第1話 転生したら上庸で処刑される劉封の側近だったので彼を救おうと思います
乾いた、重い衝撃が脳を揺らした。
(あ、バグだ……)
意識が遠のく直前、佐藤 健司はそんなことを考えていた。
連日の徹夜、納期直前のデバッグ作業。限界を超えた脳が見せた幻覚か。目の前で振り下ろされた「何か」を避けられず、視界が火花を散らして暗転した。
だが、次に聞こえてきたのは、救急車のサイレンでも、上司の罵声でもなかった。
「おい、叔誠! 目を覚ませ! 冗談だろ、一撃だぞ!?」
頬を叩く感触。土の匂い。
そして、頭を突き抜けるような鋭い痛み。 健司はうめき声を上げながら、重い瞼をこじ開けた。
「……つ、……ぅ……」
「よし、気がついたか! 焦らせるなよ。お前が俺の手合わせに付き合うって言ったんじゃないか」
視界が焦点を結ぶ。
そこにいたのは、豪華な刺繍が入った直垂を着て、手には木剣を握った少年の姿だった。
年の頃は十四、五歳か。端正な顔立ちに、育ちの良さと負けん気の強さが同居している。
(……誰だ、このガキ……いや、違う。知っている。俺はこの顔を知っている)
その瞬間、健司の脳内に「高衛」としての記憶が、猛烈な勢いで上書きされていった。
俺は佐藤健司。都内のシステムエンジニアだ。
そして俺は高衛、字を叔誠。 羅侯の末裔・寇封様に仕える、幼馴染の側近。一族の中でも武芸に秀で、将来を期待されている従者だ。
「……若、殿……?」
「なんだ、その呆けた顔は。やはり打ち所が悪かったか? ほら、立て。この寇封の側近が、この程度の打ち込みで寝込んでどうする」
寇封が差し出してきた手を掴む。その掌は厚く、少年のものとは思えないほど力強い。
引き起こされた高衛は、周囲を見渡した。 そこは、寇氏の屋敷の広大な練武場だ。
生い茂る木々の緑、手入れされた石畳、そして平和を象徴するような穏やかな昼下がりの陽光。
(……転生。そうか、俺はあそこで死んで、ここに来たんだな)
健司――いや、高衛は、自分の胸元に触れた。まだ心臓がバクバクと騒いでいる。
今の打撃で、佐藤健司の魂が、高衛という器に定着したのだと直感した。
「叔誠、お前、さっきから様子がおかしいぞ。俺の打ち込みがそんなに効いたのか?」
寇封が心配そうに覗き込んでくる。
この少年が、後に劉備の養子となり、上庸で孤立し、最後には義父から死を賜る「劉封」になる。
今の彼はまだ、自分の運命がどれほど過酷な崖っぷちに向かっているかを知らない。ただの、武芸好きで血気盛んな貴公子だ。
「……いえ。若殿の打ち込みがあまりに見事でしたので、少々、天を仰いでおりました」
「ははっ! 抜かせ。確かに美しい空ではあるがな。
だが叔誠、お前がいなければ俺は退屈で死んでしまう。さあ、もう一本だ!」
寇封が楽しそうに木剣を構える。
高衛は足元に転がっていた自分の木剣を拾い上げた。 手には吸い付くような感覚がある。高衛自身の体は、長年の鍛錬を完璧に覚えているようだ。
(西暦201年。曹操の圧力が増し、まもなく劉備様が荊州に流れ着く頃だ。そうすれば、この屋敷の平和も終わる)
高衛は、現代人としての冷静な計算を働かせながら、目の前の少年を見据えた。 物語の中では、劉封は「器量を頼んで傲慢になった」とされる。
ならば、その器量を正しく導き、傲慢さを知略に、武勇を忠義に変えるのが、隣にいる俺の役目だ。
(悪いな、劉封。お前を演義通りの悲劇のヒーローにはさせない。俺の知っている『三国志』は、ここから「if」に書き換えさせてもらう)
「若殿……次は、当てさせませんよ」
高衛は低く構え、木剣を正した。
その瞳に宿った理知的で鋭い光に、寇封は一瞬、気圧されたように目を見開いた。
「ほう……いい目になったな、叔誠。いくぞ!」
二人の木剣が、秋の空に乾いた音を響かせた。 一人のしがないエンジニアだった男が、高衛として三国志の荒波に漕ぎ出した、最初の一歩だった。
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