336 不穏な空気
5回の表。日本代表は貴重な追加点を挙げることができた。
記録はホームスチール……ではなくワイルドピッチ。
いわゆる暴投による進塁だった。
右投げのマクシム選手に見せつけるようにスタートを装った訳だが、途中で念のために足を緩めていたこともあって盗塁判定はされなかったようだ。
しかし、過程がどうであれ1点は1点。
これによって日本代表はリードを3点に広げることができた。
その1つ前の盗塁でイサーク選手が負傷退場してしまっているので素直に喜べない部分もあるものの、久し振りに頭でプレイした気分になったのも確かだった。
思わず反芻してしまう程に。
ロシア打線を無安打で抑えてくれている美海ちゃんを助けるためにも、どうにか【怪我しない】俺と昇二のところで得点を挙げなければ。
そう考えていた俺を嘲笑うかのように敬遠を申告されてしまった。
その時点で2アウトランナー1塁。
バッターは5番の昇二だったものの、得点確率を僅かなりとも上げるために、せめてスコアリングポジションに行きたいところだった。
申告敬遠はレギュラーシーズンでも何度となく経験があって、その時は盗塁で対抗していた訳だが、相手はロシア代表。そう簡単には――。
といった思考を頭の中で展開したところで、むしろロシア代表のピッチャーが相手だからこそ容易に盗塁できるのではないかと思い至った。
あれだけ壊れやすければ、試合でのフルスペック運用は初めてのことのはず。
そこにつけ入る隙があるはずだ、と。
野球はチームスポーツ。
勿論、フィジカルが強ければ有利なのは間違いない。
だが、連係に支障が出る程であれば条件によっては障害にもなり得る。
キャッチャーが捕球で負傷してしまう程の速度と威力のピッチング。
ミットの正確な位置で捕るために全神経を注がなければならない。
そんな状況でまともなスローイングなどできようはずもなかった。
結果として1度の盗塁で3塁まで陥れることができ……。
そこから更に暴投を誘発させ、本塁に帰ってくることができたのだった。
「けど、やっぱり歪過ぎるんだよな……」
本来ならこんなアンバランスな状態になることはない。
国のトッププロが集まった代表チームなのだから。
重ね重ね異常な事態だと思わされる。
「力を制御し切れてない感じよね……」
「正に過ぎた力は身を滅ぼす」
「まあ、とりあえず。あっちだけじゃなくこっちも盗塁し放題ってことっすね」
攻守交替の準備をしながら倉本さんが総括する。
こちらのポップタイムはあちらの走力には敵わない。
一方で、あちらはまともに2塁送球することができない。
盗塁阻止のためにできることと言えば牽制ぐらいだが、全力投球ではファーストが捕れないだろうし、半端な牽制はピッチングに影響が出かねずリスクが大きい。
選択肢としてはあっても実行しにくい。
倉本さんの言う通り、互いに盗塁し放題と言っていい。
当然ながら、まず出塁できなければ意味のない話ではあるけどな。
いずれにしても、アメリカ代表の試合とは別の意味で常識から外れた試合だ。
正に歪。
逆に、従来の野球のバランスが神がかっていたと言ってもいいかもしれない。
「とにかくありがと、秀治郎君。おかげでちょっと余裕が出たわ」
笑顔な美海ちゃんの感謝に「ああ」と軽く頷いて応じながら守備位置につく。
試合は5回裏。ロシア代表の攻撃。
打順は9番。
前の回に交代したばかりのキャッチャー、グレゴリー選手からだったが――。
「ん?」
右のバッターボックスに入った彼と何故か目が合った。ような気がした。
改めてグレゴリー選手の顔を見る。
今は相変わらずの無表情でマウンド上の美海ちゃんを見据えている。
……気のせいだったか?
そう思っている間に美海ちゃんが投球を開始した。
球種はもはや言うまでもないが、高速ナックルだ。
――ブオンッ!!
グレゴリー選手は初球からフルスイング。
凄まじい風切り音だ。
タイミングはほんの僅かに遅れ気味ながらも大まかには合っている。
引きつけて流す意識があったのであれば的確とも言える。
全く合っていなかったのはコースだけだ。
前のイニング。
ロシア代表打線は先頭の6番バッターも、続く7番バッターも共に明らかに小手先のバッティングで当てに来ていた。
勿論、それでも当たればホームラン級の打球になるだろうが、高速ナックルの無作為な変化に対して追いかけるようにスイングしても逆に当て辛くなるだけ。
そういう打ち方をしてくる内は特に怖さを感じなかった。
しかし、首脳陣から指示があったのか、8番バッターのヤロスラフ選手は一転してフルスイングで3球連続空振り。
結果として三振で3アウトチェンジとなったものの、こちらには冷やりとした。
そして、その流れをこの回も引き継いでいるようで。
先頭バッターのグレゴリー選手までもが強振で来ている。
この方針転換は正直に言って脅威だ。
美海ちゃんと倉本さんも内心、恐怖心を呼び起こされているに違いない。
ただ、結局のところ。
日本代表バッテリーにとっての最善策は高速ナックルを投げ続けることだ。
残念ながら、それ以外の球種は即座に見極められて打たれてしまうだろうから。
大松君や磐城君より威力が低い分、ミスショットで済む可能性も皆無だ。
だから、たとえ1本や2本打たれてしまったとしても決してブレることなく。
高速ナックルを信じて投げる以外にない。
この試合の勝ち筋はそれだ。
こちらもあちらも、ブレたら確実に負けに近づく。
ある意味、ここからは我慢比べのような戦いになっていくような気もする。
――ブオンッ!!
「よし」
グレゴリー選手は空振りの三振。
それについてはよかったが、タイミングの合ったフルスイングは本当に怖い。
単純に運を天に任せているだけだったとしても危険極まりない。
それ以上に、あれだけの変化量のナックルを何球もストライクゾーン近傍に投げ続けている姿を目の当たりにしていれば。
ロシア側も少なくともバッテリーが何かしらの方法でどのコースに来るか、事前にある程度予測できることには気づいているだろう。
既に読み合いに突入しているとすれば、尚のこと倉本さんの負担が大きくなる。
配球をキャッチャー以外が担うことも多くなった昨今だが、美海ちゃんのナックルは現状【軌道解析】ができる倉本さん以外には高度にコントロールできない。
そのため、村山マダーレッドサフフラワーズでもそうだったが、日本代表においても美海ちゃんと組んだ時は全て彼女に委ねることになっている。
倉本さん自身がキャッチャースボックスからバッターの様子を観察しながら、都度臨機応変に美海ちゃんをリードしていく必要がある訳だ。
そのプレッシャーは相当なものだろう。
ロシア代表打線のフルスイングがそれに拍車をかけているに違いない。
そんな中で打順は1番に戻り、エードガル選手が左のバッターボックスに入る。
――ブオンッ!!
彼もまた当然のようにフルスイング。
しかし、今度はほんの僅かにタイミングを早めている。
彼らの圧倒的なパワーでボールを叩けば、どの方向に飛んだとしても打球角度が一定以上ならスタンドにぶち込むことができる。
ただ、このアワーサーヴァント・フィールドは左中間フェンスが異様に高い。
俺もその壁に打球を阻まれた。
この方向に打って柵越えするには通常よりも大きな打球角度が求められる。
だから、右打ちのグレゴリー選手が流し気味のタイミングでスイングしたのも。
左打ちのエードガル選手が引っ張り気味に打とうとしているのも。
右中間を狙ってホームランになる確率をより高くするためと見て間違いない。
美海ちゃんの高速ナックル相手に連打は困難。
ならば放り込んでしまえばいい。そういうことだろう。
それはそれとして。
エードガル選手もまた、打席に入る時に何故か俺を一瞥していた。
それが何となく気になる。
やはりグレゴリー選手の視線を感じたのも勘違いではなかったようだ。
この回のバッティングとの関連性は分からない。
あるいは、それぞれ独立したものを俺が勝手に関連づけてしまっているのか。
そんな疑問を抱いていると――。
――バカンッ!!
有り余るパワーでボールを叩き潰さんとするような大きな音が響き渡った。
コースの決め打ちも当たる時には当たるもの。
エードガル選手のバットは常識を超えたスイングスピードでボールのやや上を叩き、凄まじいトップスピンのかかった打球があーちゃんの足元を襲う。
彼女の目の前でバウンドしたそれはスピンによって思ったよりも減速せず尚且つ低いバウンドとなるが、そこにいるのは【直感】力に優れたセカンドだ。
軌道を正確に予測したあーちゃんは敢えて少し体の位置をズラしながらグローブのポケットで的確に受けとめ、打球の勢いを殺さんとその場で回転した。
そうしながらボールを持ち替え、ファーストの正樹へと送球。
打球速度が余りにも早かったこともあり、左バッターで俊足のエードガル選手を以ってしてもさすがに1塁からは未だ程遠く――。
「ヒズアウトッ!!」
結果として余裕のアウトとなった。
「茜、ナイス!」
「ん」
美海ちゃんの声がけに、あーちゃんがサムズアップで応える。
たとえ打たれても、打球が上がらずに二遊間の守備範囲に来れば何とかなる。
改めて美海ちゃん達もそう強く認識することができたようで、続く2番DHのレオニート選手に対しても臆することなく高速ナックルで攻め抜いて3球三振。
この回も無事、無失点で切り抜けることができた。
スコアは8-5のままだ。
それ自体は喜ぶべきことなのだが……。
「しゅー君、どうかした?」
ベンチに戻ってきたところで、あーちゃんが心配そうに問うてくる。
「いや――」
そんな彼女に俺は曖昧に返したが、それは問題を隠そうとしてのことではない。
ただただ、自分でも状況を把握し切れていないからだ。
前の2人に続いてレオニート選手もまた俺を見ていた。
ベンチに戻る時には選手のみならず、ロシア代表首脳陣の視線まで感じた。
間違いなく偶然ではない。
何かしらの意図があってのことだろうが、それがよく分からない。
とにかく気味が悪い。
いずれにしても、試合に不穏な空気が漂い始めたのは確かだった。




