356 気持ちで打てたら苦労はしない
「ふぅ……」
4回の攻防が終わり、ベンチに戻ってきた俺は座席に座り込んで息を吐いた。
このイニングは互いに無得点。スコアは変わらず1−0のまま。
日本代表は何とかリードを保つことができている。
数字の上ではまだアメリカ代表打線に出塁を許してはおらず、完全試合ペース。
ネットの1球速報とかで状況を確認している分には、かなりの優位に立っていると勘違いしてしまってもおかしくないような状態だ。
だが、2巡目に入って1球1球一層丁寧に投げ込まなければならなくなった。
マウンドに立てば一瞬の隙が致命傷になると肌で感じさせられる。
これまでになく神経を使ったピッチングを強要されていることに加え、そもそもWBW決勝戦という大舞台の重圧にも晒されて。
精神安定系スキルで大幅に緩和されて尚、精神を削られている自覚があった。
肉体的には問題ないが、心労が酷くなってきている。
とは言え──。
「大丈夫? 秀治郎君」
「ああ……」
心配そうに声をかけてきた美海ちゃんに対しては曖昧に応じた。
そんな俺に違和感があったのか、美海ちゃんは問うようにあーちゃんを見る。
「……さすがにマズいかも」
対して、あーちゃんはいつになく深刻な表情で告げた。
それは俺の内心の代弁でもあった。
試合が始まってから何度も危機感を口にしてきたものの、先程のイニングで俺が抱いたそれは正直これまでとは桁違いのものだった。
それを率直に口にしてしまうと下手をすればチームの雰囲気を一気に崩壊させてしまいかねないと思い、俺は言い淀んだのだが……。
あーちゃんはチームで共有すべきと判断したようだ。
「3巡目はもう抑えが利かないかもしれない」
そして彼女はよりハッキリと告げる。
子供の頃から今日この日まで温めてきたアンダースロー。
それをバリエーションに加えて幻惑する、いわゆる千手観音投法。
これらは【怪我しない】を利用してカンストしたステータスを強引に100%発揮させることによってようやく成し得た、正に秘策だった。
たとえ薄氷を踏むような攻防ではあれ、実際にここまではどうにか通用した。
しかし、先程のイニングで確信してしまった。
このままでは間違いなく3巡目で捕まってしまう、と。
俺に取ることのできる手段は後、左右の切り替えぐらいのもの。
右バッターに右投げ。左バッターに左投げではなく。
右に左、左に右で挑む。
セオリーには反しつつも球筋が変わる以上、無意味ではないはずだ。
だが、3巡目の9人をそれで0に抑える自信はない。
ランナーが1人でも出れば4巡目にも至る。
今のところ9回95球に収まるペースではあるが、出塁されてしまえば当然球数は嵩んでいく。対応されれば粘られることもあるだろう。
早い段階で降板しては、更に厳しい戦いを強いられることになりかねない。
それが1点リードの裏側にある現在の状況だった。
「あ、茜がそこまで言うなんて……」
美海ちゃんはあーちゃんのネガティブな発言に驚いたように目を丸くする。
むしろ気持ちを切り替えるようにフォローしていた側である彼女が俺に関することで弱音を吐いている事実は、その内容に真実味を持たせたようだ。
あーちゃんは周りが思っている程、どんな時でも俺に追従して持ち上げようとする存在ではないが、明確な問題がない時の言動はそう見られてもおかしくはない。
そんなあーちゃんがここまでハッキリと口にしたということは、本当にマズい状況に追い込まれていると彼女自身も判断している証拠と言っていい。
つき合いの長い美海ちゃんは当然、彼女のそういった部分は重々承知している。
それ故に、強い危機感を抱かされてしまったようだ。
難しい顔をして言葉を詰まらせている。
まだ1点リードしている状況。
いくら袋小路に入り込みつつあるとは言っても、個人的には過度にその事実に囚われて萎縮して欲しくない気持ちがあった。
適度な緊張感は勿論必要ではあるものの、なす術がないとまで追い詰めてしまったらそれこそプレイに悪影響が出てしまうかもしれない。
一方のあーちゃんは、それよりも俺が1人で抱え込むことを危惧したらしい。
彼女は美海ちゃんからベンチにいる面々に視線を向けながら口を開く。
「だから、どうにか打って欲しい。しゅー君を助けるために」
その言葉に息を吞むような声が周りから聞こえてくる。
5回の表。日本代表の攻撃は先程のイニングで凡退した俺の直後の打順から。
即ち5番の昇二からの打順。
打席に立つ準備をして今正にベンチを出ようとしている彼と、ネクストバッターズサークルに向かおうとしている6番バッターの正樹。
「お願い」
特にその2人に対して懇願するように告げるあーちゃんの姿に、彼らは驚きで一瞬動きをとめてから厳しい表情を浮かべた。
それでも美海ちゃん程の衝撃は受けていない様子だ。
実際に守備位置について俺の後ろを守っているだけに、そうした危機感は言わずともある程度共有できていただろう。
驚いた様子を見せたのは、あーちゃんのいつにない態度に関してに違いない。
「……分かってるよ」
「俺は俺のために打つだけだ」
対する昇二は真剣に、正樹はどこか素っ気なく応じる。
反応はそれぞれだ。
しかし、どちらも妙に肩に力が入ってしまっている。
これでは打てるものも打てない。
そこまで行ってしまっては困る。
「2人共。確かにキツい状況だけど……だとしても余り気負うなよ」
「WBW決勝戦でそんなのは土台無理な話だ」
そう正樹は言い残し、2人はバットを手にグラウンドへと向かった。
心配と共にその背中を見送っていると、あーちゃんがソッと俺の手を取った。
「2人だってプロ野球選手。大丈夫」
その呟きに1度彼女に視線をやってから改めて2人を見る。
昇二はバッターボックスの手前でバットを軽く掲げながら瞑目し、しばらく息を整えてから打席に立って構えを取った。
正樹はネクストバッターズサークルから静かにその様子を見守っている。
あーちゃんの言葉で酷く力んでしまったように見えたが、自ら己を御してサイクロン選手に挑もうとしているようだ。
「しゅー君はもっと周りを信じて頼るべき」
「いや、俺は──」
「秀治郎君、茜の言う通りよ」
十分頼っていると返そうとした俺を遮って美海ちゃんが言う。
彼女達からするとまだまだ不足しているということなのかもしれない。
ただ、一方的に頼り切りになってしまっては違うだろうとも思う。
その辺りのバランスを取るのは未だに難しい。
「磐城君も、大松君も、お願い」
あーちゃんは今度は昇二と正樹の後に続く2人にも頭を下げている。
彼らもまた驚いたように目を見開き、それから表情を引き締めた。
「言われなくても」
「やってやるサ」
気合を入れ直している2人を見るに、少なくとも俺の配慮などよりはあーちゃんの率直さの方が正解ではあったのだろう。
「ウチには言ってくれないっすか?」
「勿論、みっくもお願い」
倉本さんは前の打席で凡退になったものの8球稼いでくれている。
既に十分貢献してくれていると言っていい。
「黒井選手も、山崎選手も」
2人も黙って頷く。
……だが、気持ちだけで打てるなら苦労はしない。
ヒットを打つことができたから気持ちが入っているとか、打つことができなかったから気持ちが入っていないとかそういうことはない。
バッティングはそんな単純な話ではない。
ましてや相手は世界最強たるアメリカ代表のエースピッチャーだ。
――ブォンッ!
パァンッ!!
フルカウントから昇二のバットは空を切ってしまい、空振りの三振。
1アウト。
ノーアウトのランナーは出なかった。
「ごめん……」
肩を落としてベンチに戻ってくる昇二。
意気込んだ分だけ反動が大きい。
とは言え――。
「フルカウントまで行って7球投げさせたんだ。十分だ」
サイクロン選手はファーストストライクまでの集中を警戒して2球ボールを続けてから、それをうまく活用してストライクを取った。
そこからストライクゾーンに2球続けて仕留めに来たが、昇二は何とか食らいついてファウルで逃げて2ボール2ストライク。
一旦ボール球を挟んでフルカウントとなった。
6球全てカーブからの7球目のフォーシームに対応できなかった。
「そうね。前のイニングは未来が8球。山崎選手が5球。秀治郎君が6球で……合計19球だから昇二君のも足して――」
「これで66球っすね」
「後29球」
サイクロン選手がどれだけ優れたピッチャーだったとしても、WBWには球数制限というルールがある。
このルールを覆すことは誰にもできない。
初回の1点以降、僅か1本のヒットすら打つことができなかったのは業腹ではあるが、それだけが勝利に繋がる道ではない。
決して2番手で出てくるであろうジャイアント選手ならば容易いと言っている訳ではないが、何かが変わってくれるかもしれない。
半ば他力本願に近いが、それも1つの戦い方ではある。
「兄さん……」
続く6番バッター、正樹の打席をベンチから見守る。
既にカーブとフォーシームのコンビネーションで早々に2ストライクと追い込まれていたが、カウント0-2から。
――キンッ!
――カッ!
「ボールッ!」
「ボールッ!」
――カンッ!!
「あ」
2球のファウルと2球のボールの後。
超集中状態に入っていた正樹は大きく打ち上げてしまい――。
「キャッチッ!」
ライトフライで2アウト。
それでも昇二と同じく7球消耗させた。
これで球数は73球。残り22球。
7番の磐城君がバッターボックスに入る。
彼もまた早々に超集中状態に入っていた。
しかし、やはり単なる超集中状態ではサイクロン選手を打ち崩せないようだ。
2ボール2ストライクからの5球目を彼は打ったが、打球はセカンド真正面。
ライナーで3アウトチェンジ。
「78球。残り17球」
この回のように球数を稼げば次の回で降板させることができるかもしれない。
だが、いずれにしても……。
「黒井選手のような境地に至らないと、もっと粘ることも打つことも困難、か」
5回表の攻撃は4イニング連続の3者凡退で終わり、俺は断頭台への道を歩まされている囚人のような心持ちでマウンドへ向かったのだった。




