家族の最小単位
アデライド11歳の冬。
ここ数年は聖女祭に公爵の名代として出席していた彼女は、今年は国に残った祖父と立場を入れ代えるように国外に出ていた。
「こちらで叔父様はお仕事をしていらっしゃいますのね!」
キラキラとした瞳でなんの変哲もない執務室を見回すアデライドを、シャルルが苦笑しながら見下ろす。遠路はるばるウィンドミューレン帝国を訪れた姪っ子が、最初に見たいと言ったのは叔父の仕事場であった。
「こんな殺風景なところはもういいだろう?帝都の芸術はコンフォート王国とはまた違う形の風雅がある。お前もヴァルテール家の子女として学ぶべきものがあるぞ」
シャルルの言葉を聞いたアデライドは、「なるほど!」と言いながら小さなノートに鉛筆を走らせていた。
「お前…それは何だ」
アデライドと接することに慣れたシャルルは、どこか嫌な予感がして彼女の手元のノートを指した。
「これですか?叔父様に関することを記録しておりますの。わたくしもっと叔父様のことをよく知りたいのですわ」
思わず「なぜだ」と問いかけてしまったことを、シャルルはノータイムで後悔することになった。
「わたくし、叔父様の魅力を皆様にアピールしたいのですわ。そのためにはもっと叔父様のことを知らなければなりませんの」
いまだに任を解かれていなかった"叔父様の魅力PR大使”の真摯な姿勢に、シャルルは束の間目を閉じて大きく息を吐いた。
「いらん!!やめろ!!」
唸るように叫んだ大男を、アデライドは怯むどころか微笑んで見上げた。
「たしかに、皆様もうお気付きでしょうから必要のないことかもしれませんわ。しかし、課題の多い現代社会、人々は疲弊しております。そこで、叔父様の優しさ、深い思慮、そういったものが、心に寄り添う。こんなに心強いことが、他にありますか?」
「やめろ!意味がわからん!!」
「厳しいご意見、ありがとうございます。ですが、わたくしは伝えることを、諦めたくはありません。叔父様からいただいた、心の温もり、これを広めることこそ、わたくしの使命である。そこに、わたくしの、道、そして真の幸福があるのです」
自分を見つめる姪っ子の曇りを知らないような瞳に恐怖を覚えたシャルルは、彼女の後ろに控えた者たちにすがるような視線を送った。
「お嬢様は今日この日のために、閣下のご親族として、良識ある振る舞いをと大変努力なさっておられました。その成果を目にすることが出来まして、望外の喜びを感じております」
目頭を抑えるプルストの姿を見て、自分の感覚を疑い絶望し始めたシャルルは、いついかなる時も公平にノンデリであり続ける姪の護衛たちに救われることになった。
「お嬢様は初めての外国旅行に浮かれて色々ヤバくなってるだけです!」
「君ぃ!お嬢様が閣下に会うのを楽しみにしすぎた結果、テンションはち切れて何かに“目覚め”た状態なのは内緒にしようって相談したよねぇっ!」
楽しみにしてくれたのはいい。シャルルとて姪っ子にここまで懐かれて悪い気はしない。だが、はしゃぎ方が独特すぎて素直に喜べないと思っていたそのとき、ガランゴロンという鐘の音が響いた。
「聞こえますわ…これは、導きの鐘」
「多分お昼休憩の合図ですよ!」
「では福音のままに、約束の地へ向かいましょう」
「お腹すいたんですねお嬢様!」
確かに様子はおかしい。だがその行動はわかりやすく邪気の無い姪のままのようだと、自分の手を握ってくる小さな手の平の温かさにシャルルはついついそう誤魔化されてしまう。そんな程度に彼はもう、この思い込みの激しい少女に絆されてしまっていた。
シャルル・ド・ヴォルテール。友好国であるコンフォート王国からやって来た高位貴族の子息。下にも置かない扱いを約束された出自でありながら、実力でも頭角を表し自身の才覚でもって地位を確固たるものにしていた。
そんなシャルルを探して廊下を歩いていた彼は、その姿を見つけて声を掛けようとしたが、見慣れないオプションが付属しているのを目に留めて咄嗟に言葉を飲み込んだ。
戸惑う彼に最初に気が付いたのはオプションの方であった。彼女は握っていた手を離して、彼の方へ一直線に向かって来た。
『はじめまして。コンフォート王国ヴォルテール公爵家の娘、アデライド・ド・ヴォルテールと申します』
ああ、例の姪っ子さんか、と自己紹介を受けた彼は素早く察する。シャルルの姪であるアデライドは一部で有名人であったが、その人物像は噂をする者によって極端に異なっていた。果たしてどちらが正解なのかと、そんな物思いに耽っていた彼は、黒目がちな瞳にじっと見つめられている事に気が付いて、慌てて挨拶を返す。
『ご丁寧にありがとうございます。アデライド嬢。私はディーター・フォン・ヘンケルと申します。ヴォルテール卿には日々ご指導をいただいております』
アデライドがシュヴァペリン語で自己紹介したため、ヘンケルも同じように返す。ウィンドミューレン帝国は多民族国家であったが、その中心はシュヴァペリンに源流を持つため公用語はシュヴァペリン語である。
彼の言葉を問題なく理解したらしい令嬢が、マァ、と呟いて笑った。つぶらな瞳は輝き、ふっくらとした頬が赤みを帯びる。どこか宗教画に描かれた子供を思い起こさせるような微笑みに、ヘンケルの口角も自然に上がった。
そこに慌ててやってきたシャルルがアデライドの前に割り込むようにしてヘンケルと向き合った。
『どうしたヘンケル。今日は非番であったはずだろう?何かあったか?』
『いえ、一応お耳に入れておきたいことがございまして、本日こちらにいらっしゃると門兵に聞き探しておりました。ですが確かヴォルテール卿も休暇を取られていたと記憶しておりますが…?』
特に悪気なく答えたヘンケルに、シャルルが顔を歪めた。部下にあたる青年の前で、姪に乞われるまま職場へ連れてきたなどと言っていいものだろうかと鼻白む。だが彼のこの一瞬の隙をPR大使は見逃さず、切り込んで暴露にかかった。
『わたくしが叔父様に無理を言って連れて来ていただきましたの。ヘンケル様、もしお時間に余裕がありましたら、普段の叔父様のことを教えていただけますか?』
力強いスライドステップで叔父のスクリーンプレーを掻い潜ったアデライドは、再びヘンケルのマークについた。予想しなかった俊敏さに若干仰け反るヘンケルと、ギョッとしたシャルルの両方を、アデライドは期待を込めて見つめている。熱視線にたじろぐ彼らの間に、音も無く近づいた二人分の腕がにゅっと伸びてきた。
「お嬢様、お仕事の邪魔をしたらダメですよ!」
「ほらほら、お腹空きましたね!お昼ご飯に行きましょう!」
慣れた様子の護衛二人は、ステップワークで逃れようとするアデライドの動きを瞬時に封じて回収した。身柄を抑えられた令嬢の「ハナシテクダサイマシィッ」という声が耳についたが、何とか意識を逸らしたヘンケルがシャルルに低い声で告げる。
『現在、ケンプフェン王国の関係者が帝都に入っているという情報です。恐らく王族であられるかと。詳細は不明ですが、今のところ宮中に大きな動きは見られません』
『…通達は無かっただろう』
『公式な訪問ではなさそうです。“お忍び“である可能性が高いかと』
よりによって何故いまこの時期にと、シャルルはやや理不尽な怒りが湧くのを感じた。だがそれを抑えてまず部下を労う。
『わかった。非番にご苦労だったな』
『いえ…詳細は確認を続けます』
『任せた。だが、無理に踏み込みすぎるなよ』と言い残し、姪の元に急ぎ足で向かうシャルルの背中を、ヘンケルは少なくない驚きを隠せずに見送った。
シャルルは元々感情的なタイプでは無かったが、ピリッとした緊張感を常に纏っていた。それが今やあそこまで穏やかな表情を見せるとはと、そんなことを考える彼の前でシャルルがアデライドに声を掛ける。途端に少女の表情がパァッと輝くのを見て、あれを向けられ続ければ無理もないかと、ヘンケルはひとり苦笑する。そして記憶しているアデライドに関する噂の中から、“美男を好んで侍らせる令嬢”という項目を二重線で打ち消した。
予約していたレストランで、アデライドはシャルルと二人で食事をしていた。帝国では有名なその店で出されるのもはすべてが美味しく、アデライドはここでも幸せそうに笑っていた。
春に会った時よりも幾分か成長した姪は、シャルルの目にはますます母に似てきたように見えた。母を思い起こさせる顔をしているというただそれだけのことが、以前はなぜあんなにも気に障ったのかと、向かい合った笑顔を見ながらシャルルは自身の物思いに引き摺られる。
彼の母は、正しく公爵夫人であった。
父を支えながら王族皇族と渡り合い、沢山の使用人を従えていた。公爵夫人に求められる全てを備え、父や一族の期待によく応える人であった。そういう母を、人々は模範的な貴族夫人であると誉めそやした。シャルル自身もそれに異論はない。だが彼にとって彼女は、母という以上に貴族でありすぎた。
彼の父は、公爵だった。今は宰相の役割に片寄りすぎているが。
彼の兄は…よくわからない。話が通じた記憶が幼少期からほとんどなかった。
「まぁ…すごい!大きくってお山のようですわ」
いつの間にか給仕がデザートを運んできていた。ノッケルンだかノッカルンだとかいうもので、山のように尖らせたメレンゲの塊が山脈のように連なっていた。
「こちらに向かう汽車からはこういうお山は見えませんのね。ずっとなだらかな平地が続いていて」
「退屈だったか?」
「いいえ!とても綺麗で眺めているのが楽しかったですわ。でもわたくし驚きましたの。ここまでこんなに遠いだなんてって!」
この世界では一般的な貴族令嬢はあまり遠出をしない。例外は人生の節目となるような出来事で、それは留学や療養…そして自身の結婚であることが多い。そういう令嬢にとってはまるで地球の端まで来たかのような感覚なのだろうと、シャルルは考えた。だが姪の感覚は彼のそういう固定観念の枠に収まっていなかった。
「窓の外を見て、叔父様もあの森やあの赤い窓枠のお家を見たのかしらって考えておりましたの。そしたらとっても胸の中が温かくなりましたわ。春にわたくしが困っていたとき、叔父様はこんな距離を駆けつけてくださったんだってわかりましたの。だからわたくし嬉しくなって、窓に張り付いてずっと眺めておりましたのよ」
姪の言葉に、シャルルは息を呑んだ。世間では持て囃されているが、自分には不要だと思っていたものを、突然大量に頭から浴びせられて喫驚したのだ。
子供の頃から父にも母にも、ましてや兄になど何も求めるものは無かった。
ただ家の持つ権力というものを、自身の力を発揮する為の踏み台として提供してもらえれば不満などあろう筈もない。確かにそう思っていたはずだ。
まさか今この歳になって、よりによってあの兄の娘の手で、自分の中に埋まっていた青臭い感情を掘り起こされるなど予想だにしていなかった。
メレンゲの山脈は取り分けられて一つの山となり、裾野にはストロベリーソースが赤く広がっていた。ただふわふわと甘く溶けて消えていくだけかと思われた白い塊は、苺の酸味に出会って味わいを深めていた。
「ですからわたくし、この叔父様からいただいた温もり、優しさ、思いやり…そういうものを皆様と分かち合いたいと思いますの。そう、ちょうどこちらのデザートのように」
ノッケルンに乗っかってPR活動を再開しようとする姪に、今度は冷や水を浴びせられたように冷静になったシャルルが「それはやめろ」と短く告げる。
「叔父様の笑顔で救われる方はかならずいらっしゃいますわ。そしてこちらで仲間を増やして、次の国へ…」
邪気のない笑顔で恐ろしい布教計画を立てる姪に頭を抱えるシャルルと、そんな叔父の様子も気にならないくらいにはしゃぎ倒しているアデライドは、形は違えど二人ともこの一対一の家族の食卓にくつろぎを覚えていた。




