最終話 私の物語のエンディング
『ここが…ホワイト・クロニクルの世界?』
ああ、まさか大好きなファリオンと同じ世界に来られるなんて。どうやったら会えるだろう?
『二人の時だけでいい。シェドと呼んでくれないか?』
生まれて初めて告白が、まさかの義兄からだなんて……
恋愛対象として見ていなかったとはいえ、男の人に好きだなんて言われるのは、やっぱりドキドキしちゃうな……いかんいかん。私はファリオン一筋!
『僕はヴィンリード・メアステラ。よろしくお願いします、アカネ様』
まさか未来の魔王を拾っちゃうなんて……!ファリオンの近くに行けるようにってユーリさん言ってたのに、なんで出会うのがヴィンリードの方なの!?
『アカネは笑ってる方が可愛いよ』
どうしてダンスを踊れるのとか、そんな疑問が吹き飛ぶような甘い言葉に、笑み崩れてしまう。ああ、その優しい笑みはきっと、私が会いたかった人のものだ。……いやいや、彼はヴィンリードであって、ファリオンじゃない。落ち着け私。
『アカネちゃんは、立派ね。私の誇りよ』
まさかあのお姉様が私のことをそんな風に思ってくれてるなんて。よかった。これからは仲良くできそう。
『そんなに言いたくないんですか?ずっとアカネが想い続けているっていう男が誰なのか』
なんでリードがこんなに迫ってくるの!魔王相手に勇者の話なんてできないでしょ!だけどもしかしてリードが実はファリオンだったり……いやいや、そんなの気のせいだよね。だってどう見てもリードはリードだし………もしファリオン本人なら、余計言えないよ。
『参りました、お見事です。アドルフ様』
ああ、このシーン知ってる。ファリオンが接待試合するやつだ。やっぱり……リードはファリオンなんだ。
『リードは私に、何を求めてるの?』
そう口にして、後悔した。いや、知りたいのは本音だった。彼は、私との関係をどうしたいと思っているのか。私はずっと気付かない振りをしていないといけないのか。本当はすべて打ち明けたい。私は貴方を知ってる。貴方が大好きだって。だけどそれは……彼を追い詰めることになりはしないだろうか。
『俺はずっと、アカネ様の奴隷です』
……ファリオンが、いや、リードがそれを望むなら、私は彼の主人でいよう。
それでいい、そのはず、だから。
『今更惚れても遅いぞ。もう契約は終わりだ』
有難う、アドルフ様。予想外の始まりだったけど、あの時、間違って踊ってしまったのが貴方で良かった。
『ロッテは嬉しいですわ。お友達と一緒に生活できるだなんて夢のようですもの』
困ったなぁ。困ったんだけど、こんなこと言われると可愛くなっちゃうなぁ。原作の苦手意識を捨てたら、仲良くなれるかな?
『ファリオンは……俺だ!』
『知ってるよ!馬鹿ファリオン!』
その言葉をどれだけ聞きたかったか。その言葉を聞く勇気がないまま、こんな大事にまでなってしまった、自分のふがいなさも悔しい。
『アカネ・スターチス嬢。俺と結婚してください』
これは本当に現実だろうか。……なんか今、背景にエンドロール流れてる気がする。
『私は真実を知りたいだけだ。世界の理に触れる、それは神話と一体化すること。その崇高な目的の前に、金銭など些末なこと!』
ダメだ、この人とは根本的に理解しあえない。話が、通じない……
『運命を変えたければ、勇者にお会いなさい』
勇者に?ファリオンにもリードにももう会ったのに。いったい、誰に会えって言うの?会ったら、運命はどういう風に変わるんだろう。
『ダメだアカネ!抜くな!』
え、ナニコレ。聖剣が抜けてる?当たり前だ。私が抜こうとしたんだから。あれ?でも抜こうとしても抜けないのが聖剣のはずで。聖剣を抜けるのは勇者だけのはずで……あれ?勇者って……私?
『万が一のことがあれば、私が魔王を討ちます』
こんなこと、口にしたくなかった。けれど、私以外の誰かが口にするのはもっと嫌だった。その万が一が起きないように、ファリオンを守らなきゃ。
『……バカでもいいから。お願い……』
きっとこれはいろんな人を振り回す我がままだ。そう分かっていても、わずかな望みが残っている限りあがきたい。まだ、諦められない。
『この迷宮は俺達の城だ。外は俺達の庭。お前を貶める奴も煩わせる国も俺が全部滅ぼして……永遠に守ってやる』
全部滅ぼして、それからどうなるっていうんだろうか。二人だけの世界で、それでファリオンは幸せなの?私はそんな結末を迎えるために、この世界に来たんだろうか。
……この世界?そうだ、私……何かを忘れてる。
=====
「茜、お弁当」
「ありがとう」
お母さんが差し出した包みを受け取り、カバンの中に入れる。
「今日は汁気のあるものないよね?」
「ないわよ。しつこいわねぇ。一回汁漏れしたくらいで」
「カバンに染み付いた匂い、なかなか取れなかったんだからね」
「文句があるなら自分で作りなさいよ。高校生にもなっていつまでお母さんだよりでいるつもりなの」
何度言われたか分からない言葉に唇を尖らせた。口を噤むのは、正論だと思ってしまうからだ。勉強や部活で私だって忙しい。でも、お母さんだって家事や仕事で忙しい。もう少し、お手伝いをすればよかった。
お父さんが私の横を通りすぎて玄関へ向かう。
「茜。この時間の電車を逃すと混むぞ。急ぎなさい」
「……はあい」
お父さんは、しょっちゅうこんなことを言ってきたっけな。口数の少ないお父さんの口癖だと思っていたけれど、今にして思えば他に何を話せばいいのか分からなかったのかもしれない。私から話しかけることも多くなかったし。もっと話しかけてたら、何か変わったのかも。
「雨はもう止んでるみたいだけど、たぶん夕方にはまた降るから、傘を忘れないようにね」
「うん」
お母さんの言葉に頷き、靴ベラを使って革靴を履くお父さんの隣で、かかとのすり切れた靴を履く。扉を開ければ、まぶしい朝の陽ざしが差し込んできた。鼻をくすぐる匂いは、雨上がりのアスファルトの匂い。酷く懐かしい、その香りを吸い込んで、私は振り返った。
「どうしたの?」
「……」
お母さんもあと十分もすれば仕事に向かうはずだ。いつもならもっとあわただしく準備をしているはずなのに、私を見送ろうとしてか、玄関まで来てくれている。いつも足早に私より少し先に出て行くはずのお父さんも、靴を履いたっきり私をじっと見ている。
「お母さん。お父さん。……ごめんね」
思わず口からそんな言葉が滑り出た。どうしてなのかは、わからない。
「……独り立ちが、早かっただけだろう」
ポツリとお父さんがつぶやいた。
「あの時捨てた本が、それほど大切なものだったんなら、悪かったわね」
二人の言葉は、まるですべて知っているかのようだった。これは、私の都合のいい妄想なのかもしれない。こう言って送り出してほしいと。だけど、もしかしたら届くだろうか。
「二人も、大切だったんだよ。ありがとう。今まで育ててくれて」
お礼の一つも言えないままだった私の心残りを解消する都合のいい夢は、二人の手のひらが頭にふわりと乗った瞬間に消えていった。
視界が真っ白になって……
=====
「……アカネ」
耳になじんだ声が聞こえる。真っ白な天井と、私をのぞき込んでいる美男子が視界に映った。
「イケメン、抱き着きたい」
「……第一声がそれかよ」
綺麗な金色の髪を光に透けさせて、彼は呆れながらも私を抱きしめた。ふわりと感じる香りも、まるで私の存在を確かめるように力をこめられる腕の感触も、初めて知るように思えるのに、こうされることが当たり前でいつものことのようにも感じた。
……いや、当たり前、のはずだ。私は彼と……ファリオンと、恋人同士?のはずで。何度もこうしてだきしめてもらったはずで……
「……なんだか、頭がぼうっとする」
「そりゃそうだ。四年以上眠ってたんだから」
「は………四年!?」
なにそれ!?
ファリオンを押しのけるようにして慌てて体を起こす。そこは広い寝室のようだった。天蓋付きの大きなベッド。落ち着いたデザインの家具で統一された、広い部屋。島にある屋敷の部屋とは違う。窓には青い空しか見えないから、どこかの高台にある建物なのだろう。
なぜかベッドの脇に、魔物の素材やガラクタを適当にくっつけたような大きな塊が置かれていたけれど、それ以外は貴族の屋敷の一室に見える。
「……ここ、どこ?」
「俺達の屋敷」
「え、模様替えした?」
外の景色や部屋の広さまで違うんだからそんな訳がないのに、思わず滑り出た言葉はそんなものだった。ファリオンはそんな私の一言にクッと笑ったあと、ギュッとまた私を抱きしめた。かすかに震えているように感じるのは、気のせいだろうか。
「………ゆっくり話す。話すから、ちょっとだけこうさせててくれ」
「う、うん」
まるで泣き出しそうな声でそう言うものだから、私は頷くしかなかった。
=====
「……ちょっとじゃないじゃん……!」
節々の痛む体をぎこちなく動かしながらシーツを掻き抱いて、思わずそう叫んだ。いつの間にか窓の外は真っ暗だった。
「だから、時間かかりそうだなと思って、ちゃんと説明もしただろ」
水の入ったコップを差しだしてくれながら、寝起きの私を酷使してくれた人は平然とした顔で言う。
「あんな状況で!聞けるわけないじゃない!」
しかも説明っていうより愚痴とか言い訳っぽかった。俺こんなに大変だったんだから、労わってくれてもいいよな?みたいな。
「ふーん、じゃあもう一回説明するか」
「説明するのにその手は必要ないでしょ!」
素肌をなでる手のひらの動きに身震いして、おかしな声が漏れる前に慌てて距離をとる。おちおち水も飲めやしない。
「とりあえず……私が消えそうになって?その存在をとどめるのと記憶を取り戻すのに大変だったってことだけは何となくわかった」
「なんだ、聞いてたんじゃねーか。そんな余裕あるならもっといけたな」
なんか恐ろしい言葉が聞こえた気がする。
「……アカネ、顔真っ赤」
「っ……あのねぇ!これ、まだ二回目だよね!?それでこんなハードなの、普通!?」
「普通かは知らねーけど、仕方ないだろ。四年待たされたんだから」
「そ、それについては悪かったけど……」
どうも私がうっかり聖剣の刃先に触れちゃったせいらしいし。私がこの世界に来てからの四年分の記憶はリアルタイムで体感させるために同じ時間をかけて読み取らせる必要があって、その時間分眠っていることになったらしい。その間寂しい思いをさせたのだと思うと弱い。
「記憶におかしいところはないか?違和感とかは?」
私を後ろから抱きしめて、ファリオンがそう尋ねる。
「………うん、大丈夫」
記憶を思い返して、そう頷いた。本音を言えば、少し違和感がある。ほとんど問題ないんだけど、一つだけ。私はどうしてファリオンに聖剣を持たせようと思ったんだろう。確かにファリオンなら持てるんじゃないかとは思った。そして私の中でのファリオンは、義兄だろうが魔王だろうが恋人だろうが、肩書がどう変わっても、あこがれの勇者様のままだ。
だから自分の行動自体に疑問は無いんだけど、それまでは確かに戸惑っていたはずなのに、急に腹が据わったような行動をとっていた。その変化は腑に落ちない。まあ、それでファリオンが自我を取り戻してるみたいだから、結果オーライなんだけど。
「えっと、それで……魔王の衝動は収まったんだよね?」
その肝心なところを聞いていない。私の話ばかりで、ファリオンは自分のことを全然話してくれていなかった。
「ああ、そういや言ってなかったか……どうも、魔王の魂や聖剣っていうのは、ヴァイレが自分の後継者を決めるためのシステムだったらしい」
「後継者?」
「魔王の魂も聖剣も受け入れられた俺が、後継者に選ばれた」
「………えっと、神様の後継者?ファリオンが、神様ってこと?」
「まあ、同じような力を持ってるってだけだけど、周りからは今そういう扱いになってるな」
ポカンと口を開けてしまった。その後、お腹の底から湧き上がってくる衝動がこらえきれず、体を震わせる。
「……アカネ?」
「ふ……くく、神っ……神様っ……!」
「…………」
「肩書多いと思ってはいたけどっ……最後の最後にっ……神様ってっ……肩書インフレがやばい……!」
奴隷、魔王、義兄、愛人、恋人、勇者様、これだけ色々辿って来ての最後に神って!もう笑うしかないでしょ。
「……お前、他人事だと思ってるだろ」
「へ……?」
目じりに浮かんだ涙をぬぐっていると、低い声が聞こえた。やばいやばい、笑いすぎた。
「言っておくけど、お前は正真正銘女神だったんだからな」
「……何言ってるの?」
君は俺の女神だよ、って?ファリオンそういうこと言うキャラ……じゃないとも言えないけど。さっきまで散々耳元で囁かれた恥ずかしいセリフを思い出して頬が熱くなる。
「楔っていうのは、後継者のパートナーを作るためのものだった。強大な力を持つことになる神が一人にならないように。だからパートナーは強い魔力と老いのない体を持つ」
「……老いのない体?」
ふと、自分の体を見下ろした。十八歳のあの時から四年眠っていたということは、私は今二十二歳。いや、その間はファリオンの神様パワーで生命維持をしてもらっていて、不可思議理論で成長が止まっていたんだとして……いやいや、十八歳と二十二歳じゃそんなに……
ふと、自分の胸に手が伸びた。
「……あれ?十八歳の時ってもうちょっと……」
元の世界では確か、もう一回りくらいは……高二の終わりごろに確かぐっと大きくなってきたはず。
「………何で実感してんだよ。今気づいたのか?アカネ、十六歳で成長止まってるぞ」
「え……えええ!?」
言われてみれば、十六歳のころからドレスのお直しがほとんどなくなっていた。元の世界ではもう少し成長期は続いていたはずなのに。
「え、え!?なんで?」
「むしろなんで忘れてんだよ。アカネはマリエルの性質を受け継いでこの世界に来てんだろ」
……そうだった。マリーは十六歳で成長が止まっている。つまり、私も同じ……
思わず自分の胸を揉んだ。いや、いいんだけど。現時点でもそこまで小さいとは思わないし、あんまり大きくなっても服を選ぶし、だけどなんだかんだ言ってあったはずのものが無くなるのはなんていうか。
「………おい、あんまその情報引きずんな。ちょっと見たくなるだろ」
「あ、やっぱり大きい方がいいんだ!」
「アカネなら大きかろうと小さかろうと見たいに決まってんだろ!」
何を胸張って言ってるんだろうか、この人は。
「……いや、待てよ。別にそれくらいできるんだよな」
「それくらいって……」
まさか。
「神の力を使って豊胸を!?やめて何それやっちゃいけないラインな気がする!」
そんなバカなことに力を使われたらヴァイレさんが泣く!いや、あの人なら笑って許しそうではあるけど!
「馬鹿、違う。成長が止まっているのを戻すことがだ。アカネが先に年取ってくのは抵抗あるから途中で止めるけど、俺と同じ十九歳くらいまでは成長してもいいだろ。マリエルだって今は成長できるようにしたんだから、アカネだってできるはずだ」
「え、マリーも?ファリオン、そんなことできるの?いや、神様だしできるのか……」
なんか情報が多くて混乱してきた。ファリオンは神様、わりとなんでもできる。私は楔。楔は神様のパートナー。
「や、ていうか待って。楔は神様のパートナー?あんな……何百人も?」
マリーをはじめ、どれだけの人達を犠牲にしてパートナーを作ろうとしているのか。
「あー……どうもあれは、ヴァイレの意図しない動き方だったみたいだ」
「……どういうこと?」
「調べてみたんだが、どうも機構が一部……いや、大部分破損してる。本来なら結晶に取り込まれるのは高純度の魔力に耐えられる人間だけっていう設計だった。素養があれば次の魔王が現れるまで囚われることは変わらないんだが、魔王一人につき三人程度のはずだった。そして魔王の魂を受け入れた人間が現れれば結晶が壊れ、その時に噴き出した魔力につられて魔王は迷宮へと向かう。そして迷宮で魔王と楔が出会うはずだった」
「え、魔王の魂を受け入れた時点で結晶は壊れるはずだったの?覚醒してなくても?」
「俺達がずっと考えていた魔王の覚醒っていうのは、ヴァイレにとっては失敗なんだよ」
ファリオンが言うには、ヴァイレさんの理想とはこんなものであったらしい。絶望を感じて魔王の魂を受け入れるに至りつつも理性を失わず、受け入れの苦痛に錯乱して魔術を使ったりしない。そして迷宮に向かう過程で人を殺したりすることもなく、楔と出会う、と……
「ただまあ、この結晶が壊れるっていう機能が失われてた」
「だからファリオンは、迷宮にいこうって思わなかった?」
「そうだな。魔王の覚醒が起きてからは楔に惹かれるのとは別に迷宮に引き寄せられるようになってたみたいで、歴代魔王も俺も迷宮に向かうことになったみたいだが」
本当はそうなる前に、楔と出会わないといけなかったということらしい。
「それで、楔は魔王に出会ってどうするっていうの?」
「楔は強い魔力を持っているから簡単には魔王にやられないし、魔力の波長があうから魔王も心を許しやすい。いずれ聖剣を手にした勇者が現れる時まで魔王の心を人に留めるのが楔の役目だった。魔王が破壊衝動をこらえて人を殺さないまま、いずれ聖剣を抜く機会が訪れれば、神に至る……っていうのがヴァイレの狙いだ」
それが、何百人も迷宮に捕まえるし、素養が無くても解放されないし、魔王が覚醒しても結晶の中の人は出てこないし……って。
「大事な機能がほとんど動いてないじゃない……」
「まあ、これはヴァイレのミスだな。英雄ヴァールの中にすべて詰め込んで、時が来たら迷宮を作り出すとともに楔や聖剣を迷宮内に放り込む仕組みだったのが、楔が排出されるときに破損してたんだ。詰め込みすぎたんだよ」
そんな凡ミスみたいな話なの……
「いや、だけどそもそも数名にしろ、人生を棒に振るような仕組みだったことは変わりないんだよね」
「その話をするなら魔王のシステム自体、人間に被害を出すことが前提だっただろ。人間に危機感を持たせつつ、そんな人間たちをいざとなったら守れる神を生み出すためなら多少の犠牲は厭わないって方針だったんだろうな」
人間を大切に思っていたヴァイレさんだ。苦渋の決断だったんだろうけど……人間が絶滅するよりはマシだと思ったんだろうか。
「それにしても、回りくどい上に奇跡みたいなタイミングが必要じゃない?魔王が聖剣を抜くって、そうそう起きない事態だと思うんだけど」
「そうか?勇者と対話できるくらいに理性が残っていたなら起き得ると思うぞ。すぐに勇者と戦闘が始まるようじゃ後継者候補として失格ってことなんだろ」
うーん、そうなのかな?まあでも実際、私は戦うんじゃなくて聖剣を抜かせることを選んだわけだし……
「ねぇ、楔の中の人達は今、どうしてるの?」
「俺の力で楔の人間は全員救出しておいた」
「えっ、できたの!?魔力が一気に放出されて爆発するんじゃないの?」
「魔力の扱いに関して、俺の右に出る奴なんかいねーよ」
そうでした、魔王様でした。しかも今は神様でした。
「体質も全部戻して、できれば元の時間にも戻してやりたかったけど、そうすると歴史のつじつま合わせにめちゃくちゃ苦労するからな。俺が解決できる範囲の要望は聞いてやって、今は普通に生活してるよ」
「そっか……良かった」
確かに人間を一人過去に戻すとなれば、その人が関わる全ての人の歴史が変わってしまう。助かるはずだった人が助からなかったり、生まれるべき人が生まれなかったりなんてなったら……下手をすれば私達の存在すら危うくなる。神様とはいえ、過去の改変はしない方が良さそう。
「それで、マリーがどうしたって?」
「ああ……マリエルは元の体質に戻ることを望んだから、高い魔力も世界の記憶とつながる力も無くしておいた」
「そっか……」
その力にさんざん悩んできたマリーだ。それが一番だと思う。きっとその方が、エルマンの傍にも居やすいだろうし……
「それで、他の人は…………あの、ちょっと、ファリオン?」
「ん?」
せっかく巻き付けたシーツの中に侵入してくる手を慌てて押さえた。
いやまって、噓でしょ。
「さ、さっきしたばっかりだよね?」
それもずいぶん長いこと。
「んー……神になってもこの辺の本能は変わんねーんだなーと」
いやいやいやいや。
「今っ……大事な話をしてるところでしょ!?」
「全員の近況話してたらどんだけ時間あっても足りねーだろ。明日にでも全員集めるから、そこで話しろよ」
「いい加減っ、部屋から出ないとエレーナ達が……」
「エレーナ達は今この屋敷にいねーよ。島の方にある屋敷にいるからな。この場所は誰にも教えてない、俺とアカネしかいない場所だから」
耳をペロリと嘗められて、抗議の声は甲高い声に代わってしまった。
「や、やっぱりここ、前の屋敷じゃないんだっ!」
「当たり前だろ。ここ空の上だぞ」
「ええええ!?」
「俺もあっちこっち飛び回ってたからな。眠ってる間のアカネに万が一にも誰かがちょっかいかけないように、俺しか入れない城を作った」
天空の城とか作っちゃったんですか、魔王様、じゃなかった神様!
「だから邪魔は入らない」
「あっ、ちょ……」
手が艶めかしく腰のラインを撫でてきて体がびくつく。
「ま、ままま待って待って」
「まだ待つのかよ」
焦れたような声にますます羞恥心が煽られる。なんでなの、さっきもしたじゃん!
「お、起きたばっかだし!あ、汗もかいたしシャワーとか!」
「いらない」
「私はいるの!ていうかハードすぎ!初心者なんだから、ちょっとは気を遣ってよ!」
実際のところ、体は意外と元気だ。神様パワーで生命維持してもらっていたせいなのか、私が神様に準じる存在のせいなのか。だけど精神的についていかない。
そう訴える私に、ファリオンは唇を閉ざした。何か言いにくそうに。
「ファリオン?」
「…………本当に初めてなんだよな?」
「え?」
何故急に不義を疑われているのか。怒りより呆けてしまう。
「アカネ、元は十八歳だったんだろ?」
元の世界での年齢を言われているのだと気付いて納得する。そうだ、この世界では十八歳って立派な成人女性だわ。
「本の中の俺が好きだったって言っても、それで縁談が無くなるわけじゃないだろ」
「いや、あのね……私の世界では十八歳で結婚とか稀だから。縁談とかそんな、親が結婚話持ってくるのとか今時そうそう無いし。自由恋愛が主体だからね」
その言葉には流石に驚いたようで、銀色の目が丸くなる。
「それなら結婚も、もう少し遅いってことか?」
「結婚の平均年齢とかは三十歳前後とかだった気がするなぁ」
「……マジか」
カルチャーショックを受けているらしい。そうだよね、この世界では三十歳で結婚していない女性はもはや結婚しないものだと思われるほどだ。
「恋人は?」
「……居なかったよ。明らかに居たこと無い女の反応でしょ、もう……言わせないでよ……」
空しくなる。
「だから初彼がアドルフ様みたいな美男子になるとは、過去の私も想像だにしてな……」
いらんこと言ったと気付いたのは、空気がすっかり冷え込んだ後だった。
「……二曲目踊り出す前に無理やり引きはがせば良かった。あの時の俺を殴りてーよ」
声が低い。
「え、ええっと。でもあれがあったおかげでアドルフ様と仲良くなれたわけだし、魔王関連のあれやこれやもアドルフ様が味方になってくれなかったら、こんなに私達平和に過ごせてなかったよ?」
慌ててフォローするも、ファリオンの眉間の皺は取れる気配がない。
「き、キスはファリオンが初めてだよ?ていうかアドルフ様との交際期間とかもずっと、私は、その……ファリオンが好きだったんだし」
「………………」
「お、怒らないでよぉ」
なんでベッドの上でこんな言い訳をしないといけないのか。悲しくなってきて情けない声をもらすと、ファリオンは大きく溜息をついて私を抱きしめ直した。
「怒ってねーよ、自分の器の小ささに呆れただけで。悪かった。お前にそんな顔させたいわけじゃねーのにな」
耳を撫でる声が優しく凪いでいるのに気付いて、ほっと安堵の息を漏らす。
「娼館に居た時も娼婦相手に悋気してる男とか見ててさ。俺はぜってーこんな小さい男にはならねーって思ってたんだけどな。もっと余裕のある男のつもりだった」
「……私だって余裕なんかないよ」
余裕なんて感じられたことが無い。
「学園でも舞踏会でも、ファリオンはずっとキャーキャー言われてるしさ。ヴォルシュ家の屋敷のメイドさんたちだって熱い視線で見てる人もいたし!魔王様として各地を回ってる時にも有力者の娘さんとかさりげなくお近づきになろうとしてたし!人目あるところに行くたびに冷や冷やするんだから」
「……それ、二人きりの時以外ほとんど冷や冷やすることにならねーか?」
「そうだよ!めちゃくちゃ器の小さい女だよ!」
苛立ち交じりに、何故だか得意げに言い放ってしまった。その様を見て、ファリオンが噴き出す。
「そっか、なら俺も少しくらい器小さくていいかな」
「……そうでないと割にあわない」
「まさかアカネがそんなしょっちゅう妬いてたとは」
「悪い?」
「悪くねーしアカネ以外に興味もない。けど、それ、もうちょっとストレートに言ってくれ。まぁ、その後どうなるかは覚悟しといてほしいけど」
「え?」
何それ怖い。
「いつだったか、俺が束縛強いかって話した時のこと、覚えてないか?」
束縛……?記憶を手繰り寄せて思い浮かんだのは、ハイルさんの屋敷に居た時のことだ。
えっと、確か……『私が他の女の子と仲良くしないでって言ったら重いって思う?』とか聞いて、それにファリオンは……
かぁっと頬が熱くなる。私の反応から、思い出したことを悟ったんだろう。大きな手があやすように私の頭を撫でてくる。無言で促されて、煮えたぎりそうな頭は平常心を失い……唇を、開いてしまう。
「他の女の子と仲良くしないで?」
もはや社交の必要な貴族ではない。けれどロッテやドロテーアみたいに共通の親しい女友達だっているわけで、厳密には叶わない願いだ。
だからこれはあくまでこの場だけの約束になる。でも私の大切な……旦那様は、そんな無粋な前置きはしない。
「分かった。俺には一生アカネだけだ。だからアカネも、俺以外のことは考えるなよ」
「………」
「分かったか?」
「わ、分かった」
そう言い終わるが早いか、すぐさま深く口づけられる。思わず下がろうとしても、腰に回された腕が逃れることを許さない。
結局シャワーを浴びていないことを思い出して、慌てて顔をそらした。体が汗でペタペタしてる気がする。
「ちょ、まっ……」
「待たない」
その銀色の瞳に獰猛な色が宿り、視線をからめとられた瞬間に思う。あ、駄目だ、と。この目を見てしまったら、私はもう抗えない。私はずっと、この瞳にだけは弱いのだから。そして彼の望み通り、力尽きて気を失うまで彼以外の存在が私の頭をよぎることは無かった。
結婚式を挙げたわけじゃない。けれどさっきの誓いの言葉がそうだったように、きっと私はこの日ようやく、彼の妻になったんだと思う。
まさか神様になるなんてこの世界に来た時には思ってもみなかったけれど、思ってもみなかったなんてことはこれまでもたくさんあった。きっとこれからもたくさんあるんだと思う。だけど私の傍には、魔王様で勇者様で神様な旦那様がいるんだから、きっと大丈夫。
……たぶん。体が持てばね。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
他のキャラクターのエピソードなんかもあるにはあるのですが、ずいぶん長いお話になってしまったのでこれで区切りとさせていただきたいと思います。
思えば要所要所やスタートと終わりだけを決めて書き始めたせいで、必要のないエピソードを盛り込んだり書くべきだったエピソードを書き損ねたりと行き当たりばったりな展開をいくつかしてしまいました。
そのせいで読みづらいところもあったかと思いますが、こんな長い話を最後まで読んでくださった方にはどれだけ感謝してもしきれません。
あなたのおかげで、最後まで書ききることができました。
本当にありがとうございます。
また別のお話でお会いできますように。




