377 総括
気がつくと、俺は何とも不可思議な空間に立っていた。
抽象的で非現実的なよく分からない場所で、まるで夢を見ているかのようだ。
しかし、意識は妙にハッキリしている。
目線を下げると、ホテルのベッドであーちゃんと一緒に眠っている俺の姿。
覚えがある展開だが、一先ず周囲を見回しつつ状況の把握に努めることにする。
俺達は延長戦の死闘を制し、遂に打倒アメリカ代表という目標を成し遂げた。
日本はアメリカ以外でWBWを制覇した初めて国となった。
試合後には当然これも史上初となる優勝セレモニーとビールかけ同時開催のシャンパンファイトを行い、少し時間を置いてホテルで優勝記者会見を行った。
まさしく夢のような一時だった。
だからこそ時間は瞬く間に過ぎ、会見中にコメントを求められた一瞬だけ起きた以外ずっと眠っていたあーちゃんを抱えてホテルの部屋に戻り……。
着替える気力もなく、彼女とすぐさまベッドに入ったところまでは覚えている。
飲酒できないシャンパンファイトの後に多少仮眠を取っていたものの、さすがに今日ばかりは疲労が完全には取れなかったのだろう。
一瞬で意識を手放してしまったようだ。
そして今、妙にハッキリした意識と共に何となく見覚えのある空間にいる。
前にも訪れたことがある場所だが、あの時は俺が――。
「しゅー君、ここどこ?」
その声に隣を見ると、あーちゃんが不思議そうに小首を傾げていた。
さっきまでは確かに影も形もなかったはずだ。
突如として現れた彼女に思わず驚き、戸惑いを抱いていると。
「…………幽体離脱?」
あーちゃんは下の方に見える自分自身の姿に目を丸くしていた。
【以心伝心】も反応している。
どうやら彼女は偽物や幻影という訳ではなさそうだ。
以前、俺がここを訪れたのは前世で命を失った時だった。
1度経験のある俺だけならともかくとして、まさか彼女まで。
そう思って焦燥感を抱く。
眠っているだけのように見えて、眠るように死んでしまったとでもいうのか。
「心配はいらん。お主達は死んでおらんよ」
脳裏を過ぎった危惧を否定する言葉が空間に響く。
当時の邂逅は時間的には僅かなものだったが、忘れるはずがない声だ。
一旦無視して心を落ち着かせ、改めてベッドの中の自分達を観察する。
すると胸元が確かに動いていた。
呼吸している。ちゃんと生きている。
ホッと胸を撫で下ろす。
「ワシの言葉だけで信じて欲しいものじゃが」
そんな俺の反応に、呆れたような言葉が続く。
直後、視界の中に相変わらずちぐはぐな格好をした老体が現れた。
深いしわが刻み込まれた顔に、長く伸ばされた白い髭。
そこだけ見ると、さながら人里から離れた山奥に住まう仙人のようだ。
しかし――。
「何? このトンチキなお爺さんは」
神秘的とも取れる要素に不釣り合いな野球帽とユニフォームが目を引く。
相変わらずだ。
それらのアンバランスさに、あーちゃんさえも少し混乱したように問うた。
失礼な言動に別の意味で少し慌てる。
こんなのでも一応は神様を自称する存在。
野球に狂ったこの世界の神。
言わば野球狂神だ。
「一応、とは失礼じゃのう。正真正銘、この世界の神じゃというに」
当たり前のように心を読んでくるのはスルーしておくとして。
だったら、もう少しちゃんとした格好をして欲しいものだが。
「これこそがこの世界を象徴する姿じゃよ」
まあ、確かにそうなのかもしれないけれども。
と言うか、心の声と対話するのはやめて欲しい。
【以心伝心】であーちゃんにもニュアンスは伝わるにしても。
「……神、様?」
傍から見る者がいれば一方的な野球狂神の言葉に、彼女は困惑したように呟く。
信じられない気持ちは分かる。
だが、そう受け入れておくしかない。
実は神を自称しているだけの別の何かだったりしたとしても、少なくとも超常的な力を持った存在であることに間違いはないのだから。
「けど、どうしてあーちゃんまで?」
「ふむ。それは恐らくはスキルの影響じゃな。ワシとしてはお主だけを呼んだつもりじゃったが……どうやら【以心伝心】によって引きずられてしまったようじゃ」
「スキル? 【以心伝心】?」
意味が分からないと首を反対側に傾げるあーちゃん。
余り気が進まないが、ここに至ってはさすがに説明が必要か……。
「では、折角じゃからワシ自ら全てを話してやろう」
一瞬躊躇した隙を突くように、野球狂神がこれまでの経緯を語り始める。
別の世界の崩壊。
魂ドラフト。
余りものの転生者。
更にはステータスやスキルなど、この世界に隠された仕組みに至るまで。
それらを知ったあーちゃんは、色々と合点がいったような表情を浮かべた。
ただ、全てではない。
そもそも余りものが集められた経緯はぼかされている。
「つまりルカとかフェリクスとかエドアルド・ルイスとかも転生者?」
「そうじゃ」
過去の言動を鑑みれば、その辺りは割と分かり易いだろう。
俺も含め、ところどころで色々と口走ってしまっているしな。
「今の世代のアメリカ代表選手も?」
「彼らは前世の記憶を持っていないがの。別の世界で野球史に残るような活躍をしたレジェンド選手達の魂を宿しておる」
「……何で4歳ズレてるの?」
「う、む」
当然の疑問に言い淀む野球狂神。
「調子に乗って野球のレジェンドの魂を集めたら世界のバランスが崩れそうになって、慌てて俺達を拾い上げたんだよ。バランス調整のために」
代わりに説明してやると、あーちゃんはジト目を野球狂神に向けた。
「尻拭い?」
「ま、まあ、そこはもうよいではないか」
誤魔化しにかかる野球狂神。
あーちゃんは腑に落ちない顔をしているが、俺としても過ぎたこと。
むしろ今となっては……。
「ロシア代表選手も?」
「あれは転生者ではない。ある種、世界の揺り戻しのようなものじゃな」
当然だが、あーちゃんから見てもロシア代表選手は相当異質だったようだ。
ただ、彼らの場合はおかしいのは国の方だ。
それにしたって外れ値のようなものだし、元を辿ればアメリカ代表が余りにも強くなり過ぎたことに行き着く。
まあ、それがなくともいずれあの国は同じことをしていたかもしれないが、今回のWBWに間に合わせるために急いだ部分もあったはずだ。
個々の選手は転生者ではないが、ある意味野球狂神の被害者なのは同じだろう。
「搬送されたアメリカの病院で徹底的に検査され、事実が明らかになれば、国際社会から糾弾されることになるじゃろう。当面はWBW出場停止となるじゃろうな」
「当然」
淡々と告げる野球狂神に対し、大きく頷くあーちゃん。
彼女のことだ。
大事な親友を傷つけられた恨みは一生忘れないに違いない。
「しかし、夫に前世の記憶があるというのに頓着せんのか?」
「そこは何も重要じゃない。1つ文句があるとすれば、しゅー君を余りもの扱いしたこと。わたしにとっては1つの世界よりもよっぽど大事な人」
【以心伝心】が心の底からの言葉だと伝えてくる。
その上でそこまでハッキリとした言葉を使われると照れてしまう。
とは言え――。
「前世の俺は本当につまらない男だったんだ。勿論、悪いことをしてきたつもりはないけど、いいことだって何もなせなかった。そこから脱しようともしなかった」
だからこそ今生では一念発起した訳だが、それだって【生得スキル】のアドバンテージがあったことが大きい。
「どんな切っかけがあっても変われない人間は変われない。エドアルド・ルイスとか他の転生者を見れば明らか」
それは……まあ、その通りだ。
同じ切っかけは与えられた。
けれども、同じような人間になる訳ではない。
「その過去があったから、わたしを助けてくれた貴方になった」
ルカ選手もフェリクス選手も、前世の延長線上にいる。
積み重ねたものが消え去った訳ではない。
「そして、そんな貴方がいてくれたからこそ、今のわたしがある。わたしにとって確かなことは、大事なことはそれだけ」
俺の手を取って、大切そうに両手で握るあーちゃん。
この温もりに何度助けられたか分からない。
肉体が眼下にあるとすれば、これは魂の温かさか。
以前も体温と共にそれを感じ取っていたのだろう。
「ありがとう。わたしと出会って、わたしを救ってくれて」
心からの綺麗な笑顔と感謝の言葉。
それらが胸の奥に染み入り、何かつかえが取れたような感覚を抱く。
前世のあの時間も全くの無駄ではなかったのだ。
「神を前にして2人の世界に入るとは中々やるのう」
っと、まだいたのか。
「ワシの領域じゃ。おるに決まっとるじゃろうに。そも、用件を果たしておらん」
「用件?」
「うむ。お主はワシの求めに応じ、世界最強のアメリカに真っ向から挑み、素晴らしい戦いを見せてくれた。そればかりか彼らに打ち勝つという快挙を成し遂げた」
その口振り。
十分楽しませることができた、ということか。
「うむ」
俺の心の声に答え、野球狂神は深く頷いてから続ける。
「じゃから、その礼として何か願いがあれば1つ叶えてやろうと思ってな」
何でも、とは言わないんだな。
「物事には限度があるものじゃからな。そこは聞いてから判断させて貰おう」
全知全能を名乗ってはいないから、そんなものだろう。
しかし、折角の厚意だ。
……そうだな。
1つだけなら――。
「であれば、生まれる前のステータス割り振りで【Total Vitality】に【経験ポイント】を最低でも50、必ず割り振るようにして貰えますか?」
「ふむ? まあ、よいじゃろう」
叶えて貰えるのか。
よかった。
あーちゃんが過去苦しみ、今も同じ苦しみの只中にいる者も少なくない奇病。
先天性虚弱症。
それは【Total Vitality】が低過ぎることが原因となる。
俺も俺で一応は。
寄付で重点的に医学の発展を促して延命技術を向上させることで少しでも時間の猶予を作り、その間に少しずつ【Total Vitality】を鍛えさせられないか、とか。
胎内にいる段階で【マニュアル操作】でステータスに干渉できないか、とか。
それができるのなら【マニュアル操作】を取得させ、俺以外の人間がそうできる体制を作れるのではないか、とか。
そういったことを考えてはいたが、世界のシステムの方を修正してしまえるのであればそれに越したことはない。
「じゃが、本当にそれでよいのか? お主自身には特にメリットがある願いではなかろう。もっと自分の望みを口にしてもよいのじゃぞ?」
「構いません。本当に貰いたかったものは、あーちゃんから貰いましたから」
改めてあーちゃんの手を握り直し、彼女に笑いかける。
すると、あーちゃんもまた幸せそうな微笑みを返してくれた。
「この人生。あーちゃんと出会い、仲間達と日々を駆け抜け、野球を本当の意味で楽しむことができた。それ以上を望むのは贅沢というものでしょう」
1つに限られていなければ、父さんの病気の後遺症を軽く、とかもあった。
だが、1つだけならこれしかないだろう。
父さんは辛いリハビリに耐えてあそこまで回復した。
たとえ人知を超えた力で願いを叶えて貰わなくても、父さん自身の努力と周りのサポートがあれば大丈夫なはずだ。
「そうか。……今のお主ならば、魂ドラフトで引く手数多じゃろうな」
「だとしたら、おかげさまです」
余りもの扱いされた当時は色々と思うところがない訳ではなかった。
だが、今となっては感謝しかない。
この世界に転生させてくれたことに。
だから万感の思いを込めて。
「ありがとう。神様」
そう言葉にして伝えると、この世界の神は満足そうに笑い……。
俺達は徐々にその空間から遠ざかっていったのだった。




