過保護ティータイムは、いつまでも過保護です
「少し遅れたか…」
石畳の道を走る馬車の中に、シャルルの呟きが落ちた。それを拾って向かいに座る男が懐中時計を確認する。
「問題ありません。すべて定刻通りです」
「そうか」
今シャルルはプルストと乗り合わせて待ち合わせの場所へ向かっている。姪の侍従である男は、突発的に国へ帰ることになってしまったシャルルの仕事を、実に効率良く捌いてくれている。
彼は本来、数年前に辞職する予定だったところを、アデライドによって引き留められたと聞いている。今の状況でこの補佐がなかったらと考えるとゾッとする。あの子は本当にヴォルテール家にとっての女神だなと、シャルルは日々感心することしきりであった。そんなアデライド贔屓の彼と侍従を、馬車は目的地まで運んでいた。
王都の高級店に囲まれた閑静な一角に、その店はあった。貴族御用達のレストランは、華美な装飾はないものの洗練された内装で揃えられていた。待ち合わせた相手は既に席に通されているという。従業員の手で個室のドアが開けられると、着席せずにいた相手がシャルルを振り返った。
「わざわざご足労いただき感謝します」
よく通るアルトの声がシャルルを迎えた。艶やかな黒髪に細い肢体、何より微笑みの形に細めた猫のような瞳が印象的な少年は、シャルルの目にも噂通りに美しく写った。
一方その頃ヴォルテール公爵家では、シャルルが女神と讃えた少女がベッドの下から足だけを覗かせていた。
「お嬢様大丈夫ですよ!この人たちは怖い人じゃないですから!」
パメラの呼び掛けも虚しく、もそもそと蠢めきながら、アデライドの体は更にベッドの下へと飲み込まれていく。見えるのが足首だけとなったところで、いよいよパメラは主人のスカートを押さえるように引っ張った。そして我関せずという顔で突っ立っているポールをキッと見上げて「お願いします!」と言った。
足首を掴んだポールの手で、無遠慮に引っ張り出されたアデライドの顔には、涙で絨毯の繊維クズが張り付いていた。そういう諸々の惨状を、訪れた男達が呆然と眺めている。
「申し訳ございません。お嬢様は今大変敏感になっておられます。初対面の男性が大勢いらっしゃって驚いてしまったようです…」
パメラが訪問客たちに説明しながら、「お嬢様、ご挨拶出来ますか?」とアデライドに優しく問いかけている。
クリストハルトとニコラに半ば強引に連れられて来たランベールとモーリスという一行は、彼女の現状に一様に驚いていた。そんな彼らの中で真っ先に動いたのは、厄介な子供の世話に苦労した経験を持つ人物だった。
「いいえ、突然大勢で押し掛けてしまった我々が悪いのです。お許しくださいアデライド様。そしてどうか少しだけでも私達とお話しする時間をいただければ嬉しいです」
背の低いクリストハルトは、顔のパーツもすべて小作りで凹凸が少なく年齢より若く見える。笑うとさらに平坦になる顔は、物腰の柔らかさと合わせて相手の警戒心を薄くする。
「あの、失礼をして、しまいまして、申し訳ありません…ワッ」
おずおずと前に出てきたアデライドに、その場の全員が安堵した。
「今日はアデライド様とお話をしたいと、ロワイ…いえ、ランベール先生がおっしゃっておいででしたので、我々がお連れしたのですよ」
急に存在しない事実を話し出したクリストハルトに驚いて、ランベールはニコラを顧みる。すっとぼけて明後日の方向へ視線を逸らした従兄弟を軽く睨んだランベールを、モーリスがまぁまぁと宥める。
「アノッ、その、はじめまして…ランベールせんせい…ですか?わたくしは、アデライド…デッ、スゥ〜ッ…」
部屋に通される前に事情は聞いていたが、いざビクビクと初対面の挨拶をされるに至ってランベールも動揺した。同時に初めて彼女に会った時のことが思い起こされた。その時にはもっとふてぶてしかったような気がして、違和感に眉を顰めた。
ランベールの内心を置き去りに、その表情だけを読み取ったアデライドはビクリと跳ね上がった。そして低空飛行の巡航ミサイルを思わせるような軌道と速度でもって、再びベッドの下にズボッと頭から飛び込んでいってしまった。
再びベッドの下からアデライドを引っこ抜こうとするパメラとポールたちと、ランベールを小突くモーリスと、腹を抱えて笑っているニコラと、そういうすべてを眺めたクリストハルトは「長くなりそうだな」と諦観の息を吐いた。
公爵家に集った面々の騒動とは裏腹に、ベッド下常駐令嬢贔屓の二人は、コーヒーのみが置かれた席で、静かに対面していた。
「今日は御礼を…というのは建前になってしまうかもしれません。以前から貴方とお話をしてみたくて、つい御母様にお願いしてしまいました。無理を聞いていただきましてありがとうございます」
そう言って少年は、年相応の無邪気な笑顔を浮かべた。だがウィンドミューレン皇后からヴォルテール公爵を経由してシャルルを呼び出したその行為に、子供らしい可愛げは欠片も感じられない。
「この度のケンプフェンからの道行ですが、お陰様で恙なく事が運びました。これもヴォルテール公爵家のご支援があってこそです。御母様も大変御喜びになっておられました」
「身に余るお言葉を頂戴し、感謝申し上げます…が、その件に関しましては、私よりも父とお話しいただいた方が宜しいかと…フィリップ殿下」
皇后を“母”と呼ぶ少年の言葉を字面通りに受け取る事も出来ず、シャルルは拙速に違和感を口に出した。その直截さに、少年は目を細める。
「先ほど申し上げた通り、それは口実のようなもので、今回は公爵家の御息女についてお話を伺いたかったのです」
プルストから幾度かこの少年からアデライドにコンタクトがあったことを聞いていたシャルルは、予想通りの言葉に内心で身構えた。
「彼女の功績は素晴らしい。ですがそれ以上に、その心根の在り方が清らかで美しい。まさに神の寵愛を受けるに相応しい方です」
アデライド本人が聞いたら、奇声を上げて飛び上がりそうなフィリップからの賛辞を、シャルルは今度は違和感なく受け止めて頷いた。
「私は将来、神に仕える身となるでしょう。彼女からは、私がその際に信仰の指針とすべき光を、道を示す何かを、感じるのです」
テーブルに着く二人の、それぞれの背後にはプルストとジャンが控えていた。
この部屋にいる四人の中、ただ一人だけ違和感との格闘を余儀なくされたジャンは、開きそうになる口を必死に縫い止めていた。
「ですから…私は思うのです。彼女の身には、如何なる不幸も降り注ぐべきではないと」
この国独自の"聖女"という権威。それをアデライドが持つと決め打ちして、その威光にあやかろうとしている。この王子から呼び出された理由をそう予想していたシャルルは、話の先行きの見えなさに黙り込む。
「私は今回の道中で実感したのですが…この彼はとても優秀ですね。流石、ヴォルテール公爵家の騎士です。彼が御息女の警護につくのならば今後も安心ですね」
急に後ろを振り返って微笑んだフィリップに、ジャンが面食らった顔をする。同時にシャルルも「やられた」と、眉を顰める。
今日、この王子の後ろに控えたボルドーの制服を見て、姪付きの護衛だとシャルルは気付いた。そして即座に配置換えを考えていた。いくら有能であっても、他国の王子に近付いた者を可愛い姪の近くに置くという考えはシャルルにはない。だが釘を刺されてしまった今、それは不可能になった。この王子の背後には皇后がいるのだ。悪戯に事を荒立てる事は出来ない。
「本日はご身内目線での彼女…アデライド嬢のお話を伺いたいのですが、どうか我儘を聞いていただけますか?」
少年の媚びるような目線が癇に障ると思っていたはずのシャルルは、以外にも聞き上手な彼に促されるまま、この後大いに姪自慢に花を咲かせてしまうことになるのだった。
「この子の名前はランランです」
そのとき公爵家では、またもベッド下から令嬢の発掘に成功したパメラが、ランベールにフカフカの白いクマのぬいぐるみを押し付けていた。その意図が読めずに呆然とするランベールとは対照的に、ベッドをひっくり返すと出て来る令嬢はパァッと表情を輝かせた。
「まぁ…お二人はそっくりですわ!ひょっとして、ランランのお父様ですか?」
シャルルの時と同じように、まんまとアデライドが寄って来た。直近の成功体験から勝利を確信した公爵家の面々は、しかし速攻で裏切られることになった。
「いいえ、違いますが」
ぬいぐるみの認知を拒否したランベールに、非難の視線が集中する。致命的なエアー・リーディング・スキルの欠如に空気が冷えこむ中、アデライドが震える声で続けた。
「では…生き別れのご兄弟ですか?」
「難易度上がってませんか?これの正解って何ですかね?」
「私に聞かれましても…」
たまらずニコラがクリストハルトに話し掛ける。そんな答えを持たないオーディエンスが見守る中で、またしても「違います」と即答したランベールに、もはや誰も差し伸べるべき手を持たない。
「帰り道にある表通りの店で購入しました」
「…マァ」
なぜか一直線にトドメを刺すランベールに皆が肩を落とした。だがそんな絶望感を粉砕したのは、他ならぬアデライドだった。
「いつもの帰り道、ふと気がつくと、たまたまよく似たランランと目が合って、ひきよせられる二人…うんめいてき、ですワッ」
「喜んでますよアレ。どういう琴線ですかね?」
「だから私に聞かれましても…」
ボソボソと囁かれる困惑の声をよそに、アデライドの中では何かが進行しているらしく、深刻そうな声色で呟いている。
「しかしそんな二人はひきはなされてしまう…わたくしというおじゃま虫の手で…」
「いえ、私がお嬢様に差し上げたのです。聖女祭の際に、プレゼントとして」
屈んだランベールがぬいぐるみを持ち主の手に返す。妄想の中で自己否定を始めていたアデライドの、険しくなっていた顔がキョトンと素に戻る。
「アデライドお嬢様はこういう色合いの物がお好きだと思ったのですが…違いましたか?」
「いいえ…とてもかわいいです。その…ありがとう、ござい、ま、…スゥ〜ッ」
ランベールがポケットからハンカチを取り出して、下を向いて目を合わせないアデライドの、涙と繊維クズのついた顔を拭った。
「アノッ、ハンカチがっ、汚れてしまうまッ、しまいまっ…スゥ〜ッ」
「これは…ぬいぐるみのお礼にと、あなたが刺繍してくださったものです」
「デモッ!アノッ!わたくしっ、もうしわけなくって」
「ではまた、刺繍してくださいませんか?」
アデライドがぬいぐるみをギュッと抱きしめる。すこしの間逡巡したが、自分を見つめるランベールと目が合うと、プルプルと震えながらも「ハイ」と小さな声で頷いた。真っ赤になった主人の顔を見たパメラの口角がぶち上がって、ポールからうっすらと距離を置かれていた。
一部始終を見守って、やっとまとまったかと思ったクリストハルトの耳に、またニコラのつぶやきが届いた。
「なんか…フィルが不憫じゃないですか?」
「私に聞かれましても…」
ついつい定型句で返したクリストハルトは、隣の男が真顔になっているのを見て「おやおや」と、こちらも面倒なことだと密かに嘆息したのだった。




