第6話 決別・絶望の淵へ⑥
寮から旧校舎の大講堂への最短距離、つまり一直線に何の舗装もされていない森を傘もささずに全速力で駆け抜ける。
雨はまだ降り続けている。
大量の雨粒がわたしの顔にぶつかる。
大事に使用してきた制服は水浸し。
ソックスと靴も既に泥まみれ。
はあ……
焦りすぎ。
もっと、落ち着こうよ。
旧校舎の門の前に着いた時、陽は完全に落ち、あたり一面は暗闇の中だった。
目の前は肉眼ではほとんど何も見えない状態。
暗闇の中でも自由に物を見ることができるような便利な力は生憎持ち合わせていないので、素直に懐中電灯に頼らざるを得なかった。
カチッとスイッチを入れる。
瞬間、不思議な光景を目にした。
「あ……あれ?」
旧校舎全体を覆い隠すかのように、何か気味の悪い黒い靄がかかっていた。
それに手を伸ばしてみるが何かに触れた感触はなく、それどころかそこにあるはずの門に触れることができなかった。
これはもしかして結界ではないのか。
空間と空間を隔てる境界。わたしの能力と似ているが、それは全くの別物だ。
それを初めて目にしたわたしには対処法が分からない。こんなことなら以前にアーネストさんから教えてもらっておくべきだった。
でも一体何故?
午前中にはこんなモノはなかった。ならば、わたしが旧校舎をあとにしてから誰かが仕掛けた。あるいは自然に発生したか。
どちらにしたところで、ロイドくんの魔力はこの先に続いているのだ。このまま中に入れなければここまで来た意味がない。
一度旧校舎の回りを調べてみようか。もしかすると、どこかに中に入るヒントがあるかもしれない。
うん、とひとり頷く。
この場をあとにして歩きだそうとした。
その時――
「きゃああああ!」
突如、遠くの方。午前中、ここに来るために通った森林から声にならない叫びが響き渡った。
わたしは何が起こったんだとぎょっとし、疑問に思うと同時にその叫びが聞こえた方向に振り向く。
無数の鳥たちが一斉に羽ばたいていく音がする。
わたしは全力で走り出した。
いったい誰の悲鳴なのだろうか。
わたしは予感する。
一つの光景が頭に浮かぶ。
わたしの考えうる限り最悪な結末。
また、死神が現れ、被害者がでる。
懐中電灯で地面を照らしながら進む。
旧校舎から森林までの中間付近まで達したところで「――何だ、あれ?」と眉をひそめた。
突然、何かが懐中電灯の光を反射したのだ。それは一つの木の下に落ちている小さな物。しかし、鏡やガラスのように強く反射しているわけではない。
さっきの悲鳴と関係があるのか?
走るのを止めて小さな物を拾い上げる。
橙色のカチューシャだった。
「何でこんなところに……」
それをじっと見つめる。
雨で少し濡れているが、泥などによる汚れは全くない。ついさっき落ちたのだろう。しかし、ちょうど身につければ耳の上あたりにくるであろう部分に、どこかに強くぶつけたかのような傷跡が残っていた。
悲鳴の主が落としていったのだろうか。
おそらくカチューシャが落ちていたそばの木に頭をぶつけて、その勢いでカチューシャがはずれてしまったってところか。
――違う。そうじゃない。
これがどのようにして落ちてしまったかなんてこと、今はどうだっていいんだ。重要なのはこれが誰のものであるかだ。
じゃあ、誰のもの?
聞くまでもない。言われるまでもない。
わたしは知っている。これが誰のものかなんて拾い上げた瞬間に判っていた。でも、それを考えてたくなくて、言葉にしたくなくて――
必要のないことを考えてしまった。
考えることを避けてしまった。
この学園の生徒でカチューシャを付けている人はただでさえ少ない。
それに加えて色が橙色。
極めつけに端の方に描かれた小さい花の絵。
該当者はただ一人しか思い当たらない。
急いで懐中電灯で付近の地面を照らす。足跡を見つけた。まだ、雨で消えずにしっかりとした跡を残している。
ついさっきできたものだろう。それは何かと揉めた後、来た道を逃げるように森林の入口に引き返している。
わたしはそれを辿って走り、森林から出る。
そこは整備されたコンクリートの道。
当然、土の地面のように足跡が残っているはずがない。
しかし幸運なことに泥の付着した靴で走っているのだ。僅かに靴から剥がれた泥がどちらの方向に向かったのかを示していた。
おそらく体育館の方向。
体育館の回りの地面はほとんどコンクリートではなく土になっているので足跡が見つかるはず。
わたしは再び走りだした。
残された僅かな手がかりを頼りに、体育館近くにある噴水の広場までたどり着いた。
電灯がうっすらと光を照らすそこに人影が一つ。
やっと追い付いたのだろうか。それに近付く。
わたしに対して背を向ける形になってしまっているが、はっきりとわかる。あれは、間違いない。
「レンちゃん」
そこには空を見上げたレンちゃんがいた。
ただ、その状態のまま動かないでいる。
わたしは走って近付いていく。
「――レンちゃん!」
と叫んだ。
レンちゃんはわたしの声に気が付いたのか、こちらに振り向く。
動きが妙にぎこちなかった。
「あ、ああ――」
微かに聞こえたその声はまるで何かに怯えているようだった。声ははっきりと出ておらず、その顔は恐怖で歪んでいる。目尻には涙を浮かべていた。そして、首を左右に振っている。
こっちに来ちゃだめ。
そう表現しているかのようだった。
わたしはそれに従いそこで立ち止まり、訊く。
「ここで何をして……、え?」
訊くまでもなかった。
息を呑む。
わたしが驚いたのはレンちゃんがここにいたことや彼女の表情、そして行為ではない。
「――そんな」
目を丸くする。
それはレンちゃんの向こう側に浮遊していた。
「――死神だ」
以前に見たものと同個体なのだろうか。もしそうなら情報がある分有利に立ち回れるかもしれない。
とは言え複雑な心境だった。
レンちゃんが死神に襲われそうになっている、ということは彼女は死神の魔術師ではないということを意味してくれている。
しかし、それは同時に死神がまた、今までの人と同じように魂を狩ろうとしていることを意味しているのだ。
その標的はレンちゃん。最悪な状況と言える。
この状況をどうするか考えようとするも、当然、死神がそんな時間を与えてくれるはずがない。
死神は一直線にレンちゃんへと飛びかかる。
レンちゃんは恐怖で足が振るえ動けないようだった。これでは一人で逃げることはできない。なんとしてでもレンちゃんを守らなければ。
そのために今できるであろう策は三つある。
一つはレンちゃんを抱え、一緒にこの場から全力で逃げること。
しかし、その場合おそらく移動する速度が大幅に下がってしまう。死神の移動速度は以前の戦闘から承知している。
少なくともわたしとロイドくんの眼を欺き、瞬時に後ろに回り込むくらいだ。その時点でこれを行うのは危険だった。
二つ目は死神をここで倒すこと。
もし、それが叶うのなら、今まで起こった事件について何かしら手がかりをつかめるかもしれない。加えて二人とも助かる。
しかし、それを成し得るためには死神の相手をロイドくん無しの一人でしなければならない。
悔しいけれど今のわたしでは勝つことはおろか、数分の足止めが限度だろう。よって、この案も却下。
それならば最後の一つ。
数分が限度だというその足止めをする。
わたしが囮になってその隙にレンちゃんを逃がした後、自分も戦線から離脱する。
レンちゃんと一緒に逃げることはできないけれど、二人とも無事に帰るためには最も可能性のある案のはずだ。
「――レンちゃん、ここから逃げて!」
手に握っていた懐中電灯を捨て、肩に掛けた鞄の中から二本の短剣を取り出して手にする。そして死神とレンちゃんの間まで瞬時に移動した。
標的をわたしに変えるために。
しかし――
地を蹴り、死神を斬るために踏み込む。
死神は動きを止めることなく進んでくる。
持っている鎌で防御する姿勢すらとらずに。
短剣が死神を切り裂いた。
これで動きを一時的にでも止めることができる。
はずだった。
――それは間違いだった。
「嘘、でしょ……」
死神はわたしの攻撃をすうっと文字通りすり抜ける。短剣はしっかりと当たったはずのなのに、それ切り裂くことはなかった。
わたしは大きな勘違いをしていた。
あの時死神が消えたように見えたのは死神の移動速度が速かったからではない。
今のように自身の姿を煙のように変化させ、消えることができたからなのだ。
攻撃が当たらなかったことで体勢が崩れ、視界から外れた死神の反撃を警戒する。
だが、死神の狙いはわたしではなかった。
そもそも、わたしのことなど最初から眼中になかったのだ。
「いやあああ!」
背後から叫び声が聞こえる。
そして、スパッと空気と共に切り裂かれる音。
もう悲鳴は聞こえない。
おそるおそる振り向けば、そこには仰向けに倒れて動かなくなったレンちゃんと、緑色の鮮やかな光を放つ球体を手にする死神の姿があった。死神は動かず、その球体をゆっくりと吸収していく。
一番恐れていたことが起こってしまった。
「……レン、ちゃん」
動かなくなったレンちゃんのもとへと歩み寄る。
足が崩れ膝を地面につく。
レンちゃんの肩を優しく揺する。
「ねえ、レンちゃん……」
強く揺すった。
「起きてよレンちゃん」
それでも、目が開くことはなかった。
何の抵抗もないそれは壊れた人形のようでもあった。
「返事、してよ……」
レンちゃんをそっと抱きしめた。
目の奥が熱い。
身体全体の震えが収まらない。
上手く呼吸ができない。
呼吸困難になりそうだ。
球体を完全に吸収し終えた死神は再び鎌を構え、今まさにわたしの魂をも奪おうとしている。
レンちゃんと同じように。
わたしは一体どうすれば――
「――戻れ。そいつには手を出すな」
聞き覚えのある声がした。
同時に死神が声のもとへと飛んでいく。
力なく顔を上げるとその先には見惚れてしまいそうなくらい美しく、それと同時に禍々しい雰囲気を醸し出している銀色の髪をした男がそこに存在していた。
死神はその男の横につき、じっとしたまま動かない。
「まさか、――」
その銀髪の男を、死神を従える魔術師をわたしは知っている。
「ロイドくん、なの?」




