表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
放課後、わたしは悪役令嬢になる。 ~死神アルバイトで異世界に通っていますが、断罪フラグの彼女を救うのが私のお仕事です~  作者: 楠木 悠衣


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/4

第4話 「人ならざるものの、はちみつ色の瞳」

その夜、わたしは、なんども、なんども、寝返りを、うった。


時計の、秒針の音。


ち、ち、ち、ち。


それが、いつもより、ずっと、ずっと、大きく、聞こえた。


枕元の、文庫本。


そこに刻まれた、流麗な、彼女の文字。


『──あれは、人間ではないわ』


そのことばが。


まぶたの、うらがわで。


ずっと、ずっと、銀の絹糸みたいに、ゆれて、ゆれて、消えてくれない。


「……ヴィオレッタ」


わたしは、ちいさく、つぶやいた。


「あの子は、いったい──」


そのとき、だった。


──こ、つ。


窓ガラスに、なにかが、当たる、おとが、した。


ぴくり、と。


わたしの、ぜんぶの、神経が、固まった。


──こ、つ。


──こ、つ、こ、つ。


「……っ」


わたしは、息を、ぐっと、こらえて、ふとんを、頭まで、引き上げた。


ち、ち、ち、ち、と、秒針が、刻む。


風だ。


たぶん、風で、桜の小枝が、当たって、いるだけ。


そうに、決まっている。


そうに、決まっている、のに。


わたしの、心臓は。


ばくり、ばくり、と、おそろしいくらい、はやく、なって。


それで、ようやく、わたしは、気づいた。


桜の枝は。


──わたしの部屋の、窓ガラスには、絶対に、とどかない。


それくらい、離れて、いる。


なのに。


──こ、つ。


──こ、つ、こ、つ、こ、つ。


ぴたり、と。


リズムが、変わる。


それは、まるで、


──"開けてください"、と。


そう、言って、いるみたい、だった。


「……」


そっと、ふとんから、目だけを、出す。


カーテンの、すきまから。


──ふたつの、ちいさな、光が、覗いていた。


うすい、はちみつ色の。


ふたつの、瞳が。


しずかに、しずかに、わたしの部屋を、覗き込んで、いた。


「……っ……!!」


声を、あげる、まもなく。


その、ふたつの瞳は。


ふふ、と、ちいさく、笑うように、たわんで。


そして。


すぅっ、と、夜の闇に、溶けて、消えた。


「──……うそ」


わたしは、ふとんを、握りしめた、手の、指の関節が、まっしろになるくらい、ぐっと、握っていた。


ばくり、ばくり、ばくり。


胸の鼓動が、耳の奥で、暴れて。


息が、できない。


「シュナイダー、さん」


わたしは、左の手のひらに、ぎゅっと、唇を、あてて、ささやいた。


「シュナイダーさんっ、シュナイダーさん、いますか、お願い、いるなら、答えて」


しん、と、夜の、ちんもく。


それから、ようやく。


ぴ、ん、と。


頭の奥に、あの、すずの音が、響いた。


『──……はい、はい、すずねちゃん。どうしたの、こんな、夜中に』


その声は。


いつも、なら、ふざけたように、軽やかな声。


なのに、こんやだけは、ほんのすこしだけ。


──緊張、している、ように、聞こえた。


「いま、わたしの、窓に」


『……うん』


「はちみつ色の、瞳が、ふたつ」


『──……そっか』


しずかに、しずかに、彼は、息を、ついた。


『──思っていたより、ずっと、はやかったね』


「シュナイダーさんっ、これ、どういうこと、ですか」


『落ち着いて、すずねちゃん。落ち着いて、聞いて、ね』


「……」


『あの子はね』


シュナイダーさんは、ことばを、えらぶように、ゆっくり、ゆっくり、つづけた。


『エミリア・グラディースは、ね』


『──"こちらの世界"にも、いる、んだ』


ぴたり、と、わたしの、息が、止まった。


朝。


四月の、まぶしい、光が、カーテンの、すきまから、つぅっと、差し込んで。


わたしの、まぶたを、そっと、撫でた。


「……あ、さ」


ぼんやりとした頭で、起き上がる。


口の中が、からからに、乾いていて。


肩が、ずしりと、おもい。


ゆうべの、出来事が、夢か、現実か、ぼやけたまま。


ふらり、と、洗面所に立った、わたしの、目に、映ったのは──


「……っ」


鏡の、なかの、自分。


まぶたが、すこしだけ、はれていた。


──泣いた、あとみたいに。


ううん、たぶん、ほんとうに、すこしだけ、泣いていたんだ。


ゆうべ、シュナイダーさんが、つづけて、教えてくれた、ことばのせいで。


『あの子は、ね、すずねちゃん』


『──エミリアは、君の、世界の、女子高生としても、生きてる』


その、ことばを、思い出すと、いまだに、指の先が、ふるえる。


「……すずちゃん、おはよう」


「あ、おはよ、おかあさん」


「ちゃんと、寝た?」


「……うん、たぶん」


「ううん、寝てない顔してる」


おかあさんは、わたしの頬を、ぷに、と、ひと指、押してから。


ふぅ、と、ちいさく、ため息を、ついた。


「ねえ、すずちゃん」


「うん?」


「もし、こわい夢、見たんなら、お母さんに、半分こ、する?」


──ああ。


おかあさんの、その、なんでもない、ことばが。


なんで、こんなにも、わたしの、目の、おくを、つよく、しめつけるんだろう。


「……うん、こんどね」


それだけ、いうのが、せいいっぱい、だった。


学校に、ついて。


下駄箱で、靴を、はきかえる。


そのとき、ふと、わたしの上履きの、なかに。


──白い、紙きれが、入っているのに、気づいた。


「……?」


ぴくり、と、心臓が、跳ねる。


ゆうべの、はちみつ色の、瞳が、よぎる。


ふらふらと、その紙を、ひらいた瞬間。


「す、すずねっ、おはよっ!」


「ひゃっ!?」


うしろから、三浦さんに、ばちん、と、肩を、叩かれて、わたしは、ほんとうに、心臓が、口から、跳ねでるかと、思った。


「な、なんで、そんな、生まれたての小鹿みたいな、リアクション……」


「ご、ごめん、ちょっと、寝不足で」


「うわ、また、それ」


くす、と、三浦さんは、笑って。


「で、なに、その、ラブレター?」


「えっ、ちが、ち、ちがうって!」


「ふふ、見せて?」


「だ、だめっ」


ぱっと、紙きれを、隠す。


三浦さんは、目を、ぱちくり、とさせて。


「……すずね?」


「うん?」


「あんた、なんか、ほんとに、最近、おかしいよ?」


「だ、だいじょうぶ、だよ」


「ほんとう、に?」


──ほんとうに、なんて、言える、わけが、ない。


わたしは、ぎこちなく、笑って、それから、教室に、駆け込んだ。


トイレに、駆け込んで。


個室の、扉を、しめて。


ふるえる手で、紙きれを、ひらいた。


そこには。


ふわふわとした、まあるい字で。


たったひとこと、こう、書かれて、いた。


『放課後、屋上で、おまちしておりますわ。』


──"あちらのヴィオレッタ様"の、お友達より。


「……っ」


カラン、と。


わたしの、手から、シャープペンが、落ちる、おとが、した。


その日、わたしは、ぜんぶの授業を、ぜんぶ、聞き逃した。


教科書の、文字が、ぜんぶ、にじんで、見えた。


頭のなかで。


シュナイダーさんの声が。


なんども、なんども、ぐるぐるしている。


『エミリアは、君の世界では、桐生エマ、っていう名前の、女子高生として、生きている』


『きっと、彼女も、君と、おなじ、なんだ』


『放課後だけ、向こうの、エミリア・グラディースに、憑依している』


『でもね、すずねちゃん』


『──彼女のバイトの、雇い主は、ぼくじゃ、ない』


「……ちがう、雇い主」


ぽつ、と、口のなかで、わたしは、つぶやく。


『そうだよ。──ぼくのほかにも、"死神"はいる、ってこと』


『そして、その死神は、ね』


『──ヴィオレッタを、生かしたくない、側の、死神なんだ』


ぞくり、と、した。


「シュナイダーさん、それって、つまり」


『うん』


『君と、エマちゃんは、ね』


『──おなじ、ステージの、上で。逆向きに走らされている、二人の、競走者、なんだ』


放課後の、チャイムが、鳴る。


きぃん、こぉん、かぁん、こぉん。


四月のおわりの、ちょっとあたたかい、夕方の、風。


わたしは、教室の窓から、ちらり、と、空を、みあげた。


うすい、藤色の、雲が、ふんわりと、流れていた。


ちょうど、ヴィオレッタの、ドレスの色みたいだ、と、思った。


そのとき。


──こん、と。


ペンケースの、はしっこに、置いていた、文庫本が。


ひとりでに、ぱらり、と、めくれた。


そこに、流麗な、彼女の字で、ひとこと。


『行ってはなりません』


「……ヴィオレッタ」


わたしは、その文字に、そっと、指を、ふれた。


すぅっと、絹の、つめたさ。


「ごめんね」


ささやく。


「でも、たぶん、わたしね」


「行かないと、いけないと、思うんだ」


「だって」


「──だって、それじゃ、なんにも、変わらないもの」


ことり、と。


わたしは、文庫本を、そっと、閉じた。


そして、ぽけっとに、しまって。


立ち上がる。


足が、ふるえている。


膝が、ふるえている。


それでも、わたしは、屋上への、階段を。


ゆっくり、ゆっくりと、のぼり、はじめた。


屋上の、扉を、押し開けた、瞬間。


──ふぁさ、と。


風が、わたしの、まえがみを、ふわり、と、もちあげた。


四月の、夕方の、空。


うすい、うすい、藤色と、橙色が、まざりあった、空。


その、まんなかに。


ひとり、立って、いた。


ふわふわとした、たまご色の、巻き毛。


やわらかく、横にゆれる、制服の、スカートの、ひだ。


そして。


ふりむいた、瞬間に、こちらを、見つめた、


──はちみつ色の、瞳。


「あ、ら」


すずやかに、彼女は、笑った。


「ほんとうに、来てくださいましたのね、ヴィオレッタ様。──いいえ」


ふふっ、と、両手を、後ろで、組んで。


その子は、すこしだけ、首を、かたむけて、こう、つづけた。


「──柊木、すずね、さま?」


ぴたり、と。


わたしの、足が、止まった。


「……っ」


「あら、そんなに、お驚きにならないで」


ふわり、と、彼女の、淡いリボンが、風に、揺れる。


「だって、わたくしも、おなじ、ですもの」


くるり、と、彼女は、ターンを、するみたいに、ひとまわりして。


「桐生エマ、と、申しますわ。十六歳。──そして、放課後の、二時間だけ。あちらの世界では、エミリア・グラディース、を、しております」


「……あなた、が」


「ええ。お初に、お目に、かかります、ね」


桐生エマ、と、名乗った、その子は。


ふわり、と、両手を、胸のまえで、合わせて、おじぎした。


その、所作の、優雅で、可憐なこと。


そして。


その、はちみつ色の瞳の、奥の。


──ぞっとするほど、しずかな、こと。


「ヴィオレッタ様は、ね」


エマちゃんは、つぶやいた。


「あなたが、思っていらっしゃるよりも、ずっと、つよい、ご令嬢、ですわ」


「……」


「だから、わたくし、ね」


「あの子から、あの子の、人生を、奪うことが、できるのなら」


「──どんなことでも、します、の」


ふぁさ、と、風が、すずなりに、彼女のリボンを、揺らす。


その、はちみつ色の、瞳の、おくに。


ぽぅ、と、はじめて、火が、ともった、気が、した。


それは、にくしみ、では、なかった。


それは、いかり、でも、なかった。


ただ。


ただ──


「だって」


ふっと、彼女は、伏し目に、なって、こう、つづけた。


「あの子は、ね、すずねちゃん」


「──わたくしの、お姉さま、なの、ですもの」


「……え」


「ふふ。びっくり、しました?」


ふわふわと、笑う、その目から。


ぽたり、と、ひと粒。


わたしより、ずっと、ずっと、深い、深い、涙が。


しずかに、白い頬を、すべりおちた。


「でも、ね」


「──わたくしの、お姉さまは」


「もう、十年、まえに」


「ロザリンド侯爵家の、いちばん、おく、ふかい、お部屋で」


「ひっそりと、息を、ひきとった、ひと、なのですわ」


ぴたり、と、世界が、止まった、気がした。


「……えっ……」


声が、ふるえる。


「だって、ヴィオレッタは、いま、あの世界で、ちゃんと──」


「ええ、ええ、そう、ですわね」


エマちゃんは、こく、と、うなずいた。


「だから、ね」


ふっと、彼女の、はちみつ色の瞳が。


すぅっと、わたしを、見据えた。


その、瞳が。


ぐにゃり、と、すこしだけ、ゆがんで。


たてに、ほそながく、瞳孔が、ひらいた。


──ぞわり、と、した。


それは、もう、人間の、目では、なかった。


「いま、ヴィオレッタの、体に、入って、いる、その、たましいは」


「ほんとうに、わたくしの、お姉さまの、たましい、なのか」


「──それとも」


ふふ、と、彼女は、笑う。


「死神に、騙されて、まったく、別の、たましいが、押し込められて、いるだけ、なのか」


「それを、確かめにきた、だけ、ですの、よ」


ふぁさ、と。


風が、つよく、吹いた。


わたしの、まえがみが、ぐしゃりと、ふきあげられて。


エマちゃんの、たまご色の、巻き毛も、おおきく、ながれた。


そして。


その、ふわふわとした、巻き毛の、おくの、首すじに。


──ぽつり、と。


わたしと、おなじ、薔薇の、刻印が。


ただし、わたしのと、ちがって、


──ふかい、ふかい、漆黒の、ばらの、刻印が。


しずかに、しずかに、息を、して、いた。


「ねえ、すずねちゃん」


エマちゃんは、ふっと、そっと、わたしの、すぐ目のまえまで、歩み、よって。


ふわり、と、わたしの、耳元に、ささやいた。


「ひとつ、だけ、教えて、くださいまし」


「……」


「あなたが、ヴィオレッタの体で、目を、覚ました、その、いちばん、はじめての、瞬間に」


「あの子は、ほんとうに、なんにも──」


「あなたに、語りかけて、こなかったの?」


ぴたり、と。


わたしの、心臓が、止まった、気がした。


──ちがう。


ヴィオレッタは、わたしのなかに、いる。


ちゃんと、いる。


文庫本に、書きこんでくれて。


あなたの、ことを、もっと知りたい、と、いう、ことばを、教えてくれて。


──そして、わたしに、警告までして、くれた。


なのに。


エマちゃんの、ことばは。


その、ぜんぶの、確信に。


ぞくりと、つめたい、針を、刺してきた。


「……だって、ヴィオレッタは、ちゃんと──」


ことばが、出てこなく、なる。


エマちゃんは、ふふっ、と、わらった。


「あら」


「ヴィオレッタ、って、もう、呼んで、らっしゃるの?」


「……」


「死神は、教えませんでしたか、すずねちゃん」


ふぁさ、と。


エマちゃんの、たまご色の、巻き毛が、わたしの、頬を、ふんわりと、撫でて。


「あの世界で、ヴィオレッタ・ロザリンド、と、呼ばれている、お嬢さまの、ほんとうのお名前は」


「──"ヴィオレッタ"、では、ない、ということを」


世界の、ぜんぶの、音が、消えた。


わたしの、ぜんぶの、思考が、まっしろになった。


「シュナイダーは、あなたに、ぜんぶの真実を、お話しては、いらっしゃいませんわ、ね」


「……」


「あの死神は、ね、すずねちゃん」


「いつも、いつも、いちばん、たいせつなことだけを」


「──こっそり、隠して、契約させるのが、おとくいなの、ですもの」


ふっと、エマちゃんは、すぅっと、わたしから、はなれて。


ぱしゃ、と、屋上の、フェンスに、寄りかかる。


夕日が、彼女の、ふわふわの巻き毛を、ぜんぶ、橙色に、染める。


その、姿は。


ほんとうに、ほんとうに、可憐な、女子高生で。


なのに、あんまりに、しずかで。


「ねえ、すずねちゃん」


「……はい」


「ひとつだけ、ね、約束、してください、まし」


「……なに」


エマちゃんは、ふっと、目を、伏せて。


「──わたくしを、憎まないで、ね?」


「えっ……」


「だって、わたくしは、ね」


「あなたから、お姉さまの、ふりをした、知らない誰かを、引きはがしたい、だけ、なんですもの」


ふっと、彼女の、はちみつ色の、瞳が、ほんの、すこしだけ、潤んだ。


「もし、もし、ね」


「あなたが、ほんとうに、お姉さまの、たましい、だったら」


「わたくし、すぐに、おうちに、お連れ、いたしますから」


「だから、ね、すずねちゃん」


「明日の、放課後、もう一度、ヴィオレッタのお部屋に、出勤、なさいませ」


「そうしたら、わたくしも、エミリアの体で、伺います、ので」


「ふたりで、ゆっくり──確かめて、まいりましょう?」


ふわり、と、エマちゃんは、わたしに、ちいさく、手を、ふって。


そして、屋上の、扉のほうへ、ゆっくり、ゆっくり、歩いていった。


その、うしろ姿が、扉の向こうに、消える、瞬間。


ふっと、ふりかえって、彼女は、こう、ささやいた。


「もし、明日、ヴィオレッタが、また、あなたに──」


「──"なにかを、書き残したら"」


「それを、ぜんぶ、ぜんぶ、信じてしまう前に、ね」


「ひとつ、だけ、自分に、問いかけて、ください、ませ」


「『その文字は、ほんとうに、ヴィオレッタが、書いたものですか?』──と」


ぱた、ん、と。


屋上の、扉が、しまる。


そして。


わたしは、屋上に、ひとり、ぽつんと、取り残された。


ふらふらと、ベンチまで、たどりついた、わたしは。


ぺたり、と、座り込んで。


ふるえる手で、ぽけっとから、文庫本を、取り出した。


ぱらり、と、ひらく。


そこには、いつもの、流麗な、文字で。


きょうも、ひとこと、刻まれて、いた。


『すずね、無事ですか。──"あの子の言うこと"を、半分だけ、信じなさい』


「……半分」


わたしは、つぶやいた。


「半分、って、どこから、どこ、まで」


ぽつ、と、ページに、ひと粒、しずくが、おちる。


「……ねえ、ヴィオレッタ」


「あなた、ほんとうに、ヴィオレッタ、で、いいの?」


その、問いに。


文庫本の、文字は。


しばらく、しずかな、まま、だった。


それから、ようやく。


ゆっくりと、ゆっくりと、新しい文字が、にじみだした。


『──ええ。』


『でも、わたしの、ほんとうの、なまえは。』


『──まだ、あなたに、お教え、できないの。』


『ごめんなさい、すずね。』


『でも、どうか、信じて。』


『──わたしは、あなたの、味方、ですから』


ぽたり、と。


わたしの、涙が。


その、最後の文字の、すぐ、となりに、おちた。


「……ばかみたい」


わたしは、笑った。


「会ったことも、ないのに」


「会ったことも、ないのに、さ」


「──どうしてこんなに、信じたく、なるんだろう、ね」


夕日が、ベンチを、橙色に、染める。


四月の、おわりの、風。


すずめの、声。


わたしの、左の手のひらの、薔薇の刻印は。


ぽぅ、と、しずかに、銀色に、戻って。


そして。


その、薔薇の、はなびらの、いちまい、だけが。


──ほんの、ほんのすこしだけ。


漆黒に、染まって、いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ