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ささやきーおどしーこうしょうーおうじろ!

実験室に侵入しようとした男を調べた結果、ミュレーズ子爵家に雇われていたことがわかった。今その男は王都にある子爵の持ち物である屋敷に逃げ込んでいる。ミュレーズ子爵家は長く続いてはいたが、決して豊かでもなければ何か際立った特色を持つわけではないし、これから領地を繁栄させようという気概もない。現当主は今ある地位に胡座をかいて、弱きに強く強きに靡いて生きる典型的なダメ貴族だった。

「そんでそれが俺の親父なわけなんだよなぁ…」

アデライド達から説明を受けたベルナールがため息をついた。


「アデライドさま!!」

沈んだ空気が支配していた研究所の応接室で、目の据わったペリーヌが大きな声を上げた。

「山に埋めますか?!海に沈めますか!?」

「えっと…子爵のことですわよね?法で裁きますわ」

「え~」

不満げなペリーヌにロワイエが言う。

「そのほうが長く苦しめられるし、根から断てますよ」

「ええー!やったー!」

ニコニコ笑う2人をアデライドとベルナールは少し引いて見ていた。


「結局身内の私怨だったっつーわけか。まぁそんなもんだよなぁ」

悪いなお嬢、とベルナールが力無く笑って見せた。

「まだ動機はわかりませんわ。証拠はあっても貴族を追い詰めるにはまだ弱いし、もう少し追い込みますわ」

「そうだよな。平民相手だとどうしても貴族が優位になるからな」

「という訳で、もう少し辛抱していただきますけど…よろしくて?」

アデライドの視線がベルナール達の背後を向く。そこには騎士達が並んでいた。

「うん、まぁ、しょうがねえっつうか、世話になるわ」

いつになくしおらしくベルナールは呟いた。




何でもいいから手掛かりはないかと、アデライドが先に捕らえていた男の様子を見に行くと、すこぶる顔色がよくなっていた。

「…なぜですの?」

「いや~見張りの者達がいうには、何を出してもよく食べるそうなんですよ。そんなにいいものを出してる訳でもないのですが、美味しそうに食べるらしいです」

前回見た時は痩けて陰気さを演出していた頬はややふっくらとして表情も穏やかになっていた。でも体育座りをしてぼうっと何もない空間を眺めている様は依然として少し不気味だった。

「暇つぶしになるかと思って本とか渡してもぜんぜん読まないんですよね。たまにストレッチなんかはさせてますけど。不健康ですよね」

この間は情報量ゼロの応答をしていた騎士だったが、あまり意味のないことを今日はやけに詳細に教えてくれた。

「では編み物でもさせてみてはいかが?」

「編み物ですか?」

「編み棒程度なら危険もないし、いいでしょう?プルスト、手配して差し上げて」

犯罪者ではあったが、アデライドには彼をいたずらに苦しめてしまったことへの罪悪感もあった。手慰みにするもしないも本人の自由であるしと思いその場を立ち去った。


「手詰まりですわねぇ…」

「お嬢様、授業中ですよ」

考えていたことが知らず口からこぼれてしまっていたようでアデライドは慌てて謝ったが、ロワイエはふっと微笑んで言った。

「焦らなくても大丈夫ですよ。プルストさんが指示して今も公爵家の人員が捜査していますからね。私も引き続きご協力致しますよ」


アデライドは思った。妙に優しいと。今までだったら「集中してください」とサラッと一瞥されて終わった場面のはずだ。あの地下牢の一件以来、態度が変わってきたとは思ってはいた。協力してくれるのはとても助かるし嬉しいけれど、今までのしょっぱいコミュニケーションと比較すると正直言って…。


ロワイエは思った。『妙に優しくなって気持ち悪い』と考えていそうだな顔だなと。最近わかってきたがこの子供がやろうとしていることは面白い。最初はちょっとした点数稼ぎのつもりだったが、絡んでいけば魔術師としての評価も上げられると気が付いてからは積極的に協力している。ただの子供と早合点して失敗した。こんなに利用価値があるなら最初からベタベタに甘やかせば良かった。でもまだ遅くはないだろう。子供と言っても所詮女だ。


「優しい貴女のことです。彼らのことが心配なのはわかりますが、もっと私達を頼ってくださっていいんですよ」

心持ち眉を下げて慈愛に満ちたような微笑みを浮かべるロワイエはゲームのイベントで見た彼そのもだったのだが、アデライドはなんかウザいなと思うに留まった。




少しだけ1人になりたくて、護衛に距離をとってもらっていたベルナールが、だらしなく腰掛けたソファからずるずるとずり落ちながら呟く。

「なーんか腑に落ちねぇんだよなぁ」

ミュレーズ子爵が自分達を敵視すること自体は納得できる。だが彼の性格からして、今手を出してくることにはどうしても違和感があった。ただの血縁としての父というだけでよく知っている訳ではないが、彼は貴族であるということにしか誇りを持てないようなどうしようもない小人物だ。その父親が、ヴォルテール公爵家の後援を受け入れてしまった今の自分を攻撃するだろうか。

ヴォルテールの名を知らない者はこの国にはいないだろう。王家に並ぶ権力を有し、現公爵は宰相として外交の場で辣腕を振るっている。力を付けてきた新興国などもあの宰相にかかれば簡単に叩き潰される。国外にもその名を轟かす貴族の中の貴族。最初に手紙が来た時は騙りだと思ったし、今もあの愉快なお嬢を見ていると信じられないし忘れそうになってしまうが、本来ならば自分達平民はおろかその辺の木端貴族などとは目も合わさず一生を終える身分だ。そんなご大層なものがあからさまに背後に控えていたら、あの親父なら揉手してへつらうくらいはしそうなものだ。


堂々巡りするベルナールの思考を断ち切るように、バタンと音を立ててドアが開いてペリーヌが入ってくる。

「ひとりになったらダメじゃない!お嬢様の言いつけ守りなよ!」

背後からゾロゾロっと体格のいい帯剣した騎士達がついてくる。公爵家のカラーであるボルドーの制服に身を包んでいて季節的になんとも暑苦しい。

「いいだろ休憩だよ。なんか用か?」

ぎゅうっとペリーヌが顔を顰めて、顔のパーツが全部真ん中に集まったようになっている。彼女とベルナールは人生のほとんどを共に過ごしたような長い付き合いだったがこの顔をするときはあまりよくないことが起こっている時だ。

「ミュレーズ子爵が来たの」


果たして応接室のソファには小太りで禿げ上がった頭のミュレーズ子爵が座っており、その侍従と思われる男が背後に立っていた。最近は頻繁にアデライド達が訪れる部屋にこの男が座ることにベルナールは嫌悪感を覚える。最後に見た時よりも老いて小さくなったような男が口を開く。


「おお息子よ、なんと嘆かわしいことか!」

「何だよ薮から棒に。嘆かわしいのはお前の頭だろ。油拭けよクソハゲ」

芝居がかった口調で立ち上がった子爵は、ベルナールのにべもない返答に出鼻をくじかれて、顔から頭まで怒りで真っ赤に染めた。

「お前が良からぬ企みをしているという知らせを受けたのだ。世間から認められない我が身を嘆いて病気を広げようとしているとな!そんなことを見逃すわけにはいかんだろう!」


なるほど?そういう脚本で来るのかと、ベルナールは自分でも不思議なほど落ち着いて受け止めていた。後ろで毛が逆立つ程に怒気を発している妻の気配を感じるからかもしれない。自分より怒っている人間がいると人は冷静になるものだ。

「知らせを受けたって?誰からだ?なんでお前に?」

座るのも嫌になって入り口付近で立ったまま答える。怒りに震えるペリーヌが視界に入らないように背後に庇った。

「え?誰って…誰でもいいだろう!そういう報告があったのだ!」

立ち上がって大声を上げる子爵に、後ろに立った背の高い男が何か呟くと、挙動不審にキョロキョロした後にそっと座って深く息を吐いた。


「ベルナール。私はお前に罪を犯してほしくないんだ。父親として、私はお前に考え直して欲しい。そんなことに執着せずに、他の道に進まないか?私はお前の新たな門出を応援するぞ」

胡散臭い笑顔で子爵が話し始めた。本人は優しく微笑んでいるつもりなんだろうが、アラン夫婦にはひたすらに薄気味悪くしか見えない。

「やろうとしてもいねえことを考え直せるかよ。大体、前提がおかしいだろ。俺を大学から追い出すようにしたのはお前だろ?それが動機ならお前1人殺せば終わりだろ。俺はそんな効率悪いことしねえよ」

「な!なんだと!?私を殺すなどとっ!そんなことが許されるとでも思っているのか!!」

また立ち上がって喚き散らす子爵の背後でまた男が何事か囁いた。それを受けて顔色と勢いを失った子爵はまた座り込む。

「ワッ私はお前が…そのなんとかいう病気を広めるあの…?ああ菌か、をばら撒く準備をしているという証拠を手に入れているんだ。今ならまだ間に合うから、私の言うことを聞きなさい。なに、悪いようにはしないから…な?」

そう言うと子爵はまた嘘くさい微笑みを顔に貼り付けた。


「証拠ってなんだよ。この間忍び込んだやつは入り口でビビって帰ったはずだ。報告受けてるんだろ?」

「そっ、そんなものは私は知らんぞ!」

「あー、実験用の菌株でも持って帰ってそれを証拠とか言うつもりだったんだな!だが思ったより守りが固くて路線変更か。わかったわかった。お前らの脚本がすげーお粗末ってことがな!」

笑い飛ばしてみせるベルナールに、顔を真っ白にした子爵が絶句する。


「そこのオッサン、その筋書きじゃ無理があるぞ。このバカも理解しきれてねえし、練り直して出直せよ」

ベルナールが背後から子爵に囁きかけていた男に向かって言い放つ。その時、普段なら微動だにしない騎士達が不意に動いて腰のサーベルをカチャリと鳴らした。途端に子爵が震え始めるのを見て、ベルナールは何アシストしてきてんだよと少し気恥ずかしくなる。


子爵とは対照的に顔色をまったく変えない男は、足元に置いていたカバンを取り出して、テーブルの上に置いた。

「そうだ!ベルナール。ほらみろ!何もタダでとは言わんぞ!」

血色を取り戻した子爵が勢いづいてカバンを開けると、中身は札束だった。

金。このタイミングで。ベルナールは唖然として、次の瞬間爆笑していた。


「いやいやいや…この端金がなんだっつーの?これで何?俺に何して欲しいんだよ?いっそウケるわ!」

笑い続けるベルナールに気色ばんだ子爵が語りかける。

「お前が金に困っていることはこちらは知ってるんだ。だから貴族嫌いのお前がその…の支援を受け入れて、引っ込みがつかないとかそんな感じだろう?これだけあればお前もここを離れられるだろう?これはな、家族の思いやりと言うものだ…わかるな?」

子爵はオドオドと騎士のボルドーの制服に視線をやりながら、ボソボソと意味もなく声を抑えている。

「あのな、こんな出所もわからない怪しい金なんぞ受け取るわけがねえだろ。それに今では俺も手のひら返してヴォルテール公爵家様様って状況なワケだ。悪いがこの件に関しては貴族嫌いキャラは返上。読みが外れたな」

弾打ち尽くしたか?じゃあお帰り願いますわ~と出口を指し示すベルナールに今度こそ子爵達は逆らえなかった。




騎士から連絡を受けていたのか、その後すぐに訪れたアデライド達にベルナールはことの次第を話した。


「まぁ、そんなことをおっしゃったの?とっても失礼ですのね!」

「…それでは公爵家が犯罪者を支援しているようにも聞こえてしまいますね」

プルストの発言を聞いたアデライドがニヤリとした。

「まぁ!まぁ!それはいけませんこと。では誤解のないように、子爵とお話ししなくてはいけませんことね」

「公爵家付きの弁護士から書状を送らせましょう。すぐ手配しますね」


急に張り切り出したふたりのテンションに戸惑うアラン夫婦に、またついて来ていたロワイエが「お二人とも子爵とお話ができる切っ掛けができて嬉しいんですよ」と解説してみせる。

「貴族というのは高位になるほど迂闊には動けないものですから。でもこれで色々と進みますね」

「そういうもんかねぇ~」

「そういうものだよ」




「そうでもなかったわね…」

「どちらかというと、進みすぎましたね」

アデライドの足が燃えて炭状になった木材を踏んでぱきりと鳴った。王都にあった子爵の持ち物であった家屋は燃え落ちて原型を留めていなかった。

あれからすぐに弁護士から抗議文を送ったが、それから数日もしないうちに王都にあったこの建物と、ミュレーズ子爵領の領主邸が火事になり、それぞれから研究所に侵入した男と子爵の死体が発見された。領主邸には子爵夫人や子爵の息子は出かけていておらず、使用人はすべて逃げおおせたため、犠牲者は子爵のみだった。

一応子爵夫人と息子に事情を聞いたが、彼らからは何の情報も得られなかった。研究所に子爵とともに訪れた男も行方知れずとなっている。魔術的な痕跡も探したが見つからず、ただの火事として処理されることになってしまった。

何ともはっきりせず後味も悪い結果となってしまったが、それから研究所周りに不審な人物を見かけることは無くなった。


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