マンティコア
ちょっとお話は、1年前のクアザールの母星に場所を移して、クライアントとの邂逅についての描写になります。
マンティコア、自称の場合は、終令を経て雌雄同体となった成熟体を指す。
フィジカルに長けた雌体はマンティファロスと呼ばれ、5令から6令までを傭兵としてミリタリー籍に預けられ主にマシナリーとの戦闘の最前線で軍歴を積む。
他のオルガノイドがサイボーグ化して対処する中、マンティフィロスは生身単体でマシナリーの戦闘群体と渡り合える唯一の存在である。
遺伝系統はアースリング、主星システムは種族名と同じマンティコア、政治形態は共和制であるが、参政権はマンティコアのみに与えられる。
クアザールは、その1年前の事件までは雌雄体のマンティコアとして母星システムの外で軍歴を生かしたスカウトと呼ばれる攻撃的探偵業とも言える荒事に従事していた。マンティコアは卵生であるが、其の孵化には主星システムの環境が必要である。ある禁忌を冒し星系を追放された彼女等は子をなす事ができなかった。その事件によって伴侶である雄体、ニュートロンを亡くし、寡婦となった。結果として種族を救い、禁忌を冒した罪を許されマンティコアへの帰還を得たが、この事件と帰還を果たすまでの経緯は前日談である、“認知宇宙の刹那“に詳しいのでそちらを参照されたい。
その後、唯一の財産であった宇宙船を売却し母星に保存されていた夫の幼体クローンにメンタルバックアップを下ろしたものの、施術は完璧であったにもかかわらず、何故か目覚めることはなかった。
メディックスAIによれば、彼のゴーストは自らの意思で凍結されているようで、記憶へのアクセスも不可能な状態にあり、肉体的には冬眠状態にある。知性体にはゴーストと呼ばれる、その人格の目的方向性を決定づけるオルガウエアロジックがあると考えられている。AIにおいてはモティベーターと呼ばれる基本的にはソフトウエアインプラントの一種であるが、生体においてはその歴史的構造の複雑さからアーティフィシャルなモティベーターによって覚醒することは無いと考えられていた。残された財産は彼女の戦闘用素体2体しか無かったが、彼女のオルガウエアに最適に調整されたそれらは他のマンティフィロスが扱うには難しく売却先も見つからないまま、普段は彼女のインプラントのエージェントAIが維持し様々な日常雑事に使役していた。
彼女の喪失感と事件のトラウマから逃れるには、失ったものを取り戻す必要があった。ゴーストの解析と治療には膨大な演算が必要で、そしてそれには莫大なクレジットが必要であり、再び母星系を出てスカウトとしての仕事に復帰する事を決意した。
そんな矢先、再び星系外へ向かおうと準備をしていたおよそ1年前、1人となって最初の客として現れたクライアントはライブラリリンクを介さずに直接に彼女のコンパートメントに現れた。依頼があると機密服をつけずにヒトの姿をしたそれは素体とは思えないある種のオーラを放ち、クアザールを圧倒したが、終始微笑を絶えずに無防備であった。
「君が、スカウト“禁忌破りのクエーサー“かな?」
そのクライアントは完璧なマンティコア標準語で尋ねた。依頼の話の前に確かめたいことがあると。
クアザールは標準素体の発声器官では不可能な音節が生身から発せられたように見えることに驚きつつも
冷静に答えた。
「どこから私の事を聞いたのかしら?」
彼女のスキャナには一切のインプラントの形跡もトレースできなかった。
つまり、彼、ヒトの性別は着衣状態では認識が彼女にとっては難しいのだが、はインカーネーションの後何らかの理由でインプラントを摘出した存在であるということを意味した。そして、少なくともここマンティコアではインプラントの機能しないまま出歩くのは重罪である。
彼女は、エージェントAIに素体をスロットからいつでも出せるように命じ答えを待った。
それは、信じがたいことに彼女単体では目の前のヒトに全く勝てる気がしなかったからである。
「君は一度に何体までの素体を扱えるのかね?」
気配を察したのか、男はそう発すると彼女の視界から消え、その瞬間には彼女の体は何の力も感じないまま
うつ伏せに組み伏せられていた。信じがたいことに、中脚までも男の膝に押さえられた前脚によって極められており全く身動きが取れなかった。
次の瞬間、中盾板の隙間を狙う気配を感じ、即座に左前脚を諦め距離を取ろうと跳ね上がると、驚いたことに男は拘束を刹那に解いて、次に男の死角から襲いかかる素体2体の攻撃を躱わすと、再び距離をとった彼女の正面に無防備な状態で立った。
「5体くらいまでは行けそうだね。補助脳だけだとどうだろう?」
其の瞬間、インプラントのエージェントが沈黙し環境視界が完全に閉じた。
ネットワークリンクから完全に孤立した感覚に彼女の理性は絶望感を感じつつも、前脚の基節内の左右の補助脳は戦闘本能の歓喜に溢れ、即座にオルガウエアによる生体磁気通信によって素体を完全に掌握し反撃を開始した。
「素晴らしい。」
男はそう呟きつつも、18脚の絶え間ない全方位攻撃を難なく交わしつつ、今度はかの方から距離を取った。
「このままでは、君の家まで破壊されかねないからね。」
「寝言言ってろ!」
クアザールは男の征力圧の源が重力にあると見ると4翅を広げ、空中戦に切り替えた。
地上の2体の素体の前脚の外周が其の高周波の共振によってハム音を奏でる。
これによって男の擒拿手を封じると2体がかりで自滅覚悟の拘束を狙った。
拘束された男の首を落としに掛かろうとした刹那、揺らぐような動きで難なく拘束を振り解いた男が視界から消える。
「惜しいね」という男の言葉が背後から聞こえ蒼ざめた直後、クアザールの意識は完全に刈り取られ、空中の彼女の巨躯は其の質量と慣性によって斜めに降下し、地上までの軌道上にある、男のものであろうコミューターを破壊し、大穴を地面に穿ち停止した。
「あちゃあ、借り物の車が台無しだ。」
男は、やりすぎた反省と共に、残骸の中から完全に意識を失ったクアザールを発掘すると、そのクレーターから離れたサイドウォークにそっと彼女をうつ伏せに寝かした。彼女の体自体に大きな損傷がないことを確認すると安堵のため息を漏らす。
彼女の背中を見つめる男の顔から微笑は消え、目からは憂いが感じられた。
やがて背中の中盾板に手をかけ、そこに刻まれた紋章の意味を知ると、そっと手を納めた。
「ここには居ないようだね、ニュート」
すると、あたり一体の静寂がどこかに消え失せて街の喧騒が戻るとともに其の災害現場かのような
街区が現れ、街区管理AIによる普及作業が始まった。
メディカルサービスに2体の素体の手によってクアザールが収容されるのを確認すると
男は安心したように、再び微笑を残して野次馬の海をまるで誰もいないかのように通り抜け、日の落ちた街の雑踏の中に消えていった。
ちょっと説明冗長的ですね。前日談とされる話は投稿予定がないんですが(娘に悲し過ぎるから結末変えてと言われてますが良いアイディアがなく)本稿がうまく拾い上げられれば描くかもしれません。とにかく今のクアザールは寡婦で其の夫の復活のためにお金と知恵が必要な状況にあったという事です。まあ復活しても産卵のためには食べられちゃうわけですけども。夫であるニュートロンはいわば小さな知恵型の英雄でもあるわけですが基本引きこもりなんで、終令後は普通の現実世界で表に出ることは稀な代わりにネット三昧という(笑)。マンティフィロスは終令の変体で目も脚も無くなっちゃいますからね。




