えすぎかもしれない。
しかし、創作物のテンプレというものは、読者が予想できるからこそテンプレなのだ。もしこの先、ケイジが嫉妬に駆られて俺に喧嘩を売ってきたら、俺はきっとこう言うだろう。
――ああ、やっぱりな、と。
他人の恋愛事情に首を突っ込む趣味はない。そもそも、俺自身が異世界で生き延びられるかどうかも分からないのだ。
恋愛イベントより、まずは食事と寝床を確保したい。
現実は厳しい。主人公補正は、今のところ未実装らしい。




