閑話74 序盤の評価(バンビーノ視点)
3回表。チームジャパンの攻撃は3者凡退。
2回表に続いて我々チームUSAはランナーを1人も出さなかった。
しかし、サイクロンはこの回だけで26球と球数を大分消費してしまっていた。
これは彼のキャリアでも非常に珍しく、WBWに限れば正に異例の事態だった。
もっとも、3イニングの合計では40球。
WBW決勝戦の球数制限は95球。残り6イニング。
まだまだ余裕がある。
加えて、この決勝戦のためにサウスポーのジャイアントも温存してある。
チームUSAの絶対的な守護神であるモーも控えている。
球数が多少増えたぐらいでは致命的な状態とまでは行かない。
とは言え――。
「サイクロン、珍しいな。本気のお前があそこまで粘られるなんて」
「そうだな。久々に面白いバッターと出会うことができた」
俺の言葉にフッと楽しげに笑うサイクロン。
こと野球において嘘偽りを嫌う彼がそこまで言うということは、チームジャパンのあの9番バッター、リキオウ選手を相当評価しているようだ。
「他と比べてどうだ?」
「チームジャパンの中では確かに9番相当。スターティングオーダーの中では総合的に見て一段落ちる選手だが……あの瞬間だけは他の誰よりもやりにくかった」
一先ず3イニングで打者1巡+α。
9番バッターまで一通り対戦した上でのサイクロンの感想に俺も頷く。
正直、1球目と2球目、それと最後の16球目については特に脅威を感じなかったが、3球目から15球目までのバッティングは確かに素晴らしかった。
もしあの状態を常に維持することができるのなら、世界最高峰の大リーグにおいてもトップクラスのバッターとしてやっていけるだろう。
……と言うのは少々意地が悪過ぎるか。
俺にしても、あそこまでの没頭に至った経験は人生でも数える程しかない。
それを常に維持しろ、などというのは余りにも無茶苦茶な要求だ。
ちなみに俺がその境地を体験できたのは、ワールドシリーズの優勝を懸けた最終戦のターニングポイントでサイクロンやジャイアントとやり合った時に限られる。
数える程しか経験がない理由は正にそれ。
これまでの野球人生において、それ程までに集中力を研ぎ澄ませる必要があるシチュエーションそれ自体は極めて少なかった。
残念ながらWBWでは1度たりとももない。
しかし、あるいは今日この試合でなら。
俺も久々にその領域に至ることができるかもしれない。
「にしても、チームジャパンの奴ら、予想以上だな」
と、横からハンマーが獲物を前にした猟師のように獰猛に笑いながら言った。
他の選手達も似たような感想を抱いていることがベンチの雰囲気から伝わる。
「ふっ、だろう?」
「何でお前が得意気なんだよ、バンビーノ」
全参加国の中で最も楽しませてくれそうだと前々から目をつけていたチームだけに大きく頷きながら相槌を打つと、近くにいたモーが呆れたように苦笑した。
抑えの切り札である彼だが、まだ試合は序盤戦が終わったところ。
なので、さすがにブルペンには入っていない。
一方で2番手ピッチャーとして登板予定のジャイアントは念のために試合開始直後からブルペンで待機しているが……まあ、これは余談だな。
「ストライクワンッ!!」
「っと、うまくかわされているな」
3回の裏。チームUSAの攻撃は7番バッターのマイケルから。
未だこちらはノーヒットと過去類を見ないような状況に陥っている。
それは偏にチームジャパンのエース、シュウジロウ選手のMax170km/hのアンダースローという奇跡的な投法に抑え込まれてしまっているからだ。
今や大リーグでもアンダースローは極めて珍しい。
ましてやファストボール系の変化球も含めて下手投げでは異常極まりない球速。
その上、球の出どころも恐ろしく低い。
しかも両投げ。
通常のアンダースロー以上に角度がついて浮き上がってくるあの特殊な軌道に慣れている者など当然おらず、ほとんどのバッターが打ちあぐねている。
「いつもの調子で打とうとすると、どうしてもスイングが崩れるんだよな」
「アッパー気味にな。そうなってしまうと、それだけで不利になる」
アッパースイングで打球角度を上げて柵の向こう側に放り込んでしまえばいいというような思想が一時流行っていたが、ことアンダースローには悪手だ。
実際、この場では自ら望んでそういったスイングをしようとはしていない。
想像以上に低いところから投じられた球はバッターの想像を遥かに超えて急浮上し、それに咄嗟に合わせようとすると自分のバッティングを狂わされ……。
結果、アッパースイングに近づいてしまっているという話だ。
そうなると当然ながらスイングとボールの軌道がうまく噛み合わず、線ではなく点で捉える形に強制的に持っていかれてしまう。
ましてやフォーシームのみならず、変化球も多種多様。
コンタクトするのも容易ではない。
前に飛んだとしても、修正できなければ打ち上げてしまってフライアウト。
シュウジロウ選手のアンダースローは制球力も凄まじいだけに、相手をそんな状態に強制的に追い込むだけの力を有していた。
「バンビーノを打ち取った球なんかは、それこそ過剰なぐらいのダウンスイングで迎え撃つしかないかもしれないな」
「そうだな」
あれはソフトボールの変化球、ライズボールに近い球だった。
単純に下から投げたから浮き上がる軌道になっているというだけでなく、回転による揚力を利用して明らかに上に変化していた。
結果、思いっ切り下を叩いてしまって打球は高々と上がってしまった。
「いつものスイングで柵の向こうまで飛ばしておいてよく言うぜ」
「飛距離が出たって捕られたら意味がないさ」
後もう少しだけ打球の角度が浅かったら、センターのグローブも届かない距離まで飛ばすことができていたはずだ。
しかし、それができなかった以上、あの打席は俺の負けだ。
正にあそこしかないというタイミングで跳躍し、見事ホームランキャッチを成功させたカズヒロ選手もよかった。
だからこそキッチリ修正し、必ず彼の頭上を超えるホームランを放ってみせる。
そう強く思い、そんな気持ちを抱けることを幸福に思う。
「はあ、しばらくバッティングを崩しそうだな」
「ふっ」
ハンマーが文句を言いながら軽く嘆息する姿に思わず笑みが零れてしまった。
彼の言う「しばらく」は精々数打席ぐらいのものだろう。
チームUSAのスターティングメンバーに名を連ねる選手だ。
適応力もこの上なく優れている。
この試合の影響で多少フォームを崩したところで、レギュラーシーズンまでにはさも当然のように修正してくるだろう。
「あの異次元のピッチャーを最初に攻略できるのは、正に俺達の特権だぞ?」
「分かっているさ。やらないとは言っていないだろ?」
ニヤリと笑うハンマー。
その表情に俺自身の笑みが透けて見える。
シュウジロウ選手が1球目を投じた瞬間の胸の高鳴りが思い起こされる。
アンダースロー? 170km/h?
しかも両投げで、だって?
面白い。最高じゃないか。
驚愕で静寂に包み込まれた球場の中で、俺達はかつてなく昂っていた。
世界初。唯一無二のピッチャーと言っても過言ではない。
そんな相手と戦うことができることを、神に感謝したいぐらいだった。
まあ、欲を言うなら。
あの人外染みたチームロシアとも戦ってみたかったが……。
こればかりは仕方がない。
開催国はルール上、強豪国とは当たりにくい配置になる定めなのだから。
――カンッ!
「ああ、やられたな」
マイケルは高めの球をダウンスイングで打ちに行ったが、インコースへ急激に曲がる変化球でうまく打たされる形となった。
打球はサードのショウジ選手の真正面。
それでも強襲と表現するに相応しい打球速度だったが、彼は素早く正確に処理してファーストのマサキ選手へとボールを送った。
「いい肩だ」
「ヒズアウッ!!」
矢のような送球で1アウト。
「チームジャパン。本当にいい選手が揃っているな」
事前情報である程度分かっていたことだが、期待以上だ。
我々チームUSAを相手にして全く臆していない。
それがいつまで持つのか。
願わくは、どれ程の窮地になろうとも折れずにいて欲しい。
傲慢かもしれないが、こちらは挑戦者の気概のようなものはほぼないからな。
大リーグの中でのライバルとの切磋琢磨はあっても格上への挑戦はない。
ないものねだりではないが、彼らの姿にはある種の眩しさがある。
その一方で。
「……シュウジロウ選手、そんなに張り詰めていると危ういぞ」
野球を楽しめと試合前にも忠告したのに、マウンド上の彼の表情に余裕はない。
チームUSA打線を相手取っているのだから当然と言えば当然のことだが、そんなことでは95球まで持たない。
今からそんなでは追い詰められたら挫けてしまいかねない。
「相手の心配をするのもいいが、1点ビハインドだということも忘れずにな」
サイクロンはベンチで盛り上がっている俺達にそう注意し、それから「失点してしまった俺が言うことではないかもしれないが」と続けた。
「お前の立ち上がりが狙い目なのはいつものことだろう。俺達だってそうする」
「むしろ初回以外ノーチャンスに等しいからな、お前は」
「その立ち上がりにせよ、お前達以外に打たれたことなんてほとんどないけどな」
「そうさ。分かっていたって大半の選手はお前のファーストストライクを打つことなんてできやしないんだ。初回のアレだって相手を褒めるべきだろうよ」
彼女達の読みの鋭さ、コンタクト率は明らかにシュウジロウ選手以上だ。
これまでのプレイを見る限り、守備も一級品。
……世の中は広い。
チームイタリアとも戦ってみたくなる。
「まあ、心配するな。必ず逆転してみせる」
「ああ。そこは疑っていないさ」
そんなやり取りとは裏腹に、この回もチームUSAは3者凡退に終わり……。
1点ビハインド。こちらはノーヒットという状態のまま試合は中盤戦に突入してしまったが、それはむしろこちらの昂りを一層増す要素でしかなかった。




