338 気まずくもそれは
試合の真っ只中に他に誰もいないロッカールームであーちゃんと向かい合う。
彼女と2人切りというのは夫婦なのだから別に珍しいことではないけれども、場所が場所だけにちょっと違和感があって落ち着かない。
何より、ここに至るまでの流れとあーちゃんの様子。
ここまで激情を俺に向ける彼女は初めてのことで、こちらも動揺してしまった。
とにかく気まずくて、ついつい誤魔化して先送りにしようとしてしまう。
「あーちゃん。そろそろ試合も再開しそうだし、選手は基本ベンチにいないと」
「救急車が入って荒れたグラウンドの整備に時間がかかるらしいから問題ない」
いつになく冷たい口調で言われ、俺は思わず黙り込んでしまった。
我がことながら情けない。
この期に及んで煙に巻こうとしているのもそうだ。
酷い悪足掻きでしかない。
今のあーちゃん相手になあなあで済ませるのは無理な話だし、人生の伴侶である彼女に対してそれは余りにも不義理というものだろう。
無駄に彼女を不安にさせてしまったのみならず、勝利のために試合に出場し続けなければならないという大義の下、思いやりを無碍にしてしまった訳だから。
そこに関しては1から10まで俺が悪い。
美海ちゃんじゃないが、ここは怒られるべき場面だ。
「……ごめん。心配かけて」
観念して率直な言葉で謝る。
すると、ずっと唇を尖らせて不機嫌さを強くアピールし続けていたあーちゃんはほんの少しだけ表情を和らげた。
しかし、【以心伝心】は変わらず不満を訴えかけてきている。
「ホントに心配した」
「うん」
「ホントのホントに」
「……うん」
あーちゃんはそこまで言って、ようやく幾分か感情が鎮まってきたようだ。
頭の中を整理するように深い呼吸をし、少し間を置いてから改めて口を開いた。
「わたしにとって何よりも大切なのはしゅー君。わたし自身よりも、ずっとずっと貴方のことが大事」
俺の心に響くようにと選んだ言葉でもあるだろうが、本心なのは間違いない。
【以心伝心】がそう告げているし、更に言えば【好感度】にも裏打ちされている。
彼女が心の底からそう思っていることは疑いようがない。
それもあって確かに俺の胸に刺さった。
「この社会で一緒に生きてる以上、国とかWBWなんかどうでもいいとは言えないけれど、それだってしゅー君とは引き換えにできない。引き換えにはさせない」
誰にも、俺にすらそれは否定させないとばかりに強い口調で告げるあーちゃん。
もし勝利のために犠牲になれと強要する者がいたら、それこそ命を賭して徹底抗戦するつもりでいるぐらいの意思を感じる。
俺としてはたとえそんな状況になったとしてもあーちゃんには無茶しないで欲しいけれども、それこそ彼女が今俺に抱いている気持ちと似たようなもの。
その言葉も考えも、決して否定してはいけないだろう。
あーちゃんの想いがそれだけ大きいことも、昔からよく知っているからな。
この気まずさも彼女の愛の強さ故だ。
とは言え――。
「だから、しゅー君も自分を蔑ろにしないで」
「……しないよ。してない。そういう風に見えてしまったかもしれないけど、俺は絶対に自分を蔑ろにしたりはしない」
縋るようなその願いには弁明をする。
そんな自己犠牲染みた高尚な気持ちは一切ない。
単にできるからやってるだけだし、俺の精神は前世から一貫して小市民だ。
ただ、さすがに今回は余りにも【怪我しない】前提で行動し過ぎてしまった。
それが彼女をここまで不安にさせてしまった原因の1つでもある。
勿論、これまでも散々常識外れなことを大小様々行ってきた。
体勢的に無理のある悪球打ちやら、アクロバティックな投法やら。
【怪我しない】がなければ確実にどこかが壊れるような無茶を何度もしてきた。
ただ、それらと比べても先程の交錯は視覚的なインパクトが強過ぎたのだろう。
いくら自らそうなるように重心を後ろに傾けていたにしても、【体格補正】がバグるぐらい筋骨隆々な男の全力疾走に思い切り跳ね飛ばされてしまった訳だから。
正樹のような限界を極めた結果の怪我とはまた異なる、競技に内在した危険性。
レナート選手のアレが意図したものかどうかはさて置き、起こり得る余地があるから起きたものであることは否定できない。
長年のルールの最適化と競技者自身の努力によって遠ざけられ、覆い隠されていた部分を剝き出しにして突きつけられたように感じたに違いない。
「でも、しゅー君は試合に出場し続けようと、周りに対して無事だってアピールしてた。あんなことがあった直後だったのに」
「それは……ただ単純に自分が大丈夫だって分かってたからだよ」
「何で、そう言い切れるの?」
そう問いかけてきたあーちゃんの声色には戸惑いが滲み出ている。
【以心伝心】が俺の中に一切の嘘偽りがないことを伝えているからだろう。
【怪我しない】前提がなければ、愚者の勘違いか狂信者の狂気の類の発言だ。
俺だって素でそんなことを言い出す奴がいたらドン引きする。
ただ、それと同じように。
その根拠としてスキルの実在を主張してくる者がいたら確実に白眼視される。
まるでゲームのような理が世界に隠されていることを即座に信じられるのは、それこそ【マニュアル操作】を持つ者ぐらいのものだ。
だからスキルなどという眉唾過ぎる真実に頼ることなく、実際にあーちゃん自身も経験している現象に即して彼女を納得させられる説明を頭の中で組み立てる。
「あーちゃんはピッチャーが投げてくる球種やコースとか、打球がどこに飛んでくるかとか何となく分かったりするだろ?」
「……ん」
「いわゆる【直感】力に優れてるってことになるけど、それは五感で得た情報を基に一瞬の内に脳で情報を処理して答えを導き出している訳だ」
あーちゃんの場合はかなりの部分をスキルが補助しているのだろうが、現象としてのメカニズムはそういうことになるはずだ。
前世においても直感の仕組みとしては同じことが言える。
「それと、俺の気持ちを読むこともできる。これも直感に含めることもできなくはないけど、どちらかと言うと共感覚的な能力なのかもしれない」
「共感覚……?」
「音を聞いて味がしたり、文字を見て色を感じたり。ある刺激に対して別の五感の感覚が引き起こされる現象で、実際に報告されているものだ」
「ずっと一緒にいるおかげじゃなくて?」
「だって、保育園の時にはもうそんな感じだったろ?」
そう言えばそうだったかもしれないと頷くあーちゃん。
【以心伝心】は【好感度】依存で発動するのであって経験は関係ない。
恐らく今スキルが機能しなくなっても何となくであれば感情を読むことができるとは思うが、出会って1年も経たない頃からそうだったことは説明できない。
彼女にとっては当たり前過ぎて忘れていたようだが、現実的な解釈をするのであれば視覚情報に紐づいて感情が見えるというのが近い。
それはやはり共感覚的なものだ。
「俺も似たようなもので、怪我をするかどうかは分かるんだ。あの瞬間も怪我をしない確信があったし、だから大丈夫だって前提で行動していたんだ」
厳密に言えば、あの瞬間だけでなく永続的なものだが、ものは言いよう。
あくまでも現実に落とし込むための考察なので、嘘判定にはならないだろう。
……何でスキルの抜け穴を突く能力バトルものみたいな真似をしているのかと我に返りそうになるが、これも互いのために必要なことだ。
「リプレイを見れば分かるけど衝撃を逃がそうと後ろに飛んだし、受け身もちゃんと取ったしな。実際、大会医療班も問題ないって言ったろ?」
「それは、そうだけど……」
「あーちゃんのためにも俺は俺を蔑ろにしない。それは絶対だ。信じて欲しい」
改めて繰り返しながら、俺はあーちゃんの手を取ってその目を真っ直ぐに見た。
対して彼女はしばらくの間、こちらの心を覗き込むように見詰め返してくる。
それから――。
「ん。信じる」
そう言って小さく頷いてくれた。
勿論、この場だけで納得し切るには不十分だし、そこまでは至っていない。
それでも【以心伝心】が本音を伝えてくれているおかげもあるだろう。
一先ず理解の色は見て取れたし、納得しようという心の動きも感じられる。
何より信頼の気持ちは僅かたりとも揺らいでいない。
それだけで今は十分だ。
「さ、あーちゃん。今度こそ打席に立つ準備をしないと」
「ん。……でも、本当に無理だけはしないで」
「分かってる」
念押しするあーちゃんに微笑みと共にそう返し、一緒にロッカールームを出る。
すると、ベンチに戻っていた美海ちゃんが再びこちらに早足で来るのが見えた。
「秀治郎君、もう大丈夫?」
「ああ、問題ないよ」
美海ちゃんは俺とあーちゃんを見比べて小さく頷く。
ちゃんと怒られてきたな、という感じか。
「いいタイミングだったわ。茜はネクストバッターズサークルに行きなさい」
どうやらグラウンド整備が終わって試合が再開するところらしい。
呼びに来てくれたようだ。
「ん」
「秀治郎君は――」
「俺はベンチに姿を見せないで少し攪乱しようかと思う」
心配してくれているだろう日本の観客や視聴者には申し訳ないが……。
早々にピンピンしている姿を見せてしまうと、このイニングに限っては打順が回る倉本さん辺りが標的になる可能性がある。
勿論、レナート選手のアレが故意だったらの話ではあるけれども。
念のため、その前提で考えておいた方がいいだろう。
ということで、ベンチ裏から試合の推移を見守る。
もっとも、220km/h相手にこちらができることは限られている。
9番の大松君、1番のあーちゃんと連続で見逃し三振。
2番の倉本さんに至ってはバッターボックスの端に立っている。
意識を失って痙攣していたレナート選手を目の当たりにして、負けん気の強い彼女もさすがに怪我への恐れが喚起されたのだろう。
遠くから眺めるような状態のまま、ただただストライクカウントが増えていく。
そして……。
――バチンッ!!
「ストライクスリーッ!!」
彼女もまた3球三振に切って取られてしまった。
結果、7回表の日本代表の攻撃は無得点。
スコアは8-5のまま。
この回、レナート選手の代わりに入ったサードは守備機会がなかった。
ベンチに戻っていく彼の姿を複雑な気持ちで通路に隠れながら見送る。
レナート選手の容態は心配だが、今は試合の真っ只中。
いつかあーちゃんに言われた通り、ここで立ちどまっている訳にはいかない。
罪悪感も同情心も、一旦全て心の奥に押し込んで蓋をしておく。
ロッカールームでのやり取りに意識の大部分を割かれていたおかげか、試合中で精神安定スキルが効いていたからか、それはそこまで難しいことではなかった。
ただ、禍を転じて福と為すではないけれども。
レナート選手がこのアメリカの地で病院に送られたことが、彼を含めたロシア代表選手の状況を変える切っかけとなるように願わずにはいられなかった。




