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海賊ピーターパン  作者: 水澤しょう
12/14

Child? ~12~

 不凍港の集まるクォーツ・ハーバーには雪が降らない。


 だからと言って、聖なる夜に船着き場の桟橋に座り込んで杯を傾けるふたり組は稀である。


 そんな酔狂なことをやってのける先輩と後輩なのだ、自分たちは。


「あー。温まってきたー」

「……」


 有難そうに酒を啜るハチとは対照的に、黙って底の浅い杯に口付けるキョウ。飲んでいるのは、クリスマスのはずなのに、まさかの芋焼酎(いもじょうちゅう)。この湾において三変酒(シャンパン)葡萄酒(ワイン)は高級品であるし、麦芽酒(ビール)すらもちょっと高いと感じてしまうほどに、とある事情でキョウの懐は寒い。


「あー。なんか……いまいちよくわからない味ですけど、身体は温まりますね」

「酔うためだけの安い酒だと言いたいわけか」

「ちゃんとオブラートに包んでまーす」

「体裁だけでも否定しろよ」


 言いつつ、ハチが世辞なんか口にしたら惨めになるだけだと思い直し、キョウは深く溜め息を吐いた。本当に、どうしてこいつを連れてきてしまったのか。バレないうちに寮を出てこればよかった。


「同期とどこか飲みにいけばよかったのによ。何人かで金を出しあえば、少なくともこれよりはいい酒が飲めたぞ」

「僕は割り勘するより先輩に奢ってもらいたい派なんです」

「ちゃっかりしてんな」


 下衆いことを考える後輩へのクリスマスプレゼントはこの芋焼酎でいいか、などと適当に考えていると「そう言えば」と再びハチから声がかかった。


「黒帆の船の子供たちの行った孤児院に、この日にあててかなり上物のクリスマスオーナメントが、とあるハーバー保安官から大量に贈られたという噂を聞いたんですけど」


 ぶふっ、と芋焼酎を吹き出す。しまった、貴重な酒(安物だけど)を動揺で少し失った。


「孤児院全体を飾り付けられるくらいですから、相当の量ですよね。しかも上物。どこの優しい保安官ですかね」

「……」


「……」

「……」


「……え?」

「……」




「うわ、らしくなっ!」

「うるさい!」


 後ろにのけぞって大げさに驚くハチに、キョウは顔を紅くして怒鳴った。自分は本来酒に強いはずだが、今日だけは酔いが回っているということにしておく。


「あいつらは今までまともなクリスマスを送ったことがない! だからまず神がどうとか言う前に、形から入らせたほうが取っつきやすいだろ!」

「で、なるたけ綺麗なオーナメントを選んで贈ってあげたら、今度はキョウさんがまともなクリスマスを送れなくなったと」

「……」

「硝子製のとか高いですよねえ。キョウさん、ボーナスの何割が吹っ飛びました?」

「リアルな話をしたらお前は泣くぞ。俺が不憫すぎて」

「冗談ですよ。ありがとうございました」


 いきなりハチに礼を言われて、虚を衝かれたように固まる。

 しかし、キョウはああ、とすぐに思い直した。

 ハチにとって黒帆の船の子供たちは、何年経っても、知らない世代でも、慈しむべき弟妹なのだ。だから弟妹たちにクリスマスプレゼントを贈ったキョウに、兄として礼を言ったのだ。まったく律儀な男である。


「構わない。甥や姪みたいなもんだろ」

「わ、そう言ってもらえるのすごく嬉しいですね」


 彼らが甥や姪ならば、ハチも甥ということになるのだろうか。年齢的には弟のほうが違和感がないが、こんな出来た弟がいたら兄として嫌だな。キョウはそんなことを想像しつつ、ハチとともに小さく笑った。


「そうか……お前にとっては家族なわけだな」

「はい……」


 笑いながら、ハチは不意に黙り込んだ。杯を横に置き、膝をぎゅっと抱え、完全なる夜色に染まった海を見つめる。空と海の境目が緩く、水平線がまるでわからない。空に波が立っていても、海に星が浮かんでいても、誰も気に留めないだろう。


「……少し、身の上話をしてもいいですか?」

「奇遇だな。俺も聞きたがっていたところだ」


 ハチの過去について、キョウはあまり詳しくない。十六歳でハーバー保安官のの訓練生になるまでの数年間、製粉工場で身を立てていたらしいが、その程度しか知らない。話したくなったらそのうち自分から話すだろうと思っていた。

 そんな折だったのだ。





『十年前にピーターパンであった者です』





「そうですよね。気にならないわけないですよね。ほんとはあの事件の直後に話すべきだったんですけど」

「仕方なかっただろ。ここ一ヶ月、ゆっくり話す時間もなかったし」


 実際はあったのだが、ハチが意図的にその話題を避けているように見えたので、キョウのほうから言及することはしなかったのだ。


「僕は――喋れるようになる前にさらわれた口です。当然その時のことはまったく憶えていないし、本当の名前もエイトのはずがないんです。この世界のどこかで、僕の本当の両親が、僕のことを想って時々嘆いていたりしてたら、気の毒だとは思いますけど……それだけですね。探しに行こうとは思いません。知らない人なもんで、どうにも情が薄くて」


 有難そうに安い酒を啜るハチは、自分のことを話す時は冷やかなほど淡々としている。キョウは続きを促すように相槌を打った。


「島での暮らしは、平和でいいものでしたよ。井戸があったのが一番ポイント高かったですね。水は大事です。退屈だと思えば、本土に上がって悪さしたり。褒められたものじゃないけど、楽しかったです」

「……そうか」


 楽しかったです、という言葉にほんのり懐かしさが滲む。少年時代の温かい記憶は、いつまでも胸に輝くのだ。


「十二歳を超えた辺りから、急に背がぐんと伸び始めました。そこで悟ったんです――ああ、大人になっちゃうのか。残念――と」

「……」

「弟妹たちに知れる前に、僕たち最年長組は島から逃げ出しました。その時一緒に島を出た奴らが、今どうしているかはわかりません。……あの時、弟妹たちに『僕らは大人になる。本土に戻ろう』と言ってあげられたら、今回のような事件が起こるようなことも、当然なかった。でも言えなかった――自分の育った場所を守ってほしいという、無責任な願いがあったんでしょうね」


 そしてそれは、恐らく島を出ていく子供たちみんなの願いだ。


「本土に上がって、僕は住み込みで製粉工場に勤め始めました。そこでの生活はひどいものでしたよ。工場長は横暴で、先輩はだらしなくて自分のミスをこちらに押しつけてばかり。――いつも思っていました。『こんなところ、いつか絶対に辞めてやる』って」


 淡々と語っていたハチの目に、一瞬炎のような強い光がちらついた。楽しかった記憶より、苦しかった記憶のほうが、人の頭にこびりつきやすい。そういうことだ。


「十六歳になって、クォーツ・ハーバー保安官の訓練生になりました。その時の教官が、僕にとって初めて尊敬出来た大人なんです。誰だと思いますか?」

「ダンさんだろ」

「なんで知ってるんですか!」

「お前の上官としてそれくらい知ってる」


 キョウの下にハチがついたばかりの頃、ダンが直接教えてくれたのだ。それから彼女はたびたびキョウの前でハチの名前を出すようになった。なかなかのお気に入りであるらしい。


「尊敬出来る大人にたくさん出会ったんだろ。その中の一番目があの人なのは、結構な幸運だと思っていいんじゃないか」

「そうですよねー……。他にも寮母さんとか、ラピス・ポートで一番古い魚屋の店主とか、食堂のおばさんとか」


 次々と嬉しそうに挙げていくハチ。キョウはそれを見て、カズホたちにも、このくらい多くのの大人を「すごい」と思ってほしい、と酒を啜りながら考えた。



「――それから、キョウさん!」

「は?」



 突然出てきた自分の名前に、キョウは持っていた杯を取り落としそうになる。危うく貴重な酒(安物だけど)を二回も無駄にするところだった。


「キョウさんは、真面目で硬派でかっこよくて、出会った時から僕の憧れです! なんだかんだ言いつつ面倒見もいいですし――」


 ハチは言葉を切って、抱え込んだ膝を解いてあぐらを掻いた。腿の辺りに肘をつき、海からキョウへと視線を移す。


「――子供たち相手に、あそこまで真摯に向き合ってくれました」

「……」


 なんと返していいのかわからず、不自然に目を逸らす。真面目、はただの性格。硬派、は顔が老けていて怖いだけ。かっこいい、は幻想。すべてがハチの過大評価。やや顔が熱いのはやはり酒のせい。


 真摯、というのも少し違うと思う。子供扱いせず、対等な立場で話しあい、それがハチの目には真摯に映っただけの話。


「大人は、港に置いていこうと思っていました。黒帆の船の子供たちは、大人相手に頭ごなしに否定されるとものすごく頑なになる。増援を待たなかった理由はそこにあります。キョウさんさえも置いていくのはちょっと怖くて、直前まで悩んだんですけど、結果的に一緒に乗ってもらうことになりましたね。ただ、子供たちに対して頭ごなしに説教を始めたら、強制的に黙ってもらおうと思ってました」

「おい」

「わかってます――侮っていました。そして自惚れていました。僕ひとりでは、絶対に子供たちを連れ帰ることは出来なかった……ごめんなさい」

「よせ。クリスマスにそんな辛気くさく謝る奴があるか」


 杯を傾けながら早口で謝罪を突っぱねると、ハチはきしし、とさもおかしそうに笑った。


「キョウさんのそういうところ、また尊敬出来ちゃったりするんですよねえ。惚れ惚れしちゃう」

「おだてたって、お前の給料を上げる権限は持ってないから無駄だぞ」

「別に狙ってませんよ。――そうですね。じゃあ謝りついでにもうひとつ」


 そう言うとハチは、あぐらから正座に座り直し、身体ごとキョウに向いた。呆気に取られているキョウがその目を覗くと、そこに酔いの色は一切なかった。気持ちよく酔っ払っているように見せかけての素面(しらふ)。なんと(たち)の悪い男か。


 ハチの飲み方不信に陥っていると、彼が突然、がばっと頭を下げてきた。額を桟橋にぶつけそうな勢いに、キョウは言葉を失い、とりあえず杯を置く。





「――七つ下の弟、ダイが本当に申しわけないことをしました。兄として代わりに謝ります」

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