プロローグ いつも他業自得
休日の土曜日。
足りない出席日数と宿題忘れの補習を受けるため学校に来ていた和真は、これまでにない危機に晒されていた。
「……で、言い訳はそれだけかよ、御堂」
聞こえてくる冷たい声に、和真は伏せていた顔を上げる。
そこには、冷めた視線で自分を見つめる友人の姿がある。普段は決して見せぬ、嫉妬と蔑みの視線。その視線に、両腕を後ろで縛られて床に座らされた和真は言葉を返せなかった。
「信じてたんだ。俺はお前のこと信じてたんだ、御堂! お前はあんな化け物たちとは違うって! なのに、なのになんでだよ!?」
化け物。
その言葉に、和真は思わず唇を噛む。目の前にいるのは自分を責める友人一人だけではない。周囲を取り囲まれているのだ。その場にいたクラスメイト達に。
なぜこのような状況に置かれているのか。
理由など簡単だ。
自分の隠していたあの事実を――みんなに知られてしまったのだ。自らの浅はかさを嘆く余裕もなく、彼らの化け物を見る視線に和真はギュッと目を瞑り、喉の奥から言葉を捻りだす。
「ち、違う! 俺は化け物なんかじゃない……! 誤解なんだ!」
「何が違うってんだ! お前だってそうなんだろ!? テレビの中にいるあいつらと同じ、化け物なんだろ!?」
「……っ!」
向けられるクラスメイト達の軽蔑と嫉妬、怒りの視線にもう顔を上げていることも出来なくなる。そうして、和真のそんな様子にクラスメイト達は非難の声を爆発させた。
「そうだそうだ! 俺達男の友情を裏切りやがって!」
「女の子の期待も裏切ったわ!」
「ホント、女たらしですわね、御堂さんは。私以外にも手を出そうとしたんですの?」
「御堂、お前、ほんと恨むからな!?」
男子生徒たちの恨みがましい声の中から聞こえた彼女の声。割とそう、最近は毎日聞いているその声に、顔を伏せていた和真の眉がピクリと動いた。
だが、そんな和真の様子に気づくこともなく、声の主は和真を責め立てていく。
「御堂さんも本当に強情ですわね。さっさと私のことを親愛を込めて『リジィ』と呼んでいれば、こんなことにならなかったんですのに」
「ず、ずりぃぞ御堂! なんでお前ばっかり、お前ばっかりぃいい!」
仲の良い友人が半泣き状態で和真の襟元を掴み、ガシガシと揺らしてくる。彼に愛想笑いを返しながら、和真は優雅に髪の毛をかき上げる彼女――ブリジットを睨みつけて呟いた。
「んのやろう……! 後で絶対覚えてろよ!」
怒りを込めた呟きも、ブリジットは小さく噴き出して頭を振ってスルーする。
「凄んでもダメですの。だって、あの日からもう一週間。焦らされる身にもなったらいかが? そう言うのも好きですけれどね」
ぽっと頬を染める彼女の様子が非常に演技掛かっている。だが、それに気付けるのはこの場にいる誰よりも長い時間を彼女と過ごしている和真だけで、周囲の友人達は彼女の言葉を鵜呑みにした。
「御堂ぉ!」
「御堂君っ!」
「あああああもう! 悪かった、俺が悪かったですコンチクショウ!」
がっくり項垂れた和真は、床に地面を叩き付ける勢いで頭を下げる。
何がばれたって、簡単だ。
自分が、ブリジットと同居していることがクラスメイトにばれたのだ。
『なぁブリジット。昼飯だけど――』
『あら、先日から毎晩言ってますわ。私のことはリジィと呼んでって。一緒に住んでるのですし。いつまで他人行儀なのかしら』
『ばっ、ちょ、おま!?』
補習終了後すぐに起きたこんな爆弾発言に、和真は男子軍団にすぐさま取り押さえられた。為す術もなく補習組のクラスメイト達に全方位を囲まれ、事の次第を問い詰められる始末。
恋愛お化け。モテ化け物。うらやまロリコン。
この日一日で、知らぬ間にあだ名が三つも増えてしまったのだ。
「なんで、なんで俺がこんな目に……」
「なんて言うんでしたかしら。あぁそう、『他業自得』かしら」
「それ他人の責任まで自分から背負う唯のド変態じゃね!?」
よくよく考えると、自分にピッタリな言葉の気がしてしまい、和真はブリジットの勝利の笑みの前に深く頭を垂れた。
◇◆◇◆
「で、どうしてこんなことになったの、マス――お兄様」
「いや、どうしてだろうな?」
校門で待ってくれていたソフィと合流した和真は、彼女の不満げな視線と同じ方向に目線を向ける。そこには十人ほどのクラスメイトの友人達の姿が。彼らの中に紛れていたブリジットがこちらの視線に気づき、傍に近寄って声をかけてきた。
「補習が終わった後、御堂さんで遊び過ぎましたの。そのせいでソフィさんも待たせてしまったし、私の奢りで近くのタコ焼き屋にでもって思っただけですわ。少し前からひっそりやってる穴場ですの」
「ってことらしい。お前はどうする?」
ソフィに視線を戻すと、彼女はほんのり頬を染めて和真の服を指でつまみ、引いた。
「たこ焼きは、好き」
「んじゃ、行くか。今日はベルのやつも集会とかで家を空けてるし、落ち着いて食事できるだろ」
「ん」
コクンと頷いたソフィを隣に連れ、和真は背後でおしゃべりを続ける友人達を呼ぶ。
「皆、そろそろ行こう。時間的にもちょうどいいしさ」
「おう!」
和気藹々とブリジットの案内の元、和真達は近くの繁華街を目指して歩き始めた。
しばらくして団体の一番背後を歩いていた和真の肩を、仲の良い友人が馴れ馴れしく組んでくる。
「なぁ御堂。お前はそのタコ焼き屋って行ったことあるのか?」
「いや、俺も行ったことないね。耕介は?」
「俺も初めて! いやぁ、エインズワースさん様様だよな!」
「あら、およびですの?」
友人――耕介と他愛ない話を続けていると、ブリジットとソフィが近づいてくるのに気づく。彼女達の姿を見た耕介がニヤリと笑みを歪めて、和真の頬を突いた。
「いやぁ、化け物みたいにモテる男って現実にいるんだなぁって噂してたんすよ」
耕介の言葉に、近づいてきたブリジットとソフィはあり得ないモノを見る目で和真を一瞥し、
「御堂さんが、モテる……? ぷっ」
「お兄様が、モテる……? ふっ」
「おいっ! さすがにそこまでウソでしょみたいな顔されると傷つくんですけど!?」
思わずツッコむと周囲から笑い声が湧き上がり、和真は熱のこもる顔を抱えた。そんな和真の肩を乱暴に叩き続ける耕介は、俯く和真の頬を引っ張りながらブリジットに問いかけた。
「ででで、エインズワースさんはなんで御堂の家に? エインズワースさんって、正義の味方でしょ? この前テレビにも出てたし」
「あぁ、それでしたら――」
「あ、それ私も聞きたい!」
「俺も俺も!」
耕介の問いにブリジットが答えようとすると、前を歩いていたクラスメイト達も興味深くブリジット達を囲う。大勢に囲まれたブリジットは軽く驚きを露わにするが、ふっと小さな笑みを零して和真の鼻頭を指ではじいた。
「この前の事件で、偶然御堂さんに助けられたんですの。だから、そのお返しってところですわ」
「お、おい……!」
ブリジットの発言に慌てて和真は口を開く。ブリジットと違い、和真は未だにアンチヒーローに所属する正義の味方であることを周囲に漏らしてはいない。それは、ベルイット達の情報操作のおかげもあるが。
自分が正義の味方であるとばらすことはそのまま、彼らに自分が突然変異種であることを明かすことでもある。そして、自分はまだその恐怖に耐えられるほど強い人間ではないのだ。
「御堂君がエインズワースさんを助けたの? え、どうやって?」
「それは内緒ですの。あんなの、人前で言えるような助け方じゃありませんもの。ね?」
「いや、それはそうだけど……」
ウインクを見せるブリジットの様子に苦笑いを返すと、傍に近寄ってきたソフィに脇腹を抓られてウヒッと情けない声が出てしまった。むすっとするソフィの様子に顔を逸らし、和真は頬を掻く。
「えー、エインズワースさん、そこ教えてよぉ」
「うんうん、俺達もそこ知りたいよな。あ、もしかして御堂が怪我してるのってひょっとして?」
男性陣の視線が服で隠している腕の包帯に向くのに気付き、和真はスッと顔を背けて腕を背後に回す。何というか、指摘されると中々に気まずいものがある。
女性陣も、男性陣につられて和真の怪我をしている腕に視線を向け、和真に詰め寄った。
「え、え! 御堂君身体張ってエインズワースさん助けたの!? てか、怪我しちゃってるの!?」
彼女達のあまりの剣幕に、和真は頬を引き攣らせながらも答える。
「いや、別に大したことないしさ。こうして学校にも来れるし……」
「あちゃー。そりゃ、助けてくれた相手が怪我しちゃったら、お世話しないとってなっちゃうよね、エインズワースさん」
「そう言うことですわ。御堂さんが怪我した理由は私にありますし、その責任の意味も込めて転がり込んだんですの。衣食住付で快適ですわ」
「衣服以外全部俺が提供してることはほぼスルーなのな」
ボソッとツッコミを入れると、ブリジットが眉を寄せて唇を尖らせた。
「あら失礼ですわね。料理だってできますわよ?」
「そうデスネ。料亭の店頭とかに並べる料理なら毎日作ってマスネ」
「すごーい! ブリジットさんって料理できるんだ!」
「えぇ、淑女の嗜みですもの。美味しそうな料理を作るのは得意ですわ」
美味しい料理とはっきり言い切らない辺り、彼女の性格の悪さが滲む。満面の笑みを向けて、黙ってろと威嚇してくるブリジットの様子に、和真は大きな溜息をつく。その両肩を、耕介とソフィが物知り顔で叩くのに気付き、和真はもう一度だけ深く溜息をついた。
◇◆◇◆
「あの方たちですか?」
和真達の居る通りの真向かいの通りで、日差しを麦わら帽子で隠す、黒のワンピースに身を包んだ女性が呟いた。年のころはまだ若く、露わになっている素肌は透き通るような白。麦わら帽から伸びた漆黒のロングヘアーは、女性の腰まで伸びている。
そして、女性のすぐ隣にはスーツ姿の若い男が立っていた。その男は手にした資料に乗った写真と和真達を交互に見つめ、彼女の問いに小さく頷く。
「うん、ここしばらくで調べてた限りじゃ、あの子達がこの街の新しい正義の味方だそうだよ」
「……そうですか」
そう呟き、麦わら帽を被った女性は和真達の様子をちらりともう一度だけ見つめた。腰まで伸びる艶やかな黒い髪は日の光と風に揺られ、彼女は唇を噛む。
「だったらやっぱりあの人は……」
女性の口から洩れる言葉を、傍に居た男が頭を振って否定する。
「君の探してるあの人のことは、あの子たちに聞いたほうが早いさ。正義の味方を探すなら、同じ正義の味方に聞くのが早い、でしょう?」
「……そうですね。ありがとうございます、探偵さん」
女性の言葉に、若い男は頭を抱える。
「そのあだ名は止めてくれないかな。それは唯の職業だよ。僕の名前は深見。深見徹」
「わかりました、探偵さん」
和真達の様子を眺めたまま視線を外そうとしない彼女の様子に、若い男性――深見は胸ポケットからサングラスを取り出した。
「……もういいよ、探偵さんで。さて、くだらない事は止めて彼らのことを追おうか」
そうして深見は、真っ青な空から降り注ぐ日の光を遮り、目的だけを見据えて呟く。
「アリサ。この街を守ってたはずの正義の味方――君のご主人様の居場所を知るために」




