361 分け合って
7回裏1アウトから2本のホームランを含む3連打によって3失点。
スコアは1-3。2点ビハインド。
そこから更に2連打を喫し、合計5連打となって1アウトランナー1塁2塁。
そんな状況で打席に迎えたのは7番のマイケル・フィリー選手。
打順としては下位ではあるが、その打力はクリーンナップに決して劣らない。
窮地を脱する要素にはなり得るはずもなかった。
この回。俺は彼の打席までに既に15球投げていた。
しかし、手応えのある球は1つとしてなかった。
アウトを取ることができたキッド選手の打球にしても、昇二と正樹のファインプレイに助けられなければ間違いなくヒットとなっていた。
7回に限ったことではない。
2巡目の時点で完全に綱渡りの状態となっていた。
その流れもあって俺は、何を投げても打たれてしまうような気がしていた。
もし精神安定系のスキルがなかったら、間違いなく恥も外聞もなく無理だと喚き散らした挙句に尻尾を巻いて逃げ出していたことだろう。
そもそも、小市民に過ぎない俺がこんな大舞台に立っているのが場違いなのだ。
だが、そうだとしても俺は「プロ野球選手野村秀治郎」であらねばならない。
バンビーノ選手のホームランの後にマウンドに来た落山監督も、そこで話した内容は正確には思い出せないが、俺を続投させる判断をしている。
アメリカ代表に勝つためには「プロ野球選手野村秀治郎」が投げる以外にない。
日本代表選手、首脳陣、日本国民の総意だ。
そう自分に言い聞かせるようにしながら、心の平静については全て精神安定系のスキルを頼みにしてアメリカ代表打線と対峙し続けていた訳だが……。
マイケル選手に対する初球。
選んだのは高めのボールゾーンに大きく外したフォーシームだったが、それ自体もまた苦し紛れの1球に他ならなかった。
その自覚もあった。
それでも何か少しでも変化があってくれと祈るように投じた釣り球だった。
だが、当然と言うべきか効果は一切なかった。
マイケル選手は悠然と見送り、バッティングフォームへの影響も微塵もない。
むしろ2球目を前にして一層集中力を高めている様子が見て取れた。
ストライクゾーンに投げれば間違いなく打たれる。
もう、投げるところがない。
時間稼ぎをするように牽制を2球挟む。
そんなことで打開策が生まれてくるはずもない。
だから俺は、やむを得ず1つ禁を破った。
まだ使用していなかった選択肢。
ロシア代表戦でも使用した150km/hの高速ナックル。
しかし――。
「あ……」
「ヒット・バイ・ピッチッ!!」
変化し過ぎた球はマイケル選手の軸足のレガースに掠めてしまった。
デッドボール。
今生初めての死球だった。
怪我を負わせる要因を可能な限り自ら作り出すことのないように、カンストしたステータスを以って常に細心の注意を払いながら投げてきた。
そんな俺にとって、変化をコントロールできないナックルを使うことは苦肉の策以外の何ものでもなかったが……。
当然と言うべきか【軌道解析】なしには制御が効かなかった。
本来ならば、ナックルというものはそういうもの。
ロシア代表戦では、怪我をした美海ちゃんの弔い合戦として例外的に倉本さんとバッテリーを組んだからこそ、うまくコントロールすることができた。
対称的に、あーちゃんの【直感】では捕球はできても制球まではできない。
……ならば、倉本さんにキャッチャーを代わって貰うべきだったのか。
いや、その選択は今ナックルを使ってしまったことよりも禁忌だ。
理由としては、少なくとも150km/hのナックル程度ではアメリカ打線を抑えられないだろうというのが大きい。
マイケル選手は結果的にデッドボールとなってしまったが、それは避けられる軌道ではなかっただけで決して目で追えなかったからではない。
彼は間違いなくボールの変化を見極めていたし、避けようともしていた。
実際、左足は軌道上からしっかりと退いていた。
当たってしまったのは重心を乗せていた右足だ。
これでは間違いなく打たれる。
もっと極端に球速を上げなければ対応されてしまう。
その一方で、球速を上げ過ぎると倉本さんが怪我をする可能性が高くなる。
【軌道解析】は【直感】に比べて安全な捕球には寄与してくれない。
勿論、全く捕ることができないとまではいかないのは確かだが、キャッチングに微妙なズレが生じて指を抉られてしまう恐れがある。
150km/hを超えて160km/h。
更に170km/hに近づければ近づける程、危険だ。
デッドボール1球で動揺するような俺には、躊躇わずに投げ込む自信もない。
何より今となっては負けている状況で負うべきリスクではない。
それ以上に、この切り札を俺がこの場で切る訳にはいかないというのもある。
後続のために。
あるいは未来のために。
場合によっては、次回のWBWにおける唯一の切り札にもなり得るものだから。
2点ビハインドの状況で、尚且つ球数制限で後20球の猶予しか残されていない俺がおいそれと手を出していい選択肢ではない。
とは言え、だとすればこの盤面をどう切り抜ければいいのか。
先のことなど考えず、持てる手段は全て使うべきではないか。
いや、逆転できる保証もないのにそれは……。
「……ー君」
相反する考えが頭の中で入り混じって答えが出ない。
デッドボールを与えるという危険な真似をしてしまったショックも相まって、血の気が引いたような心持ちと共に俺の思考は完全に内に向いてしまっていた。
「……ゅー君!」
――パチンッ!
次の瞬間、そんな音と共に頬に微かな痛みが走った。
「しゅー君!!」
続いてあーちゃんの声が耳に届く。
ハッとして、いつの間にか目の前にいた彼女に目の焦点が合う。
「あーちゃん……?」
彼女の手が俺の顔に触れている。
どうやら痛みは、両頬を勢いよく挟み込まれたことによるものだったようだ。
キャッチャーミットは外して脇に抱えており、その左手からは皮の匂いがする。
「しゅー君。落ち着いて」
「い、いや、でもな……」
この窮地に正解に辿り着けない。
そもそも正解があるのかも分からない。
どうすればいいのか判断ができない。
視線が彷徨う。
「しゅー君」
あーちゃんが諭すように俺の名を呼んだ。
促されるように彼女に目が向く。
丁度覗き込むようにしていた瞳が視界に映る。
それは強い意思を湛え、俺の心の奥底まで見透かしているかのようだった。
実際、【以心伝心】によって迷いも動揺も感じ取っていることだろう。
「……しゅー君。ここから先はわたしの指示通りに投げて」
「え?」
「それで打たれたら全部わたしのせいにして。この回のこれまでの配球も含めて」
「あーちゃん、何を――」
「今ここにいるわたしはピッチャー野村秀治郎の女房役、キャッチャーの野村茜。そして日本のキャッチャーは古くからリードするもの。何もおかしなことはない」
あーちゃんは俺の顔を挟んでいた手を離し、改めて目と目を合わせる。
そうながら、静かに真剣に言葉を続けた。
「ずっと、キャッチャーとしての役目を果たしてこなかった。決断の責任をしゅー君に負わせてばかりだった」
「いや、それは、俺がそうさせただけで……」
それこそ、あーちゃんが負い目を感じる必要なんて何1つとしてない。
そう擁護しようとしたが、彼女は先回りするように首を横に振って否定した。
「わたし達は夫婦だし、互いに1人のプロ野球選手でもある。現実には完全な対等なんて難しいだろうけど、少なくとも対等であろうとはすべき」
あーちゃんの指摘に思わず口を噤んでしまう。
十分対等であろうとしてきたつもりではあった。
実際、今生の色々な場面で彼女の存在に何度も助けられてきたし、人生のパートナーとして誰よりも信頼している。
けれども、生身の野球選手としても同じように全幅の信頼を置いていたかと問われてしまうと、答えに窮してしまう。
いや、勿論、一定の信頼はしている。
ただ、それは優れたパラメータを持つゲームキャラクターに近いものがあった。
こと野球においては性能に応じて都合よく配置して使っていただけだ。
大リーグなら投手主導のリードは普通。
そんなことは言い訳にはならない。
あちらにしたって首脳陣やキャッチャーのサポートありきのものだし、俺達はアメリカ人ではなく日本人だ。
加えて言えば、俺がやっていることはそうした投手主導ではなく一種の独裁。
自分の配球に従わせてきただけ。
例外はロシア代表戦で組んだ倉本さんぐらいのものだが、それにしたって単にそうするのが合理的だったからに過ぎない。
「しゅー君が何もかも背負い込もうとする必要はない。野球の試合でだってそう」
あーちゃんにとって野球は手段だ。
自惚れでも何でもなく、俺と共に幸せに生きていくための。
だから野球よりも俺の方が大事だと、ことあるごとに口にしていた。
そんな彼女が野球選手として責を負おうとしている。
そうしなければ俺を守れないと思ったのだろう。
彼女にそう感じさせる程、1人相撲をして勝手に追い詰められていたようだ。
中途半端な人間が転生してステータスだのスキルだのを得たところで、まだまだ人間としても野球選手としても未熟極まりない。
そんな俺が1人で果断に突き進み続けられるはずもなかった。
そこまで考えたところで少し力が抜け、思わず苦笑しながら口を開く。
「分かった。あーちゃんのリードに従う。けど――」
「けど?」
「あーちゃんに責任を全て押しつけるつもりはない。半分ずつ、一緒に背負っていこう。それこそ俺達はバッテリーであり、夫婦でもあるんだから」
「……ん。それがいい」
あーちゃんは俺の返答に微笑むと、キャッチャースボックスに戻っていく。
俺にもう少し時間を与えようとするようにゆっくりと。
観客席からブーイングが聞こえてくる。
タイムを取ってのマウンド訪問。
同じイニングで2度目の上に時間を使い過ぎたか。
しかし、ブーイングが耳に届くぐらい視野、と言うか、意識が開けたようだ。
別に打開策が得られた訳ではないが……まあ、開き直って前のめりに倒れよう。
そこまで考えたところで、そう言えば、と思い出す。
バンビーノ選手にホームランを打たれた直後にマウンドまで来た落山監督が俺に伝えたことは、ベンチでも告げられたことと全く同じだった。
何があっても自分を見失わず、どんな時も視野を広く持つこと。
どちらもあーちゃんなしには不可能だったが、まあ、それはともかくとして。
「視野を広く、か」
口の中で呟きながら、ふとダメ元で【マニュアル操作】の画面を開く。
そして【スキル取得画面】に移る。
すると――。
「……あ」
そこには、いくら頭を捻っても発生条件が分からなかった【隠しスキル】【比翼連理】の文字が追加されていたのだった。




