憑依
ある日、ホームズ女子と食事をしていた時のことだ。
「見ようと思ってチャンネルをあわさないと見えないのだけれど、ふとした拍子にチャンネルがあってしまって見えてしまったときにね、その人が可愛がっていた動物がいることもあるのよ、そして同じ動物でも、悪い意味で憑いているときもある。でも、今までで一番見てなごんだのは、妖精を見たとき。
本人は50前のメガネをかけた、普通の中年おじさんなのだけれどね。ちょっと得した気持ちになっちゃった」
「どうして、そんなふうに見えるようになったの」
「一度死のうと思ったことがあるのよ。そうして、もうろうとしてたら、『まだ、死んじゃいけない。
まだ、やることがある』って声がしたの。それから、見える感覚がするどくなったと思うの。もう1回あってね。一度高速道路で運転していて、突然すごい眠気におそわれて、フェンスにぶつかったの。
死ぬかと思ったら、そこでも又聞こえた。『死んじゃいけない。まだやることがあるって』それで、車は大破したけれど、私はケガ一つなかったの。守られていると思ったわ。」
「いっそ、そういうスピリチュアルカウンセラーを職業にしたら」
「だめ、すごく、疲れるし、見るものがひどい時は吐きそうになるし。第一、お金をとっちゃだめなの。こういう力はお金と引き換えにしたらなくなるの。私も修行中だし」
なるほど、私は彼女に随分お世話になっているが、謝礼としてお金を渡した事はない。食事代やカラオケ代をワリカンにした分のせいぜい少し余分に支払うだけだ。
ホームズ女史はよく京都の有名なお寺にパワーを充電に行くのだが、私からお金をとるどころか、反対に「あなたの名前でご祈祷してもらってきたから」
と、お札やお守りをもらってきてくれるのだ。また、そのお札がその時々で意味があって
「今一番あなたに必要なことだと思うから」
と、夫婦円満の内容であったり、身体無事の内容であったりした。それで彼女から渡されるお札の内容で、今自分が何に気をつけなければならないのか予測できたりもした。
ある日、彼女は見守り笛を持って家に来た。
「あなたの家の周りは女子供にたちの悪い影響をあたえるのがいてね、今あなたのお姑さんがちょっと体調をくずしていて、影響をうけやすいようだからお姑さんに渡してあげてくれてもいいし、貴方がつかってもいいから。きっと、守ってくれるから。」
もちろん、母にすぐ渡したのだが、実はここでも私は心中、彼女に唸っていた。実は、私の住む近辺で変死が何件かあった。嫁に来る前にも、数件あったという。彼女に言われるまで、気にした事がなかったが、近辺としての事件では多いような気がした。私はたまたま、そのうちの1件を目の当たりにしたことがあるが、とても怖かった。昨日まで血肉の通った人間だった人が、今物体のように目の前にある。そのしらじらしい固まった物体がとても怖かった。死は人の存在としての尊厳まで奪っていくようだった。ホームズ女史曰くだが、自殺者は彼女の目には五体満足に映らなくて、すぐそれとわかるそうだ。残されたものの供養が充分だと、だんだん足りない部分がみえてくるのだそうだ。私はどの死者にも、できる限りの供養をしようと心に決めた瞬間だった。
これもある日の一場面だ。ホームズ女史と食事の約束をしていた。待ち合わせのお店のドアを開け
テーブルに座っている彼女に手を振る。その一瞬に彼女の表情がこわばることがあるのだ。そんなときは私に何かが憑いている時らしい。ホームズ女史曰く、太っている人は憑かれ易いのだそうだ。その時、私には浮浪者のような3人の男が憑いていると言われた。よりにもよって、浮浪者はショックだ。でも、実はそこでも私はギクリとしていた。仕事の都合で夜の遅い生活を送っていた私は、ここ数年毎日入っていたお風呂が、極端に回数が減り、朝さっとシャワーだけという生活になっていた。それにしても浮浪者が3人はきつい。
「前の鎧武者はもう、いないのかしら」
「いいえ。いるわよ。」
「それでは、私は今6人も憑けているのね」
「そう。どこかで、ひろってきたのでしょうね。」
「離れないの。離れてくれないと厭だわ」
「うん、いつかはいなくなるけれど、しばらく無理みたい。」
イヤになってしまう。後ろが見えるというのは、何やらロマンチックだが、現実はこんなものだろう。
こういう会話をすると私は自問自答する。
「これが、彼女のウソならば、そんなウソを言って何がメリットになるのだろう。真実はわからない。
見えない世界を肯定するかしないかだけの問題だ」と。
私とホームズ女史は毎日会い、もしくは毎日メールをするような関係にはならなかった。それは年齢の差もあるし、それぞれの生活の場が違っていたからで、また毎日相談するような事件のない日常でそれぞれが暮らしていたからだ。3カ月に一度くらい会って、おいしい食事をして、時にカラオケをするくらいだった。その日も私はホームズ女史と食事の約束をしていた。そして、いつものように、会った瞬間の彼女の反応をチエックしていた。一瞬、彼女はぎくっとしたように見えたが、何も言われなかったのでいろんな話をしながら楽しく食事をした。私は彼女に会うたびに、まだ上へあがれないという伯母のことをたずねていた。そして、その日もいつもと同じようにきいてみた。するとホームズ女史は困ったように答えた。
「伯母さんのことは見えないのよ。ワトソンさんに又、一人憑いているの。とても、きつい顔をした、女があなたを覆っていて、以前は見えていた、青いオーラすらが見えない。」
私はいつか見た夢の解釈の時と同じくらい驚いた。ウソでしょう。そんな・・・・オーラもみえないって。あたしは、どうなるの。寝耳に水の急展開になった。
しかし、ホームズ女史の顔はまじめだった。そして、苦しそうな顔で私を上目使いで見た。
「とても、きつくて、怖い感じがするし、あなたをおおってしまうほど、大きい。あたしに、よけいな事をいうなって言っている感じもする」
私はどちらかというと、大らかでおっとりしていて、ほがらかな性格だと自分では思っている。人並み以上の苦労もしたし、苦労を苦労とも思わぬ強さも持っていると密かに自分でうぬぼれているところもあったくらいだ。そんな私でも、人生は波のように幸福であったり、不幸であったりするわけで、当時の私は結構につらい状況で生活していた。私の勤める会社はある川べりに面したところにあった。その川には、もちろん両土手が存在するのだが、私はいつも通勤に片側の土手だけを利用していた。きれいに整備もされ、春には花見客も賑わうぐらいの落ち着いたところだ。しかし、朝夕の通勤にぼんやりものの私でも感じる事があった。その土手のある地点に達すると、急にひんやりとして、暗く影に覆われた感じになるのだ。たまたま、やはり近くに仕事場があった兄にその話をしたこともあるが、やはり同じ事を感じると言っていた。
話すのも辛そうに彼女は言った。
「そこは、土地が悪くてね。あなたは、そこで、彼女と同調して憑かれたのだわ」
生きるのに苦しいことがあるのはあたりまえだし、生きていれば嬉しいのがあたりまえだ。毎日は律義にやってくるし、やってくる以上、少しでも楽で楽しく生きたいものだと考える私は、くじけていても心底落ち込むこともなかったのだ。
けれどあの頃私は確かに毎朝、毎夕、川縁をバイクで走りながら
「どうして、私こんなにしんどいことばかりなのだろう」
「どうして、私ばかりこんなにしんどいのだろう」
「どうして、誰も私のことをわかって優しくしてくれないのだろう」
「いっそ、このままバイクで川の中にとびこんでやろうかしら」
と、呪文のように考えていたのだ。そして一方、私ってこんなマイナス思考のことなんて、考えた事もないのに、こんな事思うほど、私は今うちのめされているんだと逆説的に自分の心を分析をしていたりもした。
ホームズ女史にきつい顔の女の話を聞いた私は、実はとそのことを打ち明けると、
「あなたをね、連れてゆこうとしてる」
ホームズ女史は、言うのだった。
最初にきつい顔の女に憑かれたと教えてくれたとき、ホームズ女史は女がにらんでいるからと詳しい話をしてくれなかった。しかし、次にあったとき、彼女は教えてくれたのだ。
「その、女の人ね、随分苦労をして辛い思いをして、どうして、どうしてという気持ちを抱きながら、川に入って自殺したみたい。それで、あなたを自分と同じようにしてやろうと思っているみたい。」
なるほどねえ。川縁を走りながら、何故、どうして、死んでやろうかしら、なんて思っていた私。思いっきり憑かれていたらしい。これで、私の後ろに合計7人がいることになる。正直、信じられない気がする。けれど、今までのホームズ女史とのつきあいが、私に見えない世界を聞くことを肯定させるのだ。
ホームズ女史の言う事には一度憑いてしまうと、簡単に離れてゆかないものらしい。けれど、いつか徐々には離れてゆくという。ホームズ女史が言わなければ、私は後ろの7人の存在など知ることもなかった。しかも知ったとして、ホームズ女史も私もどうすることもできないのだから、開きなおって、ただ日常をすごすしかない。見えない世界はやはりあえて見る必要のない世界なのかもしれない。「飛び込んでやろうか」と思いながら、たいていの人は飛び込まず、そんなマイナス思考を日常に溶かして振り切ってゆくのですから。




