1話 早速異世界転移をしよう!!
画面の向こうで、青い液体をまき散らして敵が一人倒れた。
続いて二人目。三人目。
キルログが流れるより早く、俺はナイフを構えたキャラクターを走らせていた。銃声の飛び交う通路を横切り、敵の視界から外れた瞬間に方向を変え、振り向いた相手の懐へ滑り込む。画面の中の俺は、銃を持った敵を相手にしているとは思えないほど軽やかに動いていた。
よし、三人。
ここまでの動きは完璧だった。少なくとも自分ではそう思う。自分のキャラクターを思い通りに動かす操作技術、いわゆるキャラコンというやつだ。練習を重ねたおかげで、今では指が勝手に動く。学校の体育では持久走が男女合わせてビリの俺だが、画面の中では敵三人を相手にしても息一つ乱さない。現実とは、まことに理不尽なものである。
そして、四人目。
俺は壁際から飛び出し、相手の横を抜けるように接近した。ナイフの攻撃判定が届く距離まで入った、はずだった。
次の瞬間、画面が暗転した。
――YOU ARE ELIMINATED.
あなたは殺されました。
「は?」
思わず声が出た。
リスポーン地点に戻された俺は、すぐさまリザルトを開き、さっきの相手の情報を確認した。表示されたHPは、まさかの満タン。百パーセント。減少の痕跡すらない。
いやいやいや、そんなわけがあるか。
最低でも一回は切った。見間違いではない。距離もタイミングも合っていたはず。なのにHPが満タンとは、いったいどういう了見だ。
装備欄を確認したところ、答えはすぐに見つかった。
課金重装備。
「……はいはい、そういうことね」
納得した。したくはなかったが、納得するほかなかった。
このゲームは基本無料を謳っている。無料で遊べる。誰でも気軽に始められる。なお、課金すれば強力な装備が手に入り、課金しないとこちらの攻撃がまともに通らない場合がある。なるほど、実に平等な競争社会だ。せめて画面の中くらい、努力が報われる夢を見させてほしいが。
とはいえ、三人倒したのは事実である。俺の腕が悪かったわけではない。最後の一人に負けたのだって、装備差が大きかった。そう、俺は悪くない。
……いや、負けは負けか。
根気強くデイリーミッションをこなして金を貯めるのだってかなりの努力が必要だったのだろう。そもそも初期装備のナイフにいつまでも固執する俺に責任がある。
俺は椅子の背もたれに身体を預け、深く息を吐いた。部屋にはパソコンのファンが回る音だけが響いている。
俺の名前は榎並 理人
高校デビューとやらに失敗した俺は学校では目立たず、友人と呼べる相手も少ない。体育の成績は致命的、勉強は良くて中の上。クラスで何かを決めるときには、意見を求められる前に話がまとまっている。俺がいなくても世界は何の支障もなく回るし、実際、俺がいないことに気づかない人間だっているだろう。
そんな俺の数少ない得意分野が、このナイフ一本の戦いだった。
……などと考えていると、突然、部屋の明かりが消えた。
「ん?」
停電かと思い、モニターに目を向ける。しかし、画面は暗くなったわけではなかった。白い光が画面の端から滲み出し、机の表面を照らしている。次いで、足元がぼんやりと明るくなった。
これは。
俺は椅子から立ち上がり、光の広がりを見つめた。音はない。焦げ臭さもない。なのに、部屋の輪郭が少しずつ薄れている。
……この展開は知っているぞ。
現実では説明できない現象。身体を包む不思議な光。周囲の景色が消え、意識が遠のいていく感覚。
異世界召喚だ。
……いや、待て。早まるな、俺。
異世界召喚などというものは、創作の世界ではありふれた現象だが、現実世界で発生したという報告は、少なくとも俺の知る限り存在しない。もちろん、俺が知らないだけで、政府が秘密裏に異世界召喚技術を開発している可能性は否定できない。否定できないが、そんなものが公になったら、野党から激しい批判を喰らって内閣総辞職に追い込まれるだろう。召喚技術欲しさに、強力な隣国に介入される恐れもある。
とはいえ、この光は尋常ではない。
……うん。異世界召喚だな、これ。
暇な時間の大半をラノベとゲームに費やしてきた人間を舐めてもらっては困る。学校では空気、クラスでは背景、体育祭では戦犯。そんな俺でも、創作物の知識に関しては、それなりの自信がある。
異世界召喚といえば、まず考えられるのは三つ。
一つ、勇者として召喚される王道展開。
二つ、役立たずとして追放されるが、実はとんでもない能力を持っている展開。
三つ、そもそも召喚した側が悪人で、利用された挙げ句に捨てられる展開。
個人的には二つ目が好みだが、あれは序盤のストレスが強すぎる。周囲から馬鹿にされ、荷物持ちを押しつけられ、追放されてからようやく能力が判明する。読者に爽快感を与えるためとはいえ、そこまで主人公を虐待する必要があるのだろうか。作者には、もう少し穏便な人間関係というものを学んでほしい。
まあ、俺の場合は問題ない。
なぜなら、俺は主人公だからだ。
……いや、何を根拠に言っているんだという話ではあるが、物語の主人公というものは、必ずしも優秀な人間とは限らない。むしろ、平凡な人間が突然、特別な環境に放り込まれるからこそ物語が始まるのだ。
現実でのモブが、ある日突然、未知の世界で特別な力を与えられる。昨日までの評価は帳消しになり、誰も知らなかった才能が開花し、やがて世界を救う英雄になる。
いいじゃないか。実にいい。
とうとう来たのだ。長かった。実に長かった十六年間である。すべてはこの瞬間のための伏線だったのだろう。伏線の張り方が下手すぎる気もするが、そこは新人作家の第一話だと思えば許容範囲だ。
さて、異世界召喚といえば、まずはステータス確認。次に能力の鑑定。できればチート能力をもらい、可能なら美少女と知り合い、最終的には俺を軽んじていた連中を見返す。完璧な筋書きだった。
光はますます強くなっていた。
足元の感覚が薄れ、身体がゆっくりと浮き上がる。どうやら、召喚の準備は最終段階に入ったらしい。
ここで逃げるという選択肢もある。未知の世界に飛び込むのは危険だし、異世界での生活が楽しいとは限らない。食事が口に合わないかもしれないし、衛生環境は最悪かもしれない。そもそも、召喚先が魔物だらけの荒野だったらどうする。
だが、そんなことを考えていたら、いつまで経っても何も始まらない。
現実世界で俺を待っているものといえば、明日の授業と、未提出の課題と、誰からも期待されていない学校生活くらいだ。対して、異世界には未知の可能性がある。強くなれるかもしれない。名を上げられるかもしれない。ひょっとすると、俺のことを必要としてくれる人間だっているかもしれない。
俺はもう決めた。
この先に待っているのがどんな世界であろうと、俺はそこで成り上がってやる。
白い光が視界を覆った。
こうして、俺の第二の人生が幕を開ける。
少なくとも、このときの俺は本気でそう信じていた。
この召喚が、俺一人のために用意されたものではなく、同じ光に包まれ、同じように期待を胸に抱き、自分こそが物語の主人公だと信じている人間が、ほかにもいること、そして、この世界が、誰か一人のために用意された舞台ではないことも。
俺は、まだ何一つ知らなかった。
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