第八十五話
「二人共、お疲れ。もう戻っていい」
【承知しました】
やはり負担が掛かるのか、少しだけほっとしたような色を滲ませて、リシュアとライラは人型に戻った。戻った瞬間ふらり、としたがすぐに二人共居住まいを正して普段通りを装う。疲れてるなら座っててくれてもいいんだが。
二人が人の姿に戻ると同時に、クリスタルも再び結晶の形で宙に浮かび、すぐにその姿を掻き消した。ユーリィの体内に戻ったんだろう。
「さて、皓皇。それと、フィレナ」
「……兄様……」
魔王の足から解放され、何とか床の上に身を起こしたフィレナが、座り込んだ姿勢のままでディードリオンを見上げる。
「邪魔はもう無い。俺を殺せ」
「まだそんな事を……。今更、俺やフィレナがやると思うのか?」
「頼みだ、と言ってもか? 俺は最早、人ではない。浅ましい罪人のまま、生き長らえるのは耐えられん。これでも、王としての教育を受けて来たのでな」
剣を収め、弱々しくディードリオンは笑みを浮かべる。弱い表情を作りたくない時の表情が、フィレナと一緒だ。
「それでも……。それでも、私は嫌よ、兄様……」
「フィレナ……」
「一人は、嫌……」
ぐす、と鼻を啜ってフィレナは手を伸ばし、ディードリオンの服の裾を掴む。
「私も嫌だわ、ディードリオン。泣いて惜しんでくれる人を失うのは、あまりに悲しい事だもの」
「碧皇……」
元々いたベッドの上から起き上がって、思ったよりもしっかりした足取りで近付いてきたユーリィも、そうフィレナの言葉に重ねて言った。
「助けてもらった恩もあるわ」
「俺が助けた訳じゃない」
眉を寄せ、困ったようにディードリオンは呻く。
「そう言えば、どうしてユーリィはレトラスにいたんだ?」
ずっといた、とは思わない。ユーリィが捕えられたのは百年以上も前の話だ。その時からずっと城にいたなら、フィレナの口から一回ぐらい話があるだろう。
だからユーリィがレトラスに捕えられていたのは、フィレナが脱出した後での話のはず。
「私はずっと黒いローブの魔王の所にいたの。二ヶ月ぐらい前かしら、ここに連れて来られたのは」
「丁度私が出て言った頃ね……」
「丁度俺があいつと会った頃だ」
ふ、と疲れた息をついて、ディードリオンはフィレナの話を修正した。
「あいつはどうやら、俺達に貴女を穢させたかったようだ。その欲は貴女ではなく、家族に向けてしまったが……」
「さっきもそうだったけど、もしかしてあいつは方向性を決めて魔人化させられるのか?」
魔気の塊を受け入れさせられた後、ディードリオンは攻撃的なだけだった。魔王もそんなような事言っていたし。
今の話でもはっきりしたが、やっぱりディードリオンは意志の敗北によって魔人化した訳じゃない。や、もしかしたら軽度の魔人ではあったかもしれないが、ここまで侵されたのは内側から魔気に浸食された結果だ。
――だから魔王と同等の魔気を持ちながら、人なんだ。
「兄様、だったら、それは」
「それは、何だ。仕方なかったとでもいうつもりか?」
「……」
きつく睨まれながら、ディードリオンに言葉の先を言われてしまって、フィレナは押し黙る。
「なかった事には、出来ん。理由など、結果の前ではさしたる意味を持たんのだ」
そうしてフィレナから視線を外し――いつの間に気が付いていたのか、やはり床の上に座って身を起こしていたタタラギリムを観る。
「そうだろう、水蛇の首領」
「そうじゃな。貴様の思惑がどうであれ、妾の妹はもう帰って来る事はない」
「っ……」
タタラギリムの言葉には、フィレナも俺も、何も言えない。
「貴様の策に乗った事、後悔はしておらぬ。少ない犠牲で教わったとも言えよう。しかし、それとこれとは話が違う」
「ああ。お前の妹の仇である事に、なんの変わりもない」
タタラギリムから向けられた憎しみの言葉に、むしろ満足そうにディードリオンは頷いた。
「腹立たしきかな。妾の妹達は、本当に貴様の都合で殺されたのじゃな」
「そうだ。だから、仇を討て」
「……」
タタラギリムの三叉鉾は、先程の戦闘中にどうやら破壊されたらしく使い物にならなさそうだったが、水蛇族の腕力なら、相手が無抵抗ならすで出首をへし折れるだろう。
ゆらり、とやや覚束ない足取りで、タタラギリムはディードリオンへと歩み寄る。
「ぁ……っ」
隣でフィレナが俺にだけ聞こえるぐらいの小さな声を上げたが、続く言葉は出て来なかった。
タタラギリムにディードリオンを殺す理由がある事、ディードリオンが死にたがっている事。この二つが、フィレナの気持ちを迷わせてるんだろう。
(俺は……っ)
俺は――、俺は、殿結果なら後悔しないんだろう……っ。
「待って、タタラギリム」
「!」
俺とフィレナが迷って行動出来ないなか、声を上げたのはユーリィだった。
「何じゃ、碧皇」
「誰もしないのなら、私が彼の命乞いをするわ」
「碧皇、余計な事をするな」
「あら。だって私、貴方に死んで欲しくないんだもの」
本人から拒否されたのもどこ吹く風で、ユーリィは美しく微笑んでさらりとそう言って見せた。
「貴方が勝手に死にたいように、私も勝手に貴方に死んで欲しくないと思っているのだもの」
「俺自身の事だ! 貴女には関係ない!」
「あらあら。私が貴方に死んで欲しくないと言うのも、私自身の意思よ。貴方とは関係ないわ」
な、なんという無茶な言い分を通そうとする人だ。優しそうに微笑んでるくせに。
「くっ、この……」
「ふふ」
論争にもならない我の張り合いだと気が付いて、ディードリオンの方が言葉に詰まった。ユーリィの勝ちだ。
(……ほっとしてるな、俺)
フィレナの兄を殺さなくて済むかもしれない――、そう思った瞬間、ほっとした。
迷ってたのも嘘じゃないけど、迷っている時点で決まってたんだよな。
「……タタラギリム」
「貴様まで寝言をほざく気か」
呼び掛けた俺に、タタラギリムは思いきり渋面を作る。無理もない。
「すまない。けどどうか――見逃してもらう事は出来ないか」
「本人は死を望んでおる。妾も心の底からこ奴の死を望んでおる。そして妾に、貴様等に従う理由はない」
タタラギリムが自分の首に伸ばした手を、ディードリオンは避けない。ほっとしたような表情で静かに目を閉じ、受け入れた。
「首領、待っ……っ」
ごきんっ。
「っ、げ、ほっ」
骨を折った鈍い音と同時に、ディードリオンから短い悲鳴が上がった。しかし死に瀕したものじゃない。
タタラギリムが殴ったのはディードリオンの胸の辺り、砕かれたのは肋骨か。
「おい! タタラギリム、いくらなんでも、それはっ」
なぶり殺しにする気かと思って、声を上げ、一歩踏み出した俺を制した手は、ディードリオンの物だった。
「構わん。俺に死に方を選ぶ資格はない」
「全くもって、その通り」
ふん、と鼻で笑うと、タタラギリムは腕一本でディードリオンの体を持ち上げ――詰まらなさそうに床に放り投げた。
「つぅっ!」
勢いはそうでもなかったが、骨折のダメージと重ねて相当痛かっただろう、呻いて胸部を抑えたまま、動けない。それ以上の苦痛の声は神殺しているのは流石だ。
「故に、妾が貴様の望み通り、貴様を殺してやる理由もない」
「な、に……っ!?」
「あぁ、不快じゃ。堪らなく、不愉快よ。妾は貴様を殺したくてたまらぬ。しかし、いい加減貴様に踊らされるのも飽きた」
「何を、馬鹿な――っ!」
絶対と信じて打っておいた最後の行ってすら覆されそうになって、ディードリオンは焦りの表情でタタラギリムを見上げる。
その視線を受け止めて、タタラギリムは二ィと喜悦の笑みを浮かべた。
「おぉ、いい表情じゃ。少しは胸が梳いたわ」
「本気か、首領……っ!」
「妾はのう、碧皇に借りがあるのよ。かつて見捨てた負い目がのう。そして皓皇の事は個人的に気に入っておる。貴様の都合でとはいえ、愚かさを学ばせてくれた礼も一応あるのう」
「あら。気にしていてくれたの?」
タタラギリムの言葉に、少し嬉しそうにユーリィは微笑する。しかしそのユーリィに素気無く肩を竦め。
「いいや、全く。しかし、つい最近そう思った。じゃから、借りという事にしたのじゃ」
「あらあら。ありがとう、タタラギリム」
「……貴様の言動は昔から気色悪いが、まぁ、良い。そういう事じゃ」
「ふふ」
毒を含んだタタラギリムの言葉にも、ユーリィの微笑みは崩れない。腹の内側が黒いのか、本当に真っ白で大らかなのか……まだ判らないな。
「これで、殺してくれる人はいなくなったな、ディードリオン」
「……っ……」
もう骨折は治ったのか、スムーズな動きで身を起こし――しかし床に膝をついたまま、ディードリオンはうなだれた。
「兄様……」
「……どうしろというんだ。どうしろと……っ!」
自殺をしようとしないのは、ここに俺と碧皇がいる限り不可能だと判っているんだろう。
「……生きて。兄様」
「フィレナ……」
「お願い……」
「……」
弱々しい、けれど万感の想いを込めたフィレナの嘆願に――ついにディードリオンはがくりと頭を落とした。




