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白い結婚の溶ける日──公爵の隠された狂愛──  作者: あおき華


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第1話 夫からの呼び出し

────母と不倫相手の密会を見てしまったのは、私が六歳の時だった────




1886年、ウェールランド リーデン

 レイクフォード・ハウス


 レイクフォード公爵家の当主夫妻が、代々使ってきた主寝室。

 大きく重たい両開きのドアを開けて、モニカはその晩初めてそこに足を踏み入れた。


 すっかり暗くなった窓の外から、招待客たちの賑やかな声、帰路につく馬車の車輪と蹄の音が聞こえる。


 午前中の結婚式から、長い一日だった。


 先に来ていたサミュエルは、ベッドに座ってじっとこちらを見ている。


 モニカはしずしずとベッドに向かい、サミュエルの隣に座った。彼は待ちかねたように、彼女を強く抱きしめてキスをした。


 夫婦になって初めての夜。

 満面の笑みのサミュエルの頬には、くっきりとえくぼが出ている。


 この、素敵な男性は幻で、すべて夢なのかもしれない。


 モニカは手を伸ばして、そのくぼみにそっと触れて撫でてみた。

 サミュエルの輝くような笑顔が徐々に消えた。彼は苦しそうにうめきながら、モニカの手に頬をこすり付けた。

 

 胸が痛いほど疼いた。どこまで彼に近づいても、まだ足りない。そんな気がした。


 サミュエルが青いガウンと白いナイトシャツを脱いだ。モニカは頬を染めて、裸の夫から目をそらした。

 彼女のドレッシングガウン、ナイトドレスもあっという間に脱がされてしまった。


 壁際の鏡台の三面鏡には二人の姿が映っている。


 モニカは息を止めた。

 一瞬、鏡に映る自分が、男と密会していたあの時の母そのものに見えた。


「サ、サミュエル。わたし──」

「モニカ……綺麗だ。……本当に綺麗だ」

 サミュエルがささやきながら覆い被さってきた。


 血の気の引いた顔で、モニカは首を横に振った。彼は気づいていない。


 耐えきれずに、モニカはサミュエルを押しのけた。いぶかしげな様子の彼に、何も説明ができなかった。



 翌朝、モニカは扉を閉めた鏡台の鏡に、さらに布で覆いをかけた。それでも前日の記憶が脳裏によみがえり、その夜もまたサミュエルを拒絶してしまった。


 新婚三日目の夜、サミュエルはとても不機嫌だった。苛立たしげにサミュエルが裸になると、モニカはベッドで嘔吐した。


 サミュエルは膝立ちのまま、呆然として固まっていた。彼女が頬に手を伸ばすと、サミュエルは弾かれたように離れた。

 

 背を向けて、何も言わず服を着始めたサミュエルを、モニカは目を赤くして見つめた。


 再び振り返ったサミュエルの顔には表情が無かった。モニカはサミュエルの、背筋が凍るような冷たい敵意をひしひしと感じた。


 別の部屋で寝るようになったサミュエル。

 半年後、モニカも寝室を移った。


 もぬけの殻となったレイクフォード・ハウスの主寝室。

 最後に目にしたその部屋には、静けさと、重い空気が漂っていた。


 



1889年、ウェールランド ボートン

 ボートン・ホールの番小屋




 その日は二通の手紙が届いた。

 

 一通はクライン・カレッジからの合格通知だった。

 モニカは目を見開いて、封筒を見返した。浮き足立っているせいで、うっかりレナード宛ての手紙を開けてしまったようだ。


 弟が国随一の名門校を受験していたことに、モニカは全く気が付いていなかった。


 本当に凄いわ。いつの間に勉強していたのかしら。

 遊んでばかりいると思っていたレナードが、将来の事を真剣に考えていたなんて⋯⋯

 

 モニカは胸に合格通知を当て、何度も何度もうなずいた。そしてすぐに、はっとした。


 学費はどうするの?

 

 王族も通うパブリックスクール──クライン・カレッジ。学費は安くないはず。


 モニカは額をおさえ、遠くを見つめた。家計は借金の返済で火の車だ。


 約百五十年前、当時の国王に下賜されて以来ずっとウェルズ男爵家が守ってきた、所領ボートン。モニカが公爵家に嫁いで首都リーデンに居る間、父は借金の為にそのほとんどの権利を失っていた。


 売れるものは全て売った。

 モニカは簡素な古着を手に入れると、持っていたドレスさえも売り払って、お金に変えてしまった。


 最後には住んでいた屋敷、ボートン・ホールも失った。

 ボートン・ホールに昔からあった番小屋。モニカと家族はいま、そこにお情けで住まわせてもらっているのだ。


 モニカは合格通知を封筒に戻し、机の上に置いた。

 レナードと話をしないといけないわ……

 


 大きく深呼吸すると、モニカは膝の上に置かれたもう一通の封筒に、じっと目を落とした。


 ずっと連絡の無かった彼から、とうとう便りが届いた。


 手紙は夫、第十四代レイクフォード公爵サミュエル・マレットからだった。


 モニカは封筒に書かれたサミュエルの美しい筆跡を、震える指先でなぞった。

 何でもそつなくこなすのは、公爵家の英才教育のたまものだろう。


 汗ばんだ手でペーパーナイフを持ち、封を切った。



───君の不貞行為と離婚について、話し合いの場を設けたい───


 モニカは書かれている内容が理解出来ず、何度も読み直した。君の不貞行為?そんなことしてないわ。


 サミュエルが離婚を望んでいる。その事だけはよくわかった。


 猫の様につぶらな黒い瞳から、輝きが消えた。


 彼を責めることは出来なかった。




 サミュエルの冷たい態度に耐えられずに、リーデンの屋敷を出たのはモニカだった。


 距離を置いたら、サミュエルの気持ちも変わるかもしれない。一からやり直せるかもしれない──そんな期待もあった。

 

 結局サミュエルに放置されたまま、のこのこと公爵家に帰ることもできず、一年が過ぎた。

 

 すれ違い、仮面夫婦だった3年2ヶ月の結婚生活は、もうすぐ終わってしまうのだ。


 左手を前に伸ばし、薬指をじっと見つめた。ゴールドの結婚指輪の上に重ねた、公爵家に伝わる大きなブルーサファイアの婚約指輪。

 

 モニカはしばらく考え込んだあと、意を決して二つの指輪を抜き取った。


 サミュエルは私に指輪をつけてもらいたくはないだろうし、いまだに着けてるなんて思ってもいないはずだ。


 



 夕食の下準備を終えた後、モニカは同じ敷地内にあるかつての住まい、ボートンホールに歩いて向かった。


 気が乗らなくても、仕事には行かないといけない。


 屋敷の正面玄関に着くと、小さくため息をついてベルを鳴らし、執事を待った。


 近くで銃声が響いた。小鳥が飛び去っていった。

 ダミアンがまた、コレクションの銃の試し撃ちをしているのだろう。


 ボートン・ホールの新しい所有者、そして借金の債権者でもあるダミアン・カートライト。


 彼は分散していた男爵家の借金をまとめて立て替えてくれた。男爵家を助けてくれる彼にモニカは頭が上がらなかった。利子も、番小屋の賃料もいらないと言うのだ。

 そして彼は、娘・アビゲイルの家庭教師としての仕事をモニカに与えてくれた。


 執事が玄関ドアを開けると、モニカは重い足取りで、昔の自分の部屋、現在のアビゲイルの部屋へと向かった。




「はあ、つまんない」

 アビゲイルは机の本を床に払い落とした。


 もう何度目かしら。


 モニカは屈んで本を拾うと、再びアビゲイルの前に置いた。


「そんなこと言わないで。ほら、ここからまた声に出して読んでちょうだい」


 アビゲイルは口を尖らせて、横目で睨んできた。


「読まなくても分かるわよ、こんな話。戦って勝って終わりでしょ?私は女よ。そんなの興味ないわ。お姫様と王子様が出てくるお話はないの?」

「この前はお姫様のお話は飽きたと言っていたでしょう」


 モニカはこわばる顔に、何とか笑みを浮かべた。アビゲイルは、言葉の読み書きが苦手だが、勉強する意欲なんて無い。簡単な本を読ませるだけでも大仕事だ。粘り強く言い聞かせないといけない。


「ねえ、モニカ。あなたの旦那さんってどんな人?どうして一緒に暮らさないの?」


 アビゲイルは頬杖をつきながら、ニタニタと笑った。モニカは静かに目をつむった。

 相手は8歳の子供よ。


「今日はあの派手な指輪をしてないのね」

 アビゲイルが首を伸ばして目を見開き、モニカの手を覗きこんだ。


 モニカは左手を右手で隠して、掛け時計に目をやった。

 あと三十分もあるわ⋯⋯


「お歌の授業にしましょうよ。モニカ、歌ってよ。あなたの歌は好きよ」

 アビゲイルが名案だと言うように、手を叩いて顔を輝かせた。


「今日はだめよ」


 ドアがノックされた。モニカはわずかに体をこわばらせた。

 アビゲイルの父ダミアンがにこやかに入ってきた。


「やあモニカ。調子はどうだい?」

 ダミアンはゆったりと椅子に座り、足を組んだ。

 隙のない装い。自信に満ち溢れた振る舞い。とても、労働者階級だったとは思えない。


「ダミアン。いつも通りよ」

 いつも通り酷いものよと、心の中でつぶやいた。


「パパ!あたしもいるわ!」

 アビゲイルは机をバンと叩いた。


「ああ、分かっているよアビゲイル。いい子でいたかい?モニカを困らせてはいないだろうね?」


「当たり前じゃない!」

 アビゲイルは人形のように縦に巻かれた髪を、両手で大きくなびかせた。


 モニカはうつむいて、こめかみをぐりぐりと揉んだ。


「今日の勉強はここまでにしよう。アビゲイル、素敵な帽子を買ってきたんだ。下にあるから見てきてごらん」


 アビゲイルは椅子を倒す勢いで立ち上がり、部屋を飛び出していった。


 ダミアンは前かがみになり、内ポケットから首飾りを無造作に取り出した。

 雑な扱いのわりに、とても安物には見えない。


「僕のレディにはこれを」


 モニカは、手のひらをダミアンにむけ、かぶりを振った。

「だめよ。貰えないわ」


 ダミアンは立ち上がり、有無を言わさずモニカに首飾りをつけた。ゴールドの石座にはめ込まれたエメラルド。それがいくつもつなぎ合わされて、輪になっている。


「ちょっとしたお礼だよ。アビゲイルを教えるのは大変だろう?母親のいないあの子を、僕は甘やかしてしまったから」


 モニカは戸惑いながら、胸元の首飾りを手のひらに持ち上げた。


 売ったらいくらになるのかしら⋯⋯

 手を傾けて、その煌めきを眺めた。


 首飾りをくれるより、借金を減額してくれる方が、どれだけ嬉しいか⋯⋯


 モニカはぐっと唇を噛みしめて、丸めた姿勢を正した。


 今でもかなりの融通を利かせてもらっている。

 家庭教師としては破格の報酬も、ダミアンの温情ゆえなのだ。

 これを売ったりなんてしたら、ダミアンを怒らせてしまうわ。


 ダミアンはボートンで鉄鋼会社を経営している。投資家でもあった。

 もとはボートンハウスに出入りする、職人の息子に過ぎなかったダミアン。彼は十代の初めの頃から鉄鋼工場に出稼ぎに行き、貯めたお金で自分の会社を立ち上げたのだ。


 昔の領主と領民という上下関係はすっかり逆転してしまった。モニカはダミアンから得た賃金で、ダミアンに借金を返している。

 没落しきったウェルズ男爵家の生活は、今やダミアンの一存次第なのだ。


「公爵から何か連絡は?」

 ダミアンが軽い調子で尋ねた。


 何度も聞かれてきたこの問い。これまでの答えは常に "ないわ" だった。

 ダミアンは、今日も同じ答えを待っている。


 馬鹿にされたものだわ。


 モニカは壁の油絵に近づいて、興味のあるふりをしながら少しだけ得意げに言った。

「今日、手紙が届いたの」


 手紙の内容を思い出して、少し目が熱くなった。



 肌がヒヤリとするような沈黙が流れた。


 こわごわ振り返ると、ダミアンは両手を腰に当てて絨毯を睨みつけるように見ていた。


「何て?」

 やけに低い声。


「あ、ええと、その、話しがしたいって……」

 モニカはやたらと細かく手足を動かしながら答えた。


「今更何を話すんだろうね」

 ダミアンは首を傾け、射抜くような視線をモニカに向けてきた。


「さ、さあ⋯⋯。分からないわ」


 モニカが目を泳がすと、ダミアンは腕を組み、足で床を踏み鳴らした。

「やり直すのか、完全に別れるのか……」


 詳しく話す気にはなれなかった。


 ダミアンは友情以上の関係を求めている。鈍いモニカにも、最近ようやく分かってきた。

 愛の無い、割りきった関係を好むダミアン。まさか自分がターゲットになる日がくるとは、思わなかった。


 ダミアンがスリットポケットに両手を入れて、絨毯の上をゆっくりと歩き始めた。まるで、野生の獣を見ているようだ。

 モニカは思わず両腕を抱えた。


「そ、それで、リーデンに行きたいの。来週の月曜の仕事は休んでもかまわない?」

 モニカはダミアンの背中に早口で尋ねた。


「君は嬉々として、公爵に呼び出されるというわけか……」


 ダミアンは振り返り、足音もなく近づいた。

 モニカが後ろによろめくほど、ダミアンは彼女にせり寄った。


「ああ、別にかまわないよ。君がそう決めたなら」


 ダミアンはたじろぐモニカの首飾りを優雅に持ち上げ、手綱のように強く引いた。

 冷たいエメラルドと金が、モニカのうなじにきつく食い込んだ。


「ダ、ダミアン……?」


「楽しい旅を、モニカ」

 ダミアンはにっこりと微笑んだ。そしてごみを捨てるように、首飾りからパッと手を離した。

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