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放課後、わたしは悪役令嬢になる。 ~死神アルバイトで異世界に通っていますが、断罪フラグの彼女を救うのが私のお仕事です~  作者: 楠木 悠衣


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第1話 「放課後、死神に出会いまして」

雨の匂いがした。


アスファルトに弾ける雫の、あの独特の、ちょっと埃っぽくて、それでいてどこか懐かしいにおい。


傘の柄をぎゅっと握り直したわたし──柊木すずねは、信号待ちの横断歩道で、ふと足元に視線を落とした。


水たまりに、ひとつ、波紋が広がる。


ぽつん、ぽつん、ぽつん。


四月の雨は、まだ少しだけ冷たい。制服のスカートから伸びた素足に、跳ね返った雨粒がじわりと冷たく沁みていく。


あぁ、靴下が濡れちゃう。


そんな、本当に──どうでもいいことを考えていた。


その、瞬間だった。


「──にゃっ」


か細い、ほんとうにか細い、子猫の声。


視線を上げると、横断歩道の真ん中に、ぽつんと白い影。生まれて間もない、まだ片手にも余りそうな、小さな小さな白い子猫が、雨に濡れて震えていた。


信号は、青。


でも、向こうからは、トラックが──


考えるより先に、足が動いていた。


傘が、手から滑り落ちる。視界の端で、ばさっ、と、それが歪に開いたまま転がっていくのが見えた。


「だめっ……!」


子猫を、抱き上げる。腕の中の、小さな心臓が、とくとく、とくとく、と、わたしの指先に伝わってくる。


ああ、生きてる。


そう思った瞬間、


──視界が、白く、消えた。


ふわり、と。


なにか、とても柔らかいものに、頬を撫でられた気がした。


雨の匂いが、しない。代わりに、お線香みたいな、それでいてもっと甘い、初めて嗅ぐ香りが、すぅっと鼻の奥を通り抜けていく。


「やあ、目が覚めた?」


声がした。


低くて、けれど不思議と耳に優しい、男の人の声。


わたしは、ゆっくりとまぶたを持ち上げる。


そこは、どこともしれない、薄紫色の空間だった。床も、天井も、壁も、ぜんぶがぜんぶ、夕暮れの空をうんと薄めたみたいな、淡い藤色をしている。


そして、その真ん中に、ひとり。


「……えっ」


思わず、声が漏れた。


椅子に脚を組んで座っていたのは、信じられないくらい綺麗な、男の人だった。


歳は、たぶん二十歳くらい。さらりとした白銀の髪が、頬の輪郭をやさしく縁取って、その奥の瞳は、まるで磨きすぎた硝子玉みたいに、深い深い藍色をしている。


膝の上には、銀色の、おおきな鎌。


──鎌?


「驚かせちゃってごめんね。でもまあ、こういう仕事なものでさ」


彼は、ふっと困ったように笑って、鎌の柄を、こん、と床に立てた。


「自己紹介がまだだったね。ぼくは、シュナイダー。一応、肩書きとしては──死神、ってことになってる」


死神。


その単語が、ぐにゃりと、わたしの脳のなかで形を変えていく。


死神。し、にがみ。


「えっと……あの……」


口の中が、急にからからになった。


「わたし、死んじゃった、んですか……?」


シュナイダーと名乗った青年は、ふ、と目を細めて、首をゆるく横に振った。


「半分、当たり。でも、半分は外れ」


「半分……?」


「君ね、寿命じゃなかったんだよ。あの猫を助けようとして死ぬのは、君の運命じゃなかった。ちょっとした事故。──いわゆる、業務上のミスってやつ」


業務上のミス。


ひと、の、命が。


なんだか、すうっと、足元から温度が抜けていく感じがした。腕の中を見下ろす。子猫は、もう、いない。あの小さなぬくもりも。


わたしは、自分の手のひらを、じっと見つめた。


指は、ちゃんと十本ある。爪のかたち。手の甲の、小さなほくろ。──ぜんぶ、わたしのものだ。


なのに、なんだか、もう、わたしのものじゃないみたいに、遠い。


「ねえ」


シュナイダーは、ゆっくりと身を乗り出した。藍色の瞳が、まっすぐに、わたしを覗き込む。


「だからさ、ちょっと相談があるんだけど」


「そうだん……?」


「君、バイトしない?」


「……はい?」


思わず、間の抜けた声が出てしまった。


死神に、バイト。


なに、その、シフト制の冥界。


シュナイダーは、わたしの困惑なんてまるで気にしていないみたいに、にっこりと笑って、ぱちん、と指を鳴らした。


ふわり、と空中に、一枚の羊皮紙のようなものが現れる。


「契約内容は、これね。──異世界において、断罪エンドが確定している悪役令嬢の魂を、その運命から救出すること」


「だんざい、えんど」


「うん。ま、要するにね」


彼は、片手で頬杖をつくと、ちょっとだけ、いたずらっぽく笑った。


「とある異世界に、可哀想なお嬢さまがいるんだ。彼女は、半年後に、無実の罪で婚約破棄されて、身分を剥奪されて、国外追放になることが、もう決まってる」


「決まってる、って……」


「物語のね、お約束みたいなものだよ。──でも、ぼくはね、すずねちゃん。あの子の、運命がさ」


ふっと、彼の瞳から、笑みが消えた。


「あんまり、可哀想で、見ていられないんだ」


その声が、あんまりにも、静かで。


雨の音みたいに、しんと、心に降ってくるものだから。


わたしは、思わず、息をのんだ。


「君ね、運命のうえでは、もう死んでるんだよ。だから、本当はここで、ぼくの仕事をして、それで終わりのはずだった」


シュナイダーは、立ち上がる。鎌の刃が、ぎらり、と、薄紫の光を弾いた。


「でも、君なら──」


藍色の瞳が、まっすぐに、わたしを見下ろす。


「君なら、彼女を、救えるかもしれない、って。そう思ったんだ」


ことり、と、心臓が鳴った気がした。


「わたしが、ですか……?」


「うん。──放課後の、二時間だけでいい」


彼は、ゆっくりと、こう続けた。


「君が学校から帰ってくるあいだ、その魂を、彼女の体に貸してほしい。そのあいだ、彼女の人生を、生きてあげてほしい。彼女の代わりに、彼女の運命を、ちょっとずつ、変えてあげてほしいんだ」


「……ヴィオレッタ・ロザリンド」


シュナイダーが、その名を、紡いだ。


たったそれだけの音なのに。


なんだか、知らないはずなのに、ずきり、と、胸の奥が痛んだ。


「ロザリンド侯爵家の、ご令嬢。十七歳。婚約者は、エルセリア王国の王太子殿下。──そして、誰よりも、ひとりぼっちな女の子だ」


ひとりぼっちな、女の子。


そのことばは、なんだろう、わたしのなかの、いちばん柔らかいところに、ぽとん、と落ちて、しずかに、ひろがった。


わたしは、自分の制服のスカートを、きゅっと握りしめる。


「……それを、引き受けたら、どうなるんですか」


「君は、生き返るよ。ちゃんと、君の世界で。明日から、いつも通り、学校に行ける」


「……わたしの、家族は」


「君のお母さんは、ずっと泣いてる。──病院で、君の手を、握りしめながらね」


その瞬間、ぐっ、と、喉の奥が締まった。


おかあさん。


朝、お弁当箱に「がんばれ」って、おにぎりみたいな下手っぴな絵を描いて持たせてくれた、あのひとの、顔が浮かぶ。


わたしを呼ぶ、声が。


「引き受けてくれるなら」


シュナイダーは、ふっと、やわらかく微笑んだ。その笑みは、なんだか、すこしだけ、さみしそうだった。


「君は、生き返れる。代わりに、放課後の二時間、彼女のために働く。──どう?」


差し出された羊皮紙が、ふわふわと、わたしの目の前まで漂ってくる。


そこには、たぶん、契約のことが、ぜんぶ書いてあるんだろう。


でも、わたしは、文字なんて、ほとんど見ていなかった。


ただ、頭の中で、ずっと、繰り返していた。


──ひとりぼっちな、女の子。


会ったこともない、その女の子のことを。


雨に濡れて震えていた、あの子猫みたいだ、と。


そう、思った。


「……ひとつだけ、聞いてもいいですか」


「うん。なんでも」


「彼女は、本当に、悪い子なんですか」


シュナイダーは、ぱち、と一度だけ瞬きをした。それから、ふ、と、目を伏せて。


「──きっと、君が、自分の目で、確かめてくれる」


そう、言った。


その答えが、なんだか、とっても、ずるい。


そう思いながら、わたしは、深く、息を吸って。


ゆっくりと、息を吐いた。


「……わかりました」


声が、少し、震えた。


「やります。そのバイト」


ことり、と。


羊皮紙の上に、わたしの、見たこともないインクで書かれた名前が、すうっと浮かび上がった。


「柊木 すずね」


シュナイダーは、にっこりと笑って、わたしに、片手を差し出した。


「ようこそ、すずねちゃん。──魂のお仕事へ」


その手を、わたしは、おそるおそる、握り返す。


すこしだけ、つめたい。雨上がりの、石畳みたいな、ひんやりとした手のひら。


「最初の出勤は、今日の放課後からね」


「えっ、もう?」


「うん、もう」


シュナイダーは、いたずらっぽく、片目をつむる。


「がんばって。──ヴィオレッタの初恋を、見届けてきて」


そのことばを、最後に。


ふわり、と、わたしの視界は、また、白く、染まっていった。


ぴ、ぴ、ぴ、ぴ──。


電子音。


聞き慣れた、目覚まし時計の音。


「……ぅ……」


わたしは、まぶたを、ゆっくりと、持ち上げる。


天井。見慣れた、薄いクリーム色の、わたしの部屋の、天井。


枕元には、しおりを挟みかけの文庫本。窓のカーテンの隙間から、朝の白い光が、すっと、差し込んでくる。


「……ゆめ……?」


そう、呟いた、瞬間。


ふと、左の手のひらが、ちりっと熱くなった。


おそるおそる、開いてみる。


そこには。


──薔薇の、花の刻印が。


うすい、銀色の光を放ちながら、しずかに、刻まれていた。


「……うそ」


ぱさり、と。


枕元の本が、なぜか勝手にめくれて、ぴたりと、あるページで止まる。


そこには、見たこともない流麗な文字で、こう、書かれていた。


『出勤時間まで、あと、八時間二十三分』


──ああ。


わたしは、ふっと、力なく笑ってしまった。


笑うしか、なかったのだ。


だって、ほら。


朝のチャイムは、もう、すぐそこまで来ている。


「……いってきます」


誰に言うともなく、そう呟いて。


わたしは、ベッドから、そっと、足を下ろした。


放課後までの、ながい、ながい、一日が。


──いま、はじまるのだった。

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