序
──永遠と思われた幸せはなんの脈絡もなく、一瞬にして奪われた。
それはあまりにも残酷な事。
でもこの世に起きる事象は全て必然で、理由があり、奪われるべくして奪われたと言われる。輪廻がめぐり罰が下った。全ては運命だったと。
――本当にそう?
そんな薄汚れた理屈を私は否定する。
最後の決定権を持つのは身分? 金? 生き方?違う。全てを決めるのは力。
過程を無視して力を持つ者が、残酷であれる者が世界を変えてきた事は今までの歴史が嫌になるほど証明してきたじゃない。
そんな世界の理不尽を私は嘆く。
そんな世界だから私は断罪する。
◇
聖女。
それは世界を均衡のために神が異世界から召喚した1人の少女。彼女が手をかざせば不思議な魔法で人の傷が治り枯れた樹木に花が咲く。
人に愛されて、求められる存在。
魔女。
それは太古から存在する世界に忌み嫌われた存在。彼女がいるだけで周囲は瘴気を纏い、触れたものは腐り、堕ちる。
誰も彼女を必要としない。
これから貴方に話を説きましょう。
貴方達が大好きな聖女様と貴方達が大嫌いな魔女の生涯について。
「――誕生日、誕生日♪今日は私の15歳の誕生日♪」
それは普遍的な、どこにでもいるような一人の少女の話。自分が生まれた日を喜び、冷たい風が吹く街を駆け回るような純粋なその子の名前は柏木連。幸せな日常を送っていた彼女から家族を奪ったのは理不尽な現実だった。
灰色に淀んだ雲の下、冷たい風が吹いている。凍えそうになるほど寒い日に連は小気味よいリズムの鼻歌を歌いながら歩いていた。
そんな連の姿を、歳が2つ離れた弟は呆れた様子で見ていて。
「姉ちゃん、外でそんな変な歌やめろって。恥ずかしいだろ」
「えー? 変な歌じゃないよ。作詞作曲、私の『お誕生日嬉しいの歌』だよ」
「変な歌だろ。俺のクラスの女子よりガキっぽい」
「いいじゃん。子供をやれるのは今だけなんだから、エンジョイしないと」
からかうように言った弟に、連はそうはにかんだ。連はお気楽で明るい女の子。誰にだって分け隔てなく接する彼女を、弟は口ではバカにしても本心では慕っていただろう。
「連の言うとおりだ。子供のうちに子供を満喫しないと。大人になったら人に甘えにくくなるから、今のうちにパパに全力で甘えといた方がいいぞ?」
「ふふっ。あなたの場合は、自分が甘えられたいだけでしょ」
母と父の笑い声が響く。
弟も連も、父に甘えることは少ない。嫌いなわけではないが、それをするとどこかくすぐったく思ってしまう年齢だ。
「あ! お店見えたよ、ケーキ屋さん。ホールケーキ好きなの選んでいいんだよね?」
これから誕生日ケーキを買う店が見えて、連のテンションが上がった。元から早いペースで前を歩いていたが、その足が小走りになって家族との距離が空く。追いつこうと家族が歩を早めた、そのときだった。
──ドンッ。
重い音がした。振り向くと、前から歩いてきていた中肉中背の男と父がぶつかったらしい。父が尻もちをつく形で転び、それを男が見下ろしている。心配して父に近寄ろうとした刹那、家族の顔に異常な焦りが浮かんでいることに気づき、次に目に入ったもので足が止まった。
赤い液体が、ドクドクと地面に流れている。
血だ。
男が父に刺した凶器を抜いて離れたとき、ようやく何が起こったのか理解した。
男が持っているのは包丁よりも大きな刃物、鉈だ。それで父の腹部が抉られている。
「キャアアァーーー」
甲高い悲鳴が辺りにこだまして連は自分が無意識に上げたのかと思ったが、違う。喉が異常に渇いて、自分は何の声も出せずにいる。
声は母のものだった。男は声を上げた母に続けざまに切りかかった。動揺する者と、意志を持って動く者とでは対応速度がまるで違う。何に抗う間もなく、母の脳天に鉈が振るわれた。
目の前の光景を、連はまだ処理できていない。それでも事態を理解しようと、頭の奥だけが勝手に動く。
先程まで元気に笑っていた父が、地面に倒れたまま男に向かって手を伸ばしている。
母の姿を見て、胃の底から酸っぱいものがせり上がってくる。
そして──弟が男の方に踏み出した。
「ダメ!」
反射的に叫んだ。弟が男の方に飛び込もうとしていた。母を助けようとしたのか、男を殴ろうとしたのか。ただ一つ間違いなく言えるのは、それが感情のままの行動だったということ。
「ガキがっ!」
そのまま男にしがみついた弟を、男は振り払う。鉈は母にくい込んだままだが、成人した男に、まだ13歳の弟が力で勝てるはずがなかった。放り投げられた弟に、殺意に染まった目が向く。
「──っ!──ねっ!──えろ!──!」
男が何か叫びながら、弟を殴っている。何を言っているのかも、もう聞き取れない。
(なんで。なんで。どうして、そんなことするの)
連はただ、弟が殴られる光景を見ていた。体が動かない。指一本さえ、意思に従わない。ただ疑問だけが、頭の中を埋め尽くしていく。
知らない男が急に家族を襲い、意味の分からない言葉を叫んでいる。この男は、なぜこんなに酷いことができるのか。
分からなかった。だって、さっきまであんなに幸せだったのに。
「はぁ……はぁ……あとは……お前だけだ」
いつの間にか、弟が動かなくなっていた。
だから今度は、連に男が近寄ってくる。
──逃げないと。
頭は指示を出すのに、体は動かない。
誰か、誰か。助けを乞おうと周囲を見回すと、何人か人影が見えた。事件が起きてから今に至るまで誰も来ないほど閑散とした場所ではない。誰かいて当然で、それでいて誰もが凶器を持つ男を恐れ、動けずにいる。誰も、助けてはくれない。
(やだ、やだ、やだ。死にたくない。今日は、私の誕生日だったのに)
1歩、また1歩と男が近づいてくる
そうして連が地面にへたりこんだまま動けないでいる時だった。視界が光に包まれた。
この世界は、茫然自失でいた連を家族を殺した男と共に異世界の1つの家に召喚したのだ。
次に目を開けた時にいたのは閑散とした、煉瓦が積まれてできた中身は空っぽの家だった。そこには自分と家族を殺そうとした男の二人。最初の一瞬こそ二人は時が止まったようになったが先に動いたのは男で、当然連を襲おうとする。これ以上ない危機。殺されてしまう寸前。そんな時に家の扉が開かれた。
そこに立っていたのは白髪の少女。
白髪の少女の存在に男が気づくとその手を連から離してこの場で異端な存在に近づいていき、彼の手が白髪の少女に触れた時――男の体は腐りだしてそのまま息絶えた。
この白髪の少女こそが他の何者でもない魔女その人。
触れただけで人を死に誘う。人が彼女を恐れる理由がそこにはありましたが、その場にいた連は恐れなかった。
だって、魔女本人が誰よりも自分の力を恐れるように青ざめていたから。
さてさて、急に異世界に飛ばされた連。彼女は衰弱しきった精神で他の場所に行くことはできずにいてそんな連の様子を見かけた魔女は彼女の滞在を許してくれたので二人の互いに触れることも話す事もなく、ただ食べられる物のある場所だけを教えてもらって過ごす生活が始まった。
ことある事に連は発作のように涙を流しその場に蹲るのでそれを見た魔女が心配そうにしていて、連は直ぐに自ら話を魔女に語った。
自分が別の世界から来たこと、家族との暮らし、それが失われたこと。
――その時、魔女は連の話を静かに聞いて涙を流してくれました。だから二人は心を通わすことができたのです。
◇
「クレイはいつからこんな暮らししてるの」
魔女――クレイと出会ってひと月が経った頃に連はそんな事を聞いた。
会ってからその日に至るまで二人はずっと家のある場所から食べられる木の実と湖以外の場所には行ったことがない。
「ずっと昔。何百年も前から。何度か場所を移してはいるけどね」
何百年も、連はそれを聞いて思わず言葉を失った。
クレイが魔女であり、寿命が人とは大きく違うことは聞いていたがよく耐えられるなと思う。今の暮らしに口をだしたいということではない。ただ、連はクレイという話し相手がいるからこの状況を耐えられているが1人だったらとても耐えられたものではなかったのだ。それをクレイは一人で、それも何百年と孤独に生きていた。それを想像しただけで連の胸はズキズキと痛んだ。
あの日、クレイは触れた男を腐らせた。正確には彼女は生命力の宿った物に触れるとそれを吸い取ってしまう。生きるものに限らず触れた花は枯れるし新鮮な肉は干からびようになる。そんな力を持つ彼女は外界との関わりを避けて誰も来ないような森の奥深くで過ごしている。
優しいから、誰も傷つけないように。
人に触れられないというのは悲しい。
この子は誰かに抱きしめられるぬくもりを何百年という間生きていて知らないのかもしれない。代わりに自分が抱きしめてあげたいと思うが、できない。
やるせない気持ちのままクレイの顔を見ると、クレイは微笑みを返してくれた。
(……どうにかクレイに触れる方法はないのかな)
そんな風に思うだけで何も無く時間が過ぎたある日、クレイにそろそろこの家から離れようと言われた。
「どうして?」
「この周囲のものが随分枯れが目立つようになったから」
「そっか……」
連が目を伏せた。
彼女は連のように何か食べることはしないが、その代わりとして生命力を吸うことで生き長らえる。そうして枯れた物が増えてくると住んでる場所に目をつけた人間たちがそこらを燃やしにやってくる。
クレイから人間が魔女を忌み嫌っている話を聞いていたが、人に危害を加えようとしているわけではないのにここまでの事をされるか。
土地は有限だ。こうした引越しを繰り返せばいずれ安全に居を構えて暮らせる場所がなくなるのではないか、と脳裏に不安が過ぎる。それと同時にクレイへの罪悪感もあった。クレイが一度にとる生命力の量は少ない。本来なら木の実を数個で済む事を考えれば本来ここで数年暮らせたはずだ。しかし、それが木の実や山菜しか食べるもののない連がいた事で周囲の樹木等から取ることが増えてしまった。
(私はいつまでもここにいちゃダメだ。迷惑はかけられない)
この世界の今の人間の事情は連もクレイもよく知らない。それでも人間である自分なら暮らせるかもしれない。クレイの負担を減らしたい。そうは思うが、クレイを1人にしたくもない。2つを両立できたらいいのにと思っていた。そして、それは叶った。
ふと、連は枯れた木に触ってみた。すると不思議な事にその木が彩りを取り戻し、元の樹木へと姿を変えたのだ。それはクレイが生命力を奪うのとは正反対の――生命力を与える行為。奇跡というに相応しい光景だった。
「……っ! クレイこれって、すごく役に立つよね」
「役に立つ、なんて言葉じゃすまないわね。これは……」
連は異世界で自分が持ったらしい力に歓喜したりこれで、一緒にいたって迷惑をかけないですむ。
クレイも自分の罪を無かったことにする力を見てどこか安堵するようか顔を一瞬浮かべたが、そう単純なものでは無い事にすぐ気づいた。
「連、あまりその力は使わない方がいいかもしれない」
「……え?」
クレイからの忠告の言葉に連は首を傾げる。
「それがどんな力か、詳しくは分からない。ただ、そんな大きな力を持つのだから代償があると思う。だから不用意に使わないで。もし連が体調を悪くしてしまったら……私はそれを助けられない」
「うん」
クレイの言葉は冷静に判断された、正しい言葉だった。強大な力には何か大きな代償が伴うというのは彼女が証明していて、だからこそ連の身を案じてくれている。恐れている。
――これ以降、連は不思議な力をクレイの前で不用意に使うことはなかった。
今生きているのは不思議な力をもつ魔女がいる世界。そんな場所に呼ばれた連もまた不思議な力を手に入れた。
この事に何か意味はあるのだろうか。それがわかる日が来るのかも分からない。
失った、奪われた。互いの存在が救いなのに触れ合うことすら叶わなかった。
――なんて酷い世界なのでしょう。




