347 当日午前①
空の上での全体ミーティングを終えた俺達は、マイアミに到着するまでの長くはないものの短くもない時間をそれぞれ体を休めることに費やした。
やがてチャーター機は3時間のフライトを終え、現地の空港へと降り立つ。
日本代表団はそこからバスで宿泊先のホテルに移動し、そのロビーで解散。
ロシア代表との戦いは思った以上に疲労があったようで、全員部屋に直行した。
そうして俺は眠気に耐えながら就寝の準備をし……。
あーちゃんと一緒にベッドに入ると、そのまますぐに眠りについたのだった。
決戦前日の夜はそれで終わり。
重大なイベントが起こる訳でもなく、呆気なくWBW決勝戦当日の朝が来る。
この世界に転生してから20年以上。
今日という日が来るのをずっと待ち侘びていたような気もするし、いつまでも訪れないでいて欲しかったような気もする。
しかし、時は人の思いなど関係なしに過ぎ行く。
馬鹿みたいに延長が続かない限り、明日を迎える前に1つの結果が出るだろう。
泣いても笑っても。否応なく。
そんな特別な日のスタートに、俺が目を覚まして最初に見たものは――。
「しゅー君、おはよ」
何やら幸せそうに微笑んでいるあーちゃんの顔のどアップだった。
どうやら少し先に起きて俺の寝顔を至近距離から眺めていたらしい。
それを認識したのと同時に、更に彼女の顔が近づいて唇に柔らかな感触がした。
「おはよう、あーちゃん」
少しして顔を離した彼女に、こちらからも朝の挨拶を返す。
すると、あーちゃんは小さく頷いてからじゃれつくようにくっついてきた。
首元に顔をうずめてくる彼女のまだ整っていない髪を梳かすように軽く撫でる。
夫婦になってからはよくある朝の一幕なので、特に驚きはない。
まあ、決勝戦当日という事実を無視すれば、の話だが……。
勝負の朝も敢えて普段通りに振る舞って精神を落ち着けよう、なんて意図は【以心伝心】から伝わってくる限りではないだろう。
あーちゃんはマイペースに、いつも通りでいるだけだ。
俺としても、むしろその方が助かる。
「む」
しばらくそうやって夫婦らしい触れ合いを続けているとスマホが鳴り、あーちゃんは少し鬱陶しげにそれを手に取って画面を見た。
表示された名前を確認した彼女は、一転して雰囲気が和げて通話を開始する。
朝の至福のひと時を邪魔されてもそれだけで済む相手からの連絡だったようだ。
「分かった。しゅー君に伝える」
あーちゃんは2、3言葉を交わして電話を切る。
それから彼女は俺の方を向いて言葉を続けた。
「お母さん達、9時頃ホテルに来るって」
「そっか。じゃあ、そろそろ着替えようか」
「ん」
もう1度軽くキスを交わしてからベッドを出て、身支度を始める。
現地にまで応援に来てくれた家族に会うのに、だらしない格好ではいられない。
頭を切り替え、気を引き締める。
「全員分、チケットが用意できてよかった」
「そうだな」
近くで着替えながら言ったあーちゃんに、俺も頷いて同意する。
天下のWBWの決勝トーナメント。その決勝戦であっても、出場選手の特権でいくらか観戦チケットは融通して貰うことができる。
多分に漏れず俺も用意できる限り手配をお願いした。
両親の分、そして仲間達の分。
とは言え、さすがに限度というものがある。
当然と言うべきか、俺とあーちゃんの2人分の枠では足りなかったため、不足分については美海ちゃん達にも手伝って貰ってどうにか人数分確保したのだった。
「……まあ、決勝戦の分だけだけど」
決勝トーナメントはくじ引きの結果によって移動先が大幅に変わる。
場合によっては0泊3日の弾丸旅行とかにもなりかねない。
それすらものともせず現地まで応援に来てくれる熱いファンも大勢いるが、日本からアメリカ、更に州を跨いでの移動となると負担が大きいのも事実だ。
特に大病を患った父さんにはちょっと厳しいだろう。
だから、出場選手の特権でお願いしたのは決勝戦の分のみ。
そういった意味でもロシア代表戦に勝利できて本当によかった。
そんなことを思いながら身支度を終えたところで再びスマホが鳴る。
「しゅー君。お母さん達、着いたって。行こう?」
「ああ」
私服のあーちゃんに促され、一緒にホテルの部屋を出てロビーに向かう。
WBW決勝戦は19時からのナイトゲーム。
球場入りは昼食の後の予定だ。
そのため、午前中は僅かながら自由時間がある。
日本代表団の面々はそれぞれ思い思いの時間を過ごしているはずだ。
中には俺達と同じように家族や友人と会っている者もいるだろう。
実際、ラウンジには何人かそうしている選手がいた。
それを視界の端に確認しながら辺りを見回す。
すると、奥の方で俺達に向かって手を振っている見慣れた人影が視界に映った。
5人の集まりの中で1人立ち上がってそうしているのはお義父さん。
隣にはお義母さんと義弟の暁の姿もある。
そしてテーブルを挟んで反対側には父さんと母さんがいた。
「秀治郎。体は本当に問題ありませんか?」
近づくと開口一番、母さんが心配そうに問いかけてくる。
5人共、前日入りしてホテルでロシア代表戦の生中継を見ていたそうだ。
当然、俺が思い切り吹っ飛ばされたところもリアルタイムで目撃してしまった。
試合中は連絡もつかず、ヤキモキしていたに違いない。
実際、スマホには大量の通知が来ていた。
交錯の後も最後まで変わらずプレイし続けていたし、試合が終わった後すぐに無事を伝えておいたのだが……。
それだけでは安心できなかったようだ。
「大丈夫。どこも問題ないよ」
「ん。ちゃんと昨晩シャワーを浴びながら隅々まで再確認しておいた」
「…………茜ちゃんがそう言うのなら、安心ですね」
実の息子である俺の言葉よりも、義理の娘であるあーちゃんを信じる母さん。
ちょっと不満だが、まあ、こればかりは仕方がない。
こういうことに関しては、当人の判断は信用ならないからな。
何にしても、母さんの不安が少しでも薄らいだのならよかった。
「とりあえず、怪我の心配はないとして……2人共ちゃんと眠れた?」
と、今度はお義母さんにそう尋ねられる。
途中の息遣いに少し言葉を選んだ感があった。
これはロシア代表選手に対して色々と思うところがあってのことだろう。
しかし、決勝戦当日ということもあって口にはしないようにしているようだ。
その配慮も、心配もありがたく思う。
「大丈夫です。昔から寝つきはいいし、一晩眠れば疲れは大体取れるので」
「ぐっすり。問題なし」
虚勢ではなく事実として、あーちゃんと共に答える。
回復力を高める効果を持つスキルのおかげで調子は万全だ。
日本代表のスターティングオーダーに名を連ねる面々もほぼ問題ないだろう。
美海ちゃんの怪我を除けば、体調面での不安要素はないと言っていい。
仮にアメリカ代表に敗北したとして、そういった部分では言い訳ができない。
それぐらいだ。
「なら、よかった」
お義母さんは安心したようにそう言うが、そこで会話が変に途切れてしまう。
体調の話はロシア代表とのラフな試合が想起されるし、避けた方がよさそうだ。
話題を変えよう。
「暁、初めてのアメリカはどうだ?」
「うーん、よく分かんないかな」
何とも微妙な反応の義弟に苦笑する。
マイアミは世界的に有名なリゾート地でもあるが、今回は目的が目的だ。
天下分け目の大決戦を目前に控えた状態では、周りの娯楽に目を向ける余裕はたとえ出場選手ではなくとも中々ないだろう。
今日の試合が終わるまでは楽しめるものも楽しめないに違いない。
負けてしまったら、そんな気にもなれないだろうけど。
「……優勝できたら皆で観光するか」
「この時期は春休みだから混んでて、騒がしいからやめといた方がいい。入場規制とか交通規制も厳しいから色々面倒だって話」
「そうなのか?」
「ん。しゅー君と優勝記念で海に行こうと思って調べたらそうだった」
フロリダの3月は割と暖かくて過ごしやすい季節みたいだしな。
更に春休みともなれば、そりゃ人も集まるか。
それなら日を改めた方がよさそうだ。
「しかし、優勝できたらって……2人共、そこまで自信があるのかい?」
「厳しい戦いなのは重々承知しています。ですが、最初から負けるつもりで試合に臨む選手は、少なくとも日本代表にはいませんから」
お義父さんの問いかけに、自分を鼓舞するように返す。
対して、お義父さんは「それはそうだね」と軽く笑いながら頷いた。
過信なら注意しようと思ったが、その必要は全くなかった、というところか。
それはともかくとして。
そのやり取りを横で聞いていて、父さんは感じ入るところがあったようだ。
「……そうか。秀治郎が、本当に投げるんだな」
しみじみと呟くように言い、更にを続ける。
「俺の息子が、WBWの決勝戦でアメリカ代表相手に投げるなんて、夢のようだ」
「約束、したからね。父さんと母さんが誇れるような、日本中の人に夢を見せられるような選手になるって。だったら、これぐらいのことはやらないと」
「秀治郎……」
そんな言葉1つで感極まって目を潤ませる父さん。
病と年の相乗効果で随分と涙脆くなってしまったと思う。
それでも0が100になることはない。
響く心と情があってこそだ。
「父さんがリハビリを頑張ってくれたから、俺も折れずにここまでこられたんだ」
いつだったかのファーストピッチセレモニーを思い出す。
父さんは俺のために必死に頑張って、マウンドからボールを届かせた。
あの父さんの姿には本当に力を貰うことができた。
「勿論、多くの人のサポートもあった」
母さんは父さんの努力を支えてくれた。
父さんが倒れた直後には、お義父さんとお義母さんにも助けられた。
俺の無茶苦茶を快く、疑わずに受け入れてくれた。
だからこそ今がある。
暁の前では理想的な兄でいようと思えた。
伴侶たるあーちゃんは言わずもがな。
仲間達にも、1人ではできないことを色々と支援して貰った。
「だから、これは皆で掴んだチャンスだよ」
俺が本心から言うと、父さんは目元を隠すように俯きながら手で擦った。
それから顔を上げて笑みと共に口を開いた。
「決勝戦も、応援してる。頑張れ、秀治郎」
「うん。ありがとう、父さん」




