第11話 レナードと命懸けの炭鉱
ボートンに行く日になっても、サミュエルは帰って来なかった。
彼を待ちたい気持ちを押し殺して、モニカはレイクフォード・ハウスをあとにした。
蒸気機関車に乗り、駅からは辻馬車に乗って、モニカは昼さがりにボートン・ホールの正門前に着いた。
ダミアンに返済を待ってもらえなかったらどうしよう。彼がどう出るのか、分からない。
モニカはダミアンの住むボートン・ホールの屋敷を見ながら、しばらく立ちすくんだ。
言い争う声が聞こえた。すぐ左手にある番小屋からだった。
どうせ、いつもの取るに足らない喧嘩だろう。
早足で番小屋に向かうと、案の定サラとレナードが建物裏手の小さな菜園で、向き合って口論をしていた。
「サラ、レナード?また喧嘩なの?」
モニカが旅行鞄を地面に置いて声をかけると、二人の青い目が同時にこちらを向いた。
モニカはつい微笑んだ。
「モニカ!」
サラがニンジンの菜園を飛び越えて、モニカにすがり付いた。
「もう帰らないかと思ってた!」
サラが泣き出しそうな声で言った。
妹がそう思うのも当然だった。
当初、モニカは日帰りでボートンに帰る予定だったのだ。
「お父様も、モニカはもう戻らないんじゃないかっていうし……」
父の予想が当たっている事を、いずれサラにも伝えないといけない。モニカは強い後ろめたさを感じながら、サラの金褐色の髪を撫でた。
「明日の返済はどうするの?」
レナードが帽子のつばを下げて、とげとげしく言った。
「ダミアンに相談に行くつもりよ。そのために帰ってきたの」
「……さすが、ご立派なお姉様だよ」
レナードは彼女を横目で見ながら、鼻をならして土を蹴った。
モニカは足を大きく開いて細い腰に両手をあてた。
今日のレナードはえらく突っかかってくる。反抗期に付き合う余裕はないのに。
「レナード。何なの? サラとも言い合っていたし……」
「レナードがバドリー鉱山で働くって言うの」
サラが爪を噛みながら言った。
「バドリー鉱山……バドリー鉱山!? あそこで働くですって!?」
彼女が近づくと、レナードは顔をしかめて後ずさりをした。
「なんで、どうして……」
モニカは体をこわばらせながら、レナードの顔を鋭く指差した。
「この前も爆発事故を起こしたのよ!あそこでどれだけ人が亡くなってきたか知っているでしょう?絶対に許さないわよ!」
自分だけは大丈夫だとでも、思っているのだろうか。
ボートンからバドリー鉱山に出稼ぎに行く労働者達。使い捨てにされるかのように、鉱山内の事故で死んでは補充されていく。
バドリーの炭鉱が、頻繁に爆発や落盤を起こしているのは有名な話だった。
レナードはぶつぶつと何かを言うと、壁にたてかけた釣り竿とバケツを取った。
「レナード!待ちなさい!」
「無能扱いするな。僕にだってウェルズ家の男に生まれた誇りはあるんだ。モニカがいなくても家を守ってみせる」
「レナード!クライン・カレッジはどうするの!」
レナードは彼女を見ながら煽るように笑った。
「……断ったよ。もしかして、通わせてくれるつもりだったの?」
レナードが門から出ていった。
モニカは大きくふらついた。ぐるぐると、ひどい目眩がしてきた。
「ねえ、モニカ。 クライン・カレッジって?」
「……レナードはクライン・カレッジに合格していたのよ」
サラが目を見開いた。
「鉱山のことをお父様は知っているの?」
サラは手を強く揉みながら、首を左右に振った。
「レナードは明後日にも行くっていうの」
「そんな……急過ぎるわ……」
「レナードは……モニカはもうここの人間じゃないんだって言ってた」
サラが靴のつま先で土を掘りながら、ちらちらと視線をよこした。
モニカは鞄の上にへたりこんだ。
私がリーデンで浮かれている間に、レナードは、必死にお金を何とかしようとしていたのだ。
きっと見捨てられたと思って……
クリストファーはロッキングチェアに座り、静かに眠っていた。一層顔色が悪くなった気がする。
モニカは足元に滑り落ちていたひざ掛けを取り、クリストファーの痩せた脚に被せた。
「モニカ……? 」
クリストファーが薄目を開けてしわがれた声をだした。
「ただいまお父様」
モニカはいつものようにクリストファーの頬にキスをした。
頼もしかった昔の父に、会いたくてたまらない。
クリストファーは眉を寄せてゆっくりと体を起こした。
「もう、帰ってきたのか……。公爵は、大丈夫なのかい?」
「ええ、もうすっかり良くなったわ」
「そうか……」
再び体を倒して目を閉じたクリストファーを、モニカはじっと見つめた。
「……あの、あのね、お父様。私、実はサミュエルと……サミュエルとやり直すことになったの」
モニカは手を胸の前で固く組んだ。
アビゲイルの家庭教師が出来なくなる。
気分はまるで罪の告白だった。
なのにクリストファーは、ぱっと目を開けて、顔を輝かせた。
「やっぱりそうか!そうじゃないかと思ってたんだ」
クリストファーはモニカの手を取り、手の甲を軽く何度も叩いた。
「よかった。よかったな、モニカ。お前の思いが報われたんだ」
「お父様、ごめんなさい……みんなを差し置いて私……」
「何を言うんだ。お前は元の場所に戻るだけだ。私達のことは心配しなくていい」
クリストファーの心の底からの笑顔。モニカは思わず目をそらした。
現実から逃げてしまった父。
どうお金のやりくりをしているのかも、分かってない。
まだ売れるものがあるとでも、思っているのだろうか。
モニカは父の部屋のドアを静かに閉めた。
父にレナードの話はしなかった。
父が大切に育ててきた跡継ぎのレナードが、お金のために自分の命を危険にさらそうとしている。
今の父にそんな話、とてもできなかった。
モニカは寝室の床に鞄をどさりと置いた。
正面の窓から見えるボートン・ホール。
レナードも以前はあそこで、ウェルズ男爵の後継者として、かしずかれながら暮らしていた。
昔のまま威厳を放つその姿が、彼女の胸をキリキリと締め付けた。
レナードが炭鉱に行くことを止められなかったら……
変わり果てた姿のレナードが頭に浮かんで、体が激しく震えた。
家族の誰も、私がサミュエルに援助を求めないことを責めない。
私がサミュエルに相談してさえいれば、こんな事にはならなかったのかもしれない。チャンスは何度もあったのに、打ち明けることから、逃げてばかりいた。
「……サミュエル」
遠くを見ながら、助けを乞うようにサミュエルの名前を呼んだ。
あんなに隠したかった借金のこともなにもかも、今はサミュエルにさらけ出してしまいたかった。
今からリーデンに帰ろうかしら。彼が戻ってきているかもしれない……
時計を見ると、帰ってきてから二時間以上が過ぎていた。
田舎のボートン。もう終列車の時間は過ぎていた。
腕を掻きむしりながら、モニカは心の中で激しく自分を罵った。
ため息をもらして顔を上げると、デスクの中央にブリキの小箱がポツンと置かれていた。
指輪を入れたままだった。
今回ボートンに帰ってきたのは、指輪のためでもあったのだ。
モニカは小箱を取り、蓋を開けた。
中に敷かれたハンカチの上には結婚指輪一つしか無い。
ゴールドの結婚指輪を取り出して荒っぽく指にはめると、モニカは中のハンカチを取り出して振った。
間違いなくブルーサファイアの婚約指輪も入れていたのに。
モニカは部屋中をあさり、這いつくばって指輪を探し回った。それでも指輪は見つからなかった。
ひっくり返されてめちゃくちゃになった部屋。モニカは流れる顔の汗を手でぬぐった。
あの指輪は、大切な公爵家の家宝、サミュエルの妻の証なのに。




