未来も過去も、右も左もまだわからない
夏、前世と違いうるさすぎる蝉の声もなく、気温や湿度にもあの茹るような苛烈さはない。そんなこの世界には“午前中の涼しくて過ごしやすい時間“が確かに存在している。庭にいてもガゼボの作る日陰の下にいれば、ある程度の快適さが確保できた。アデライドはそこに安心を覚えながら、小さく切り分けられたミラベルを口に入れて広がった甘い果汁にニンマリとしていた。
「アデライド!お前もぉ、こいつになんか言えっていうかぁ、さっきからぁ、こいつ言ってることめっちゃだるいっつうかぁ…てかなに一人でニヤついてんの?やばくね?」
「エドガー!今は僕と話してるんだし、アデライドは関係ないよ。っていうか、彼女はこのミラベル美味しいなぁもう一個食べようかなぁくらいしか考えてないよ」
「まじ?やべえなアデライド。なんも考えてないっつうかぁ、めっちゃ食うじゃん」
「そうだよ。彼女はさっきからずっと食べているよ」
頂き物の果実を美味しくいただいていただけなのに、急に口論する二人から矛先を向けられ割とディスられてすらいる。そんなアデライドの居心地の悪さを、口の中のミラベルの甘さだけが癒してくれていた。
「そんなことよりエドガー、ドッジボールで重要なのは守備なんだよ。僕の言ってることがわかるかい?」
「わかんね。てかぁ、勝つためには、数減らさなきゃでぇ、したらぁ、攻撃しなかったらぁ、勝てねえじゃん?おかしくねぇ?」
「だからさ、ボールの保持率を上げるべきなんだよ。マイボールにしなければ攻撃も出来ないじゃないか。それには内野のフォーメーションを横一列に配置するのがいいと思う」
手持ちの黒板にフォーメーション図を書き込むミシェルを見て、アデライドは「ああ、見事な戦術オタクになってしまわれましたわ」と内心ため息を吐く。
アデライドの誕生会の際に男子たちの群れに放り込まれたミシェルは、大方の予想を裏切りあっという間に男子グループに馴染んだ。それどころか彼らの中で"一番頭のいい奴"として、それなりの地位を築いてしまった。ミシェルはそうやって獲得した発言力を、群れのリーダー格であるエドガーと、地主扱いのアデライドの前で存分に発揮するようになっていた。
ヴォルテール公爵家に出現したドッジボールコートは、エドガーたちに第二次ドッジポールブームを巻き起こした。ドッジ熱が高まった少年たちは、週末になると公爵家に詰めかけていた。
結構な割合で彼らの輪に混ざっているアデライドは、今は少年たちの保護者がお持たせした手土産に舌鼓を打っていた。様々な領地からお取り寄せされた品々は、アデライドに新鮮な喜びをもたらしている。モリモリ食べるその様を、最近仲良くなったばかりとは思えない2人が、少し引き攣った顔で見守っていた。
アデライドが前世でプレイしたゲームのストーリー中でも、エドガーとミシェルの接点はあった。だがそれは学園に通い始めてからのことだった。
太古の竜であるオディオとの戦いで、どうしても攻撃が通じないかの竜にエドガーと聖女たちは苦戦していた。そんな彼らに攻略のヒントを与える役割をミシェルは担っていた。
自分のアイデアなどを立派な騎士であるエドガーが受け入れてくれるだろうかと、悩むミシェルを聖女が後押したのだ。エドガーが彼の助言を素直に受け入れた結果、彼らは見事にオディオを打ち倒すことに成功する。
その後のエドガーとミシェルの会話も別イベントで用意された。礼を言うエドガーとそれに恐縮しながらも嬉しそうなミシェルという短い交流は、寡黙すぎるエドガーの貴重な肉声ということ以外にも、新鮮な喜びを一部の女性たちにもたらした。反響はイラスト投稿サイトやSNSにすぐに現れた。主に左にエドガーを配置する形で。
そんな記憶を思い返しながら、またミラベルに手を伸ばしたアデライドを、男子二人が横目で見ている。
「アデライド…お昼食べられなくならない?」とミシェルが言う。ついこの間までだったら「アッ、アデライド嬢…」とオドオドと声を掛けるか、もしくはそれすら出来なかっただろうに、本当にたった数ヶ月で劇的に変化した。
ミシェルの気遣いを無下にすることも出来ないので手を引っ込めたが、アデライドにはまだまだ食べられる余裕があった。こと食事量という分野では、彼女はミシェルよりも強者であった。なんせ同年齢の少年たちの中でも、アデライドはまだデカい。縦にも横にもそんな感じで、フィジカルでは負ける要素がない。
「ミシェル様、エドガー様。何事も試してみるのが大事だと思いますわ。その戦術で一戦交えてみませんこと?」
挑発するようなアデライドの言葉を受けて、少年たちも席を立つ。彼らは机上の理論を試すために、他の少年たちの待つコートに向かった。そこでアデライドは持ち前の打たれ強さと、勘の悪さを発揮することになるのだった。
ヴォルテール公爵家からの帰り道、エドガーとミシェルは同じ馬車に乗り合わせていた。今日はいつもより長く居座ってしまい、お昼ご飯やおやつまで公爵家でご馳走になってしまった。厚かましすぎただろうかとミシェルの内省力が働きそうになったが、誰よりもモリモリと食べるアデライドの姿を思い出して、まぁいいかという結論に至っていた。
「アデライドって…すごいよね」
「まじそれ!オレもぉ、なんかえっぐってなること、けっこうあるし!」
いろんな意味合いを込めたミシェルの呟きに、エドガーも同意を示す。
「オレさぁ、将来あいつと結婚することになるってぇ、まえから親に言われててぇ、たからぁ、なんか不安っつうかぁ、そういうのめっちゃある」
エドガーのその発言に、ミシェルは驚いた。確かに以前そういう噂があったことは知っているが、いまは状況が変わってきている。
「いや、君は侯爵家の後継になってしまったし、それはどうなんだろう?」
「や!でもさぁ、あいつってぇ、家とかべつに継がないって言ってたし。だったらぁ、オレと結婚じゃねってえ、なるんだけど」
だったらって何?…そう思ったミシェルは再び口を開こうとして、やめた。エドガーがアデライドを結構気に入っていることは、短い付き合いのミシェルも知っていた。
普段からエドガーはアデライドのことを気に掛けて、何かと誘いにいく。それを仲間一同で、これまで特に何か思うところもなく見守っていた。
でもよく考えると、エドガーとアデライド、どちらも突拍子もないところのあるミシェルの友人である二人は、結構お似合いかもしれないと、彼は気がついた。
体が弱くて家にこもってばかりいたミシェルは、アデライドと会って彼女がモリモリと送ってくるレシピや健康法を試すうちに、知らず知らずのうちに体力がついていた。そのおかげで現在こんなふうに同い年の男子たちと走り回って遊んでいる。でも少し前はこんな自分を想像もしていなかった。
自分たちはまだ幼いと言ってもいい年齢で、人生には決まったシナリオなんか無い。予想出来ないことなんて、これからもいくらだって起こるはずだ。だから、彼が彼女を人生の伴侶に望んだとしても、それは決して叶えられない願いではない…ミシェルはそう考え直した。
「うん。僕は君を応援することに決めた」
「えっ?なに?急になんか決めてんのぉ、なんかあったのかよってなるんだけど?」
「うん。僕の中ではいろいろあったんだよ」
ゲームのストーリーでのミシェルは、聖女の助言と励ましで次第に自信を付けていった。マンツーマンの個別指導で甲斐甲斐しく育てられた彼の自尊心は、エンディングのスチルで花開くことになる。それは凛々しい笑顔が輝く渾身の一枚となった。
いま戸惑うエドガーに見せたミシェルの表情は、それと比べたら随分と気が抜けていてありきたりなもので。でもそういう普通の笑顔を、これから何枚も重ねていけそうな現状に、彼はとても満足していた。
「太りましたわ…たいへん…太ましいですわ…」
男子たちが帰った後、アデライドは鏡の中のたくましい自分と向き合っていた。
食卓では来るものを拒まずムシャムシャ食べていたのだから、当然の帰結であるといえた。自らの愚かさに震える彼女へ、パメラが声を掛ける。
「お嬢様は成長期なんですよ。太ってなんかいません」
だがアデライドはそう言うパメラのスラッと細い手足に「華奢な骨格ウェーブ…羨ましいですわぁ」と見惚れてしまい、その気遣いを無為にしそうになっていた。
「そんなことよりお嬢様!ボールを真正面から受け止めるのをやめてください!お肌が赤くなっているじゃないですか!」
夏の太陽の下で走り回っているアデライドに対して、断腸の思いで日焼けに関しては大目に見ることにしたパメラだったが、これは受け入れられなかった。ぷんぷんしながら、アデライドの肌に濡れタオルを押しあててくる。
「こんなの放っておけば大丈夫ですのよ。ねえそうでしょう?」
護衛の騎士たちに援護を求めた彼女は、再び自らの愚かさを知ることになった。
「打撲や突き指は無いですから大丈夫だと思います!でも何度もボールを弾いてたから、自分はびっくりしました!すごく"壁"って感じで圧巻でしたね!」
「君ぃ!お嬢様も女子なんだから、そんな言い方はないでしょお!ここは無難にアドバイスするところでしょうがぁ!…お嬢様は背がお高いから上手投げにすると相手を威圧出来ていいと思いますヨォ!」
アデライドはデリカシーゼロ系騎士と、やや残存したデリカシーがスイカにかける塩のように無配慮を引き立たせしまう系騎士に挟まれることになった。
こうなったら夕飯を少し控えめにしようと思っていた彼女に、「お夕飯はお嬢様のお好きなラタトゥイユと、ジャガイモとポロネギの冷製クリームスープと、牛フィレ肉のソテーだそうですよ!」と追い討ちがかけられた。好物の3連単大当たりを前に、残すことなど出来なかったアデライドは、また鏡の前でウンウンと唸ることになるのだった。




