Child? ~13~
どくん、と心臓が一際大きく脈打つ。キョウは膝の上に置いていた左手を無意識に横に下ろした。桟橋と、手袋越しの金属がぶつかって、音を立てる。ことん。
「あいつは昔から頭がよくて仲間想いな奴でした。島にいる仲間のことをいつも一番に考えていて――反面、島の外の人間の気持ちには人一倍疎かったんです。大人でも『痛い』と感じることがあるんだということを、知らなくて」
「知らない、ということは悪気がない、ということだろ」
ぐ、と黙り込むハチ。恐らくキョウの心意を探っている。今の一言は、自分でも少し驚くほど色のない、落ち着いた響きを持っていた。
「ちょうどこの港だったな」
「……」
ただの『遊び』だと断言したダイの心境が、今になってなんとなくわかる。
彼にとって、キョウを負傷させたことは、本当に『遊び』の一環に過ぎなかったのだ。それこそ、子供が昆虫の羽根や脚をもぐのと変わりないような。
「まあ、『遊び』にしては手際がよすぎたのが多少気に食わないが」
三年前の夏。船着き場の巡廻をしていたキョウは、突然横の船の甲板から飛び降りてきた人影に対処することが出来なかった。
とっさに左腕で頭を庇う。そこに刃で全体重をかけられたのが、キョウの左腕が子供に奪われた理由だ。
『ピーターパンの手にかかれば――ね?』
痛みに悶え、桟橋に転がるキョウ。それを見下ろしながら少年が問う。
『どうしてこういうことするんだと思います?
遊びですよ。あ・そ・び』
「……利き腕が残ったことが、不幸中の幸いだな」
激痛で霞む視界の中、キョウは屈託のない笑顔を見た。
「……頭、上げろ。端から見たらどんな光景に見えると思ってるんだ」
キョウにそう促され、ハチはゆっくりと顔を上げた。神妙そうな顔は、この男には甚だ似合っていない。
「確かに、許せなかったり、たまに夢に出てきたりもしたが――まあ、子供のやったことだ。それにやった本人はもう死んじまってるんだろ。人間、死んだらみんな仏だしな」
右手を伸ばし、ハチの頭をぽんぽんと叩く。ふわふわの猫毛が手に心地よい。
「……お前は弟を失ってる。俺はそのほうが可哀そうだ」
「……キョウさん、ほんっと器広いですね。むしろ嫌になりますよ」
「なんでだよ」
場にそぐわない憎まれ口を叩きつつ、ハチはキョウの手に甘んじた。
つらそうに目を伏せ、口元をぎゅっと引き結ぶハチ。もしかして、こいつは泣くんじゃないかとキョウはやや狼狽えた。
ハチが泣いたところは、一度しか見たことがない。自分がダイに襲われて、病院に運ばれた時、見舞いに来て泣いたのだ。
あの時のハチは、キョウが負傷したことだけが悲しかったわけではない。弟が事件を起こしたということが、きっと一番悲しかったのだ。
「……お前は充分傷付いたよ。だから、いまさら泣いたりするな」
そう言って手を離すと、ハチはふい、と顔を海に向けて「泣いてません」と鼻をずずっと鳴らした。
可愛くないな、と小さく笑いながら、キョウは再び杯を手に取った。どうにも暗い空気になってしまった。仕切り直しである。
「ハチ、この芋焼酎空けたら麦芽酒買ってきていいぞ」
「ほんとですか! キョウさんお財布の中身は?」
「二本くらいどうにでもなる……多分」
「やった! キョウさん、どこまでもついていきますよ!」
「現金な奴だな」
そう。明るく現金にしていてこそ、キョウの可愛くてつかみどころのない後輩である。
っていうか、とキョウは夜空を仰いで口を開いた。
「ハチは俺を『尊敬出来る大人』のひとりに選んでくれたが、俺とお前は、実は二歳しか離れていないんだぞ」
「あ、そういえばそうでしたね。キョウさん老け顔なんで忘れてました」
「殴るぞ」
「すみません。……そっか、大人ですか。僕ももう、とっくに大人なんですよね」
淋しげに呟くハチが、誰へともなく問う。
「僕自身も――尊敬される大人になれますかね?」
キョウは答えを知っている。なぜなら、この前直接カズホから聞いたからだ。
なれる、ではない。
「なってるさ」
ハチが驚いたようにキョウに向く。キョウは平然とした顔で酒を啜っていた。
断言出来た理由を、ハチがここで知ることはない。
しかしハチは、やがて視線を海に戻すと、また膝を抱え込んで、嬉しそうに微笑んだ。
「そうですか」
「時にハチ」
キョウは突然改まったように居住まいを正すと、からかいの色を含んだ声でハチに問うた。
「今宵は聖なる夜なわけだが、どうして先輩なんかと桟橋で飲んでるんだ? 可愛らしい彼女と街へ繰り出したりしないのか?」
「……デートはふたりでするものですからね」
「素直に相手がいないと言えばいいのによ」
「キョウさんこそ、」
ハチも居住まいを正し、やや芝居がかった声でキョウに問う。
「聖なる夜に一緒に食卓を囲むご家族はどういたしました?」
「……結婚はふたりでするものだからな」
「素直に相手がいないと言えばいいのに」
「……」
「……」
互いを虚しくからかい合い、盛大な溜め息を吐いた後、なんだかおかしくなってきてしまって吹き出す。
今年も、キョウとハチに女の気配はない。
「来年は彼女くらいつくっていような」
「お互いにいい大人ですからね」
ハチの一言に、キョウは深く頷いて、ともに笑った。
空と海は完全なる夜色で、空には星が浮かび、海には穏やかに波が立つ。
そうして、桟橋の男やもめ同士の夜は更けていくのであった。




