みつばのこと
『みつば』はたろべえ、じろさくと比べてとても順調だった。同じ病院だったがじろさくが生まれた直後新築移転していた。ホテルのロビーのような待合室にそれぞれ個室で相談・診察をする、いい病院になっていた。しかし、売り上げを上げる為か先生たちが何か素っ気ない感じを受けた、その感は当たっていて旧病院の時は様子が変わらなくても話に来てくれた先生が来なくなった。三年で今までいた看護師さんたちがいなくなっていた。
みつばの問題は小さかった。二三〇〇と少なく、妊娠していても気付かれない程だった。御馴染み二週間前の入院で退院する時「体重が足りないようだけど大丈夫か?」と聞けばよかった、とずっと後悔している。専門家に質問する勇気も時には必要なのだ。しかし小さかったおかげで大きな陣痛から三十分もせずに生まれた。
最近は『不育症』という言葉がある。妊娠しても何度も流れてしまう症状だ。大部屋は六人になっていたが、四日目に初期異常の人が入ってきた。心音が聞こえないからと処置入院だった。殆どの人が妊娠を継続させるために入院する、しかし処置で入院する場合もあるのだ。その人に誰も声はかけられなかった。
退院した翌々日の土曜日朝六時、ぐうっと抑え付けられる痛みが来た。早めに病院へ行くとダブルベッドが二台並んだ待機室に入れられた。十二時になってもまだ産まれないのでたろべえとじろさくはかかさんが家へ連れて行った。六時ごろに陣痛が強くなり分娩室に移動だと思ったらベッドがそのまま分娩台になった、哀れ部屋の奥にいた相方は否応なしに立ち合う事になってしまった(ザマミロ!)。やはり出生後も体重が足りなかったのでみつばは後から退院になった。つくづく一緒に退院できる人がうらやましかった。
この子は最初諦めた子だった、この頃に妊娠検査薬が一般販売されたのでまず確認した。出来た事を相方に話すと
「金銭的にも仕事も忙しいから手伝えない、おろしてくれ」
と言われた。病院で確認して産めない子だと話すと淡々と処置について説明されたが、問題は帰りだった。動かないで一週間安静にしていなくてはいけない、社宅はバスと電車を乗り継がないといけない辺鄙な所だったので病院からの帰りは相方に頼んだ。が、
「俺には関係ない、お前が自分でやってくれ!」
「送って待っていてくれっていうんじゃない、終わったら病院に迎えに来てほしいだけ」
「だから勝手にやれよ!」
と怒鳴り散らすばかりだった。それから一週間考えた。
「この子は育ててくれると、この家に来た子なんだ。自分でやれって言うなら産むことにする、アナタは手伝わなくていいからね!」
この経過があったために「女の子を産んで良かったなぁ」と言われた時は
「アナタが決めたんじゃないでしょ? 自分が決めたみたいに言うな!」
と怒りまくった覚えがあった。
また実家に布団を取りに行ったときさあ戻ろうと車に乗り込むと電話が実家にかかってきた。何事と驚いて聞いてみると
「たろべえのおむつが汚れた!」
と叫んできた。すぐ戻るからそのままにしておくよう言うが
「もう遅い、服に付いているから換えたんだ!」
と、かなりパニックになっていた。すぐさま帰って部屋に入ると裸のままのたろべえと手を洗っている相方、風呂場の慘状を見て、時々おしりが汚れると洗ってやるついでに沐浴もさせていたが出掛ける前にそれを見て自分もやったらしい。持ち帰った布団を入れるより先に一つずつ片付けていった。その間ずっと纏わり付いてわめいていたのだが、本人は何度かおむつを替えているのになぜパニックを? と思った。どうも汚れた紙おむつは変えた事が無く初めて布おむつを汚して、始末の仕方も布おむつの当て方も分からずにそのおしりを洗った事が衝撃だったらしい。
「人間だから出すもの出すじゃないの」
と窘めていたのだが、
「俺の手に付いたんだ、何度も洗ったのに落ちた気がしない! 臭いもまだ残ってるんだ!」
と片付けている間傍で言い続けていた。ベビー服とおむつの汚れを落とし、最後にベビーバスと風呂場を掃除して夕飯の支度にとりかかったのだが、
「手が汚れた、臭いが染みついた」
とずっと言い続けていた。
「見ていてやるから一日出掛けてきてもいいぞ」と休日の度に気前の良い事を言っていたくせに、である。
「ワタシは毎日その汚れ物を片付けてる、その片付けた手で作った料理を食べてるアナタは何なの!?」
と言ったらようやく黙った。ミルクと離乳食を食べさせ寝転がせておけばいい、とでも思っていたのか。
たろべえの悪阻が酷く流しどころか炊き立てご飯の匂いも辛かったある日「夕飯作れない、寝ていていい?」と聞いたら「いいよ」と機嫌よく答えてくれたので寝ていると、帰ってくるなりすごい勢いで鉄製の扉を閉め、流しに溜まっていた食器を放り投げるように扱い出したので怒ったが、数年経って
「寝ていいって言ったけど仕事から帰ってきたら寝ているとやっぱり頭にくるよな?」と、班が変わるたびに飲み会で人に聞いている、と話題が無くなると話していた。
またみつばが出来た時のような思いはしたくないとピルを十年服用した時とパイプカットとの費用対効果を考え本気でカットを頼んだのだが体調がどうのこうのと拒否されてしまった事もあった。当時中量ピルが避妊用に認可されて毎月診察してもらわなければならなかったので、精神的にもかなり負担だった。
ところで更年期は身体の老化障害ではあるが悪阻と妊娠は病気ではない、しかし普通の状態とは違う。そして妊娠は病気ではないのだろうか? 病気ではない、かといって病院にも科目があるのだから「通常とは違う状態」ではあるが異常ともいえない、高血圧のように通常生活していて起こりうる体調変化、だろうか。
そして前から思っていた事だが、男性の「子供好き」という人に「その子供は何歳?」と聞いてみsびをしている頃か。それとも幼稚園児か小学生か。産まれて一ヶ月もしないでテレビを見て黙る子はありえない。
三人いて困った事は、出掛けると必ず一人いなくなることだ、カルガモ歩きができないとは思いもしなかった。たとえカートに乗せていても二人引いて歩くと、品定めしているその隙に必ず一人いなくなる。しかも困った事に離れても泣いてくれないのだ。苦肉の策として名札をそれぞれつけておいても役に立たない事があった。
みつばはまだ幼児専用カートが普及していない頃、ショッピングカートに乗せると物を取ろうとして身体を伸ばし、棚とカートの宙づり状態になってしまう事がよくあった。危ないから手を引いてそばにいることを確認しながら物を見ていて、たった一分目を離した隙に消えていた。遠くに行ってはいないだろうと周辺を探しても見つからない、十五分すぎて迷子の連絡をレジにお願いした。しかし三十分待っても出てこない、もう一度館内放送が流れたがまだ見つからない。十五分経って
「それらしい子がゲームコーナーにいる」
と知らせがきた。
「汽車に乗ってはしゃいでいて、全く泣いてないからそうだと思わなかった」
うん、迷子って親が見えないと泣くものだと思うよね。しかも二歳児が場所を覚えていてショッピングセンターの東の端から西の端まで三〇〇メートルをひとりで歩いて行っちまったなんて考えないよね。
この病院だが数少ない産科と小児科併設の個人医院で不妊外来も増設し人気があったが、今は跡地がマンションになっている。帝王切開もしないで危険になると総合病院に移してしまう、助産師任せで院長が看に来ない、病院のスタッフがあまりにも不親切、など新築してから金もうけに走りすぎて倒産したという。一年もしないで新人スタッフが入れ替わっている、長く勤めていた看護師が辞めてしまうというのはいい病院かを見分ける目安かもしれない、と思った。
上二人が男だと「女の子が欲しいよね」「三人目も作ろうよ」と、事情を知らない人はみんな言う。そして三人目が女だと必ず「女の子でよかったねぇ」と大抵の人には言われるが、家にやって来てくれる命に関係がないと思う。約二八〇日お腹の中で何もなく育ってくれたらそれが一番いいと思う。だから聞いてきた人には必ずこう言っていた、
「どっちでもいいんですよ、元気で生まれてくれるんならね」
と、実感から答えている。