袖
なでしこは、ゆっくりと目を開けた。
「……あれ」
森だ。
木々の間から差し込む光。
そして。
思い出した。
「っ!」
勢いよく起き上がる。
真っ先に右腕を見る。
「…………」
細い。
いつもの腕だった。
「戻ってる……!」
あの化け物みたいな腕ではない。
「よかったぁ……!」
右手を握る。
開く。
もう一度握る。
普通だ。
「意識がなくなったら解除されるってこと?」
なでしこは胸を撫で下ろした。
その時。
ふと、右肩に違和感を覚えた。
「…………ん?」
見る。
「…………」
もう一度見る。
「袖がない」
右袖がない。
肩口から先が、ほぼ丸ごと消えていた。
「…………」
左を見る。
普通に袖がある。
右を見る。
ない。
「服って戻らないの!?」
肩を押さえる。
「パワーアップ使うたびに服なくなるの?」
百パーセントになるたび、服も一着ずつ犠牲になる。
そんな未来が頭をよぎる。
「嫌すぎる……」
なでしこは大きくため息をついた。
だが。
いつまでも落ち込んでいても仕方がない。
「そうだ」
女神の言葉を思い出す。
『出力は百分率で調整できますが――』
「百分率……」
百にしたから、あんなことになったのだ。
だったら。
「十パーセント……くらい?」
恐る恐る力を込める。
じわっ、と右腕が引き締まった。
「お……これなら普通?」
拳を握る。
力は明らかに増している。
見た目も、少し鍛えている程度だ。
「じゃあ、もうちょっと」
さらに力を込める。
腕が一回り太くなる。
「このくらいが二十……かな?」
もう少し。
ぐんっ。
「…………」
右腕を見る。
そこらの鍛えた冒険者より、ずっと太い。
上腕が盛り上がり、肩まで大きくなっている。
慌てて少し力を抜く。
腕が縮む。
「……このくらい?」
もう少し抜く。
「いや、抜きすぎた」
少し戻す。
ぐっと太くなる。
「増えすぎ!」
また下げる。
「…………」
なでしこは、自分の腕をじっと見た。
「百は全部出せばいいし、ゼロは全部抜けばいいけど……」
中途半端なところで力を止める。
それが思った以上に難しい。
「……これ、調整めちゃくちゃ難しくない?」
あの時。
女神は何かを続けようとしていた。
『出力は百分率で調整できますが――』
「まさか」
なでしこは空を見上げる。
「細かい調整には慣れが必要とか?」
返事はない。
「それ、先に言ってよ!」
言おうとしていた。
自分が遮った。
「…………」
なでしこは数秒黙った。
「でもそこは言いなさいよ!」
森に声が響いた。
鳥が何羽か飛び立った。
「もう……」
とりあえず分かった。
力を少しだけ出すなら、見た目はほとんど変わらない。
でも出力を上げれば上げるほど、腕は太くなる。
そして、中途半端な出力を狙って維持するのは難しい。
百パーセントは論外だ。
「こんなの、人前で使えるわけないじゃん」
なでしこは力を抜いた。
右腕が元の細さへ戻っていく。
「でも……」
力自体は強い。
スライムを軽く殴っただけで、空の彼方まで飛ばした。
魔王を倒すなら、使うことになるだろう。
「見られなきゃいいんだよね」
ぽつりと言った。
百パーセントを使う。
でも、人には見せない。
「……隠せばいいんじゃない?」
簡単な話だ。
大きくなるなら。
大きな服を着ればいい。
「そうじゃん」
なでしこの表情が明るくなる。
「なんだ。全然解決できるじゃん」
右袖が消し飛んだ服のまま、なでしこは立ち上がった。
◇
「あっ!」
町だ。
門の周りには人が行き交っている。
「異世界人がいる……!」
なでしこは駆け出した。
町へ近づくにつれて、人の姿も増えてくる。
剣を持った男。
ローブ姿の女性。
大きな荷物を背負った商人。
そして。
何人かとすれ違うたびに、視線を感じた。
「…………」
なでしこは右肩を押さえる。
袖がない。
当たり前だ。
「まず服買わないと……」
腰のポーチを開く。
「ん?」
中には見覚えのない硬貨が入っていた。
「……女神?」
たぶん最低限の生活費なのだろう。
「こういうのはちゃんとしてるんだ」
腕の説明はちゃんとしてくれなかったくせに。
いや。
しようとしていた。
「…………」
考えるのをやめた。
◇
町へ入って最初に探したのは、服屋だった。
「いらっしゃい」
店の中にはシャツやズボン、ローブ、マントが並んでいる。
なでしこはまず、今着ている服の代わりを一着選んだ。
ただし、普通の袖付きはやめた。
右肩から右腕にかけて布のない、片側だけ肩を出したノースリーブ。
これなら多少腕が太くなっても、いちいち袖を破らずに済む。
「……よし」
着替えてから、なでしこは改めて店内を見回した。
本命はこっちだ。
「もっと大きいのありますか?」
「大きい?」
「はい。すっごく大きいやつ」
店員が首を傾げる。
「男性用?」
「もっと」
「もっと?」
「できれば、こう……」
なでしこは両腕を思いきり広げる。
「ばさーってなる感じの」
「…………」
店員の視線が少し怪しくなった。
何着か出してもらう。
だが、なでしこは首を振った。
「もっと大きいの」
「これでもかなり大きいですよ」
「もっと」
「……何に使うんです?」
「ちょっと」
「ちょっと?」
「事情があるんです」
「…………」
店員はしばらくなでしこを見た後、店の奥へ消えた。
そして持ってきたのは。
「店にあるものでは、これが一番大きいですね」
「でかっ」
大柄な旅人向けの、特大のローブだった。
なでしこなら二人くらい中に入れそうな大きさだ。
「これ以上となると特注になります」
「これで!」
なでしこが即答すると、店員がローブとなでしこを見比べた。
「……その前に、一度着てみた方がいいと思いますよ」
「あ、はい」
言われて羽織る。
「おお……」
でかい。
とにかくでかい。
肩の位置はまったく合っていない。
身幅はぶかぶか。
「…………」
店員が何とも言えない顔をしている。
「大きすぎません?」
「これくらいがいいんです」
「そうですか……?」
鏡を見る。
「…………」
明らかにおかしい。
大男の服をそのまま着せられた子供みたいだ。
服に着られている、なんて程度ではない。
サイズを間違えて買ったと一目で分かる。
だが。
なでしこの頭にあるのは、あの百パーセントの右腕だった。
「これだけ余ってれば……」
右側の布を掴む。
引っ張ってみる。
大量に余っている。
「いける」
これだけ大きければ。
百パーセントの腕でも、きっと隠せる。
◇
とはいえ。
町中でいきなり試すわけにはいかない。
なでしこは町を出て、人目のない森まで戻ってきた。
「よし」
周囲を見る。
誰もいない。
特大のローブを羽織ったまま、右腕に力を込める。
「まず……このくらい」
少しだけ。
「お」
まだ布には余裕がある。
「これならいける」
「じゃあ、もうちょっと」
さらに力を込める。
ぐぐっ。
「…………」
右側だけが、大きく盛り上がった。
左側はぶかぶか。
右側だけ、中にもう一人入っているみたいになっている。
「いやいや」
さすがにおかしい。
「でも……」
なでしこは右側の布を引っ張った。
まだ余っている。
「これだけあるんだから……」
百パーセントでも。
もしかしたら。
「…………よし」
なでしこは、もう一度周囲を見る。
誰もいない。
息を吸う。
「百パーセント」
瞬間。
右腕が一気に膨れ上がった。
次の瞬間。
バァンッ!!
「ひゃっ!?」
右側の布が弾けた。
肩から腕を覆っていたローブが、一瞬で吹き飛ぶ。
布切れが宙を舞った。
「…………」
なでしこは固まった。
右を見る。
そこには。
何にも覆われていない。
巨大な右腕。
そして肩口から先をほとんど失った、特大ローブ。
「…………」
少し離れたところに布切れが落ちてくる。
ひらひら。
「…………」
なでしこは右腕を見る。
飛び散った布を見る。
急いで力を抜く。
巨大な腕が元の細さへ戻る。
「…………」
静かになった。
ローブの左半分はまだ残っている。
だが右側は。
肩口から先がほとんど消し飛んでいた。
「…………」
今日買ったばかりだ。
「私のお金……」
なでしこは、その場に膝をついた。
「大きい服でもダメなんだ……」
大きさの問題ではなかった。
百パーセントの腕が膨らむ勢いに、普通の服では耐えられない。
「じゃあ、もっと大きいのを買っても……」
同じだ。
腕が膨らむ場所に布があれば、結局吹き飛ぶ。
「無理じゃん……」
右半分が消し飛んだローブを抱え、町へ戻る。
その時だった。
「…………ん?」
前を歩いている男。
全身鎧の冒険者。
その背中には。
本人の身体がほとんど隠れてしまうほど巨大な盾が背負われていた。
「…………」
なでしこの足が止まる。
男を見る。
盾を見る。
自分の右腕を見る。
もう一度、盾を見る。
「…………」
大きい。
分厚い。
そして。
向こう側が一切見えない。
あれなら。
腕がどんな形になっていても。
そもそも腕に布を被せる必要がない。
「…………これだ」
なでしこは男の背中を目で追った。
そして、その少し先。
剣と盾が描かれた看板が目に入る。
武具屋。
「…………」
なでしこの口元が、ゆっくりと上がった。
「隠せるじゃん」




