プロローグ 敵は御堂和真
「誰か助けて!」
辺りに木霊する女性の悲鳴に、御堂和真はうんざりした気持ちになる。筋骨隆々とし、全身を外骨格の鎧で固めた化け物と化していた和真は、なおも叫び続ける女性を一瞥した。
何が、『だれか、助けて』だ。そう叫ぶわりにその場から逃げようともしない女性の様子に、和真は大げさな溜息をついて彼女を羽交い絞めにする。
「はっ、助けて? 冗談じゃない。逃がすわけないだろうが!」
女性の肉付は良い。女性の腰と首に回した和真の腕には柔らかい感触が伝わる。街でばったり出会えば思わず振り返ってしまいそうな美人。だが、今はそんなものどうでもよかった。
羽交い絞めにした腕に籠る力は強く、女性の命運は文字通り和真の腕の中にある。
「や、止めて! いやぁ、止めて!」
もがく女性の首元に和真は顔を近づける。そのまま耳元で大げさに和真は笑い声を上げた。
「ははははは! 止めてと言われて止めるやつなんているかよ! おい、お前ら! 誰か一人でもこの場から逃げようとしやがったら、こいつがどうなるかわからないぞ!? 見せしめにしてやろうか! ははははは!」
そう言って和真は、化け物となってしまった身体を周囲にいる人たちに見せつける。彼らが息を飲むのを見て和真は満足げに笑い、だが、その中に冷たい視線を向ける銀髪の少女の姿を見つけた。
――ソフィだ。
「っ……」
思わずごくりと喉が鳴る。
彼女の軽蔑の視線が、化け物の姿をしている和真を射抜く。風が彼女の銀色のツインテールを揺らしながらも、ソフィはまっすぐと立っていた。口を噤み、瞳を細め、眉を顰めて。
そうして、ソフィは無言で和真を威圧していた。
正義の味方である貴方は一体、何をしているの、と。
たったそれだけだというのに、和真は酷い罪悪感に包まれ、思わず顔を伏せそうになる。
だがそんな和真の腹に、暴れる女性のひじ打ちが決まり、和真は頭を振って再び叫び声を上げた。
「さぁ! 始めようじゃないか、俺の、俺による世界征服を! 手始めはこの街からだァ!」
そう言って和真が拳を天に振り上げたその瞬間、
「待ちなさいッ!」
透き通った声が、辺りに響き渡った。
「誰だ!?」
突然のことに慌てて和真は周囲を見渡す。周囲の人たちも和真と同じように声の主を探した。そんな和真達の遥か頭上から、凛とした女性の声が辺りに響き渡る。
「人を傷つけ恐怖を振りまき、あまつさえ自分の弱さを棚に上げて暴れ回る突然変異種……哀れですわね」
「そこか!」
声の聞こえたそこを、和真は見上げる。
天高く聳える高台の上に――彼女はいた。
折れることを知らぬようなまっすぐとした背筋。すらりとした体型。そのくせ、バランスのとれたプロポーション。きらりと光る両目は蒼く、揺れる金色の髪の毛は獅子を連想させる。そしてその身を包むのは黒のレオタードと、前面が大きく開いた煌びやかな赤いドレス。豪華な装飾に彩られたその真紅のドレスを翻し、彼女は和真を指差した。
「私の名は、ブリジット! ブリジット・エインズワース! ヒーロー協会の誇る金色の正義の味方、ブリジットですわ!」
「正義の味方だと!? 服装赤いのに金色だと!?」
「お、お黙りなさい! 髪の色は金色でしょうに!」
自らを正義の味方と名乗った彼女に、和真は舌打ちをして捕えた女性と共にその場を後ずさった。
「クソッ、正義の味方がこんなに早く来るなんて聞いてないぞ!? この街には正義の味方はいないんじゃなかったのか!?」
「あら、いなかったのならば尚のこと、私がここにいるのは必然ですわ!」
高笑いする自称金色の正義の味方の様子に、和真は慌てて人質を拘束する力を強める。正義の味方の実力はほかでもない。誰よりも自分はよく知っているのだ。
故に、勝つためならばいくらでも卑怯な真似をしよう。そうでなくては、話にならない。
「ぶ……、ぶぶ……、ブリリアント!」
「あら、ありがとう」
彼女の名を叫ぼうとしたのだが、褒めてしまった。慌てて和真は眉間に親指を押し当て、彼女の名前を思い出す。だが、どうにも思い出せそうにないのでそれっぽい名前で叫ぶことにした。
「ぶ、ブフリット! それ以上一歩でも近づいてみろ! 人質の命がどうなってもいいのか!?」
くわっと言わんばかりに彼女の顔が怒りに歪んだ。
「誰がブフリットですか! ブリジット! 私の名はブリジットですわ! えぇい、卑劣なり! 人を捨て化け物となったその身に、もはや脳みそはおろか人の心は宿らないのかしら!?」
和真のほうから挑発したとはいえ、彼女の言葉に思わず和真もかちんとくる。
「あら、言い返せもしないのかしら。ごめんなさい、図星だったのね」
挑発を繰り返す彼女の言葉に、和真の鼻が引くついた。だがなお、和真は押し黙って彼女の暴言に耐え続ける。
「まぁ、仕方ありませんわね。中肉中背、容姿も普通。地味で友達が少なくて頭も良くなく運動神経がちょっと良いだけのロリコンな貴方では、世界を壊したくもなりますわね」
ブチッと。音をたてて和真の額の血管が切れた。
「黙って聞いてれば偉そうに! そんなエグいレオータード着込んで、あまつさえそれをアピールするような真っ赤なドレス来て高いところから登場する変態さんに言われたくねぇ! 貴方にはぁ人の羞恥心も宿らないのかしらぁ!?」
和真が彼女の真似をして裏声を上げると、捕えていた女性が思わずぷっと噴き出す。周囲からも失笑が漏れ、高台でふんぞり返っていたブリジットの顔が真っ赤に染まった。
「な、ななな、なんですって!? 人のバトルスーツをコスプレみたいに言うなんて! いいわ、今すぐにでも蹴散らしてあげる!」
叫び声と共に彼女が和真めがけて高台を跳躍した。宙で華麗に一回転を決めた彼女は、そのまま右足を和真に構えて全身で槍になる。一直線に和真の顔面に向ってとび蹴りを決めに来たのだ。
「あ、ちょ、こらおまっ、人質、人質こっち!」
慌てて人質の女性をアピールするが、既に彼女の頭の中からは人質の姿が消えているらしい。まっすぐ自分だけを射殺そうと睨み付けて迫る彼女の様子に、和真は慌てて人質にしていた女性を突き飛ばした。
「ちぇすとおおおお!」
「のあああ!?」
ブリジットの蹴りが地面に突き刺さる。寸でのところで地面を転がり彼女の攻撃を躱した和真は、地面に突き刺さったブーツのヒールを見てぞっとする。無駄な破壊のない一点集中された蹴り。ふざけていても――正義の味方。
言葉を無くした和真を尻目に、ゆっくりとブリジットが地面からヒールを引き抜いた。片腕を腰に当て、片足に体重をかけたモデル姿勢で、彼女は優雅に頬に手を当て和真を見つめた。
「良く躱しましたわね」
褒めてあげるわ。そう言わんばかりの彼女の様子に、和真は歯ぎしりを隠せない。
「……お前、状況解ってんだろうな?」
周囲の人たちが息を飲んで自分達を見つめる中で、和真はそうブリジットに問いかけた。だが、彼女は和真の言葉を心外なと言わんばかりに鼻で笑い、人差し指を突き付けた。
「シナリオは勧善懲悪。貴方を倒せば、全て丸く収まりますわ」
そう言い切った。
「……はっ」
鼻で笑う。和真はゆっくりと立ち上がり、外骨格で覆われる強靭な肉体を戦闘態勢に移行させる。そんな和真の目の前で、ブリジットも爪先で地面に叩いてタイミングを計り始めた。
「いいさ、ちょうどいい。正義の味方の力ってやつを知りたかったんだ」
「お生憎様ですこと。せいぜい、盛り上げさせてもらいますわよ?」
二人の間に走る緊張に、周囲で固唾を飲む人達の呼吸が止まる。
「っ!?」
瞬き程の瞬間に、和真の脳天にブリジットの右ハイキックが迫った。
あまりのその速さに和真の意識はついていけない。もはや本能とも呼べる反射神経で、和真は彼女のハイキックをバックステップで躱した。
(手加減なしかよ……!)
そんなものするはずないとわかっていても、和真は焦りを隠せない。バックステップでとったはずの距離は、彼女の二段構えの蹴りの前にゼロにされたのだ。
意識すらできなかったハイキックが囮。必殺にすらなりうるその蹴りは、自身の転身を隠すための罠。まんまとバックステップで躱させられた和真の鳩尾に、左足の踵が突き刺さる。
「が、はっ……!」
呻き声を上げる。
たった一撃で終了。どうせならもっと早く決めて欲しかったと目の前の彼女を恨みながらも、和真は全身を包む蒸し暑さと汗からようやく解放されるのかと微笑む。
だが、
「(あ、ああぁ、あれ!?)」
周囲の人間の理解を超えた速度の中で、和真にだけ聞こえたブリジットの慌てる声。その理由に、痛くもなんともないその蹴りを受け止めた和真だけが気付いた。
和真の腹に突き刺さったブーツのヒールが、綺麗に折れているのだ。
「(――――っ!?」」
「(あわわ……!?)」
想定外の事態に、和真とブリジットの視線が合う。未だに宙を回転して足を延ばしたままの彼女は、ヒールの折れた今のままではまともに着地できず、全てを台無しにしてしまうだろう。
それでは意味がない。それでは全くもって意味がない。
「(あとで奢れよ……! それと、展開は任せた!)」
「(ちょ、ちょっとお待ちなさ……!)」
背後に飛び消える予定を、まったく逆に切り替える。飛びずさりかけていた足を必死になって地面につけ、指先に力を込めた。辛うじて止まる上半身を、全力でくの字に折る。
「ぐ、あ……っ!」
呻き声なんか上げてみて、宙を舞う彼女に視線で合図を送った。ブリジットはすぐに和真の視線の意味に気づき、上体を捻って体の向きを変える。そのまま彼女が、蹴り付けた足の膝を軽く折ったのを確認し、和真は彼女の足の裏に倒れ込んだ。
ゴンッ――と。
酷く鈍い音をたて、和真は脳天から床に転がる。
直後に、顔のすぐそばにブリジットの右足が着地し、ヒールが折れている左足で和真の背中を踏みつけ、バランスを保った。
気づけば、二人の姿は女王様とその足元に這い蹲る豚。周囲の人たちがあっけにとられる中で、ブリジットは肩まで伸びる金髪を片手で優雅にかき上げた。
「悪の栄えた試しなし! いい、世界は貴方なんかにあげませんわ! なぜなら――」
たっぷりの間をおいて、彼女は自分の胸に手を当て、彼らに向って宣言する。
「金色の正義の味方である、この私がいるのですから!」
キメ台詞と共に周囲で歓声が沸き上がる。小さな子供から大きな大人まで数多くの人達が見つめる中で、悠然とブリジットは彼らに手を振り歓声に応えた。
その足元で踏みつけられたままの和真は、誰にも聞こえないほどの小さな声でぼやく。
「……絶対、アドリブ分の給料はせしめてやるからな……!」
悔しいやら恥ずかしいやら暑いやら、自分でも何が何だかわからない不思議な空しさに襲われ、和真は騒ぎ続ける観客席へと視線を向けた。
「…………」
視線が合ったのは、ちょうど自分が倒れ込んだ真正面の最前列に移動してきていた銀髪少女。彼女の眉が中央に寄り、口元が面倒臭そうに三角形になる。そして、
「ダサい」
ソフィの容赦ない一言に、和真はこの日初めて嗚咽を零した。




