エピローグ "助ける"
大藤大吾の逮捕から一週間後のこの日、和真は制服に身を包み、朝食の準備を進めていた。
先週までとは違い、大きな事件もなく怪我の回復は順調に進み、本日より登校できるのだ。
「ロリコン、ご飯の準備は?」
「出来てる。おいベル! お前もさっさと食卓に――って、なんで朝から裸で家の中をうろつく、お前は!?」
「決まっておろう。朝シャワーなのじゃ。うぅむ気分さっぱりいい気分! どうじゃ和真、ワシの胸、一ミリ大きくなったぞぃ! これもそれもお主に毎朝揉まれておるおかげじゃな!」
「とんでもない嘘ついてんじゃねぇよ! つか、これ、これ着ろバカ!」
リビングに裸にバスタオルを首にかけたままのベルイットが突入してきて、慌てて彼女に自分の着ていたエプロンを投げ捨てた。途中目に入った二つのあれとか、上気したソレとかに和真は鼻を押さえてティッシュを探す。
「……はいこれ」
「さ、サンキューソフィ……ってコレ鉛筆なんですけど」
「紙だって元は木から作られる。ロリコンはそれでもツッコんでればいい」
「鉛筆から紙作れっての!? さすがにスキル持ってないからね、俺!」
「あ?」
「……なんでもないです」
食卓に一人座るソフィの冷たい視線に、和真は鼻に鉛筆を突っ込んで溜息をついた。いつもと変わらず、朝の食卓は騒がしい。
ムッツリ顔のソフィは既に左右で髪を結んで出かけ支度を済ませており、ベルイットは和真の差し出していたエプロンを羽織って和真の隣に座――、
「なんでお前裸エプロンなんだよ!?」
思わず鼻に詰めていた鉛筆が飛び出した。
「何って、お主が裸じゃったわしにエプロンを差し出したじゃろう? てっきり裸エプロンをしてくれっていうアピールかと思い、嫁として頑張ってみたのじゃが……。い、意外と恥ずかしいの、コレ。きゃ、見ちゃ駄目なのじゃ!」
「う、うううう、うるさい! 見てない、見てないっての!」
腰をくねらせながら前かがみで抱き着いてくるベルイットの胸元から白い肌が覗く。未だにシャンプーの香りのする濡れた亜麻色の髪が和真の鼻孔を擽り、おのずと和真の鼓動も早くなってしまう。
「……ロリコン、何、してるの?」
「……っ!」
だが、そんな鼓動も正面に座るソフィの低い声になることを止めた。効果音でもついてそうな勢いで肩を震わせるソフィが、口元を三角形にして和真を睨み付けた。
「ロリコン、貴方は私のマスターの自覚、ある?」
「あ、あるぞある! あるけど、お前なんだかんだで俺のことマスターってほとんど呼ばな――」
「あ?」
「な、なんでもありません」
ソフィの無言の圧力に負け、和真は必死になって抱き着くベルイットを引きはがした。そのまま背筋を伸ばす和真は、食卓で向かい合って威嚇を始めた二人の少女の様子に深い溜息をつく。
「おやおや、ポンコツアンドロイドが一端にジェラシーかのぅ?」
「貴方こそ、最近ロリコン――マスターへのアピールが露骨すぎ」
「当然じゃ。和真はワシの恋人兼嫁じゃからの」
「違う。ロリコンは私の大事なマスター」
「わしはお主ら二人の雇用者じゃもーん!」
「私はマスターと一心同体の変身ベルト!」
身を乗り出して額をぶつけ合うソフィとベルイットを一瞥し、和真は一人味噌汁を啜る。
一週間前のあの日、和真は正式にアンチヒーローの一員となることが決まった。所属は、作戦参謀直属特別遊撃隊。名前だけ聞くと心が躍ったものだが、桐子曰く『作戦参謀直属特別遊撃隊と書いて、作戦参謀直属特別遊撃隊と呼ばれてるわね』とのこと。
そもそも、ベルイットがヒーロー協会の人間であることをアンチヒーローは認知しており、彼女はヒーロー協会に対する切り札らしい。だからこそ、彼らはベルイットの自由な活動に関与しないのだ。彼女の行動の責任を後で協会に取らせるために。
とはいえ関与せずとも、管理はしてほしいと和真は切に願う。
「いい度胸じゃソフィ! お主に一度雇用者と労働者の力関係を教えてやるぞぃ!」
「受けて立つベル! 貴方に労働基準法のなんたるかを教えてあげる!」
用意した食事を蹴散らす勢いで二人の少女が暴れ出した。飛んでくるフォークやナイフを躱しながら食事を勧める和真は、ふとテレビで映るニュースに釘付けになる。
『聞こえていますでしょうか? 突然変異種の犯人による立てこもり事件が発生し、現場には十数名の一般人が逃げ遅れている模様です。この事態に対し、政府はヒーロー協会とアンチヒーローの双方に協力を打診しており――』
ニュースの直後に、ソファに投げていた携帯に連絡が入る。
すぐさま真面目な顔をして携帯を手にしたベルは、和真とソフィに向って人差し指をたてた。
「その指に何の意味があるんだ?」
和真が問うと、ベルイットが真面目な顔をする。
「目玉焼きのお代わりおねがいするのじゃ」
「え、マジで!?」
「ベルもマスターもばかなこと言ってないで」
ソフィに頬を抓られ、和真とベルは慌ててキリッと眼つきを吊り上げた。
「ベル、その指に何の意味があるんだ?」
「決まっておるぞ和真。人を助けに行くのじゃよ」
自信満々に答えるベルイットを見て、和真は食事をしていた手を止め、食器を洗い場に入れた。
「ここ最近静かでいい生活だと思ってたのにな」
「マスター、ぼやいても仕方ない」
「あぁ、分かってるソフィ。悪いけど後で学校に体調不良の連絡頼む」
「ん、マスター」
頷くソフィの腕を引き、和真はリビングを出た。いつの間にやら着替えてしまったベルイットもすぐに二人の傍に近寄り、ふんぞり返る。
「さぁ、さくっと終わらせに行くぞぃ、和真、ソフィ! 目的は人質解放最優先!」
「あぁ。さて、それじゃあ死ぬほど大嫌いな人助けに行くとしますか」
「……マスターの天邪鬼」
「それ、お前に言われるとは思わなかったよ!?」
右隣にはソフィを連れ、左隣には抱き着くベルイットを引き連れ、和真は家を飛び出した。燦々と輝く太陽に目を細め、周囲に人がいないことを和真は確認する。
「マスター、今なら大丈夫」
傍に居たソフィが和真を見上げた。彼女の言葉に和真は頷き、抱き着いていたベルイットが離れていく。
「それではいくぞい!」
「よし、やるぞソフィ!」
「イエス、マスター!」
ベルイットの掛け声とともに、和真はソフィを抱き寄せる。ソフィはそのまま和真の腰元に頬を寄せ、腕を背に回してしっかりとしがみ付く。
そして、二人の声は高く上がる太陽に向かって高らかに宣言した。
「「シグナル・コンタクトッ!」」
重なる叫びに、ソフィの身体が一瞬にして光の粒子になり、宙へと解け――、解け――、解――けなかった。
二人の叫び声に、辺りがしんっと静まり返る。だが、変化は全く訪れない。抱き合っている和真とソフィは一度互いの眼を見つめ合い、頷く。傍に居たベルイットも頷く。
そしてもう一度、高く上がる太陽に向かって高らかに宣言した。
「「シグナル・コンタクトッ!」」
二度目の叫びに、人気の少なかったはずの通りがざわつき始める。それも当然だ。朝の早い時間に道路で抱き合う学生と少女。その上二人で意味不明なことを叫んでいようものなら、野次馬達が集まってくるのも時間の問題であった。
「まさか、お主ら……。抱き着きたかっただけとかではないじゃろうな?」
眉を寄せて頬を引くつかせたベルイットの軽蔑の眼差しが、抱き着いたままの和真とソフィを射抜く。彼女の視線に慌てる和真の口から、動揺が露わになった。
「あ、あれ? え、あれ? ちょ、え、まっ、ええぇッ!?」
「……ロリコン、これは一体、どういうこと?」
動揺して辺りを見回す和真と同じように、ソフィもまた恥ずかしさから真っ赤になった顔で和真を睨み付ける。まるで全部あなたが悪いと言わんばかりの視線に、思わず和真も反論した。
「ちょ、ちょっと待て! 別にこれは俺のせいじゃないだろ、俺じゃないだろ!?」
「ロリコンのせい! 前回と確認できる生体信号の波長が変化してるから、同調パターンが合わない! 博士にお願いして前回のパターンは既に登録されてるから、合せてもらわないとコンタクトできない!」
「せ、戦隊信号だか変態信号だかわからないが、そんなもの俺の意思でどうにかできるもんかよ!」
「どうにかするのがロリコンの仕事! あの日あの瞬間に本物の正義の味方になるって叫んだのはロリコンのほう!」
「ばっ、それを言うならお前だって、顔真っ赤にして『これからずっとあなたをマスターと呼んでもいいですか?』とか何とか言ってただろうが! いい加減ロリコンは止めれ!」
「そそそそそそ、そんなこと言った覚えはない! 正義の味方はそんなこと言わない!」
全力で否定するソフィと和真は互いを睨み付けて責任の所在を探す。だが、そんな和真達の傍に居たベルイットは呆れたように溜息をついて二人に声をかけた。
「お主らに期待しすぎたワシがバカじゃったのかもしれんのぅ。さぁて、桐子の再就職先の斡旋でもするとしよ――」
「ちょ、ちょっと待って悪の幹部! は、博士をクビにするのは駄目! 絶対ダメ!」
「お主らが変身できんのなら、必然的にその責任は桐子へ行く。当然じゃろ?」
「当然じゃない! 絶対ダメ!」
「心配いらん。和真はちゃんとわしが嫁として引き取るのじゃ」
「やっぱり貴方とは決着をつける必要がある、悪の幹部!」
「おうおうおう! 変身できぬポンコツが偉そうに!」
通りのど真ん中で取っ組み合いの喧嘩を始めたベルイットとソフィを見て、和真はふっと一息をついて自身を落ち着けた。ひとまずの最優先は、正義の味方として人助けに行くこと。
「……いや、違うな」
脳裏に浮かぶ行動の理由を、和真は誰にも聞こえないような小さな声で否定した。
「正義の味方だから行くんじゃない。ただ……助けたいって思っちまうから、行くんだよな」
言い訳はもうやめようと、和真は頭を振った。
以前桐子にも言われた。御堂和真という人間は、どこまで言っても結局、見捨てられない側の人間なのだ。化け物と呼ばれようが、嫌われようが。トラウマだろうが。
助けようと思ったから助けに行く。必死になって助ける。たったそれだけの事。
「ソフィ、ベル! とにかく行くぞ!」
「ぬ、お、おうなのじゃ! 張り切っておるの和真!」
「う、し、仕方ない。マスターがそう言うなら、私もついていく」
すぐに傍に戻ってきた二人と共に、和真は走り出した。
なぜなら、遠い日差しの先で怯えている見知らぬ誰かを――助けようと思ったから。




