第二話 三人目のベルト
「(数、分かります?)」
「(いや……。ソフィ、頼む)」
他愛ない話をするフリをして、和真とブリジットは向き合って立つ。お互いに互いの背後の林を注意深く見つめながら、和真はソフィに指示を飛ばした。和真の声に彼女は小さく頷き、目を見開いて辺りの林を仰ぎ見る。
クラスメイト達と店長の雑談から意識をそらし、和真とブリジットはソフィからの答えを待った。しばらくして、ソフィが和真の服を引く。
「(……マスター、リジィ。生体反応とは違うものがある。これ、多分私と同じで人間じゃない)」
「(人間じゃない……ってことは、怪人かヒーロー協会のアンドロイド関係か? リジィ)」
「(聞いてませんわね。そちらこそ、アンチヒーローの野外活動なんかの連絡は入ってないんですの?)」
「(いや、そんな話これっぽっちも聞いてな――)」
次の瞬間、林で身を顰めていたソレが前触れもなく和真達の頭上へと飛び出した。
「なっ!?」
目を疑う。人気の少ない場所とはいえ、真っ昼間のこのタイミングで迷いもせずに飛び出してきたのだ。
宙を舞った三つの黒い影は和真達を囲う様に地面へと着地し、その身体を起こす。
薄汚れた黒い装束。深々と被ったフードでその顔を覗き見ることはできないが、二本の腕と二本の脚。素足で地面に降り立つその姿は人間のそれに似ており、両腕の裾から飛び出した巨大な鉤爪が鈍く光る。それに対してアンバランスな低身長と細い体。
アンドロイド。
そんな答えが脳裏を巡り、和真とブリジットは目線で合図を交わす。
すぐさま二人は彼らへと向き合い、突然のことに談笑を止めた友人達を背後に隠すようにして臨戦体勢を整えた。
だが、和真達の様子と唐突な来訪者に友人達は困惑を露わにしてしまう。
「お、おい、御堂! ブリジットさん、こ、こいつらって……?」
「いや、なんか怖い、この人達……!」
怯える声が背後から聞こえてくるが、和真もブリジットも目の前に現れた敵の姿に視線を外すことができない。友人達をどうこの場から連れて逃げるか、その答えを探すべく頭をフル回転させていた和真より早く、タコ焼き屋の店長が彼らを手招きした。
「坊主たち、直ぐにボックスカーの中に入れ! ちょっち狭いが入れるはずだ!」
「あ、ありがとうございます! ほら御堂、ソフィちゃん、エインズワースさんも!」
「俺達は良いから、耕介たちだけで早く――」
逃げてくれ。そう叫ぶより早く、一体の黒い影が和真達の頭上を飛び越えてクラスメイト達を狙った。
「いけないわ!」
ブリジットと同じように和真も素早く反応する。だが、早すぎる敵は既にクラスメイト達の頭上から鉤爪を大きく振りかぶり、先頭にいた耕介の頭を引き裂きにかかった。
「う、うああああ!?」
叫び声を上げる耕介に向って和真は必死になって腕を伸ばす。
しかし、伸ばす腕だけじゃ届かない。駆ける足だけじゃ追いつけない。
迷っている時間はない。もう自分が力を使うしかないと、和真が口を開こうとしたその瞬間、林から一人の女が飛び出し、耕介と敵の間滑り込んだ。
「――――っ!」
飛び出したのは、長い黒髪を揺らせる、麦わら帽で顔を隠すその女。その女は耕介の脳天に向って振り下ろされた鉤爪の根元へと腕を伸ばし、敵の手首を掴みとる。一瞬だけ敵は驚きを露わにするが、直ぐに残る腕で割って入った女の側頭部を狙った。
しかし、これを女は掴みとった敵の腕を捻りあげることで、逆の鉤爪で受け止める。鋭利だった鉤爪は互いに刃をぶつけ合って砕け、敵は得物を失った。
「そこにいる皆さん!」
あっけにとられた和真達に向って、現れた女の凛とした声が響いた。
その声に三人は彼女の顔を見つめ、その口元が動くのを見る。
え、ん、ま、く。
女性の口元からその言葉を知り、和真は駆け出しかけた足を止めて傍に居たソフィとブリジットを呼んだ。
「ソフィ、リジィ!」
「分かってる!」
「分かりますわよ!」
瞬間、戦場へと姿を変えていたその場の中央にコンッという音をたて、手のひら大の円い何かがいくつも転がった。その正体を知るより早く、友人達と和真達の間でその円い何かが次々と破裂し、辺り一帯を煙幕が覆っていく。
「うわっ、なんだこれ!?」
「なになにこれ!」
遮られた視界の奥から友人達の声が聞こえてくる。突然周囲に広がった白煙は誰もかれもの視界を奪い、混乱を広げていく。
だが、それはあくまで友人達の居る目の前にだけ広がる白煙。
目的は敵の視界を奪うことではなく、目撃者の視界を奪う事。
その意味を何よりもよく知る和真は、混乱に慌てたクラスメイト達を包む白煙に背を向け、敵を見据えた。そして、傍に居るソフィに目線で合図を送る。その意味にすぐに気付くソフィは、和真に向って一言。
「マスター、みんなを助けて!」
「あぁ、助ける!」
瞬間、鼓動が激しくなり始める。変身まではせず、以前と同じように求められた助けに応えるだけの、強化型としての力を使うのだ。
当然、力を奮える時間は――、
「マスター。多分、生体リズムを見る限りだと三十秒程度。向こうの煙幕が晴れるのも多分それぐらい。時間かけちゃダメ!」
「わかった! ブリジット、一体蹴り飛ばす。とどめよろしく!」
「任せなさいな!」
ソフィの指摘に和真は頷き、全身を駆け巡る力に拳を握った。そして、隣にいるブリジットに声をかけて一気に目の前の二人の敵に向って駆け出す。
駆け出した和真の姿に気づいた黒装束の一人が、迎え撃つべく和真の真正面に飛び出してきた。
「っ!」
正面から交錯する瞬間を狙って、敵の右鉤爪が横薙ぎに迫る。これに反応する和真は地を蹴って跳躍し、身を水平にそらして初撃を交わした。すぐに、空を切った鉤爪の根元にある手首を掴みとり、宙で身を逆さに翻してからの後方宙返り。
掴んだままの手首をひね上げられ、敵の右半身の体勢が崩れた。この隙に残る片方の腕も掴み取り、背後で二つの鉤爪を交錯させ、へし折って無力化。
「ほらよッ!」
掴んでいた手を放し、敵の背中を蹴り飛ばす。容易に跳ねとんだ敵は、地面を数度跳ねながらも体勢を建て直し、地面に手をついて顔を上げた。暗いフードの奥から口元が覗き、歯ぎしりが見える。
その顔をちらりと一瞥しながらも、和真は溜息をついた。
「俺だけに気を取られ過ぎだっての」
「っ!?」
和真の声に慌てて敵が腕を薙ぎながら振り返るが、目標を捉えもしない攻撃は当然空を切り、
「心外ですわね。現役の正義の味方がこの場にいることを忘れられるなんて」
煌めく金色の最速右ハイキック。風を切り裂く鋭い蹴りに、敵は両腕を側頭部に構えて蹴りを受け止めようとする。しかし、迫ったハイキックは目標を捉えることもなく空を切った。
あっけにとられる敵の姿に、和真は苦笑いしてしまう。
「あーあ、引っかかった。ご愁傷様」
次の瞬間には、敵の身体がくの字に折れて地面に崩れ落ちた。そのままくたりと動かなくなる敵の傍に立つブリジットが、悠然と髪の毛をかき上げる。
「ごめんなさい。私、足癖が悪いんですの」
以前に和真自身も食らったことがある、右ハイキックのフェイントからの高速回し蹴りだ。
これで一人。およそ十五秒。残りはあと半分の時間しかない。
「マスター、しゃがんで!」
ソフィからの指示に、和真は背後から死角を狙ってきた鉤爪をしゃがみ込んで躱す。黒髪のいくつかが宙に散るが、そんなことは気にもしない。
そのまま両手を地面について、背後の宙にいる敵の腹に後ろ蹴りを決める。敵の身体は蹴りの衝撃で宙に停止し、和真は身体を起こして敵を超える高さで後方宙返り。両腕を広げて遠心力を付けた身体の回転を使い、敵のうなじに強烈な蹴りを叩き込む。
一撃。そしてさらに回転して二撃。
呻く事も出来ずに敵は地面に叩き付けられ、動かなくなった。
「後一体……!」
敵を一瞥もせず、和真は白煙の中にいた残りの一体へと向かうべく地面を蹴るが、
「もう終わっていますから、心配いりません」
そんな声と共に、白煙の中から黒装束をまとった最後の敵が、和真達の前に転がった。同時に、和真の中から溢れていた突然変異種としての力も限界を迎え、全身から力が抜けていく。
「マスター!」
「御堂さん!」
駆け寄ってきたソフィとブリジットと共に、和真は白煙から姿を現した先ほどの女性の姿を見る。
「皆さんには御怪我はありませんか?」
凛とした中にも柔らかさを残す声に、和真達は視線を奪われた。
腰まで伸びる黒い髪。柔和な笑みを浮かべ、黒いワンピースは戦闘後だというのに汚れを全く見せない。ソフィに似た白い肌とブリジットより高い背。和服でも似合いそうな美人。
「ごめんなさい。少しお待ちいただけると助かります」
「え、あ……」
驚く和真達に女性は一度だけ頭を下げ、晴れていく白煙の中で腰を抜かせていた和真の友人達の傍にしゃがみ込む。
「皆さん、もう大丈夫ですよ。危ない人たちはとっちめちゃいましたから」
「え、え?」
困惑する耕介たちの様子に気づき、和真もまた彼らの傍に駆け寄ってしゃがみ込んだ。
「耕介、皆! 怪我、怪我ないか!?」
「あ、いや……うん。怪我はないみたいだよ御堂。ってか、一体何がどうなって?」
クラスメイト達の視線を一身に受けた和真は言葉を捜し、彼らに心配をかけぬように笑顔を向ける。
「あ、あぁ。よく分からないけど、ブリジットを狙ってたらしい。いや、結局全部本人とこの女の人に蹴散らされちゃってたけどさ」
「え、エインズワースさんを?」
「と、とにかく今日はもう帰ったほうが良いな。これ以上騒ぎに巻き込まれるのも怖いし、警察にはもう連絡したよ」
「いや、けど……」
「坊主たちは本当に怪我とかしてねぇんだろうな!?」
「そ、そんな近寄って確認しなくても平気ですよ。あの人達がすぐに助けてくれたんですから」
眉を寄せて怪訝な視線を向けてくる耕介達に何と言い訳をしたものかと和真は思案を巡らせた。だが、そんな和真の隣にしゃがみ込んでいた女性がふっと笑みを零して笑う。
「心配いりません。私はヒーロー協会の関係者なので、この場は私が預かります。それとも、もっと怖い目に遭いたいのですか?」
女性の遠慮のない問いに、友人達の顔が青ざめる。思わず和真は女性を睨み付けるが、彼女はまっすぐな瞳で和真を射抜き返した。
「さぁ、今日はまっすぐ帰ってください。後日、今日のことを聞かせてもらいますから」
女性の提案に、耕介を含むクラスメイト達は顔を見合わせ、頷いた。
◇◆◇◆
現場に到着した警察とヒーロー協会の関係者に、捕まえた黒装束のアンドロイド達を引き渡した後、和真達は園の外に出た。たこ焼き屋の男性にも別れを告げた和真達は、園の入り口で友人達に手を振って別れる。彼らの背を最後まで見送ったのち、自分達の傍に立つ女性に改めて和真達は向かい合った。
「それで、貴方は一体――」
「アリサ。どうしてあなたがここにいるの? オーバーホール中だって聞いた」
誰ですかと、そう問おうとして和真の言葉にソフィが言葉を被せてくる。ソフィが彼女の名前を知っていることよりも、言葉の意味に和真は眼を開いた。
「オーバーホールって、まさか……!」
「はい。お初にお目にかかります、御堂さん、ブリジットさん。私、ソフィちゃんと同じ変身ベルト型アンドロイドのアリサと言います」
ニコッと。
はにかむような笑みを向けてきた黒髪の女性――アリサの様子に、和真は二の句が告げられない。だが、隣に立っていたブリジットがにんまりとした笑みで和真の顔を覗き込み、自慢げに語った。
「あら、知らなかったのかしら御堂さん。彼女、私がここに来る前のこの地域を担当してた正義の味方の変身ベルトですの」
「え、え、えええ!? むしろ知ってたのかよ!?」
「前任の方なのだから、知ってて当り前ですわ。え、知らないの?」
「うぐっ!?」
ここぞとばかりに挑発してくるブリジットの厭らしい視線に負けじと気を確かに持つ。だが、反対側に立っていたソフィの視線が見る見るうちに冷めていき、和真を睨み付けた。
「むしろ、なんでマスターがちゃんと知らないのかが不満。私、マスターが学校に行けない間にちゃんと正義の味方講習したはず」
「いや、講習は受けたけどさ。ほとんどお前の趣味全開だったから全部聞き流してたっていうか……」
「何かいった?」
「なんでもありません」
隣にいたソフィに射殺す様な冷たい視線で睨み付けられ、和真は彼女から顔をそらしてアリサに視線を戻す。
視線に気づいた彼女はふっと和真との距離を詰めてきた。
「本日は折り入って皆さんにお願いが――」
「待った」
声をかけてくるアリサの口元に人差し指を突き付けた和真は、瞳を細めて彼女に訊ね返す。
「それより先に、煙幕を用意したもう一人の人のこと教えてくれない?」
そう言って和真はアリサに笑顔を向ける。彼女は一瞬だけ驚いた顔を見せるが、和真の両隣にいるブリジットとソフィも同じように目で訴えているのに気付き、頬を膨らませる。
そして、アリサは背後の物陰に向って声をかけた。
「……探偵さん。ほら言ったじゃないですか。正義の味方の眼はごまかせないって」
「あぁ、うん。まぁ、さすがにバレバレだったみたいだね」
飄々とした声と共に、自販機の陰から一人の男性が姿を現す。スーツを身に纏い、サングラスをかけた若い男だ。年のころは二十代半ばと言ったところか。男性はすぐにサングラスを外して胸ポケットに差す。そこから覗いた多少目尻の下がった垂れ目が目立った。
「あの人が、さっき煙幕を用意してくれた人……」
眺める和真の視線に気づいた男性はそのままアリサの隣に並び、和真達に向って頭を下げた。
「初めまして。僕は深見徹。私立探偵をやってるんだ。さっきは状況があれだったから仕方なかったんだけど。今日は君達にお願いがあって会いに来たんだ」
深見と名乗った男性の懇願に、和真達は首を傾げる。
「お願いって、一体?」
そう問いかけると、深見とアリサが顔を見合わせた。そして、
「うん。彼女――アリサのパートナーだった正義の味方のこと、聞かせてもらってもいいかな?」




