337 【怪我しない】
「しゅー君っ!!!」
ライトの磐城君から送球が来るのをセカンドベースの外野側、ランナーの走路を邪魔しない位置で待ち構えていたその時。
【直感】によって何かを察知したのか、中継位置にいたあーちゃんがほとんど絶叫するように俺を呼びながら駆け寄ろうとしている姿を視界の端で捉えた。
何ごとかと思いつつ、もしかしてとランナーのレナート選手に意識を向ける。
すると彼は俺を真っ直ぐに見据えながら、故意か偶然か足をもつれさせていた。
ミオスタチン関連筋肉肥大症によって全身が高密度の筋肉に覆われた肉体。
重く硬い塊がほぼトップスピードのまま突っ込んでくる。
勿論、それは打球や送球に比べれば遥かに遅いものの、面積が違い過ぎた。
タイミングも既にギリギリのところで回避し切ることは不可能。
守備でも超集中状態にあった俺は、引き伸ばされた時間の中でそう判断した。
その上で次に考えたことは「これを真正面から受けとめ切ってしまったらレナート選手が死んでしまうかもしれない」だった。
【生得スキル】【怪我しない】を持つ俺はまさしく怪我をすることがない。
詳細な原理はよく分からないが、恐らくは偶然に偶然が重なったような形で怪我に至るような負荷が俺以外の部分に受け流されるのだと思われる。
しかし、現実に発生したエネルギーが雲散霧消する訳ではないはずだ。
では、それはどこに行くのか。
この場で言えば、全てレナート選手に向かってしまうのではないか。
となれば、もし俺が踏ん張って耐えようものなら、それこそ金属の壁に全力で体当たりしたかのような衝撃を彼に与えてしまう恐れがある。
当たりどころが悪ければ命に関わるだろう。
【怪我しない】理屈に関する考察が正しいかどうかはさて置き、今この瞬間に俺にできること、すべきことは1つしかない。
とにかく衝突のエネルギーが肉体の破壊に使用されることのないように、力を受け流すことが可能な形へと少しでも近づけなければならない。
だから俺は送球をグローブでキャッチしてレナート選手にタッチするのとほぼ同時に、重心を後ろに傾けながら地面を蹴って後方に飛ぶことを試みた。
バックステップで衝撃を緩和する。
野球の試合でバトル漫画みたいな真似を行うことになるとは思わなかったが、この僅かな時間の猶予の中で可能なことはこれぐらいだった。
とは言え、咄嗟のことで完璧に勢いを削ぐことはできなかった。
俺は交通事故にでも遭ったかのようにレナート選手の突進に跳ね飛ばされ、その一方でレナート選手は反作用を受けてその場で仰向けに倒れ込んでしまう。
「しゅー君!! しゅー君!!」
と、あーちゃんが泣きそうな顔をしながら転がるように傍に駆けてきた。
体を揺らすのはマズいかもしれないという判断もあってか、彼女は自身の手を彷徨わせるようにしながら尚も俺を必死に呼んでいる。
こんなにも感情を顕にした彼女を見るのは、15年以上のつき合いで初めてだ。
幼馴染にして伴侶たるあーちゃんのそんな姿に、俺も少々動揺してしまった。
この突然の事態に驚いてしまったのも合わさってしばらく起き上がらずにいたのだが、そのせいで尚一層心配をかけてしまったようだ。
「っ! しゅー君!!」
俺が体を起こすのを【直感】で察したらしい。
あーちゃんは浮かせた背中に手を差し入れて支えてくる。
そんな彼女に意識して笑顔を向けて口を開く。
「あーちゃん、俺は大丈夫だから」
「でも……」
少なくとも俺がそう確信していることは【以心伝心】で伝わっているはずだ。
しかし、さすがに自己判断で済ませられるものではない。
当然と言うべきか、俺の言葉だけではあーちゃんの不安は消えてくれなかった。
ただ、実際には俺よりもレナート選手の方が遥かに危険な状態にある。
だから俺は普通に立ち上がり、支えようとする彼女を制して彼に近づいた。
意識がない上に痙攣してしまっている。
素人目に見ても明らかに危険性の高い脳震盪だ。
これはさすがに医療関係者でもない人間が動かしていいものではないだろう。
むしろ何もせずに処置の邪魔をしないことが最善の行動だ。
「秀治郎選手、大丈夫ですか!?」
そこへ、ベンチから飛び出すように駆け寄ってきていた日本代表のメディカルスタッフ達が鬼気迫るような表情で尋ねてくる。
WBWという大舞台。
そして、客観的に見て日本代表の最大戦力である俺が相手選手と交錯した。
状況が状況だけに、プロ中のプロでもさすがに冷静ではいられなかった様子だ。
「ええ。何も問題ありません」
「……まずは救護室へ」
対して敢えて平然と応じると、トレーナーは幾分か冷静になってそう促した。
それに頷き、足取りの確かさを周りに見せつけるように自分の足で歩き出す。
あーちゃんはつき添おうとしていたが、アイコンタクトでやめさせた。
脳震盪のチェックは極めて厳しい。
無事のアピールを積み重ねておかなければ、即座に交代させられかねない。
安全管理がしっかりしている証拠でもあるが、今の試合展開では正直困る。
ダメージがあると受けとめられかねない行動は少しでも控えなければならない。
ただでさえ、起き上がるのが少し遅れてしまった訳だしな。
その辺りのことはあーちゃんも理解はしているだろう。
だが、そんな理屈で不安や心配の気持ちが消え去る訳もない。
涙目で唇を尖らせ、俺に不満を訴えかけている。
「しゅ、秀治郎君……」
そこに更に美海ちゃんも酷く動揺した様子で声をかけてくる。
彼女達のケアも必要だ。
「美海ちゃん、丁度よかった。すぐに戻ってくるから、あーちゃんをお願い」
若干情けない感じを出しながら頼み込むと、彼女は虚をつかれたような表情を浮かべた後で呆れたような顔になった。
その隣に来た倉本さんも嘆息して口を開く。
「3アウトになったからウチらも一緒に救護室まで行くっすよ」
「ああ、さっきのアウトになってたのか」
衝撃の軽減に意識を全て傾けていたから気づかなかった。
攻守交替で次は9番の大松君からの打順か。
「むしろ1番の茜っちの方が時間がないっす」
倉本さんはチラッとあーちゃんを見る。
だが、彼女はそんなことどうでもいいと言わんばかりの表情だ。
そんなあーちゃんを見て、美海ちゃんは動揺が引っ込んだように軽く苦笑する。
「それもあっちの状況次第だけど……まあ、茜を宥めるのは自分でやりなさい」
「と、とりあえず救護室に行こう」
女性陣に味方はいないようだ。
半ば俺を睨んでいるあーちゃんに目線で許しを乞うが、彼女は唇を尖らせたまま。
これは後で改めて謝り倒す必要があるなと小さく嘆息する。
それでも、そんな俺の醜態と引き換えに雰囲気が少し緩んだのも確かだった。
対称的に。
日本代表側の応援スタンドは未だ固唾を呑んで静まり返ってしまっている。
「プロ野球選手野村秀治郎」の責務として軽く手を挙げて格好をつけ、心配無用だとアピールするとあーちゃんの目つきは一層厳しくなってしまった。
そんな彼女に曖昧に笑いつつ、今度こそベンチ裏に引っ込もうとしたところで。
背後から。
『必要ない! こちらで処置は完了する!!』
何やら揉めているような声が聞こえてきた。
英語ではあるが、少しロシア訛りだ。
『こんな状態で何を言っている! 我々には選手の安全を確保して大会を運営する義務がある! それに従わないというのであれば、没収試合もあり得るぞ!!』
こちらはアメリカ英語。
どうやら、ロシア代表側のメディカルスタッフとWBWの大会医療班とが激しく言い争いをしているようだ。
【外国語理解(野球)】の翻訳によるとレナート選手の処置の方針を巡って対立しているようだが、基本的には第3者で中立な大会医療班の判断が優位だ。
普通ならそれに従って然るべきだが……。
ロシア代表に関しては事情が事情だからな。
首脳陣としては選手をアメリカの病院に入れたくはないのだろう。
しかし、大会運営に反抗して試合の安全な進行を妨げようものなら、審判団の判断で没収試合になってしまう可能性もゼロではない。
それを示唆されてしまえば受け入れざるを得ない。
道理を蹴っ飛ばそうとしているロシアではあるが、それを実行に移すには今回のWBWで優勝するのが最低条件。
そのためにはまずこの試合を成立させた上で勝つ必要があるのだから。
悪足搔きでしかない。
袋小路に入り込んでいっている感もあって思うところがない訳ではないが、こちらもこちらで今はそれに気を取られている場合ではなかった。
『秀治郎選手。まず私達の質問に答えて下さい』
『分かりました』
これだけ危うい事故ともなれば、当然俺の容態にも大会医療班の確認が入る。
その判断次第では交代を指示されかねない。
予断は許されない中、救護室にて改めて脳震盪のチェックを受ける。
『現在のイニングとスコアを教えて下さい』
『はい。6回裏終了時で8-5。日本代表が3点リードしています』
簡単な意識レベルの確認からバランス検査などの運動機能の確認まで。
脳震盪評価ツールとして知られるいわゆるSCATの最新版に基づいて、大会医療班主導で検査が行われていく。
【怪我しない】俺がそれらに引っかかる理由はない。
だが、変な演技をすると逆に問題視される可能性もある。
だから努めて自然体に見えるように装って項目をクリアしていく。
そうして最終的に。
『……現時点では脳震盪に関して危険な兆候は見られません。これを以ってプレイの続行を制止するものではありませんが、異変を感じたら即座に申し出て下さい』
『分かりました』
どうにか問題ないとの判断を勝ち取ることができ、胸を撫で下ろす。
続いて全身の筋肉や関節の細かな確認に移行。
そちらも一切の異常らしい異常はなく、それを受けて俺からも改めて落山監督を始めとした首脳陣に出場継続の意思を伝える。
それがそのまま日本代表としての正式な判断となった。
「っと、レナート選手は――」
「アレは救急車で搬送された」
俺の問いかけに被せるように、普段よりも抑揚のない声であーちゃんが答える。
容易に動かせるような状態じゃなかったことを考えると、恐らく球場の中まで救急車が入ってきて病院に運んでいったのだろう。
レナート選手のアレ呼ばわりは、まあ、彼女からすると仕方がないか。
「試合は――」
「まだ再開してない。少し時間がある」
あーちゃんはそう言うと、ロッカールームへと俺を引っ張り込もうとした。
さっきの今では抵抗する訳にもいかず、甘んじて受け入れることにする。
それでも少し助けを求めるように美海ちゃんに視線を向ける。
すると、彼女は「怒られてきなさい」と口パクで俺に追い打ちをかけ、さっさとベンチに戻っていってしまったのだった。




