死人の瞳
最上階のスイートルーム。そのリビングルームは壁一面にガラス窓が広がっていた。地上53階から見下ろす夜景はあまりの高さで街の灯りが小さく見えた。
そして空が広く、その範囲は計算されたかのように夜景の丁度半分を占めていた。アメリカ特命全権大使トムリアル・ハワードは交渉相手の姿を注意深く観察する。
白髪の髪にピンク色のドレス。整った顔立ちはまだ12歳前後に見える。そして生者にはありえない黒で塗りつぶされた両の瞳。特命全権大使は即座にカラーコンタクトだと判断した。
「今夜はいい夜ですな。ミス ルサンチマン。私の事はトムとお呼びください」
ハワードは堅苦しい挨拶を省略し、人懐っこい笑顔を白髪の少女に向ける。
「ああ。実に良い夜だな。我の悲願が成就する記念すべき夜になろう」
ルサンチマンは穏やかに笑いこの広い空間に友好的な空気が漂い始めた。ハワードは少女が着ているドレスを褒めようとしてある事に気付く。
「······ミス ルサンチマン。貴方のそのドレスは、ルクーレンの物ですかな?」
ハワードが口にしたルクーレン社はアメリカのアパレル業界に君臨するトップブランドの名だった。そしてルクーレン社のトップはハワードの実の妹だった。
「ああ。その通りだ。この淡いピンク色、そして胸の桜を模した刺繍が秀逸だ。そなたの妹君は素晴らしい才能の持ち主だな」
「私の妹のデザインしたドレスを着て歓迎していただけるとは。兄としては嬉しい限りです。ですが妙ですな。つい最近妹のキャロルから新作デザインを見せてもらったのですが、そのドレスはまだ未発表の筈です」
「そうなのだ。だから妹君はこのドレスを直接我に届けてくれたのだ。遠路足労をかけてしまった」
「······妹のキャロルが? 直接貴方にそのドレスを届けた?」
終始和やかだった空気に僅かな緊張が走った。ハワードは白髪の少女が口にした内容の真意を測りかねていた。
「ああ。3日前妹君に電話をしてな。妹君のドレスを着てそなたを出迎えたいと伝えたら即座に通話を切られた。まったくもって気が強いおなごだな」
妹の気性の荒さは兄であるハワードが熟知していた。その負けん気の強さと才能がトップブランドを創り上げたという事実も。
「どうやって妹のキャロルを口説き落としたのですかな? 後学の為に是非教えていただきたい」
ハワードはルサンチマンから20歩の距離から笑顔で教えを請う。特命全権大使は何故かこれ以上白髪の少女に近付こうとはしなかった。
「このドレスを届けなければ妹君の3人の子供を亡きものにすると言ったのだ。幸い1人死んだところで了承してくれてな。残り2人の子供達はまだ息災だ」
ルサンチマンの説明の内容をハワードは直ぐに理解出来なかった。つい先日、妹のキャロルの長男が亡くなったのは事実だった。
それも信じ難い死因で 。だが、それはごく少数の近親者しか知らない筈の情報だった。
「······ミス ルサンチマン。貴方の言っている事がよく理解できません。詳しく話していただけますかな?」
立ち尽くすハワードに向かって、白髪の少女は優雅に歩き始める。それは、ファッションコレクションのランウェイを歩くモデルのようだった。
「自由の国からの使者よ。心から善意の忠告だ。5分以内にそなたが持つ妹君の会社の株を全て売り払うのだ」
ルサンチマンはハワードまで10歩の距離まで近付き、首を傾けながら笑みを浮かべる。
「······? どう言う事意味ですかな?」
重苦しい空気が室内を席巻する中、ハワードにとって長く感じる300秒の沈黙が経過した。そして突然ハワードの携帯電話が鳴った。
電源を切っており、鳴るはずの無い呼び出し音にハワードは戸惑う。
「我の事は気にするな。大事な知らせかもしれんのだから電話に出るといい」
ルサンチマンはそう言うと窓際に向かって歩き出した。白髪の少女が自分から遠ざかる事に奇妙な安心感をはハワードは感じていた。
「······妹が? キャロルが死んだだと?」
電話から悲報を伝えて来たのは、キャロルの次男からだった。ルクーレン社のトップの死は既に一般報道されており、会社の株は投げ売り状態に陥っていた。
「妹君の会社は彼女の才幹だけで持っていたからな。致し方無い事だ」
ハワードは甥の興奮気味な声を半ば聞き流していた。携帯電話を耳から離し自分の足元を見つめる。ハワードはルサンチマンは自分に警告したのだと気付く。
持ち株を売却しなければ大損すると。 だが、何故白髪の少女はキャロルの死を予見していたのか。まるでその死を操っているかのように。
「······ミス ルサンチマン。貴方は一体何者だ?」
再び顔を上げ、アメリカ特命全権大使は白髪の少女を眼光鋭く睨みつける。その時、ハワードの鼻腔はかすかな匂いを嗅ぎ取った。
それは、ジャスミンの香りだった。




