2.空に浮かぶ虹色の魔法陣
昼休みは終わり、空腹も満たされ、春の暖かい陽気に微睡む教室内。何人かは俯いて寝入っており、何時もなら海人もうつらうつらと舟を漕ぐところであるが、今日の彼はぱっちりと目を開いており、眠ってなどいなかった。
ちゃんと起きてはいるものの、海人は授業を聞いている訳では無い。
アレイシヤの事と玲緒奈の事。二人の事をあれこれと考えていただけであって、教師の言葉など右から左に聞き流してしまっていた。
「か~いと君。今日の放課後もパトロールをするの?」
本日全ての授業が終わり、午後のホームルームも終わり、海人は急いで帰宅しようとした所を桃子に呼び止められてしまった。
「今日は……えっ~と――――」
今日もいつも通りだと言ってしまえば良かったのだが、海人は咄嗟に嘘を吐けない。
言い淀んだ所で何かあるのではと勘繰る桃子は首を傾げつつじっと見つめてくる。
どう対処すればよいのか困り果てた海人は真帆に目配せをして助けを求めるも、溜息を吐かれるだけで直ぐに助け舟は出してくれそうにない。
「他に何か用事があるの?」
「いや~……、それは……」
「無いなら私と帰りにお茶しない?」
「へ!?」
「最近新しくできた駅前のケーキ屋さんに行ってみたいんだ~。イートインも出来て、いろんな種類の紅茶があって美味しいんだって」
「いや、それよりも家の手伝いは?」
「今日はお休みなの」
「は、はぁ……」
この場を上手く切り抜けられる方法を考える暇は無く、期待の眼差しを向けてくる桃子からは逃れられない。少しだけならと根負けしてしまいそうになった所、真帆の冷たい視線が背中に突き刺さり、出かかった答えを飲み込んでしまう。
流石に見兼ねたのか、真帆が海人と桃子の間に割って入り先約があるからと説明しようとするも、彼女よりも先に動く者達が居た。
「海人。ここは俺達に任せな!」
「猿渡!?」
「私達の事は気にせず、先に行ってください」
「雉岡……!」
「……早く行け!
「犬飼……っ」
ラストダンジョンで仲間と別れる場面のように桃子の相手を買って出る猿渡達。
馬鹿馬鹿しいやり取りにしらけた桃子は猿渡達を追っ払おうとするも、彼らは機敏な動きでディフェンスをし、海人に近づけさせないように守っている。
「悪いわね、桃子。海人は私との先約があるの」
「えぇ!? 何よそれ~!」
これ以上馬鹿げたやり取りには付き合えないと思ったのか、今度は真帆が海人の手を取り桃子達に背を向けて歩き出す。
いまいち状況に付いて行けない海人だったが、今度埋め合わせをするからと桃子に声を掛け、真帆に引きずられるようにして教室を出た。
「全く……、いい加減上手く断るって事も覚えたら?」
ズンズンと突き進む真帆。彼女の方が前を歩いているので表情は見えないが、言葉に含まれた怒気から怒らせてしまっているのが分かる。
真帆の言いたい事は理解できなくもないが、やはり海人にとっては心苦しいのだろう。素直に頷かず、小声でだが反論した。
「いや……、なんか悪いだろう」
「無理に付き合うっていうのも良くないのよ。それに、今回はアーシャちゃんとの約束があったでしょう?」
「それが説明し辛いからってのもあるし……」
「別に全部説明する必要は無いわ。ただ用事があるって言えばいいのに……」
溜息と共に肩を落とす真帆。言いたい事を言い切って少しは溜飲が下がったのか、歩く速さが少しだけ落ち、握った手の力も若干緩められた。
二人はそのまま真っ直ぐに昇降口へ。男女が手を繋いで歩く姿は普通ならば校内でイチャつくカップルに思われるが、真帆が海人を引っ張るようにして歩いている為、すれ違う者は内心海人を憐れんでいた。
「お前達、仲が良いんだな」
「「な……っ?!」」
下駄箱の前で声を掛けてきたのは書類を手にしていた剣崎で、彼の少し後ろには玲緒奈も居た。
職員室から出てきて生徒会室に向かうのであろうと思われる二人。
せせら笑う剣崎は明らかに小馬鹿にした様子であったが、玲緒奈は仲睦まじいことを温かい眼差しで見守っているようである。
同じような驚き声を上げている辺り仲が良いのは間違いないのだが、真帆と海人は揃って否定した。
「べ、別に私達はそういう仲じゃ……、ねぇ?」
「そ、そうっス! 真帆とはただの幼馴染で……」
パッと手を放して身振り手振りで弁明する真帆。彼女に合わせて説明する海人。
その姿も仲睦まじく見えるようで、玲緒奈は口元に手を当ててクスクスと笑っており、二人の否定した言葉は全く届いていないようである。
このままここで説明していても埒が明かないと悟ったのか、一刻もここから離れたく思ったのか、真帆は頭を下げて独りで足早にこの場を去ろうと、海人は慌ててその後を追おうとする。
「……お気楽な奴らだ。あんな奴が――――」
「剣崎」
「……言葉が過ぎました」
「いえ、良いのよ。ただ、そうね……。できれば彼にはこのままでいて欲しいのだけれど……」
小さくなる背中を見つめる玲緒奈。その瞳には影が差しており、憐れむような眼差しでもあった。
玲緒奈達の視界から逃れるよう急いで学校を出た真帆。それと彼女を慌てつつ追いかける海人。
校門を過ぎて少しして真帆はピタリと歩みを止め、追いついた海人に振り向かぬまま問い掛ける。
「ねぇ、さっきの――――」
「ん? さっきってのは……」
「た、ただの幼馴染って言っていた事よ……!」
「ああ。そう言った方が妙な勘繰りをされないだろう?」
「そ、そうね……」
「それに、嘘は言っていないし」
「は……?」
「俺達は幼馴染だろ?」
「……」
邪念の無い真っ直ぐな瞳と言葉。海人の発言は嘘や取り繕ったものでないと分かっていて、だからこそ余計に腹立たしくあるようで、真帆は落胆するのでもなく、怒りを覚える事も無く、ただただ呆れ果てた。
「何だよ、深い溜息なんか吐いて」
「別に。まぁ、海人らしいと言えば海人らしいんだけどね」
「何を言って……」
「さ、アーシャちゃんを待たせちゃ悪いから急ぎましょ」
「あ、ああ」
再び歩き出した真帆と海人。このまま真っ直ぐ海人の家へと向かうのかと思われたが、二人は程なくして歩みを止める事となる。
それは何時もの海人の癖。人助けに走り脱線した訳では無く、彼らは驚くべきものを目にして歩みを止めたのであった。
「――――……!?」
「な、何なの……?!」
授業を終えて直ぐに学校を出たからか、夕暮れにはまだ早く、薄っすらと雲に黄色みが差し掛かった頃合いである。
そのような何時もと変わらない空から降り注いだのは虹色の光で、海人達は驚きながらも何が起きたのかを確認しようと見上げた。
「あれは――――」
「――――……魔法陣?」
空に描かれたのは虹色の光を放つ巨大な魔法陣で、その現象に海人は心当たりがあった。
それはつい先日の事。アレイシヤと出会ったのち、海人がコンビニで買い物を済ませて店内から出た直前に起きた現象と同じであって、その後に起きた事を思い出した海人は嫌な予感を覚えた。
「光の……柱? ――――……って、海人……っ! どこ行くのよ……っ」
「真帆は先に帰ってくれ……!」
「そんな……っ、待って――――」
突然走り出した海人を追いかける真帆。彼女はどちらかというと運動は苦手で、男女の差もあって、それ以前に運動神経抜群な海人は当然として足も速く、あっという間に二人の距離は広がる。
追いつこうと懸命に走るも追いつけない。肩で息をする真帆は小さくなる背中を睨み付けて大声で叫ぶも、海人が立ち止まる事は無かった。
「何なのよ!もう……っ! ――――……昔はちゃんと待っていてくれたのに」
思い起こされるのは幼い頃の記憶。
今と変わらず海人は小さな頃から活発で、真帆は度々置いて行かれた。
一生懸命付いて行こうと真帆は追いかけるが、彼女は一度として追いつけず、けれどもある程度離れれば海人は立ち止まって彼女の元まで戻ってきたのである。
それは真帆が途中で泣きだしてしまうからで、手を差し伸べてくれたのも転んで泣きじゃくる彼女を助け起こす為であった。
今ではもう泣きべそをかく事も無く、誰かを助けなければと急く海人はじっとしていられず、こうして置いて行かれるのであったが、真帆は腑に落ちないでいる。
「……やっぱり、あの時からかな」
心当たりは他にもあった。
それは海人がヒーローを目指す切っ掛けとなった出来事で、真帆にとっては未だに尾を引いている出来事である。
幼さゆえに、無知であったせいで放った言葉は未だ胸の中に突き刺さり、根は張り巡らされて忘れる事など出来ない。
歳を重ねるにつれてその言葉が如何に愚かだったのか知る事となり、こうして今でも時折思い出して後悔を繰り返す。
「――――ま、こうして考えていても仕方がないか」
海人の事で思い悩むのは何時ものことで、結局は考え込んでいても仕方がないという答えに至る。それは逃げているだけなのかもしれないが、それ以外の答えは見つかりそうにもなかった。
真帆を残して海人が駆け付けた場所。そこは昨日訪れた公園で、アレイシヤと出会った場所でもあった。
魔法陣が空に浮かんだタイミングと光の柱が見えた場所から、アレイシヤに襲い掛かった巨漢の剣士の仲間が現れたのかと思われたが、公園にはそのような変わった身なりの者の姿は無い。
「――――気のせい……か」
念の為に公園内を見回ってみるものの、怪しい人影は無く、公園内で遊んでいた子ども達に尋ねてみたが、目撃情報は得られなかった。
正確に言えば子ども達は空から降り注いだ光に目が眩み、暫くは何も見えないでいて、なにがあったのかはよく分からなかったそうだ。
「――――もしかすると、ここからもう移動して……」
巨漢の剣士は執拗にアレイシヤに襲い掛かっていたが、彼女を守ろうとした海人にも剣を向けてきた。
目的は定かでないが、他の者を害さないとは断言できず、海人は子ども達に家に帰るよう言い聞かせ、妙な格好をした者が現れたら近づかないようにと注意も促す。
まだ陽が沈むには早く、子ども達は最初こそ渋っていたものの、海人の真剣な表情には反抗できなかったようで、皆公園を後にした。
「……もう少し範囲を広げるか」
念には念をという事で公園の周辺を見て回ろうとした海人は、駆け足気味に公園を出た所である人物と鉢合わせになった。
胸の前で腕を組んで眉間に皺を寄せて睨み付けてくる少女。それは先程学校前に置いてきた真帆で、彼女は随分と立腹した様子である。
「こんな所に居たのね。全く、何をやっているのよ……」
「真帆こそ……っ! 先に帰ってくれって言っただろう」
「あのねぇ……、ここは帰り道なんだけど」
「あ……」
「それに、貴方を放っておける訳ないでしょう?」
そう言われたものの、このまま一緒に居れば襲撃者との戦闘に巻き込んでしまうかもしれない。自宅に居た方がまだ安全だろうと、先に帰らせたい所だが、どう説明すればよいのやら海人には思いつかない。
海人が言い訳を考えるより真帆の判断が早かったようで、彼女は彼の腕を組み、竜堂家に向けて歩き出す。
手を繋ぐよりもしっかりとした拘束をされてしまい、グイグイと引かれていく海人。
女性に対しては手を上げられない海人は真帆の腕を振り払うことが出来ず、それでもこのまま連行される訳にはいかないと制止を呼びかけた。
「ちょ、ま、待ってくれ!」
「待たないし放さないわよ」
「今は家に戻っている場合じゃ――――」
「さっきの光の柱だけど」
「え……?」
「もしかして……だけど、あれもアーシャちゃんなら知っているんじゃないの?」
「……!」
平然として言ってのけた真帆に海人は驚き目を見開く。
非科学的な事は信じない真帆があの現象をちゃんと受け入れており、その上冷静な判断をしている。それは意外な事で、逆に海人の方がどうしたんだと言わんばかりにまじまじと真帆を見つめていた。
「ボケっとしてないで。……貴方がしっかりしていないでどうするのよ」
「あ、ああ。悪い。……そうだな。アーシャの事も心配だし、一旦戻るか」
「ええ」
もう拘束している必要は無いと判断したのか、真帆は海人の腕から離れ、いつも通りの距離を保ち横に並ぶ。
互いに顔を見合わせた二人は駆け足で。と言っても海人が本気を出せばあっという間に離れてしまう為、海人は真帆のペースに合わせて家路を急いだ。
幸か不幸か、道中は立ち止まる事なく真っ直ぐに、わき目も振らずに進む事が出来たが、待っていたのは望んでいない状況であった。
「……爺ちゃん?」
「海人か……」
竜堂家の前に立っていた者。それは海人の祖父、重蔵で、彼は海人達の姿を見るなり渋い顔を作った。
その表情からある程度察してしまい、けれどもそんな筈はないと確かめるよう海人は問い掛ける。
「まさか、アーシャは?」
「つい先程家を飛び出して行ってな。……妙な光を見た途端、止める間もなく出て行ってしまった」
「……っ!!」
入れ違いになってしまった。そう気づいた海人は自然と身体が動き、真帆の呼びかけも聞き終えぬまま今来た道へ引き返した。