67 島に祝福される恋を
何よりも続く、夜の空。
何よりも遠くて近い、夜の海。
島から見える景色を、俺はマナミの隣で一緒に眺めている。
魔女の家。その後ろにある丘の先で、世界そのものを眺めているんだ。
どこまでも遠いのは、恋なのか。
どこまでも近いのは、魔女なのか。
ただ景色を見ているだけなのに、不思議な気分だった。
横を見れば、マナミが居るのに。
「……初めて見た、こんな景色」
「私が大好きな景色。誰にも教えたことが無い、大切な人に伝えるって決めた――私だけに許された景色」
不意に口にしたマナミを、俺は見た。
横に立つマナミは、ローブを風になびかせている。
海から吹く夜風が肌を撫でると、右ワンサイドテールが星明りを反射して揺れていた。
目を引く、風のままに魅せる白いストール。
普段忘れかけているが、マナミはノースリーブのローブで、露出した素肌をストールで隠している。
隣でまじまじと見られるのは、俺だけ、なのかもしれない。
メグちゃんとかの魔女の類を除いて、特別でありたい、そう思ってしまうのが本当のエゴなのだろうか。
最初なら、魔女に恋をしたい。
突貫した心意気だけで、摩天楼から飛び降りて、魔女に会いにきた妄想信者だ。
いざ蓋を開けてみれば、俺は魔女に何度も出会っていたどころか、全てマナミというたった一人の魔女と糸が結ばれていた。
ほどけないように手繰り寄せたのは他でもない、俺自身なのか。
……マナミと力を交えて、大魔女ナトゥーラに終止符を討って、これ以上無いと思えるほどに今回の輪廻は恵まれている。
「その景色を、マナミは今……俺に見せてくれてるんだよな」
感動深い。考えられなかった。
俺とマナミの関係は、正直ツギハギで、簡単に破けてもおかしくない。
魔女と人間。越えられない壁は確かにあるが、それでも今二人でここに居る、答えが十分に出ているのもおかしな話だ。
ただ頷くマナミは、海から吹く風に揺られている。
幼いように見えるのに、本当は誰よりも大人びていて、使命感が強く、誰よりも優しい、俺が恋をしたい魔女の姿。
「私は、誰にも許すつもりはない」
「……マナミ?」
「でも、どうしても……」
マナミはそう言って、俺の方を見てきた。
水明かりに揺れる宝石のように輝く黄緑色の瞳。
差し込む月明かりが、マナミの顔を鮮明に映して、俺の視界を射止めてくる。
上目遣いで見てくる瞳も、胸元に重ねられている小さな両手も、誰も知らないマナミの一面。
俺だけしか知る筈のない、マナミの姿。
どうして呑み込んだ息が熱いのか、俺には分からない。
分かるのは、マナミの言葉を最後まで聞く。ただ、それだけが、今は理解できる。
「クロジには見せたかった。……私はずっと、クロジに会った時から、怖かった」
語るマナミに、俺は少し苦しくなりそうだった。
それでも最後まで聞きたいと思えるのは、他の誰でもない、マナミだからだ。
これが夢の途中、時間の途中、妄想の途中だとしても、ずっと覚えていると断言できるように。
「ずっと、今も……クロジの隣にいると胸が熱くなって、鼓動が早まって、私はおかしくなったのかな、ってたまに思うの」
「うん」
「……でも、違ったの。クロジの想いに、気持ちに、答えるのが怖かっただけで、私は変わらなかった」
ふと俺は、前の筋肉たる俺がマナミの中で生きていて、俺に結び付けようとしているのではないか、と邪険しそうになった。
だけどそれは間違いだと、なぜだか分かる。
いつかの俺の影響もあるかも知れない。だけど、マナミとの今までを考えると、成長を感じたのだ。
マナミは息を深く吸ってから、俺を真剣に見てくる。
揺れの無い瞳。覚悟は既に決まっている、と受け取れる。
「私は魔女としてじゃなくて……マナミ。私自身、一人の存在に、恋をしたいの。いつの日か恋は駄目って言って、あくる日は恋を許さない……って言ったのにおかしな話だけど」
きっと、マナミも歩き出していたんだ。
俺はマナミに応えていいのか、分からなかった。
この世界で生き始めてから、恋愛とは何か、俺はずっと向き合ってきたつもりだ。
だけど答えはどこにもなくて、理想だけが高くて、マナミの隣にいるだけで満足しかける自分が嫌いになっていた。満足できないのに、自分で自分を止める、立ち止まる俺自身が。
握りしめた拳に、答えはない。
――そうだよな。答えなんて、無くてもいいよな。
言葉を紡いでくれたマナミに、しっかりと伝えたいんだ。
「……マナミ」
「は、はい。……えっ」
俺はベストの前を締めてから、マナミに腕を回した。
筋肉を隠したのは、俺なりの覚悟だ。
マナミに俺自身の想いを持って向き合いたい、ただのエゴだ。
マナミは俺よりも背が低いし、ほっそりとしているのに、抱えきれないほどに大きなものだと……腕を回して実感した。
マナミは動揺こそしていたが、自然と俺の胸元に頭を預けてきている。
どこか安心したように、居場所を見つけたように。
俺の胸元を触る小さな手から伝わる温かさが、今だけは焼けるように熱くて、苦しくて、それなのに心地よかった。
「ずっと、俺を近くにいさせてくれないか」
「……クロジ」
名前を呼ばれた。
確かに温かくて、大好きになっていた、その名前を。
「私、恋をしたみたい」
「……誰に?」
少し落ち着いた声で尋ねると、マナミがピクリと体を震わせた。
小さく「馬鹿」と言ってくるあたり、俺がそんな声を出せるとは思いもしなかったのだろう。
マナミは間をおいてから、息を吸って、腕を回してきたんだ。
「――魔女に恋をしたいってずっと言っている、クロジに」
マナミは俺の顔を見上げるようにし、無邪気で微笑ましい笑みを浮かべていた。
望んだ理想は叶ったのか、とマナミの言葉を聞いて気後れしかけた。
だけどしっかりと伝わる温かさで、鼓動が静かに再起動している。
「マナミをずっと、守り続ける。俺という魂、筋肉がそう言っているんだ」
「変質者。……そうして」
「マナミの中で生きている俺も、喜んでくれるかな」
「うん。クロジは今も、私の島で生きてるから」
マナミが腕にぎゅっと力を込めてきた。
「マナミ。恋をしてくれて、ありがとう。俺に、恋をしてくれて」
俺も返すように、マナミを優しく抱きしめる。
離さないように。
二度と、マナミを離さないように。
この先も、ずっとマナミと居られるように。
「大好きだよ、マナミ」
「……うん。クロジ」
吹いた風はどこまでも、どこまでも、芽生えた気持ちを未来へと運んでくれるのだろう。
歩んできた軌跡と共に、島も祝福してくれている。
風に揺れて舞ってきた葉に見守られながら、俺とマナミは満足するまで、抱き合った。
お互いの熱を感じて、伝えて、離さないように――。




